長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「長野にいると、自分の中に新しい風が吹くことを直感しました。長野に数週間滞在している間、とにかく脳みそが活性化しちゃって。インスピレーションや創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザインの経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いジャンルでのデザインを手がけています。2024年には、長野で出会ったデザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を長野駅前にオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー前編では、デザインの仕事を始めたきっかけ、独立を考え始めた経緯と長野との出会いについてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
ジャンルや作風に囚われず、自由なデザインを展開

――まずはVINash Desighの事業内容について教えてください。
VINash Desighは、長野市を拠点に置くデザイン事務所です。2022年に家族で長野に移住したことを機に前職から独立し、2024年の春に事業規模拡大のために法人化を果たしました。
現在メインで行っているのは、WEBデザインやWEBサイトのコーディング、それからグラフィックデザインです。ほかにも、店舗やブランドのロゴのデザイン、チラシやポスターの制作、自分で手を動かしてお店の看板を作るなど施工まで担当することもあります。
自治体の観光誘致のためのプロモーション施策をコンセプトの設定から制作までのトータルブランディングを任していただくこともありますし、大手スポーツブランドの新商品発売に向けて、ブランドコンセプトに則ったキービジュアルを作ることもあります。2024年から、デザイナー仲間の吉澤尚輝(よしざわ・なおき)と事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたので、店内や家に飾るポスターを作ってほしいという依頼もあります。ジャンルや媒体にこだわらず、手広く仕事をさせていただいていますね。
――ご自身の中では、「こういう仕事を受けたい」などの基準はあるのでしょうか。

デザイナーとして独立してからは、まず自分が「やりたい!」と思う依頼を受けるようにしています。基本的に、デザイナーの仕事というのは、自分というフィルターはあまり通さずに、クライアントが欲しいものを作り上げる仕事だと思うんですが、おれの場合は自分のフィルターを一枚通せるような仕事を選びがちですね。おかげで最近は「VINash Desighが作るものを見てみたい」という依頼が増えてきて、とてもありがたいです。
ただ、食っていくためには、そういう仕事だけではまだやっていけません。しっかりと硬い仕事もしつつ、自分にとって面白い仕事の比重を増やしていきたいですね。
――長野の仕事で特に印象に残ってるものはありますか?

長野の老舗七味メーカーである八幡屋磯五郎さんの100周年記念ホームページを作る仕事は面白かったですね。正直、「きっとお堅いんだろうな」と最初の打ち合わせに臨んだら、一言目に「若者の新しい風を入れたい」と言っていただいて、これは面白くなりそうだなと。
いただいたお題は、「八幡屋磯五郎が元々持っているブランドイメージを崩さずに、同時に新しい雰囲気を打ち出すこと」。それってかなり難しいじゃないですか。でもおれ、意外と無理難題を言われるのは嫌いじゃないんです。「こういうことをしてみたい」という先方の意見を聞きつつ、「じゃあこういうデザインはどうですか」とポジティブな議論を重ねてアイディアを研磨して、形にしていくのはとても楽しかったですね。
職業訓練校がきっかけでデザインの道へ

――デザイナーとして独立するまでのキャリアを教えてください。
もともとデザインの勉強をしていたわけではなくて。大学を卒業した直後は、バックパッカーとして世界を放浪していました。そのためにはまとまったお金を貯めないといけなかったので、とにかくいろんな職業を転々としていましたね。朝から引っ越し屋さんのバイトをして、日中はピザ屋さんでピザ生地をこねて、夜はバーで働いていた時期もあります。一番長くやっていたのは鉄筋屋さんの仕事で、工事現場で鉄筋を担いで運んでコンクリートを流し固めて、基礎工事をする仕事をしていました。
若い頃はそんな働き方で平気だったんですが、20代後半になってからだんだんいろんな体の部位を痛め始めたんです。「いずれ肉体労働では食えなくなるかもしれない」と思い始めた頃に、将来を考えたい彼女が出来て。「これは食いぶちをちゃんと作らなきゃいけないぞ」と、とりあえずハローワークに行ってみたんですよ。そこで、職業訓練校のデザイナーコースを紹介されたんです。「お金をもらいながら勉強が出来て、就職先まで斡旋してもらえるなんて最強じゃん!」と思い、勉強を始めたのがデザイナーとしての出発点ですね。
――職業訓練校がデザインの道に進むきっかけだったのですね。

きっかけはたまたまでしたが、勉強しながらとにかく自分でいろいろ作るうちに「これは楽しいぞ」と。でも、いざ就職しようと思ったら、デザイナーの募集はだいたい最低2年間の実務経験が必要なところが多くて応募すらできず、結局ハローワークを通さずにアルバイトから入って実務経験を積めるような会社を自分で探したんです。
そうしたら、運よくアルバイトから採用してくれる会社を見つけて、初めて会社員になりました。そこが、レジャーホテルをいくつも運営している会社だったんです。当時社内にはデザイナーが一人もおらず、おれ一人でホテルの看板やロゴ、店内のポップ、レンタル品やフードのメニュー、壁紙まで全部自分で一からデザインをしました。
写真素材がなければ自分で撮影をして各店舗の雰囲気に会わせてレタッチをしましたし、それぞれの店舗ごとに違う業者さんとやりとりをして、看板の設置を手伝ったり、理想の壁紙がなければ自分で壁を塗ったこともあります。もうなんでもやりましたね。
――デザイナーとして駆け出しのころから、あらゆる経験が積めたのですね。
今はミニマルなデザインがかっこいいとされていますが、実はああいうレジャーホテルのようなガチャガチャしたデザインは、情報量が多い分だけ実はすごく緻密に計算されているんです。そういうところから叩き上げてきたことが今の自分の仕事の幅の広さにつながっているんじゃないかな。
それから、まだまだアナログな部分も多い業界だったので、自分なりに色々調べてDXを進めたり、古いままのホームページを一から作り変えたりもしました。コーディングの腕はそこでかなり鍛えられましたね。
今思えば、デザイナーなりたての頃にブランディングからデザイン、施工にコーデイングまで一人で全部担当させてもらえたのはすごい経験だったと思います。トータルで40店舗くらい自分が担当したんじゃないかな。キャリアのファーストステップとしては、大正解の就職先だったなと思っています。
長野の自然に触れて、インスピレーションが沸いてきた

――そこから長野での独立に至るまではどんな経緯が?
デザインの仕事に慣れてきた頃にコロナが始まったんです。会社がフルリモートに切り替わったので在宅で仕事をしていたら、なんだか飽きてきちゃって。「これ以上ガチャガチャしたデザインをやりたくないな」と、転職か独立を考え始めたタイミングで娘が生まれたんです。妻の実家が長野県の飯山市だったので、里帰り出産のために俺も長野について行って。
ただ、当時はコロナの影響で、越県したら二週間隔離期間を置かないといけなかったので、知り合いが所有していた中野市の古民家に住まわせてもらったんです。そこで、「長野やばいな、いいな」と直感して。
――どんなところに良さを感じたのですか?
長野は、ちょっと外に出れば自然があって、日常の中で山が見える。それがすごく最高ですね。おれは、ただ座っていてもデザインやグラフィックのアイディアはあんまり浮かんでこなくて。どちらかというと、息抜きで気がゆるんだ瞬間に出てくるパターンが多いんです。それに、誰かが作ったものよりも、自然物からインスピレーションをもらう方が楽しくて。
それから、関東にいた頃と同じように在宅で仕事をしているはずなのに長野では時間がすごくゆっくり流れていくように感じたんです。仕事の気分転換にふらっと散歩に出られるし、気軽に温泉でリフレッシュしたり、まだ外が明るいうちからベランダに出て遠くの山を見ながら夕飯を食べたり、なんて豊かなんだろうと。ある日、仕事がある程度一段落ついたと思って外をぶらりと散歩してたら、あたりが暗くなってきて。何かが光ってるなと思ってよく見たら蛍だったんですよ!おれ、人生で初めて蛍を見て。
そんなことを繰り返していたら、とにかく脳みそが活性化しちゃって。創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです、「長野は自分にいろいろとインスピレーションをくれる、自分の中に新しい風が吹く」と直感しました。
――長野なら、環境から受けるインスピレーションが仕事に活かせそうだと。もともと、地方への移住は考えていたのでしょうか。

妻から「田舎で暮らすのはすごくいいよ」とよく聞いていたので、選択肢の一つではありました。俺は関東で生まれ育ちましたが、若い頃はインドの僻地で暮らしていたこともあるし、都会にずっといたいという気持ちも特になくて。いずれは地方で暮らすのも面白そうだなと。
ただ、デザイナーとしての自分のキャリアを考えたときに、次は制作系の会社やデザイン会社に入ってステップアップした方がいいのかなと思っていたので、そういう会社が多いところとなるとやっぱりまだしばらくは首都圏なのかなと考えていました。でも、いざ長野で数週間暮らしてみたら、「こっちのほうがいいな」と確信したんです。そこで、本格的に移住と独立に向けて動き始めました。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
VINash Desighのinstagram
Vinash Jeweiryのinstagram
POPPHAのinstagram