「ふつうの人」のままでも楽しく生きられる。自分らしい暮らし方・働き方を選ぶには? 先輩起業家インタビューvol.6
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「学生時代、どれだけいろんなプロジェクトに関わっていても、自分はあくまで『お手伝いさん』的なポジションでした。『このままじゃここにいられない、自分で何かを立ち上げないと』という漠然とした不安があって」
そう語るのは、長野県立大学在学中に大学の友人と二人で合同会社キキを立ち上げた九里美綺(くのりみき)さん。高校時代は公務員志望だったという美綺さんは、将来のためにさまざまな地域のプロジェクトに関わるうちに、自分の手でプロジェクトを担いたいという気持ちが湧いてきたと振り返ります。
地域の大人たちと出会う中で起きた変化や、創業前に抱えていた不安、これからの展望について聞きました。
<お話を聞いた人>
合同会社キキ 九里美綺さん
長野県松本市出身。長野県立大学グローバルマネジメント学部卒。同大学院ソーシャルイノベーション研究科に在学中。これからの地域や店、場が「らしく」続いていくための仕組みやその周辺の物事が関心領域。こうありたい日常を自らの手でつくり出すための会社「合同会社キキ」共同創業者。
▷合同会社キキ立ち上げのインタビューはこちら
小さくてもいいから、自分でできることをやってみる
――現在、キキの中で美綺さんが担当しているプロジェクトについて教えてください。
キキの共同創業者である川向と私に共通しているのは、フィロソフィーにも掲げている「こうありたい日常を自らの手で作り出す」という思いです。川向は教育分野や学びを軸にアプローチを得意としている一方で、私はどちらかというと「学校の外に関係性を作る」「小さくてもいいから自分でできることをやってみる」という部分を大事にしています。
たとえば、私が担当している「みらいハ!ッケンプロジェクト」は、長野市が行う事業で、子どもたちの体験学習の機会を増やすことを目指しています。初年度の2023年は、長野市に住民票を置く全小中学生に一人一万円分の体験クーポンを、2024年度は一人三万円分のクーポンを配布し、子どもたちに体験の機会を届けています。
事業の受託事業者である公益財団法人チャンス・フォー・チルドレンさんと、私を含め5名の地域コーディネーターと活動しています。ただクーポンを配るだけではなく、クーポンを使える先を開拓したり、配るだけでは使いづらい方のサポートをするような役割です。その中で、私は地域企業や学生など、多様な人々がもっと子どもたちに体験を提供できるようなお手伝いと、気軽にクーポンを使えるようなイベントの組み立てを行いました。
――「地域コーディネーター」という仕事があるのですね。
自分で名乗っているわけではないのですが、「子どもや若者の声」を聴きながら地域の体験活動や学びの機会、話し合いの場を作るコーディネートをする役割の仕事が多いです。
先ほどお話した「みらいハ!ッケンプロジェクト」のほかにも、今年度は上伊那農業高校のGLコースの授業のサポートを伊那市に住む方と一緒に行いました。
上伊那農業高校は、卒業後に大学や専門学校に進学する生徒もいれば、そのまま就職を選ぶ生徒もいます。そのため、「もっと学生のうちから世の中や地域のことを知ってほしい、地域と接点を作る授業を行いたい」とご相談をいただきました。生徒の皆さんの好きなこと、やってみたいことを聞いてみたところ、カフェの形であれば全て実現できるかもとアイデアが固まってきたので、学生や地域の大人たちと一緒に準備を進めてきました。
――美綺さんは、「子どもや若者と地域の接点をつくる」、「好きなことや得意なこと、学びたいことを見つける機会をつくる」という二つの軸でプロジェクトに取り組んでいるのですね。
子どもたちや若い人たちにとって、家族や学校の中だけではない関係性があれば、居やすい場所を見つけることができる可能性が増えて、少し生きやすくなるかもしれないしですし、もっと広く可能性を考えられるようになり「将来やってみたいこと」の想像の幅も少し広がるかもしれません。「何かを大きく変えていく」というよりも、関係性を自然と増やしていく中で、可能性や選択肢を広げることが好きですね。
また、地域の企業や大人の中には、「子供や若者のために何かをやりたいな」と思ってるけれど、アプローチがわからない、という人がいるように感じます。
たとえば、「みらいハッ!ケンプロジェクト」では、「申し込みが複雑だから、もっとたくさんの子どもに教えたいけれど少し面倒…」と悩んでいる方達に、参加が簡単なマルシェ形式でイベントを作り、たくさんの子ども達がさまざまな大人に教わる機会づくりをしました。
また、その中で、直接参加は難しかった地域企業の余っている資材をもらい、それを自由に工作で使えるコーナーなども設置する仕掛けをしました。そんな風に、地域の中でゆるやかな関係性を増やす取り組みをこれからも行っていきたいです。
地域の大人たちに関わる中で生まれた「自分の居場所を作りたい」という思い
――美綺さんは長野県立大学在学中に起業を経験されていますが、もともと起業したいという意欲があったのでしょうか。
いえ、大学入学当時は、地元の松本市役所で働きたいと思っていました。高校生の頃から学外のプロジェクト活動を行なっていたわけではありませんし、大学に入学してしばらくはいわゆる「ふつうの大学生活」を楽しんでいました。
でも、進路について周りの人と話す中で、「将来は市役所に入って、地域でイベントを企画する仕事がしたい」と話したら、「学生のうちに何かアピールできる活動をしておいた方がいいんじゃないか」と言われたんです。そこから、学外でのプロジェクト活動に参加してみるようになりました。
――なるほど、当時はあくまで公務員になるための実績づくりに。
はい。私の地元の松本では、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」など、市が取り組んでいるイベントがいくつかあったんです。高校生の頃、生徒会役員として活動していたのが楽しかったので、そんな仕事ができたらいいなぁと。
――実際にプロジェクトに参加する中で、どんなことを感じましたか?
それまでは、大人といえば「仕事が大変」「会社に行くのがしんどい」みたいなイメージがありました。でも、地域でプロジェクトに取り組む大人たちはみんな楽しそうに働いていたんです。
特に、大学一年生の終わり頃に塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」で、フリーランスとして働いている人や、起業家の人たちと出会い、「こんな働き方があるんだ」と驚いたのを覚えています。
そうしていろんな大人たちと出会う中で、「自分も仲間に入りたい」と感じるようになりました。そのためには、自分も何かを立ち上げて「私はこんなことをしています」と話せるようになったほうが良さそうだなと。当時、どれだけいろんなプロジェクトに関わっていても、自分はまだ学生だったので、あくまで「お手伝いさん」的なポジションでした。「このままでは、いずれ自分の居場所がなくなってしまう」と漠然とした不安があったんです。
――そこからキキの立ち上げにつながっていくのですね。
キキを立ち上げたのは、コロナの影響が大きいです。学外のいろいろなプロジェクトに関わり始めた頃にコロナが流行り出して、大学の授業もリモートになり、誰にも会えない出られない日が続きました。
気分が塞ぎ込んでしまって、「もう大学をやめようかな」と周りにこぼしていたら、県立図書館のプロジェクトで関わりがあった、前館長の平賀さんに声をかけていただいて、しばらく伊那に滞在したんです。
そこで、平賀さんご夫妻と焚き火だったり、夕飯を囲みながら「誰かと暮らすって大事だよね」「シェアハウス的な取り組みをしてみたい」と話しをしました。話した時点では「できたらいいな」くらいの気持ちだったのですが、平賀さんがその話をfacebookに投稿し、投稿を見た川向が連絡をくれたんです。そこから一気にキキが動き出しました。
人との出会いを通して「自分の選択肢」を見つけてほしい
――何気ない雑談が、起業のきっかけに。まさに、最初にお話があった、「学校の外に関係性を作る」「小さくてもいいから自分でできることをやってみる」ことから、キキの事業が生まれていったのですね。
多分、私は人より「ここにいていいんだろうか」と考えてしまうんだと思うんです。だから、「自分のプロジェクトを立ち上げたい」というのも、ポジティブな意味というよりは「自分の立ち位置を確立しなければ」という漠然とした不安が原動力でした。
――キキを立ち上げて三年が経ちますが、「自分の立ち位置を確立しなければ」という不安は解消されましたか?
当時とはまた違う形ですが、最近結婚をして、9月末から産休に入るので、「休んだあとに戻れる場所はあるのだろうか」と不安になることはあります。
でも一方で、経営者というのは、自分が頑張ればその分しっかり休める立場でもあるのではないかと。子どもが生まれてからも、子どもを預けてフルタイムで朝から晩まで働くというよりは、やり方次第では子どもと過ごす時間も作りやすいでしょうし、もうすこし緩やかに暮らせるだろうなという気もしているんです。
――産休後は、どんな働き方を考えていますか?
産休後は、子供を保育園に預けて少しずつ仕事に復帰していく予定です。これからも、これまでキキや個人で取り組んできたような仕事を続けたい。でも、今はまだクライアントありきの委託の事業も多いので、自分の軸足となる事業がやりたくて。
そこで、今後は伊那市にホテルを立ち上げることを計画しています。23歳で出産するという、人より少し早い選択肢を取ったのは、これから本格的にホテル事業をしたいからなんです。いざ事業が動き出したら、長期の産休を取ることは難しくなるかもしれません。今ならまだなんとかなるかもしれないと判断しました。
――なるほど。事業が走り出して数年目の今だからこそ、選べる選択肢だと。
出産をすることに対して、「これからもっとキャリアを積んでいくと思っていた」と言われることもあります。でも、私は、「出産や子育てをする=キャリアから降りる」ではないと思っていて。
積み木のように少しずつ積んできたキャリアが、出産によって崩れるのではなくて、まだ積み上げている途中だからこそ、少しお休みできるタイミングなんじゃないかと。それに、子どもができてから、「自分って、思っていたより欲張りさんなんだな」と思ったんです。
――「欲張り」というのは?
全部楽しくやりたいんです。起業してから約三年で、定期的な安定したお仕事が増えてきて、働き方や、働く場所を自分で選べるようになってきました。何かを諦めて子供を選ぶんじゃなくて、これまでのキャリアも暮らしも何も諦めずに、子供を選ぶことだってできるんじゃないかと。積むのを少しだけお休みしても、また積んでいけばいいよね、と思っています。
――これからの美綺さんのあり方が楽しみです。最後に、これから起業を考えている方へ向けたメッセージをお願いします。
無理にジャンプアップしようとしなくても、「ふつうの人」のままでも楽しく生きられるよ、と伝えたいです。私はかつて、「キラキラしていないと、特殊なキャリアは描けない」となんとなく思っていました。でも、そうじゃなくても、焦らなくても、ちゃんと社会に求められる人になることはできる。みんながみんな、「ザ・起業家」像みたいにならなくてもいいんです。
私自身、気軽に話せる立場のいろんな大人や学生が周りにたくさんいたおかげで、フリーランスや起業家的な生き方が自分の選択肢の一つになりました。「自分はふつうの人だから」と思っている人でも、ちゃんといろんな人と出会って話せば、「こうじゃなきゃいけない」という「べき論」から離れられるかもしれないなと思います。自分が選べる選択肢は、きっともっとたくさんある。これからも、キキの事業を通してみんなの「まだ見えていない選択肢」を一緒に見つけていける手助けをしていきたいなと思っています。
合同会社キキのホームページ https://kikiforest.jp/about
「誰かに相談することも一つのアクション」挑戦する人を鼓舞する、創業支援のあり方【後編】SSSW相談員インタビューvol.1
それぞれの女性の、それぞれの起業へ。信州で起業を目指す女性をサポートする信州スタートアップステーションウーマン(SSSW)では、個別相談窓口を設け、事業アイディアのブラッシュアップなど起業に関する相談をはじめ仕事と家庭・子育てとのバランスやコミュニケーションの取り方など幅広く相談に対応しています。
中信エリアのメンターとして活動しているのが、塩尻市を拠点に「Kobu. Productions」の屋号で活動している岩井美咲(いわい・みさき)さんです。新卒の頃から、起業家のコミュニティづくりや事業伴走を行ってきた美咲さん。社会にインパクトを生み出す事業家や活動家のインタビューやライティング、ブランドの立ち上げ支援も行っています。
2018年に、塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の立ち上げに参画したことから、2020年に移住・独立した美咲さんに、ご自身のこれまでのキャリアや、メンタリングの際に大切にしていること、未来の起業家への思いを聞きました。
<お話を聞いた人>
Kobu. productions 岩井美咲さん
東京⽣まれ。Impact HUB Tokyoに新卒で⼊社後、起業家のコミュニティづくりや事業伴⾛を行いながらプログラムやイベントを運営。2018年より⻑野県塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の⽴ち上げに参画した後、2020年に塩尻市に移住&独立。屋号の由来である「⿎舞する」をテーマに、向き合う⼈のビジョンや課題を掘り下げ、必要な伴⾛を提供しつつ企画を⼀緒に実現していく。事業内容は PV 制作やブランド⽴ち上げから経営伴⾛まで多岐にわたる。
塩尻で形成されていくコミュニティに可能性を感じて
――インタビュー前編では、美咲さんが塩尻に来るまでのお話を聞きました。東京から長野県の塩尻市の起業家コミュニティ立ち上げに関わるにあたって、どんな思いがありましたか?
「Impact HUB Tokyo」のようなコミュニティがまだない地域に拠点が一つできることで、どんな変化が生まれるのか、単純に興味がありました。
まずはコンセプト立ち上げのためのフィールドワークを行い、塩尻市内外のキーパーソン30名程度にインタビューを行うことから始めて。そこから事業の構想、具体的な場づくりやコミュニティづくりのための伴走を行わせてもらいました。
でも、当初はコンサルタントとクライアントという立場だったので、「コンサルタントとして強くあらねば」というプレッシャーも大きかったです。今では笑い話なんですが、塩尻の人たちには「当時は肩で風を切って歩いていたよね」と言われるくらいで。
――「立ち上げのためのコンサルタント」から、長野県に残って独立を選んだのはどうしてですか?
ここならいろんなことができそうだと感じたことが大きいです。塩尻では、東京とは違うコミュニティのあり方を感じたんです。東京で新しくコミュニティを作ろうとすると、差別化をするためにどうしても似たジャンルで細分化されていくイメージがあって。でも塩尻では、世代も業種もバラバラなコミュニティが形成されていきました。それがとても面白かった。
それから、自分自身、5年以上東京で働いていたので、人生の節目として新天地でチャレンジしてみたいという気持ちもありました。ここでしか生まれ得ない、新しい展開を目撃していきたいなと。そこで、伴走支援の途中から「スナバ専属でやらせてもらいたい」という話をして、塩尻に拠点を置くようになりました。「Impact HUB Tokyo」の塩尻市への伴走期間が終わるタイミングで完全に独立し、「スナバ」の運営を続けつつ塩尻で個人の事業も始めた形になります。
自分の得意なメンタリングは「健康診断」。まず話を聞いて、適切な支援につなげていく
――ご自身のキャリアについてお聞きしたところで、美咲さんの創業支援のあり方についてもお聞きしたいです。創業の相談を受けるとき、相談者の抱えている悩みや不安に対して美咲さんはどんなサポートの仕方を心がけていますか?
事業内容の壁打ちに入る前に、まずはその人の状態を理解するようにしています。事業をやっていく上での具体的な相談や、事業の実現可能性を話し合うことはもちろん大事なんですが、目の前の人が、元気なのか、元気じゃないのか。何かに悩んで苦しそうなのか、むしろ「どんどんやってきたい!」というフェーズなのか。その部分の見極めは気にするようにしていますね。
私の場合、何かに特化したスペシャリストというよりは、幅広く対応するジェネラリストみたいな部分があるんです。前職の頃は、「自分が全部やらなくちゃ」という考えもあったんですが、塩尻に来てからは「スナバ」のコミュニティや、長野県内のあらゆるスペシャリストとのつながりができました。
だから、まずは私が話を聞いて、そこからもっと力になれそうな人がいればお繋ぎする。例えるなら、私が得意なのは「健康診断」なんです。まずは今その人がどんな状態かを探り、課題に応じて適任な人や機関を紹介する、みたいな。
――なるほど。まずは話を聞いて、状況を正しく理解し、適切な支援に繋げていく。
それから、日々相談を受けていて思うのは、周りに起業している人たちのコミュニティがあるのとないのとでは全然違うんだなということですね。
個人事業主や、創業者というのはもちろん自分一人で事業を回していくものですが、それでも困った時に肩を叩いて相談できる相手が身近にいるかはすごく重要だなと思います。具体的なアドバイスをもらえなくても、「いいと思うよ」「やってみようよ」と言われるだけでも、前に進める部分があると思うんです。
――たしかに、全く同じアイデアでも、「いいと思うよ」と「そんなの無理だよ」と言われるのとでは、その後どうなるかが大きく左右されそうですね。
全然違うと思います。「スナバ」では、そうやって否定する人はいなくて、「まずやってみよう」みたいな価値観がありますね。「何かしたいけど、でも……」と悩んでいる人に対しても、「誰も止めてないよ!やっちゃいなよ!」と冗談で声をかけるくらいで。
やるかやらないかは、自分次第。それをドライだと感じる人もいるかもしれないけれど、起業するということは、結局最後に決めるのは全部自分なんです。だからこそ面白いし、自分で決めて、自分でやるから社会が変わる。
一人ひとりが自分らしく生きていく未来のために
――メンターは、「やるかやらないか」を決めてくれる人ではなくて、あくまでその人の「やってみたい」という勇気を後押ししてくれる存在なんですね。美咲さんご自身の、伴走支援をするモチベーションはどこから来ているんでしょうか。
私の仕事は、みんなをロケットの発射台まで連れていくことだと思っています。一番大変なのは、まず発射台まで行くこと。自分でちゃんと覚悟を決めて発射したら、その先はきっとすごく楽しいはず。
語弊を恐れずにいうなら、正直、発射した後はあんまり興味がないんです。自分が相談にのった相手が、大成功して大富豪になるとか、大企業に成長してほしい、みたいな思いはありません。ただ、自分で思い描くように生きてもらいたい。そのために、「行けるよ!行こうよ!」と連れていくのが私の役割かな。
――自分らしく生きる人が増えていってほしいと。
私の根っこには、「多様性がある社会で生きたい」という思いがあるんだと思います。多様性って何だろうと考えた時に、いろんなジェンダーがあるよねとか、男女比がどうとかいう話もありますが、個人的には「一人ひとりが自分らしく生きた結果」から生まれるものが本当の多様性だと思うんです。
そして、私のしている伴走支援や「誰かを鼓舞する」という行為は、そのために絶対に必要なことだという覚悟と自負がある。みんなそれぞれやりたいことはあるはずで、きっと実現できる。だけど、それにはちょっとでも背中を押してくれる人や、応援する声や言葉、道具が必要。そこを少しでも「ポンッ」と後押ししてあげることで、あとは自分から進んでいける。その先にある未来が見たくて、私はこの仕事をしているんだと思います。
――最後に、これから起業を考えている人や、SSSWに相談をしてみようかな、という人にメッセージをお願いします。
「人に話す」ということは、起業に向けた最小単位のアクションであるということです。一番ローコストで、でも確実なアクションでもある。
起業をするとなると、リスクやコストを考えてしまうと思いますが、実はローリスク・ローコストでできることはたくさんあります。自分の事業について話すというと、最初は「怖いな」とか「大変そうだな」と思うかもしれませんが、「言葉にする」というアクション自体に大きな価値がある。
そうやって勇気を出して、小さなアクションを少しずつやっていくことで「出来た!」という達成感に繋げていけば、そこからいろんなことが開けていくはず。資金をかけなくても、「人に話す」という小さなアクションができることを知ってほしい。そして、そのアクションを実行できた自分を褒めてあげてほしいです。
岩井美咲さんのfacebook/instagram
スナバのHP https://www.sunaba.org/
<SSSWの個別相談受付>
メールでのご連絡 shinshuss@tohmatsu.co.jp
お電話でのご連絡 070-4548-2758
「誰かに相談することも一つのアクション」挑戦する人を鼓舞する、創業支援のあり方【前編】SSSW相談員インタビューvol.1
それぞれの女性の、それぞれの起業へ。信州で起業を目指す女性をサポートする信州スタートアップステーションウーマン(SSSW)では、個別相談窓口を設け、事業アイデアのブラッシュアップなど起業に関する相談をはじめ仕事と家庭・子育てとのバランスやコミュニケーションの取り方など幅広く相談に対応しています。
中信エリアのメンターとして活動しているのが、塩尻市を拠点に「Kobu. Productions」の屋号で活動している岩井美咲(いわい・みさき)さんです。新卒の頃から、起業家のコミュニティづくりや事業伴走を行ってきた美咲さん。社会にインパクトを生み出す事業家や活動家のインタビューやライティング、ブランドの立ち上げ支援も行っています。
2018年に、塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の立ち上げに参画したことから、2020年に移住・独立した美咲さん。ご自身のこれまでのキャリアや、メンタリングの際に大切にしていること、未来の起業家への思いを聞きました。
<お話を聞いた人>
Kobu. productions 岩井美咲さん
東京⽣まれ。Impact HUB Tokyoに新卒で⼊社後、起業家のコミュニティづくりや事業伴⾛を行いながらプログラムやイベントを運営。2018年より長野県塩尻市のシビック・イノベーション拠点「スナバ」の⽴ち上げに参画した後、2020年に塩尻市に移住&独立。屋号の由来である「⿎舞する」をテーマに、向き合う⼈のビジョンや課題を掘り下げ、必要な伴⾛を提供しつつ企画を⼀緒に実現していく。事業内容は PV 制作やブランド⽴ち上げから経営伴⾛まで多岐にわたる。
人との出会いが変化につながる。シビック・イノベーションを生み出す拠点「スナバ」
――美咲さんの普段のお仕事内容や、働き方について教えてください。
週の半分くらいの時間は「スナバ」のコミュニティ運営業務に当てており、残りの半分の時間はこれから立ち上げるプロジェクトのブランディングやコンセプトづくり、個別相談による支援や経営伴走を行っています。ライター・編集者としても活動していて、インタビュー取材や、人の思いを聞いて、次にやりたいことの後押しをするようなコンセプトを一緒に考える言語化のサポートもしています。
自分が仕事をする上で、「誰かを励ます」ということはすごく大きい要素です。屋号に入っている「Kobu」は、鼓舞という言葉から取りました。何かをするときに「鼓舞する、鼓舞される」関係性があると、腹の底から力が湧いてくるような感じがあって。私は、そういう仕事をしていきたいと思っています。
――美咲さんが運営に携わる「スナバ」はどんな場所ですか?
「スナバ」は、2018年8月に「シビック・イノベーション拠点」として塩尻市でオープンしました。「生きたいまちを共に創る」というビジョンを掲げ、地域のいろんな人たちが交わることによって、他では生まれなかったものが生まれる拠点になることを目指しています。
現在の登録者数は150人近くおり、集まる人たちは、起業家、フリーランス、地域おこし協力隊、会社経営者、会社員、アーティスト、行政職員、小中高生など、さまざまな職種、年代の人たちです。
――「シビック・イノベーション」とは?
造語ではあるのですが、草の根的な小さなアクションから生み出される変化のことです。「シビック」には「市民の、市民による」という意味があります。「イノベーション」と聞くと最先端の技術で人類を地球に送るとか、なにか大きなことに感じるかもしれませんが、たとえば日々生活の中に「もっとこうしたらいいのに」「誰かなんとかしてくれないかな」といった小さな課題があると思うんです。
それらの解決を、行政や大きな企業に委ねるのではなく、「自分達で解決するためのアクションができるんだ」と一人ひとりが思うようになれば、まちはよりよく変わっていくはず。「スナバ」では、そのための活動支援や取り組みを行っています。
――「スナバ」で美咲さんが担当している業務や、創業支援の取り組みがあれば教えてください。
メインの業務は、コミュニティの運営です。メンバーの人たちが快適に仕事できるように場所を整理したり、コーヒーを淹れたりといった場の維持管理から、雑談も含めてメンバーの壁打ち相手になったり、一緒にイベントを企画したり、メンバー同士をつなげたりと、ここで生まれた出会いや対話がなにかにつながるようなサポートをしています。
また、「SBB(スナバ・ビジネスモデル・ブートキャンプ)」という短期プログラムのセッションも担当しています。これまでに9回ほど開催していますが、今期の私の担当は創業計画書の作成でした。新しく事業を立ち上げる人が、なぜその事業をやるのか、誰のために、どんな課題をどう解決したいのか、という部分を整理して線で繋ぎ、ちゃんと事業にいかせるようにするにはどうしたらいいかを、数値計画と一緒に考えるセッションを行いました。
ほかにも、高校生・高専生向けに「エヌイチ道場」という起業家教育プログラムも担当しています。「なにかやりたい」「探究の授業だけでは足りない」という思いを持った高校生たちのアイデアを形にするため、約4ヶ月間伴走支援を行っています。
人見知りでも、人と人の出会いをつなぐことが好きだった学生時代
――美咲さんは、新卒の頃から現在まで、コミュニティづくりや場づくり、創業の伴走支援に携わっていますが、昔からそういった仕事に興味があったのでしょうか。
今思えば、大学生の頃からおぼろげながらも場づくりやコミュニティ運営的な活動を始めていました。
大学入学直後に、大学の近くのおしゃれなカフェを見つけて、アルバイトの申し込みをしに行ったんです。そうしたらそこは学生団体が運営しているカフェで、「スタッフは全員ボランティアだけどいい?」と聞かれて。「バイトじゃないの?学生が運営って?」と思いつつも、断れずにそのままスタッフになりました。
そこから、カフェスタッフとして働きつつ、メニュー開発をしたり、カフェの運営についてみんなで考えたりと、がっつり経営側として動くようになりました。
――計らずして場の運営に携わることに。
ザ・大学デビューのつもりだったのに(笑)。でも、いざやってみたらすごく楽しかったんです。経営や、場の運営に興味を持つようになったのはあの時の経験が大きいですね。
それから、大学3年生の時にスウェーデンに留学したことも大きかったです。そこでは、12の部屋と共同スペースがセットになったシェアハウスみたいな寮に、ドイツ、ナイジェリア、コロンビアなど、11国籍の生徒がそれぞれ集まって暮らしていました。そこで、毎月それぞれの国の料理をみんなで作って食べるディナーを企画したんです。
――それはもともとあったイベントではなく、美咲さんの発案で?
はい。私自身は人見知りなんですが、いろんな人たちが出会う場をオーガナイズすることが好きで。誰に頼まれたわけでもなく、「なにかやりたい!」と思って自分から動いていました。
――そこから卒業後も「場づくり」的な仕事を探すように?
留学生活を終えて帰国したら、周りの同級生はみんな就活を終えていました。自分もなんとなく就活を始めたんですが逆カルチャーショックになってしまって。日本語がうまく話せなくて面接が受けられず、英語だけで選考ができる企業の選考になんとか通って……、という状況でした。
さらに、当時のバイト先をクビになってしまって。「次にアルバイトをするとしたら、自分のやりたいことに繋がるバイトをしたい」と考えた時に、飲食関係は自分のやりたいこととは違うかもしれないなと。
大人になっても人は変われる。起業家たちとの出会い
――それはどうしてですか?
飲食店というのも一つの「場」ではありますが、お客さんはそこでの出会いに期待して行くというよりは、メニューに惹かれて行くとか、決まった人と寛いだら帰っていくものだと思うんです。でも、留学中に知らない人同士が出会う場をオーガナイズする経験をしたことで、「知らない人同士がつながって、何かが生まれる場所」を作りたいなと感じるようになって。
「そんな場所はないかな?」と調べていく中で、どうやらコワーキングというものがあるらしいと知り、ちょっとビビっと来たんです。ネットで「コワーキング 東京」と調べたら、起業家による起業家コミュニティを運営する「Impact HUB Tokyo」が出てきて、ちょうどスタッフ募集をしていたので連絡してみた、というのがこの世界に足を踏み入れた最初のきっかけです。
「Impact HUB Tokyo」では本当にいろんな経験をさせてもらいました。私は新卒で入社したので、起業経験が全くない中でのスタートでしたが、いろんな人が集まってくる空間にいられることがとても楽しくて。
――「人と人が出会って何かが生まれること」にずっと興味があったのですね。「Impact HUB Tokyo」で、起業家の人たちに出会ってから、美咲さん自身にはどんな発見がありましたか?
「大人になっても人って変われるんだ」という驚きがありました。昨日まで背広を着ていた人が、起業を経て急にサンダルや短パン姿になって、どんどん顔つきが変わっていく。コミュニティマネージャーとして相談に乗っていた人たちが、前に進んでいく様子を見ているのはすごく充実感がありました。
――人が変わっていく瞬間に間近で立ち会えるのはとても面白そうですね。
そうですね。そして何より、コミュニティの可能性も感じました。
高校や大学までは、同じクラスだったり同じ授業を取っていた友人がいたとしても、卒業して就職するとてんでバラバラになってしまいますよね。生きる中でそれぞれ変化があって、別れがあることはしょうがないけれど、それはちょっと寂しい。
でも、自分が場所を一つ持っていたら、みんないつかそこに帰ってきて、自分の変化を共有できたり、そこからまた新しい出会いが生まれたりするかもしれない。そうしたらもっと面白いだろうな、と、漠然と考えるようになって。そういう気持ちからコワーキングや起業家のコミュニティスペースへのドアが自分の中で開いていったんだと思います。
入社当初は20人程度だった「Impact HUB Tokyo」のコミュニティは250人を超え、どんどん成長していきました。その頃に、塩尻市で「スナバ」を立ち上げる話が出てきたんです。
・・・
インタビュー後編では、「スナバ」立ち上げのための伴走支援、長野での独立を選んだ経緯や、メンタリングで大切にしていることを聞きました。
岩井美咲さんのfacebook/instagram
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<プログラム概要>
・プログラム期間:2024年10月5日(土)〜2025年3月31日(月)
・場所:長野市、オンライン
・プログラム参加費:33,000円(税込)
・エントリー締切:2024年10月1日(火)
※締切日に関わらず、マッチングが完了したプロジェクトはエントリーを締め切らせていただきますのでご了承ください。
SSSコラム⑦人材獲得について
担当:SSSコーディネーター久保
こんにちは、SSSコーディネーターの久保です。今回はスタートアップ企業が抱える「人」の悩みについて、お話したいと思います。(※本コラムの内容は執筆者個人の見解であり、長野県やSSSの公式見解ではありません。)
人手不足が叫ばれる時代であり、どの企業にとっても人材獲得や採用は経営上の大きな課題となっています。特に、社員数が比較的少ないスタートアップにとっては、一人の採用によって大きく会社の雰囲気が変わる可能性があり、場合によっては大きな成長を遂げることもあれば、経営リスクに直面することもあり得ます。
後者の可能性をゼロにはできないですが、大事なポイントを抑えておくことで、そのリスクを低くすることができます。重要なポイントとして、今回は入口となる人材採用について書いていきます。
現在、様々なツールやエージェントを利用することができる環境であり、それぞれの利用については様々なウェブサイトでサービス内容、金額、特徴などが紹介されています。ぜひ、それぞれの細かな点はご自身でも調べてみてもらえればと思います。ただ、どんなサービスやツールを利用する場合であっても、採用に際して重要なポイントは、①その人が自社の他メンバーと働いて活躍できる姿が想像できるか、②その人は自社のパーパスに共感しているか、だと考えています。
- 他メンバーとの相性
まず、社員数の少ないスタートアップ企業にとっては、いくら優秀な人材であっても、代表者または他のメンバーとの相性が悪い場合、その人材の獲得によって会社全体の雰囲気が悪くなってしまう恐れがあります。一方、全社員と相性が合うことも非常に稀であるので、その組織の中の最小単位チームを候補人材と他メンバーとで構成して活躍する姿が想像できれば、候補になりえるでしょう。
世の中、様々な性格や働き方(仕事のスピード、進め方、メールの書き方、チャットの使い方、等々)があるなかで全社員と相性があう一人の人材と巡り合うことは、なかなか難しいのではないでしょうか?最小のチーム(2~3名)を他メンバーと構成して活躍するイメージが湧くようであれば、採用を考えてみて良い人材だと思います。その際は、同メンバーとも人材について共有しておき、場合によっては面談に同席してもらうなど、代表や役員だけでなく他メンバーの意見を聞くことがミスマッチを防ぐ際に有効です。
- パーパスへの共感
パーパス経営という言葉が広まっている通り、スタートアップも含め多くの企業が、「自社が存在する社会的な意義を定義し、その意義を実現するために経営する」スタイルを採用し始めています。特にスタートアップ企業にとっては、なぜそのビジネスをやるのか?を問い続ける機会が多く、パーパス経営に自然に取り組んでいるのではないでしょうか。
そのパーパスに対して、候補人材はどれほど共感しているのか、当社でどのように実現させていくのか、という点は面談時にぜひ確認いただきたいポイントです。スタートアップでは一人一人のメンバーが決定を迫られる場面が多くありますが、パーパスへの共感が十分であれば、判断基準や方針が社員間でぶれることが少なくなります。
逆に、学歴や職歴、面談時の話し方などから優秀だな、と思った方であっても採用時にパーパスへの共感が不十分であれば、優先順位は低い候補で良いかと思います。長く在席してもパーパスへの共感は必ずしも高まるわけではなく、面談時でズレを感じる人材とは、採用後もズレをずっと感じてしまうかもしれません。
上記の①および②を重視する採用は、採用業界では「カルチャーフィット」という用語で知られています(反対の意味を指す言葉は「スキルフィット」)。自社のカルチャーを構成するメンバーや経営のパーパスと候補人材とがどれほどフィットするかを考えることが、スタートアップにとっては重要です。
今回は、スタートアップが人材獲得に取り組む際に押さえておくべきポイントを絞ってお話しました。もちろん、各企業の事業内容やメンバーの個性によって、人材獲得で利用するサービスやスタイルも様々な方法があり得るかと思います。それでも、比較的社員数が少ない状態で大きな成長を目指すスタートアップにとって重要なポイントは変わらないと考えています。今後新たなメンバーを獲得する際には、ぜひ参考にしていただければ幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「好きなことをしてギリギリで生きていこう」から始まったコーヒースタンド。「学生起業」のリアルと卒業後の現在地【後編】先輩起業家インタビューvol.5
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「最初は、『ゴージャスに生きなくていい。ギリギリでもいいから、好きなことをして生きていこう』と思っていたのに、いざお店を続けていくうちにやりたいことが増えてきて。だんだん『頑張って売上を伸ばしていこう』という姿勢に変わってきました」
長野県立大学在学中に長野駅前でコーヒースタンド「ODDO COFFEE」を立ち上げた小倉さん。大学卒業後もお店の経営を続け、現在は新店舗オープンに向けた準備を進めている最中です。
インタビュー後編では、コーヒースタンド立ち上げの経緯、独立後の心境の変化、これからの展望を聞きました。
<お話を聞いた人>
ODDO COFFEE 小倉翔太さん
静岡県出身。長野県立大学グローバルマネジメント学科起業家コース卒業。在学中に「ODDO COFFEE」を開業。現在は長野駅前にコーヒースタンドを展開し、コーヒー豆の仕入れ、焙煎、販売を行う。
「学生のうちにやるしかない」舞い込んできたチャンスを掴んで
――インタビュー前編では、ODDO COFFEEが動き出すまでの経緯をお聞きしました。本格的に事業を始めるにあたって、誰かに相談はしましたか?
コーヒーサークルODDOを立ち上げた時点で、ソーシャルイノベーション創出センター(以下、CSI)※1に今後の活動について相談に行きました。そこでは、「これからどんなことをしたらいいか」というアイデアベースの相談から、借入の仕方、経営を続けていくための利益の出し方などビジネス面の相談もさせていただきました。
また、CSIからの紹介で信州スタートアップステーション(以下、SSS)にも相談に行きました。そうして相談を重ねる中で、担当コーディネーターの方が現在のODDO COFFEEがある場所の持ち主の方と繋げてくださったんです。ビルの改修の構想の中にカフェ機能が入っており、まずは1〜2ヶ月間チャレンジショップとして店を開いてみないかと。
――いざ具体的に話が動き出したときはどう感じましたか?
「学生のうちにやるしかない」という気持ちでした。当時僕たちは大学3年生で、このまま就職してしまったら自分達でお店をやろうとするのは難しくなるだろうなと。
声をかけてもらったのが2022年の11月くらいで、オープンは2月だったので、やると決めてからはとにかく駆け足で準備を進めてきました。何も進んでいない状態で始まって、やっていく中で段々と形になってきた気がします。
――実際にお店が始まってからの手応えはどうでしたか?
もちろん、お店が形になってうれしかったです。でも、当時はまだサークルのメンバーと一緒に、4人体制でお店を回していたので、週に数回しかお店に立っていませんでしたし、豆の焙煎もしていましたが、何かが思い浮かぶわけでもなく、「一旦頑張っています」ぐらいの姿勢でした。
※1CSIとは・・・社会課題解決に取り組む事業者支援や産学官連携を行う、長野県立大学の地域連携拠点
周りが就活を始める中で、「自力でやっていく力」をつけることを選んだ
――意識が変わったのはいつ頃からですか?
他のメンバーが就職活動に向けて動き出した頃です。立ち上げ当初から、もともと自分がやりたくてやってきたことではあったので、いつか1人でやるタイミングが来るだろうと考えてはいたのですが、「今の姿勢のままではいけない」と感じ、メンバーのみんなに「今後は僕一人でやっていこうと思う」という話をしました。いざ一人で店に立ってみたら、店内の調度品の配置一つとっても「ここは良くないな」「もっとこうした方がいいな」というのが見えてきて。
それから、大学の授業で事業計画書を書き上げたのも大きかったと思います。一度将来の具体的な計画を立ててみたことで、「事業として続けていけるかもしれない」という実感が湧いてきました。
――お店の経営が自分ごとになってきたと。メンバーも含めて、周りが就活をし始める中で、小倉さんが「一人でやっていこう」と決められたのはどうしてですか?
極論かもしれませんが、アルバイトを辞めた時点で「僕は社会で働けないのかもしれない」みたいな気持ちがあったんです。今思えば、アルバイトと会社に就職して働くというのは全然違うものなので、もしかしたら就職して働くこともできたのかもしれません。
でも当時は、「いやな気持ちを抱えながらどこかで働くくらいなら、今のうちに一人で商売をしていけるようになった方がいいかもしれない」と考えていました。
――自分でやっていく力を磨いた方が生き残れるかもしれないと。
そうですね。だから、「たくさん儲けたい!」みたいな意欲も一切なかったです。「ゴージャスに生きなくていいから、好きなことをしてギリギリで生きていこう」という気持ちでした。
――実際のところ、独立後は「好きなことをしてギリギリ」状態なのでしょうか。
いえ、いざ自分でお店を経営するようになると、だんだんやりたいことが増えてきて。やりたいことを実現するためには売上を伸ばす必要がある、そのためには新しい取り組みや先行投資が必要で、それを続けていくと、結果として利益が出る。
たとえば、買う豆の量が増えると、使うお金が増える。その次の月の売上が少ないと、支払いができないという状況になります。でも、「じゃあ無理しなくていいや」ではなく、あえて仕入れ量を増やして「売上をあげるしかない」という状況に自分を追い込んでいくようになりました。最初にイメージしていたスケール感に比べて、今の事業の規模はもっと大きくなっていますね。
――お店を経営する中で、また意識が変わってきたと。
今でも、最終的にはのんびりお店をやりたいと考えています。でも、そのためにはODDO COFFEEとしての価値をしっかりと作り上げて、どこに行ってもお店ができるような状態にならないといけないんだなと分かってきました。
たとえば、最近は長野駅前の再開発の話が出てきて、この建物自体も将来どうなるかわかりません。今は「ちょっとでも状況が変われば簡単に店が吹き飛ぶぞ」という危機感があるので、まずお店としての力をつけていきたいですね。
まずはトライしてみることで、やりたいことややるべきことが見えてくる
――「好きなことをのんびりやっていく」ためには、ゆるがない土台が必要だと。今は力をつけていく段階だと意識しているのですね。ほかにも、経営していく中で意識が変わった部分はありますか?
駅前に店舗を出してからは、外国人観光客のお客さんと接する機会が増えました。お客さんたちと話をするうちに、「自分は日本人だけど日本のことを知らないな」と感じ、日本文化について勉強するようになりました。
すると、嗜好品という点ではコーヒーと日本のお茶には近い部分があるとわかってきて。お店作りをする上でも茶道の考え方は参考になりそうだったので、茶道を習い始めました。
――それは面白い変化ですね。
さらにそこから、器にも興味を持つようになって。お店で使う器もなるべくいいものにしようと、全国の陶器市に足を運んでは「いいな」と思った器の作家さんを調べて、お店用にオーダーをしています。
――お店で得た気づきから新しいことを初めて、それがまたお店に還元されるサイクルが生まれていますね。小倉さんが、今後新しく挑戦してみたいことはありますか?
来年を目処に、ODDO COFFEEの2店舗目を出す計画を進めています。長野市内で美術商をしている方が、空き家のオーナーさんと一緒にギャラリー兼ショップを出そうという話があって。ギャラリーだけでは売上が立ちにくいので、カフェもやろうという話で、うちに話が来たんです。
茶道を始めてから、美術品や工芸品に興味を持つようになったので、面白そうだなとお話を受けました。ODDOをオープンしたての頃だったら、ピンとこずお断りしていたかもしれません。そもそも、向こうもイベント出店の経験しかない学生には声をかけなかったと思いますし。
――経験を積み、考え方や興味関心にも変化があったからこそ、つながったご縁なのですね。一店舗目の経営は今後も続けていきますか?
続けていく予定です。現店舗ではずっとドリップコーヒーを出しているのですが、駅前はどちらかというと急いでいる方の方が多く、客層とやりたいことが合っていないなという気がしていたんです。
新店舗は、むしろ一杯のコーヒーをじっくり楽しむお店になると思うので、現店舗には新しくエスプレッソマシーンを置いて、スピーディーにコーヒーを提供できるようリニューアルできたらいいなと考えています。
――かつては接客に苦手意識を感じていたとお話がありましたが、新店舗の開店には不安はないですか?
僕は、決して「人と関わりたくない」というわけではないんです。でも僕は、人とコミュニケーションを取って人との関係性を作っていくことが苦手というか、それを放棄してしまうタイプの人間なんだろうなと。
でも、「お店」という形であれば、空間の作り方、サービスの仕方をしっかり作りこめば、最低限のコミュニケーションでも、いい空気や関係性を作れるんじゃないかと。新店舗も、いいお店、いい空間にしていきたいですね。
――自分のお店だからこそ、そういったお店作りのあり方も追求していけますね。最後に、小倉さんのように「好きなことで生きていきたい」と考えている方にメッセージをお願いします。
目の前にあることを頑張っていればいい。それだけな気がします。「長く続ける」という方向性でいつつ、まずはトライしてみて、やっていく中で降りかかってきた要素に一生懸命向き合っていけば、また次にやりたいことが出てくる。それを繰り返していけば、うまく転がっていくのかなと。
・・・
「好きなことをしてギリギリで生きていこう」から始まったコーヒースタンド。「学生起業」のリアルと卒業後の現在地【前編】先輩起業家インタビューvol.5
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「高校生の頃、古い建物をリノベーションしてひっそりとコーヒー豆の焙煎・販売をしているご夫婦に出会ったんです。当時はただコーヒーが好きで通っていましたが、心のどこかで『ああいう生き方っていいな、羨ましいな』と思っていたんだと思います」
そう語るのは、長野県立大学在学中に長野駅前でコーヒースタンド「ODDO COFFEE」を立ち上げた小倉翔太(おぐらしょうた)さん。自営業の祖父や父を見て育つ中で、「自分は安定した職に就く」と公務員を目指していましたが、長野県立大学に進学したことをきっかけに、「コーヒーを仕事にしたい」という気持ちが芽生えてきました。
インタビュー前編では、高校時代の原体験や、コーヒーチェーン店でのアルバイトと留学中に経た気づき、「ODDO COFFEE」の原点となるコーヒーサークル立ち上げのストーリーを聞きました。
<お話を聞いた人>
ODDO COFFEE 小倉翔太さん
静岡県出身。長野県立大学グローバルマネジメント学科起業家コース卒業。在学中に「ODDO COFFEE」を開業。現在は長野駅前にコーヒースタンドを展開し、コーヒー豆の仕入れ、焙煎、販売を行う。
「コーヒーから発見を」シングルオリジンコーヒーを提供する駅前のコーヒースタンド
――まずはじめに、小倉さんの営むODDO COFFEEについて教えてください。
ODDO COFFEEは、長野県立大学在学中の2021年2月に同期の友人たちと長野駅前に立ち上げたコーヒースタンドです。主に中浅煎りのシングルオリジン※1のスペシャルティコーヒーを販売しています。
2023年の春からは僕個人で独立し、大学卒業後も経営を続けています。コーヒー豆の仕入れ、焙煎から販売、カフェ営業を行っており、WEB SHOPも展開しています。
――スペシャルティコーヒーとは?
生産から流通、販売に至るまで適切な品質管理がなされ、消費者が「確かにおいしい」と評価するコーヒーのことを指します。最大の特徴は、口に広がる風味です。「コーヒー」=苦いという従来のイメージからは想像のつかない、爽やかでフルーティーな味わいが楽しめます。
スペシャルティコーヒーは、生産地の気候や標高、生豆の精製処理の方法など、生産される環境一つひとつの違いで味に個性が生まれます。ODDO COFFEEでは、それぞれの豆の生産環境や、酸味・甘み・苦味・香り・コクのバランスを示したレーダーチャートを記載したカードを作成し、味や風味をイメージしながらコーヒー選びができるようになっています。
――コーヒー=「苦くてブラック」というイメージがありましたが、新しい発見が得られそうです。
僕自身も、そうしたいろいろな味の違いを知っていくことが楽しく、自分が「おもしろいな」と感じた豆を仕入れることが多いです。
また、ODDO COFFEEでは、「コーヒーから発見を」というコンセプトを掲げて営業しています。同じ豆でも、産地や作り手が変われば味も変化します。空間や時代を彩り、人々とともに文化を作り上げてきたコーヒーは、日常の中にちょっとした輝きを届けてくれます。
日常の中にも、その時にしか感じられない心地いい瞬間が存在しているはず。そんな瞬間を発見するお手伝いができればと思っています。
※1シングルオリジンコーヒーとは・・・特定の地域・原産地のみで栽培されたコーヒーのこと、複数の原産地のコーヒーをブレンドしたものと比べて、独特の特徴や味を持つものが多い。
公務員志望だった高校時代。珈琲豆の焙煎販売を行う夫婦との出会いが自分の原点に
――小倉さんは長野県立大学グローバルマネジメント学部の起業家コースを卒業されていますが、進学当時から「いつか自分の店を持ちたい」という気持ちがあったのでしょうか。
いえ、当時は全くなかったです。高校生の頃は、「安定した職に就きたい」と考えて公務員を志望していました。僕の祖父は大工さんで、自分の会社を立ち上げた経営者でもあったので、「起業」自体は身近でした。好きなことを仕事にする祖父は僕の理想でしたが、一方で、会社を継いで働く父を見て育つうちに、自営業ならではの苦労も知りました。進路選択をする頃には、「僕は自営業は絶対にいやだ」と思っていたくらいで。
その中で長野県立大学を選んだのは、国公立大学でありながら留学が必須だったからです。なんとなく「普通の大学とは違うことができそうだな」と感じ、進学を決めました。
――公務員志望だった時期があるのですね。コーヒーが好きになったのはいつ頃からですか?
高校生の頃から好きでした。当時僕は理系の学生だったので、コーヒーを淹れる器具の実験道具っぽさに惹かれ、「コーヒーってカッコよさそう」という気持ちから自分でコーヒーを淹れるようになりました。
自分で豆を買うようになってから、古い建物をリノベーションして自家焙煎のコーヒー豆を販売しているご夫婦と出会ったんです。僕はそんなにお店の人と喋るタイプではないので、ただコーヒー豆を買うためにそこに通っていたんですが、店主のお二人の雰囲気が僕の知っている「大人」の雰囲気ではなくて。自分たちのお店を持って、マイペースに生きているように見えました。
今思えば、当時から「ああいう生き方っていいな、羨ましいな」という思いが心のどこかにあったんだと思います。
――「安定した仕事に就きたい」という思いがありつつ、自分のお店を持ってゆるやかに働く大人の姿が印象に残っていたと。大学に進学してからは、コーヒーとはどんな関わり方を?
コーヒー器具を揃えて、豆を買ってきてはいろんな淹れ方を試し、自分で飲むのはもちろん大学の寮のみんなに振る舞っていましたね。
それから、もっとコーヒーのことを知りたくなり、チェーンのコーヒー屋さんでアルバイトも始めました。いくつかのお店でのアルバイトを経験しましたが、中でも自家焙煎のスペシャルティコーヒーを扱うお店で働けたのは自分にとっての大きな転換点だったと思います。それまでは自分でコーヒーを淹れるだけでしたが、豆の産地や生産環境、焙煎技術にも興味を持つようになり、独学で焙煎の勉強を始めました。
一度離れたコーヒーの世界。留学を機に、学内での出店を目指す
――その頃から、「いつか自分でもコーヒー店を持ちたい」と思うようになったのですか?
実はそういうわけでもなくて。アルバイトとして働く中で、「僕には向いていない、無理だ」とアルバイトを全部辞めて、コーヒー自体からも離れてしまった時期があるんです。今でも、何がそんなに無理だったのか自分でもあまりわかっていないんですが……。
いくら「コーヒーが好き」という思いがあっても、アルバイトとなるとある程度「接客」や「コミュニケーション能力」も必要な要素になってくる。
お店に立つときは「ポジティブな自分」でいようとするんですが、「このポジティブさは一体どこから来ているんだろう?」と考え込んでしまって。自分で仕入れたり焙煎したりしたわけでもないコーヒーを笑顔で提供することに対し、「やらされている感」を感じてしまっていました。
――そこからコーヒー自体がいやになってしまったと。再びコーヒーに向き合うようになったきっかけは何だったのでしょうか。
大学2年生の頃にニュージーランドに留学したことです。僕の留学していたリンカーン大学は、長野市よりも田舎町にキャンパスがあったんですが、大学内のカフェテリアでコーヒーを販売していたんです。「この規模で商売が成り立つなら、長野でもできるんじゃないか?」と感じて。
当時、長野県立大学には食堂と購買しかなく、コーヒーを出している場所がなかったこともあり、「大学に相談して学内でカフェをやるのはどうだろう」と思いつきました。そこで、まずはコーヒー好きな友人を集めて2020年にコーヒーサークル「ODDO」を立ち上げたんです。
――なるほど。留学をきっかけにヒントを得たのですね。
ですが、立ち上げ直後にコロナが始まったため、学内での活動は休止になってしまいました。そこで、まずはオンラインショップを開設し、自家焙煎の豆の販売を始めました。
当時は、「接客業はもういやだ、なるべく人とコミュニケーションを取りたくない」と考えていた時期だったので、いい豆を仕入れて焙煎し、販売することで生きていけたらと考えていたんです。
でも、いざオンラインショップを開設しても、知名度も何もなかったのでなかなか売れなくて。売れるためには、実際に販売をしないといけないなと思い、市内のイベント等への出店を始めました。
――やりたいことはあくまで豆の焙煎・販売で、お店を出すのはそれを成り立たせるための手段だったのですね。
当時はそうでした。でも、いろいろと出店の機会は増えていく中で、やはり決まった時間に決まった場所で開いていないとなかなかお客さんには来てもらえないんだなと分かってきて。出勤前に立ち寄る、休みの日に一息つきにくるなど、買いに来てくれる人の日々の習慣の中に溶け込みたいなと考えるようになりました。
イベント出店で知り合った方が、善光寺表参道で飲食店を経営していて、「学生の子たちがやりたいことをするなら大歓迎」とお店の空き時間に場所を貸してくださり、間借り営業をさせてもらうようになりました。その頃から、ようやく「いずれは自分達の店を持ちたい」と考え始めるようになったんです。
インタビュー後編では、コーヒースタンド立ち上げの経緯、独立後の心境の変化、これからの展望を聞いていきます。
・・・
生き方の選択肢としての、起業。『SHINKI』を通して考える創業支援の態度
県内全エリア
多くの人が「起業」という言葉から連想するのは、いわゆる“ベンチャー企業”の姿ではないでしょうか?
数人で立ち上げた会社が成長し、従業員を増やし、広いオフィスを構える。しかし、そんな「起業家像」は、ごく一部の人を示す、限定的なイメージだとも言えるでしょう。
起業を考える全ての人のゴールが、「経済的な成長」にあるとは限りません。
「そもそも、起業の在り方には人の数だけ多様性があるんじゃないか?」
それが、長野県で起業をする人のためのポータルサイト「SHINKI」を立ち上げたチームが感じている疑問でした。起業とはつまり、「事業を起こす」ということ。その理由が「経済的に成長したい」という場合もあれば、「もっと自分にあった環境で仕事をしたい」、「自身や家族の状況に柔軟に対応できる環境で仕事をしたい」といったケースもある。そこには、様々な「生き方の選択肢」があるはずです。
長野県にも創業支援の取り組みは数多くありますが、これまでは支援を行う各自治体や支援団体がそれぞれに情報発信をしており、一人一人が必要な情報を的確に手に入れるには、あまりに複雑な状況にありました。
いままで、行政や金融機関の発信だけでは届かなかった支援があるのではないか?そう考えて議論を深めてきました。
そんな状況を整理し、「起業の裾野を広げる」ための新しい取り組みがはじまります。
信州で起業をする人のためのポータルサイト「SHINKI」が、2024年1月にオープンしました。
長野県による創業支援拠点「信州スタートアップステーション(以下、SSS)」や、起業を目指す女性を支える取り組み「SSS Woman」とも連携しながら、「起業したい」と考える人たちをさまざまな切り口から支えていくこの取り組み。
SHINKIが何を目指していくのか?そして、長野のまちにはどんな創業支援のかたちがあるべきなのか?「SHINKI」の立ち上げに関わった3人による鼎談を通して、「地方における起業支援の在り方」について考えていきます。
<プロフィール>
関遼樹(せき はるき)さん
長野県産業労働部 経営・創業支援課主任。長野県職員、デロイトトーマツベンチャーサポートへの出向を経て、2023年に長野県庁へ復帰。アクセラレーションプログラム、スタートアップ拠点構築事業に従事し、地域イノベーターとして、地域課題解決とビジネスの両立を目指す。(以下、関さん)
渡邉さやか(わたなべ さやか)さん
長野県出身。長野県立大学大学院講師。修士取得後、新卒で経営コンサルタントとして従事するのに加えて、環境や社会に関する(Green&Beyond)コミュニティのリードや、プロボノ事業立ち上げにも参画。2011年に独立後は、一般社団法人アジア女性社会起業家ネットワークや株式会社re:terraを立ち上げ、被災地での産業活性プロジェクトや、途上国·新興国進出支援に関わるほか、女性社会起業家支援に尽力。株式会社ラポールヘア・グループ Chief Impact OfficerやNPO法人ミラツク理事など(以下、さやかさん)
井上拓美(いのうえ たくみ)さん
株式会社MIKKE代表。飲食店やITスタートアップの立ち上げ/経営を経て、「株式会社MIKKE」を創業。クリエイター向けの無料のコワーキングスペース「ChatBase」、HOTDOGSHOP「SPELL’s」、全国の高校生300人を集めたオンラインプログラム「project:ZENKAI」など数多くの事業/プロジェクトをプロデュース。長野県では、DX人材育成事業「シシコツコツ」の立ち上げ/運営、浅間山麓地域の防災減災をみんなで学び、高め合うプロジェクト「あさま防災カルチャークラブ」の立ち上げ/運営など。現在は長野県小諸市にて、『文化の台所』準備中。(以下、拓美さん)
なぜ「SHINKI」は、はじまった?長野の創業支援事情
──信州で起業をする人のためのポータルサイト、『SHINKI』が2024年に立ち上がりました。創業支援にまつわる情報が集まった同サイトを立ち上げた経緯を教えてください。
関さん(写真右):長野県庁としても、創業支援のニーズの高まりを感じていましたし、実際に起業を志している県民の方から連絡がくることもありました。県や市町村の窓口に「実は、創業をしたいんですけど」と電話がかかってくることがあるんです。電話を受けた職員は資料を見ながら創業支援策や相談窓口を案内するわけですが……その場ではきっと、繋げることができなかった情報もあったと思います。
自治体や金融機関、支援機関がそれぞれ行っている取り組みがもっと見える化された、みんなが使えるようなプラットフォームがあれば、「起業したい」と考えている人たちをもっと手助けできるはず。
そういった背景から、創業支援にまつわるポータルサイトが必要なのではないか、という議論がはじまりました。
──そもそも、長野県の行政としてはなぜ「創業支援」に力を入れたいのでしょうか?
関さん:県側としては、創業支援に対して2つの思いがあります。
1つは、スタートアップ企業が生まれて、精密機械工業をはじめとした県内の産業と組み合わさって、イノベーティブな次世代産業を生み出してほしいという思い。
そしてもう1つは、長野県が「女性や若者に選ばれる県」になるために、さまざまなチャレンジをしやすい状況を整備したいという思いです。
実は、長野県は若年層の女性の県外流出がすごく多いんです。そこには、「仕事の選択肢が少ない」という要因もあるはず。僕は、より多くの人が「ここで暮らしたい」と思える街でいるためには、従来の「決まった時間に、職場に行って働く」とは違う働き方の選択肢が必要なのではないかと思っています。
前者の「イノベーティブな次世代産業」だけを目指すなら、必要なことは会社の立ち上げを応援する「スタートアップ支援」になります。しかし、今回のSHINKIでは、後者を含む「広い創業」を支援するものにしたかった。そこで、井上さんやさやかさん(渡邉さやかさん)にも関わってもらいながら、「広い創業支援とはなんだろう」と話すところからスタートしました。
──井上さん自身、起業家という目線で起業家支援に対して思うところもあると思います。SHINKI立ち上げに関わってみて、どんなことを考えていましたか?
井上さん:端的にいえば、「起業をしたことのない人に“起業家を支援する”と言われても、何をしてもらえるんだろう?」という疑問はありました。
僕自身も起業して12年目に入るので、周りには多種多様な起業家の友人がいます。彼ら彼女らと関わっていて思うのは、「見ている景色の数だけ、起業の形がある」ということです。
そもそも僕たちの身の回りにあるあらゆる景色は、誰かが何年、何十年と前に起業をして生み出されたもののはずじゃないですか。建物も、使っている道具も、食べ物も、誰かがはじめたものなんですよね。
「スナックをやっています」、「美容師をやっています」、「こういう事業をやっています」みたいな人がいて、それぞれが「“起業”を通してやりたいことを実現した人たち」だということ。彼ら彼女らのことを、「起業家」という言葉で一括りにすることは難しいと思います。
だからこそ、サイトをつくる上でいわゆる「起業家像」をターゲットとして設定するというのは無理だと思いました。イメージをつくってしまうと、そこに当てはまらない人たちがきっと出てくるし、そうすると、本当にやりたかった「起業の裾野を広げる」ことからは遠ざかってしまうので。
──「起業家」と一括りにするのは難しい、という思いが出発点にあったんですね。
井上さん:そうなんです。実は、僕自身もさやかさんと対話してはじめて気づいたことが多くありました。さやかさんの話に出てくる人たちのことをこのポータルサイトのコンセプトに入れることができていなかった。自分はたくさんの起業家と関わっているつもりだったのですが、それでも無意識に想像できていないことがあった。
──さやかさんは、同プロジェクトへの参加についてどんな思いがありますか?
さやかさん:このプロジェクトを通して、「生き方としての起業」という考え方が広まればいいなと思っていますね。つまりは、自分の生き方や人生にオーナーシップをもつという意味で、全ての生き方が起業でもあるという考えからくる想いです。
私がメインで関わったのは、「SHINKI」のなかでもさらに、長野で起業したいと考える女性たちへの支援に特化したWEBページ「SOU」の立ち上げでした。
実は、このプロジェクトが動いている期間に出産をして。生まれてからわかった子どもの病気治療のために数ヶ月間付き添い入院をしていました。書かせていただいた「SOU」のボディコピーも、メッセンジャーだけでやりとりをしながら作っていきました。
女性の起業を支援するサイト「SOU」のボディコピー。サイトはこちら:https://shinki-shinshu.jp/sou/
さやかさん:その病棟には、自分と同じように子どもに付き添って入院しているお母さんがたくさんいました。さまざまな制約がある中でも、自分は意思があればリモートで仕事ができるし、大学院の授業もオンラインで講義ができるけど、それが可能な私は特殊な状況にあった。
入院の付き添いに限らず、時間や移動などの制約によって仕事ができない人たちがたくさんいる。特に、ケア労働を担うことが多い女性には制約も多い。そういう人たちはどうすれば仕事を続けられるんだろう?と考えた時に、やっぱり改めて“生き方の選択肢”としての起業があるべきだし、それに寄り添うための取り組みが必要だと思ったんです。
物理的なものや時間的なものに縛られない仕事のやり方も、起業を通じてつくることができるはず。売り上げを上げることももちろん大事だけど、自分を大切に扱いながら、「本当は何をしたいのか?」という自己表現をするような意味も込めて、起業ができると思うんです。
──経済的な成長だけじゃなくて、「生き方の選択肢を増やす」ための起業があるべき。さやかさんがずっと抱えていた思いと『SOU』の取り組みが繋がったんですね。
井上さん:いまの世の中で「女性起業家支援」という文脈でつくられたものって、多くは「男性社会へのカウンター」的な表現が入ってくると思うんです。でも、さやかさんと話していて感じたのはそういうことではなくて。もっと明るい、厚みのある明るさがありました。やりとりを経て感じたことと、さやかさんが完成させたタグラインの文章は奇跡のようにハマっていました。やりたい「起業家支援」の思いが、そこに詰まっていた。
好きなこと、得意なこと、やりたいこと。
無意識に抱いている「こうあるべき」という固定観念から離れて。
妻や母としての役割をいったん忘れて。
まず「わたし」に気づく。そして、「わたし」を開いてみる。
それが誰かの気持ちに届いたとき、見える景色が変わるはず。
誰も受けとめてくれなかったらどうしようって、
不安に感じたり、こわいと思ったりすることもあるかもしれない。
だからこそ、『sou』は、どんな「わたし」も、受けとめられる存在でいたい。
「法人が増えるかどうか」は結果論
──「生き方の選択肢として、起業がある」という考え方は、個人事業主や起業をする人の立場で考えると、きっと自然なことかもしれません。でも、その価値観を行政側も共有してくれようとしているのだと思うと、すこし新鮮に感じました。
──その一方で、「起業を支援する」側の立場で考えると、起業支援を行う上での具体的な指標が見えづらいと思うんです。どうすれば「起業の裾野が広がった」と言えるのでしょう?
関さん:定義によって見え方が全く変わってしまうとも思っています。行政としては、その年に法人登記した企業の数と元々の企業数の割合、いわゆる「開業率」(※)を指標として見ていて。
一方で目の前の指標としては、「個人事業主(※)」を含めて起業した人を追っていきたいなという思いもあります。
可能性としては、個人事業主として起業した人の事業が大きくなって、従業員を雇用し、法人として登記することになる……という場合もあると思っています。
※開業率……開業率(%)=新規開業した企業の数の年平均÷期間当初の企業数×100
※個人事業主……法人を設立せずに、個人で独立した継続的な事業所得を得ている人
井上さん:でも、「事業が成長して、法人化することになるか」って結果論だとも思うんです。立ち上げたビジネスが「個人としての起業」になるか、「新しい産業」といえるほど事業として成長するかって、実際に走り出してみないとわからない。
「起業をする人を増やすということ」と、「法人化して事業を伸ばしていく企業を増やすということ」はそれぞれ別の課題として分けて考えた方がいいなと思います。
それに、起業という手段を選ぶ人が増えれば、起業家や企業(法人)の母数が増える。母数が増えれば、結果として大きく成長する企業の数も増えるかもしれないですよね。
井上さん:プロジェクトを作っていくなかで、さやかさんはよく「生き方としての起業が必要なのは、別に女性だけじゃない」って話をしてくれてたんです。女性人口の流出という課題がいま長野県にあるから、たまたま女性起業家支援というのが入り口になっているだけで。本来は男女も年齢も関係なく、誰しもにあっていい選択肢だと。
さやかさん:女性が長野から出ていく理由の1つに、女性や若者に対する地域の寛容性が低いことがあると思うんです。地域にいると、「結婚はしないの?」「子どもは産まないの?」と当たり前に聞かれることが多い。だから地元には帰ってきたくない、というのもあると思うんですよね。
直接的な創業・起業とは関係なくても、長野県が生き方の多様性を認められる地域になれるか?は大事だと思っています。
支援する側に求められるのは、「不安な起業家へ寄り添う態度」
──「SHINKI」チームは、支援される側、支援する側、それぞれの立場にたって「より良い創業支援」について考え続けているのだなと感じます。「支援する側」の視点で、意識してきたことは他にありますか?
さやかさん:支援する側として、「起業家を応援する」ってつまり、どういうことなんだろう?ということを常に考えてきました。
起業する人にとっては、何かを立ち上げる時の最初の期間がやっぱり一番しんどい。まだうまくいくかどうかもわからない人たちに「大丈夫だよ」「一緒にいるから」って寄り添うことで、もしかしたら頑張れるかもしれない。そういう場所が長野県の中にもあればいいなと思っていました。
軌道に乗ったあとは、誰だって助けてくれるじゃないですか。上手くいくとわかっているものの方がやっぱり応援しやすいから。
──起業家を支援する上での「態度」のような話ですね。どういう姿勢で起業家と関わるべきか。
井上さん:僕自身、冒頭でも話したように「起業をしたことがない人から起業支援って……」って正直思ってしまっていたけれど、本当は創業支援をしている行政側の人たちは直接話してみると、「創業支援しますよ」って上からくる感じは全然なくて。すごく謙虚だったりするんですよね。その感じがもっとそのまま伝わればいいな、と思います。
ただ一方で、起業家支援の多くが「窓口を構えて、起業家が来るのを待っている」という状況になりがちなことも気になっています。
本当は、支援したい、応援したいと思っている行政や金融機関などの人たち側からいろんな人に会いに行って、働きかけて、「この町で起業すること」へ関心を持ってもらうことが大事なんじゃないかと。
──受け身の支援ではなく、積極的に「起業したい人」を見つけていくような支援が必要?
井上さん:そうですね。いろんな街を訪れても、「生き方に寛容な地域」や、誰かのやりたいことに関心を持つ人が多い環境では、新しい取り組みが生まれている印象があります。
「起業したい人の声を聞いていく」ということは、やはり態度として必要ですよね。
──受け入れられている、関心を持たれている実感は、人のアクションを後押ししますよね。
さやかさん:身近に起業家のロールモデルがいると、起業家が増えるということは研究としても証明されてるんですよ。地域ごとにそれぞれの地域のエコシステムがあるとは思うけれど、そこをかき混ぜてあげることで、もっと面白いことが起きるんじゃないかな。
地域にはさまざまな資本があります。起業に関係がありそうな財務資本や知的資本、技術資本だけでなくて、その地域の歴史や風土を表すような文化資本や自然資本、そこに暮らす人々の表す人的資本だったり、人と人の関係性を表す社会関係性資本もすごく大切ですよね。
そうした資本の中でも、特に社会関係性資本に関わるようなところを、地域やコミュニティなどを超えて「混ぜる」役割を果たすことができるのは、実は行政だと思うんです。
長野県が、1つ1つの自治体で起きていることを横断しながら適切な資源と適切な人を繋いであげることができれば、起業したい人たちの可能性は大きく広がっていく。
関さん:SHINKIは、そういう風に地域の人や情報や機会を「かき混ぜる」ためのツールとして使ってもらえたらいいな、と思いますね。
サイトの具体的な仕様の部分でも、さまざまな情報が並列で載っています。本来であれば「イベント/セミナー」「融資の検討」「場所探し」といったカテゴリ分けを丁寧にするなら、探している情報だけをピンポイントに絞り込めるようにするといい。
ただ、SHINKIでは1つのキーワードを使って検索しても、関連性がありそうな他の情報を混ぜ込むように設計していて。意識して調べた情報以外にも、「結果的に自分にはこの情報が必要だった」という情報と出会えるような形にデザインしています。
それもまた、1つの可能性の混ぜ方だと思うんです。
「どういう情報を伝えれば、本当に起業に役立つのか?」という問いと葛藤は、起業したい人のものだけではありません。起業したい人たちの悩みを受け止めて、力になりたいと考えてきた行政・金融機関などの支援側の人たちも課題として持っていたはず。
起業したい人はもちろんなのですが、支援機関の方々にこそ、本当は「SHINKI」を使ってほしいと思います。
起業家が増えた地域は、どう変わるのか
──地域にとっては、起業家が増えることでどんな影響があると思いますか?
関さん:すこし余談にはなるのですが……実は昨年、僕は東京の会社に出向していて、そこではたくさんの起業家の方々と関わる機会がありました。「どんどん稼ぐぞ」ってタイプの人もいたんですが、「すぐには儲からなくても、真摯に社会課題に取り組む」という人もすごく多かったんです。
僕は、行政との繋がりを求めている起業家と行政の繋ぎ役をやっていたので、そういう起業家と話す中で「この人たち、本当にすごいな、素敵だな」と思えました。
これは男女の話をしたいわけでは無いんですけど、実際に、「これは本当に女性じゃないと、そんな視点に気づけないだろうな」と思えるビジネスもたくさん見てきました。
──起業家たちのものの捉え方や、社会に対する行動のあり方に惹かれたんですね。
関さん:これは自分の私見ですが、もし、本気で社会課題に取り組んだり、社会をよくするための挑戦をする人たちが長野のまちにいてくれたら、もっと住みたいまちになるだろうなって思ったんです。まちがもっとでこぼこになるというか。多様性が生まれていく気がします。
いろんな社会課題と本気で向き合うためには、大企業が作る事業や行政による取り組みだけでなく、小さな個人の営みも含めた起業の在り方が増えた方が、そこに生活する人たちが自分の暮らす社会のことをもっと好きに好きなれるんじゃないかなって思います。
井上さん:起業をする人を増やすということって、そこに暮らす人が「自分が生きてる社会を好きだ」と思えるようになるための一つの手段なのかもしれないですね。そういう人がいっぱいいて、「この起業家の考えてることは、自分と合うな」、「この人が作ろうとしてる街っていいな」って思える人がいる街は、きっと住んでいて楽しいだろうなと心から思える。
井上さん:「起業したい人を支援し、手助けする」ことは、人間ひとりひとりの生き方の選択肢を増やすことになる。そう考えて「SHINKI」のプロジェクトを進めてきました。
ただ、今日改めてプロジェクトが目指してきたものを振り返ってみると、それだけじゃないようにも思えました。「起業する人を支援する」ということは、今までとは少しだけ違う今を生きる人の生き方の選択肢を増やすことに繋がる。起業する人たち本人だけじゃない、同じまちで暮らす人たちの未来にも影響を与えることなのかもしれないと思いますね。
まとめ
行政として起業を支える関さん、民間の立場から女性起業家を支援してきたさやかさん、起業家としてほかの起業家をどう応援できるか?を考えてきた井上さん。
三人が考えてきたのはきっと、「生き方の選択肢としての起業」というものをどう支えることができるのか。
その命題は長野県だけのものではなく、日本のどの地域でも考えることができるものなのではないでしょうか。
『SHINKI』では、長野県での創業支援にまつわる情報発信や、起業相談などの支援を行っていきます。事業を作って成長したい人も、生き方の一つとして起業という手段を使ってみたいと考える人も、ぜひアクセスしてください。
〇信州で起業する人のためのポータルサイトSHINKI https://shinki-shinshu.jp/
〇長野県の創業支援拠点「信州スタートアップステーション」 https://shinki-shinshu.jp/sss/
〇女性起業支援特設ページ「SOU」 https://shinki-shinshu.jp/sou/