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「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【前編】先輩起業家インタビューvol.1
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「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【前編】先輩起業家インタビューvol.1

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、年間1億人まで届けることだってできます。」

そう語るのは、長野県上田市で地元のカタログギフト事業を営む「株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)」代表取締役の児玉光史(こだまみつし)さんです。インタビュー前編では、「地元カンパニー」創業の経緯と、これまでの道のりや現在の目標を聞きました。

<お話を聞いた人>
株式会社地元カンパニー 代表取締役 児玉光史さん
長野県上田市のアスパラ農家に生まれ、大学卒業後は電通国際情報サービスにてシステムセールスに従事。退職後、東京で暮らす農家の跡継ぎコミュニティを立ち上げ、地域の産品を都内で実験的に販売。自身の結婚式で「ご当地グルメのカタログギフト」を引出物として配布し好評だったことをきっかけに、株式会社地元カンパニーを設立。

実家のアスパラガスの販売から事業をスタート

――まずは、株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)の概要について教えてください。

地元カンパニーは2012年に創業しました。現在は、長野県上田市に拠点を置き、約30名の社員と共に「地元のカタログギフト事業」「ギフトシステム事業」「お土産開発事業」を行っています。

――「地元のカタログギフト」とは?

都道府県や市町村単位のグルメを集めたカード形式のカタログギフトです。現在は約1300事業者様が参加してくださっていて、果物、野菜、生鮮品などそれぞれの「地元」の多種多様な商品がラインナップされています。

例えば「長野県のギフト」には、長野市のおやき、上田市の味噌、佐久市のプルーン、山内町のシャインマスカットや、小諸市の信州そばなどが掲載されています。個人のお客様はもちろん、結婚式の引き出物や内祝い、企業の株主優待、キャンペーンの景品、福利厚生などでご利用いただいています。

――一般的なカタログギフトと比べて、「地元のカタログギフト」にはどんな特徴がありますか?

ご注文いただいてからすぐにギフトが届くのではなく、「旬の時期」をお待ちいただくのが「地元のカタログギフト」の特徴です。例えば、6月に受け取ったカタログギフトで長野市のりんごを注文した場合、りんごが届くのは10月〜12月になります。

また、「地元のカタログギフト」作成にあたり、一件一件生産者の方々に取材を行っています。商品だけではなく、商品のつくり手、そして後継者の人々にもフォーカスし、つくり手の人となりや、ものづくりへの思いを伝えます。

――児玉さんが「地元のカタログギフト」の事業を始めたのはどんな背景があるのでしょうか。

僕の地元は長野県の上田市で、実家はアスパラ農家をしています。僕は大学進学のために上京し、そのまま東京の大手システム会社の営業マンをしていたのですが、地元に対する思いが拭いきれず、「自分はこのままでいいのかな?」と四年目で会社を辞めました。

――当時から、「地元のために創業したい」という思いがあったのですか?

何となく地元に関わっていたいとは思っていましたが、当時はまだこれといったビジョンはありませんでした。会社員を辞めてからはしばらくはWEB関係の仕事をしていましたが、東京で暮らすうちに自分と同じように地方から上京してきた農家の息子や娘たちと出会ったんです。

そこで、「自分達の実家の野菜を東京で売ってみるか」と、「セガレ」を立ち上げて、マルシェや駅前で野菜の販売を始めました。まだ「創業」といえる代物ではありませんでしたが、そこが僕のスタート地点でしたね。

「会社をやってみたい」という好奇心から「地元カンパニー」を設立

――そこから「地元のギフト」を思いついたのはどうしてですか?

たまたま僕が結婚する機会に恵まれて、結婚式で引き出物を準備する必要があったのですが、既存のカタログギフトを見てもピンとくるものがなかったんです。「せっかくなら、作り手の顔が見れる『セガレ』の仲間たちの実家の野菜やお酒、お米を贈れたらどうだろう?」と考えたのがはじまりでした。

――実体験からくるアイディアだったのですね。

早速、実際に自分たちで作ったカタログギフトを引き出物として使ってみたら参列者の方々にも好評で。「これはいけるんじゃないか?」と感じたのが「地元カンパニー」創業のきっかけの1つですね。

――会社を立ち上げることはハードルには感じませんでしたか?

むしろ、当時自分は30代に差し掛かった頃だったので、「いつまで東京で野菜を売っているんだ?このままでいいのか?」という気持ちがありました。

また、「セガレ」を通して、会社ではない組織体で動くことも経験してみましたが、やはり難しさがありました。同じ思いを抱えた仲間同士でも、全員本業ではないし関わる目的も様々で、金銭の授受が発生しない。面白くはありましたが、よくわからない状態でした。社会で生きていく上でも、「会社を経営している」という肩書きがあったほうがいろいろと動きやすそうだなと。

単純に「会社をやってみたい」という好奇心も大いにありましたね。そこで、「よし、会社を作ろう」と2012年の4月に登記し、社長になったわけです。

――とはいえ、会社ができたからといって事業がうまくいくわけではありませんよね。

そうなんです。「いけそうだ!」と感じたカタログギフトでしたが、いざ始めてみたら最初は知り合いが数件購入してくれるだけでまったく売上が立たず……。そこからは、とにかく思いついたことは全部やってきました。本当にいろんなことがありましたね。

今年で起業して13年目を迎えるのですが、ようやく会社として安定してきた気がします。財務的に「安定」というよりは、進むべき方向が見えてきた感覚ですね。

――事業の方向性が絞られるまでは、どんなことを?

東京から上田にUターンした後は、入居した建物にカフェ機能があったので、カフェ営業に取り組んでみましたが、全くうまくいきませんでした(笑)。Uターンの促進の事業も立ち上げましたが、なかなか事業としては成り立たず。

そんなふうに、もう覚えていないような失敗がいくつもあります。「地元のカタログギフト」も、いまでこそ軌道に乗っていますが、今のスタイルが確立するまでに「やらなくてよかったこと」はたくさんあったと思います。

まずは「自分でやってみる」。その繰り返しで「やるべきこと」を選び取ってきた

――「創業する」ということは、「なにをしてなにをしないか」の選択の連続ですよね。児玉さんは、まずやってみてから取捨選択をしていくのですか?

そうですね。僕は数学が好きなんですが、公式を使わずに解く癖があるんです。たとえば、他の会社のやりかたや成功事例を自社に持ち込むこともできたと思うんですが、僕はそれがどうしても気持ちが悪くて。

――「気持ちが悪い」というのは?

外から何かを持ってきてうまくいったとしても、どうしてうまくいったのかがちゃんと腑に落ちないといやなんです。だから、たとえ下手でも、うまくいかなくても、一から自分でやるのが好きなんですよね。

たとえば、事務所のタイルカーペットも自分たちで敷きました。外注すればすぐに終わるしきれいにできるかもしれませんが、自分たちでやってみることでチームビルディングになるし愛着が湧く。事業の運営においても、「時間や機会をお金で買わない」ことは意識しているかもしれません。「好奇心旺盛」といえばいい表現ですが、スピードを犠牲にしていますし、「やってみたい、やってみよう」でやることを増やして、一定数増えたら「なにか減らさなきゃ」とやるべきことを絞ってきました。

――創業から10年以上の試行錯誤があって、今があるのですね。

こういうことを話すと、「創業はやっぱり大変なんだ」と思われてしまうかもしれませんが、10年以上の時間がかかったのは僕の性格による部分が大きいんじゃないかな。

世の中でうまくいっている事業を参考にしながらサービスを始めれば、最初からある程度はうまく回っていくと思うのですが、僕の場合は、「ちょっと変わったこと」や、「今までにないことをやってみる」ことが好きなんです。

ギフトを通じて誰もが「待てる」社会をつくりたい

――地元カンパニーは企業理念に「待てる社会をつくる」を掲げていますが、この部分は10年以上会社を経営する中でもぶれないままでしたか?

いえ、一番最初の企業理念は、「地元をいい感じにする」というふんわりしたものでした。「いい感じ」にする方法はたくさんあるよな、自分達になにができるんだろう、と事業を成長させながらも考え続けて、10年以上経ってようやくしっくりくる言葉に落とし込めました。

よく、創業にあたって「まずは理念やコンセプトをしっかり練らないと」という声もあるかもしれませんが、僕はそういうスタートではなかったですね。好奇心からはじまった創業で、ああでもないこうでもないと続けているうちにしっくりくる理念ができあがったのが実態です。

――児玉さんの目指す「待てる社会」とは、どんな社会ですか?

「待てる」ことは、未来に希望があるということだと思っています。自分もそうですが、毎日毎日いいことばかりが続くわけではないですよね。辛い日もある。そんな日でも、「ちょっと前に選んだりんごが、明日届くかもしれないし、今日はもう寝るか……」と、ちょっとでも思い出してくれたら、うちのギフトをつくった甲斐があるなと。

――たしかに、現代はなんでもすぐに手に入るからこそ、「なにかを楽しみに待つ」という経験が逆に貴重になってしまっているかもしれませんね。

だから、つらい事件が起こると僕はいつも責任を感じるんです。もしもうちのギフトがその人に届いていたら、自ら死を選んでしまったりとか、事件を起こしてしまったりすることを防げたんじゃないかと。

僕らの力がもっと大きければ、根本的な問題の解決に繋がっていないとしても、その人に「地元のカタログギフト」が届き、旬のアスパラやリンゴを「待って」いる間に、決断や行動を保留させることができたかもしれない。

――「待てる社会」の実現に向けて、児玉さんの今の目標はなんですか?

「1億コード達成」です。

――「コード」とは?

僕たちは、カタログギフト1件の申し込みあたり「1コード」と呼んでいます。日本の人口は約1億人なので、日本人全員に最低でも年に1回は僕たちのギフトが届くようになったらいいなと思っています。

――ゆくゆくは日本人全員に! 現在は、年間何コード分のギフトが人々に届いているのでしょうか。

今は年間約8万コードです。1億コードを達成するには、ここから1000倍以上の成長が必要です。遠い目標に思えますが、僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、1000倍も達成できます。

「1億」というのはあくまで日本人全員の象徴なので、つらい日々を送っている人を、一人でも前向きな気持ちにすることができるよう、これからも事業を続けていきたいです。

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インタビュー後編では、長く会社を続けるためのバランスの取り方について聞いていきます。

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