すべての「わたし」を創造的に生きよう。「WE-Nagano」が描く長野の未来【インタビュー前編】

自分の暮らしをより良くしていくにはどうしたらいいんだろう?
自分に出来ることはあるのかな?
2023年に発足した「WE-Nagano(Women Entrepreneurs Nagano)」は、ジェンダー・国籍・世代・セクターを超えて、より良い社会のあり方を地域に根ざしながら世界史座で考えることを目指した長野県立大学発のプロジェクトです。
2025年7月18-19日に開催される第2回Global Conferenceでは、長野で活躍する起業家やプレーヤー、海外からのゲストを含む他分野の実践者と、「わたし」が創造する良い暮らしと地域の未来について考えます。
立ち上げの中心メンバーとして活動する渡邉さやかさんは、自身も30代で起業し、当時の経験からアジアの女性起業家の支援を行ってきました。インタビュー前半では、渡邉さんご自身のキャリアや、「WE-Nagano」立ち上げの経緯について伺いました。
<お話を聞いた人>
渡邉さやかさん
長野県出身。長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科 准教授。ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒として外資系コンサルティング会社に入社。2011年6月退職。独立後は、被災地での産業活性プロジェクトや、企業途上国・新興国進出支援として、東南アジアだけでなく、中東・中央アジア・アフリカで事業開発に関わる。また、2014年にAWSEN(アジア女性社会起業家ネットワーク)を立ち上げ、アジアを中心に女性社会起業家支援に尽力、現在は国内の女性の創業・起業や就労支援にも携わる。
地域に根ざしながら、グローバルな視点とアントレプレナーシップを醸成

――まず、WE-Naganoの概要を教えて下さい。
「WE-Nagano(Women Entrepreneurs Nagano)」は、長野県立大学が主催するプロジェクトで、すべての「わたし」が創造的に生きることを応援する取り組みです。地域に根ざしながらグローバルな視点を持ち、より良い社会や未来をつくっていくために、議論や交流を行っています。
名称の “W” (Women) は、これまでの社会システムとは異なる視点という意味での女性的リーダーシップの必要性や、現代社会で未だ可能性を拓ききれていない女性という存在への期待を表現しています。
また、”E” (Entrepreneurs) には、起業家精神、つまり、自らの可能性を信じ、新たな世界を拓いていく姿勢を、事業を起こす人に限らずすべての人が持てるようにという願いを込めています。
2023年1月頃から有志で準備を進め、2024年3月8日の「国際女性デー」にプロジェクトの発足をお知らせできることとなりました。事務局は、長野県立大学・大学院の教員や学生が務めており、年齢やジェンダーや国籍を超えて、幅広い参加者の皆さんが集い、共に考え、交流してもらえる機会になればと願い、活動しています。

昨年は、「グローバル/ローカル(地域)/イノベーション・女性(女性的リーダーシップ)」をキーワードに、長野市で第1回「WE-Nagano Global Conference」を開催しました。
国内外のスピーカーによるセッションやワークショップを通じて、アントレプレナーシップ(起業家精神)を持つ一人ひとりが、国籍・性別・世代・分野を超えて未来を創造していく場として今後も継続していきます。
――「すべての『わたし』を創造的に生きよう」というメッセージがとても印象的ですね。
私たちは、多様な生き方を創造していくことを、広義に「起業」と呼んでいます。すべての人が、創造的に生きていくこと。生き方としての起業について考えること。そうした動きが、地域をより進化させ、持続的な社会を生み出していくと信じています。
30代で起業し、地域に入り込んだ経験から生まれた思い

――渡邉さんご自身も起業を経験しており、長年東南アジアの女性起業家支援の活動を行っていると伺っています。「WE-Nagano」立ち上げには、ご自身の経験からくる思いも込められているのでしょうか。
まず私の経歴からお話すると、私は長野県の出身ですが、進学と同時に上京して長野を離れ、大学と大学院では国際協力や国際政治、途上国支援について学んでいました。卒業後は、ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒としてIBMビジネスコンサルティングサービス(現 日本IBM)に入社しました。
東日本大震災をきっかけに、2011年から陸前高田市に通うようになり、地元の気仙椿の実を活用した化粧品開発・販売の事業を立ち上げました。
しかし、2013年から大手美容メーカーが同じく気仙椿を使用した事業を開始したんです。それにより、地元の方々の間で「採った椿の実を、さやかちゃんの会社に渡せばいいのか、○○社に渡せばいいのか」と、混乱を生んでしまって。
地域のために何かをしたいと始めた事業でしたが、「よそ者」である私がどうやって地域に関わっていくのかを考え始めるきっかけとなりました。
ちょうどその頃、ミャンマーは民主化が進み、東南アジア各国への外資企業の参入が加速的に増えていました。規模は違えど、私が経験したようなことが向こうでも起きているのではないかと。どんどん外からの参入があり、変化が起きる中で、起業家達はどうやってその地域の良さや文化を守りながら経済開発を進めているのか興味を持ち、個人的にアジア諸国に通い始めたんです。
――ご自身の経験が、東南アジアの女性起業家支援につながったのですね。
最初の頃は、とにかく自費で現地の起業家を周りました。その結果、地域の良さを守りながら事業を進めている起業家たちは社会起業家と呼ばれていることが多く、更には特に女性たちが地域に根ざしてビジネスをしていることがわかりました。また、国や地域が違えど女性の社会起業家はみんな似た課題を抱えていることや、孤立しがちなことがわかってきて。
課題解決のためにはまずネットワークが必要だと、当時日本財団からご支援をいただき、2014年に「アジア女性社会起業家ネットワーク(AWSEN)」を立ち上げました。
出産と子育てをきっかけに働き方を考え直し、長野にUターン移住
――グローバルに活動を展開していたところから、長野にフィールドを移したのはどうしてですか?

「アジア女性社会起業家ネットワーク(AWSEN)」を立ち上げてから、他の仕事も含めて、毎月1~2回は海外に行くような生活を送っていたんです。この生活を続けていたら、もし結婚をしたとしても子どもを産んで育てるのは難しいだろうな、もし子どもを欲しいと思うのであれば、いずれは働き方を変えないといけないなと考えていました。
30代後半で結婚して子どもを授かり、「もう頻繁に海外に行くことも難しくなるだろうし、自分が育ったような自然が近くにある土地で子育てをしながら働きたい」と考えていた頃に、長野県立大学の大学院立ち上げにあたり教員をしないかとお話をいただいたんです。
長野には実家もありますし、子育て環境も良さそうだったので家族で長野にUターンしてきました。
――そこから「WE-Nagano」立ち上げにもつながっていくのですね。
長野県立大学は、ミッションとしてグローバル発信、リーダーシップ育成、地域イノベーションを掲げています
前長野県立大学の理事長を務めていた安藤国威さん(現在は長野県立大学顧問)の「地域イノベーションの要は、女性である」という想いと、私の「アジアの女性起業家コミュニティと長野をつなげたい」という想いから、今後の地域イノベーションのあり方について、「女性的な」リーダーシップやグローバル視点を加え、長野県から発信・交流していく機会を作ろうと「WE-Nagano」が動き出しました。
インタビュー後編では、第1回Global Conferenceを終えての手ごたえや、今年の見どころを伺います。
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