記事一覧
ARTICLE
「君の”当たり前”は誰が決めた?」アートで拓く、長野のアントレプレナーシップ【前編】先輩起業家インタビュー
ARTICLE

「君の”当たり前”は誰が決めた?」アートで拓く、長野のアントレプレナーシップ【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「組織という団体戦の中で、本当に多くのフロンティアに挑戦させてもらいました。その経験を経たからこそ、いま一度、自分を脱皮させたいと思ったんです。別の何かになるのではなく、これまでの経験を研ぎ澄ましながら、これからの時代に中長期で大事だと思う領域に、自分の力を注いでいく。すごろくで言えば、自分で振り出しに戻したんです」

そう語るのは、株式会社ARTn代表の戸村朝子(とむら・あさこ)さん。資生堂、ソニーで30年にわたりアートとテクノロジーを掛け合わせた新規事業を手がけ、2025年に独立して株式会社ARTnを設立しました。現在は東京都と長野市の二拠点移住をしながら事業を展開し、2026年からは、信州大学特任教授として、地方発スタートアップ創出を目指す広域プラットフォームIJIE-Nexuas(アイジーネクサス)※1による「Future Design特別講座」を始動しています。

インタビュー前編では、ソニーでの経験から独立に至った経緯、長野との出会いについて聞きました。

※1 内陸5県の国立大学(信州大学(主幹)、埼玉大学(副主幹)、宇都宮大学、群馬大学、山梨大学)を中心に産学官金が連携し、社会を変える地方発スタートアップ創出を目指す広域プラットフォーム

<お話を聞いた人>
戸村朝子さん
信州大学特任教授/ARTn CEO・プロデューサー/東京大学大学院情報学環客員研究員/⽂化庁 WAN: Art&Tech Creators Global Network アドバイザー

インターネット黎明期の資生堂宣伝部を経て、2001年にソニー入社。時代ごとの新技術を通じて表現や体験、事業を生み出し続けている。ソニー・ピクチャーズ、アニプレックスでデジタル事業を新規開拓し、本社CSR部での国際機関・NGOとの社会課題解決、研究開発組織でのアーティスト協働による先端プロトタイプ開発や新規事業シーズ形成を推進。2025年に独立し、科学技術・芸術・社会の交点で活動するARTnを設立。長野市に二拠点居住し、アーティストが滞在しながら制作できるスタジオを構える。2026年4月より信州大学特任教授として「Future Design特別講座」を主宰。

新規事業立ち上げで培った「観察する力」

――企業に勤めながら新規事業を立ち上げてきた戸村さんが、独立して自分の会社を作るという選択をされたのはなぜですか?

企業の中で新規事業を立ち上げることと、独立して起業することは、私の中では地続きのものなんです。仮に企業という場所にいたとしても、その企業にとっての未来の事業を作っていて、企業が持っている有形無形の資産を見極めて、活用できる新技術や市場の変わり目を予期しながら、それを実現できる人たちとスモールチームを組んで始めて結果を出す、ということを繰り返していました。

大事なのは、観察する力です。自分が立っている場所の特徴、外部環境、活用できるアセットを把握したうえで、方程式を組み立てる。方程式さえきちんと組めれば、次の実行の成功確率が上がります。もちろん、走りながら方針を変えるのは当たり前ですが、そこがしっかりしていると、打率がいい。

そうやって新規事業を作り続けてきたことが、最後に務めた研究開発部門の統括部長という役割にもつながりました。それらを自分ひとりのやり方にとどめず、組織としてのやり方として継なげていけたことも、この8年ほどで得られたことです。「やり切ったな」という実感がありました。

2024年12月に新作発表された、サウンドアーティストevalaとソニーが協働した、サウンドAI技術を用いた空間音響作品 ”Studies for”(撮影:丸尾隆一、写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC])

――その手ごたえが、2025年に独立を決めるきっかけとなったのでしょうか。

そうですね。組織の中で、国際舞台含めていろいろな挑戦をさせてもらった環境から、一度自分を脱皮させたいと思ったんです。これまでの経験に胡座をかくのではなく、経験を研ぎ澄まし、先人たちが築いてきたこの社会の生業と自然に学びながら、これから中長期で大事だと思うところに自分の力を注ごうと思いました。すごろくで言えば、自分で振り出しに戻したんです。

――独立後、これまで働いてきた都内ではなく長野に拠点を持たれたのはどうしてだったのでしょうか。

株式会社ARTnが登記をしている長野市の「Thesaurus」の前の通り。「Thesaurus」には、信州スタートアップステーション(SSS)の拠点もある

私の出身は横浜ですが、子どもの頃から夏と冬の長期休みによく長野などの山々で夏の学校やスキー合宿に参加していました。大学1~2年の頃は、冬に約1か月ほどスキー場に籠り、スキースクールのバイトをしながら毎日のように滑る生活も送りました。ですが、社会に出て、インターネットの商用化が弾けるように進む世界に入っていく中で、四半世紀近く長野や山とは距離を置いていたんです。

再び戻るきっかけになったのは、コロナ禍でした。会社員としてリモートでチームの仕事を続けながら、1人でできることを考えた時に、思いついたのが登山だったんです。東京の家の周りはもう何重にも散歩しきってしまい、山を歩こうと。

2023年、諏訪大社を麓に抱く守屋山にて

山道というのは、誰かが100年、200年と歩き続けていたから今も残っている道で、名もなき人たちが石や木を積んで整備し、つないできたのが山の道なんです。そんな気づきの中で、長野の山にも登るようになりました。

そして長野は、街中を歩くだけでも、新しい発見があります。長い歴史の中で、人々が紡いできた足跡や美意識を含めて、人の営みの生態系が自然に育まれている場所だと感じました。これから自分はどこで過ごしたいかと言ったら、長野だったんです。リラックスできて、自分がほどける感覚があり、それに従いました。

アートとあらゆることを掛け合わせ、未発見の価値を探す

――改めて、株式会社ARTnに込めた思いを教えてください。

ARTnは、英語読みだとアートゥンで、「アート・アンド」という意味です。アート・アンド・テクノロジー、アート・アンド・サイエンス、アート・アンド・ソサエティ――何とでも掛け合わせられる名前にしました。アートにまつわることであれば、何でもできる会社にしたいと思っています。

30年近く企業に勤め、その時々の先端技術をどう活用して社会に新しいことをもたらすか、ということをずっと考えてきました。前例なし、世界初という活動も多かったかもしれません。これまで自分がやってきたことは、いわば「未発見の価値」を探すことでした。まだ地図にない場所という意味の「アンチャーテッド」という言葉が好きで。企業の中でも、「今まで誰もやっていなかったけれど、これから社会にあったらいい」と思うことを、手がけてきました。ARTnという会社でも、表現とテクノロジーを掛け合わせることや、それが生まれる場を作ることで、何か新しい気づきが生みだせる活動をしていきたいと思っています。

――創業にあたり、ヒントになった出来事はありましたか?

その1つが、文化庁のアドバイザーとして携わっているメディアアーティストの育成です。オリンピックでいうところの強化コーチのような役割で、10年ほど、若手アーティストの伴走役を務めてきました。

芸術を目指す人たちは、大学を卒業した後、才能はあっても、海外で活躍できるところまで辿るのは容易ではありません。その人が本来やりたかったことができるように、何を目指し、何を手放していけばいいかを一緒に考える。そこに、自分の才能が少しあるんだな、と気づきました。

文化庁のプログラムで、2026年夏にニューヨーク派遣されるアーティストやキュレーターとの渡航前のトークセッション(写真提供 CG-ARTS協会)

――アーティストと企業をつなぐ役割も担われているそうですね。

2025年刊行の書籍『演劇脳とビジネス脳』(講談社エディトリアル刊、西村真里子・宮城聰 編著)を記念し、演出家・宮城聰氏とスズキ株式会社 代表取締役副社長 石井直己氏の対談がTECH BEAT Shizuoka 2025で開催され、ファシリテーターを務めた。

アーティストと、企業で新しいことを考えるビジネスパーソンは交わる機会が少ないんですが、実際に交わってみると、とても面白いことが起こります。

2025.08.21 FORBES Japan 己を捨てよ スズキが見出した、組織・社会を強くする演劇の力

企業にはそれぞれ目標や方向性があり、そこにアーティストが持っているものをうまく重ね合わせるプロデューサーのような存在がいると、両者の翻訳者にも触媒にもなれる。こうした動きは海外ではGoogleなどのビッグテック含め、一部の企業で始まっていますが、日本ではまだほとんど行われていません。

長野を含めた日本の様々な地域には面白い人たちがゴロゴロいて、都市の余計なノイズに惑わされず、自然の摂理の中で過ごせていて、新しい気付きをあえて得なくてもいいのかもしれませんが。。未来を照らすアーティストのビジョンと、何かを成し遂げたい組織の人たちがつながったらもっと面白いと思っています。

長野の経営者の背中から見えてきた、「継承する」という意識と可能性

――長野で独立・創業するにあたり、具体的にはどのように活動を広げていったのですか?

「長野がいい」という直感はあったものの、とはいえいきなり地縁のない土地で活動するのは勇気がいりました。外からきたやつがいきなり「長野で事業をやります!」といっても、地域のことがわからなすぎる。そこで、まずは会社員を続けながら副業申請をして、長野市で行われていた副業支援プログラム「NAGA-KNOCK!(ナガノック)」※2に4期生として参加しました。

そこで、これまで新規事業立ち上げを行ってきた経験を活かし、長野発のスタートアップ企業の補佐役を半年ほど担い、また地元企業の2代目・3代目で新規事業を始めようとしているなど、起業家精神豊富な経営者の方々の真剣な姿勢に学ばせていただく機会をいただきました。そこでの経験や出会いが、長野での活動の土台になっています。

※2 長野市内の経営者と一緒に社会課題を解決する新規事業を起こす、長野市とNPO法人ETIC.の9カ月間の実践型プログラム

――実際に長野の経営者たちを支援する立場から見えてきたのはどんなことでしたか?

長野では「継承する」ということが当たり前で、自然資産を生かすということが、文字面だけの話ではありませんでした。山や川、雪などの自然資源や、リンゴやブドウといった農産物など、この地域ならではの価値を考え抜いた上で今後会社がどうあればいいのかを、各経営者が本当に真剣に考え、実行に移している。一瞬ポップアップして常に上書きされていくのとは真逆で、10年先にも残り、次世代と地域の利を共に考えながら、そこには時間軸が伴い、骨太なんです。

新規事業をやる時は、投資をもらって3年でどうする、上場は、という話にもなりがちですが、その点、長野はもともと豊かな資産を持っています。投資や助成が必要な場面もあるかもしれませんが、繋がれてきた有形無形の資産を大切に使うという姿勢もあらためて新鮮で、経営者の方たちの背中に学ばせてもらいました。

――そうした姿勢は、長野の文化芸術活動にも通じていますか?

ビジネスに限らず、あらゆる場面で通じていると感じます。今年、第1回 日本文化政策学会 自治体表彰に長野県、信州アーツカウンシルが表彰されていますが、文化芸術活動においても、長野では「覚悟を決めてやっているな」と感じる取り組みが多い印象です。ここは「原点に気づける場」なのだと思います。

表現をするにも、物事を立ち上げるにも覚悟がいりますが、その覚悟が、この土地で過ごしているだけで身体的に磨かれる。出会う人々も環境も、毎日の天候や風景も含めて、目に入るもの、体で受け取るものから原点を考えさせられる場の力が、長野は強いんだと思います。

――2026年4月には、信州大学の特任教授に就任されていますね。これはどんな経緯だったのですか?

信州大学の特任教授になったのは、ソニー時代に東京大学で越境型アントレプレナーシップの教育に携わっていて、その内容を学会で発表する機会があったんです。信州大学で丁度、甲信・北関東の山岳圏中心の国立大ネットワークで、アントレプレナー教育を始動する計画があり、学会での発表をきっかけにこちらに新講座を設置させていただく機会をいただきました。

普通は仕事が決まってから住む場所を決めるものだと思うんですが、「ここで過ごしたい」と思って飛び込んだのが先で、あとからご縁がつながってきた形ですね。こうして始まったのが、信州大学 IJIE-NEXUS「Future Design特別講座」です。

インタビュー後編では、「Future Design特別講座」にかける思いや、これからの展望についてお聞きしました。

【お問い合わせ情報】

Future Design特別講座 旅する未発見教室2026 https://www.ijie-nexus.jp/future-design
IJIE-NEXUS公式サイト https://www.ijie-nexus.jp/


Future Design特別講座 旅する未発見教室2026」第3回|Hollywood式 脚本術応用「人の心を動かす空間的ストーリー設計を知る」

開催日時  2026年8月8日(土) 15:30-18:00
参加費   無料・事前登録要
開催場所  長野市・権堂Thesaurus(長野県長野市鶴賀権堂町2312 内山ビル)
詳細・現地参加/アーカイブ配信申し込み https://futuredesign0808.peatix.com/