長野信用金庫の支援で実現する「スモールビジネス成長記」
県内全エリア

起業・創業支援を行う信州スタートアップステーションでは、この度北信地方を中心に様々な創業支援施策を展開される長野信用金庫様とともにスモールビジネスに関するセミナーを開催いたします。地域でのビジネスに興味関心がある皆様、是非ともご参加ください!!
【タイムスケジュール】
12:00-12:05 講師ご紹介
12:05-12:15 長野信用金庫 支援メニュー等のご紹介
12:15-12:30 起業家体験談のご紹介
12:30-12:50 3者対談(起業家・長野信用金庫・SSS)
12:50-13:00 Q&A
【お申込み】
https://zoom.us/webinar/register/WN_4oA-sz8QT6anFLNTiqN3Hg
【対象者】
県内の起業家、起業をお考えの方、支援機関の方等
【登壇者】
●漢方薬局 弓と糸
ゲストハウス 弓と糸 代表 薬剤師・国際中医師
吉田 和人氏
●長野信用金庫 地域みらい応援部 地域みらい応援グループ兼
地方創生支援グループ 主任調査役 下平 満範氏
●ファシリテーター:SSS 森山
Hello!3biz 小商い 体験ワークショップ~好きなことから地域にいい仕事をつくる~
県内全エリア

■全国で広がる「小商い」アクションを体験しませんか?
小商いは、自分の「好き」から始める小さな仕事づくり。自分ならではのアイデア、仕事、趣味、子育ての経験を全部活かして、自分も家族も地域も幸せになる新しい働き方です。
等身大の自分でOK! 現在全国24ヶ所、600名以上に広がるムーブメント!!
あなたも好きを活かして仕事をつくってみませんか?
■イベント概要
<日 時> 2025年3月9日(日) 13:00-15:30
<会 場> シソーラス株式会社 長野市鶴賀権堂町2312-1※会場に駐車場はございません。近隣の有料駐車場をご利用ください。
<定 員> 20名(先着順)
<参加費> 無料
<対 象> どなた様も参加OK、お子様連れもOKです(申し込みフォームでの注意点をご確認ください)
<申込み> https://forms.gle/NRaz2BAvDo1HKVuX9
■講師紹介
大平香織
Hello! 3biz 小商い代表、国家資格キャリアコンサルタント
新卒から、転職•就職支援事業に携わり、2019年秋に長野への移住をきっかけに地域で自分の仕事をつくるため
「月3万円ビジネス」著者藤村先生主宰「自立共生塾」
及びわたしごとJAPAN運用トレーニングを受講し、
2021年「Hello!3biz 小商い」を立ち上げ、約30名の小商いをづくりをサポート。
2児(小4,小5)の母。小布施町在住。
■ワークショップ内容
小商いとは?(レクチャー)
体験ワークショップ
卒業生の体験談
交流会(※希望される方と16時まで)
■こんな方におすすめ
いつかは「好き」をしごとにしたい
自分も家族も大切にしたい
特技や趣味を生かして役に立ちたい
応援しあえる仲間が欲しい
地域にいいことをしたい
長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「『現状維持はゆるやかな腐敗』だと思っているので、とにかく常に変化していきたいです。その点、長野はそれができる環境だと思うんです。日々暮らしているだけで、誰かと話したいアイディアや、やりたいことがどんどん出てくる」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザイン制作の実務経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いデザイン制作を手がけています。2024年には、デザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」をオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
長野のコミュニティでクリエイターの仲間が出来た

――インタビュー前編では、デザイナーになった経緯や長野移住を決めた理由をお聞きしました。具体的には、独立に向けてどのようなステップを踏んだのでしょうか。
ランサーズやクラウドワークスなどに登録して片っ端から案件を探しました。それから、意外と効果があったのが転職サイトの求人です。デザイナーの募集を探しては応募をして、面接の中で「実は独立を考えていて。スポット的に業務委託のお仕事があればいただけせんか?」と営業をかけたんですよ。
そうしたら、本当にそのうちの5社くらいが「チラシの作成を一件だけお願いしたいんですが」と単発の依頼をくれるようになって。仕事には困らなそうだぞ、と手ごたえが得られました。そこで、娘が一歳になるタイミングで会社を辞めて長野に移住し、フリーランスのデザイナーとして独立した形です。
――本格的に移住を検討し始める前から、独立に向けた地盤はすでに固めてあったのですね。

とはいえ、もちろん最初は不安でしたよ。長野に来てからは、独立前よりさらに必死こいて仕事をしていましたね。自分は、インドを旅した経験から「一日100円生活でも死なない」と思っていましたし、妻も妻で「大丈夫でしょ!」とポジティブに構えていましたが、まだ一歳の娘を食わせて育てていかないといけないという責任感がありました。
――移住後、長野での仕事はどのように増えていきましたか?
妻の地元とはいえ、最初はほとんど友人も知人もいないまったくのゼロからのスタートでしたが、妻の友人が長野市の「MADO」という場所でコミュニティーオーガナイザーをしていて。移住直後にそこに所属できたことが大きかったと思います。そこで出会った人たちがきっかけで県内の仕事も増えてきたし、クリエイター同士のつながりも増えました。
――関東にいたころは、クリエイター職の同業者との関わりはありましたか?

関東の会社でデザインの仕事をしていた頃は、クリエイター職どころかデザイナーの友人や知り合いが一人もいなかったんですよ。長野に来てからは、「これどうやって作ったの?」とか、「どこからインスピレーションをもらったの?」とか、いいアイディアが浮かぶお散歩ルートを教えてもらうなど、同業者と意見交換が出来るのが新鮮ですね。
やり尽くされていない余白に面白みがある

――ほかにも、長野に来てから仕事の面での変化はありましたか?
長野に来たばかりの頃、ちょっと不思議だったことが一つあって。長野の人たちって、いわゆる「ゆるふわ」なデザインが好きな気がするんです。手書き風のフォントだったり、ラフな線画のイラストだったり。もちろんそういうデザインもすごく素敵なんですが、おれはグラフィック的なデザインが好きなので、「こういうのどうですか?」という気持ちで提案をしてみると、「これもいいね」と結構受け入れてもらえて。
――自分のスタイルを提案する余白があると。

そうそう。長野はまだやり尽くされていない感じが好きですね。可能性があるというか。
都会だと、やり尽くされたうえで「もっと新しいものを」「もっとバズるものを」という方向になるんですが、長野ではまっさらなところから提案ができる。
――もともと在宅でお仕事をされており、「MADO」も仕事場として利用されていたところから、事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたのはどうしてですか?

バックパッカーをしていた頃から、自分の居場所が欲しかったんです。今でも旅人気質な部分があるので、いろいろなところに行きたくなるんですが、居場所が一つあればどこへ行ってもまたそこへ帰っていける。セーブポイントみたいな感じかな。だから、ゆくゆくは国内外問わずいろんな拠点を作りたいと思っています。その第一歩として、まずは長野で始めてみようかと。
ただの事務所ではなくポスターショップという形にしたのは、好きなものを好きに作りたくなってきたからです。クライアントワークばかりしていると段々「俺って何が好きなんだっけ?」と自分がわからなくなってくるんですよ。「こういうものを作りたい」と思っても、先方の要望と合わずに形にできないことも多い。でも、自分で発信する場が一つあれば、仕事をする中で積み重ねてきた「作りたい!」という欲を発散できるなと。
――なるほど、ここに落ち着くためではなく、いろいろな場所にいくために拠点を持つということですね。

それから、やっぱり一番は娘のためですね。俺の居場所があればあるほど、娘にもいろいろな選択肢を提供できるし、そこに集まる仲間たちとも出会える。自分の娘に限らず、子供たちのためにも居場所をたくさん作れば、「こっちが駄目でもこっちがある」と、より良い未来に向かっていくんじゃないかな。
家族や仲間を巻き込んで、常に変化し続けたい

――今後挑戦してみたいことや、展望について教えてください。
今はアートに興味があります。今はまだポスターだけですが、2次元にとどまらなくてもいいのかなと。もっと自分の作品を増やしていきたいですね。それから、居場所づくりをしたいし、宿の事業もやってみたい。自分にとって居心地の良い場所をたくさんつくっていきたいです。
「現状維持はゆるやかな腐敗」だと思っているので、とにかく常に変化していきたいです。その点、長野はそれができる環境だと思うんです。日々暮らしているだけで、誰かと話したいアイディアや、やりたいことがどんどん出てくるというか。法人化して一年が経ち、これからは売り上げを立てつつもどんどんやりたいことをやれる段階に入っていくと思います。家族や仕事仲間、友達を巻き込んで、いろいろ新しいことを企みたいですね。
――最後に、長野での起業を考えている人へのメッセージをお願いします。

やりたいことで食えるようになるって、意外ときつい。「本当にやりたいこと」と、「他の人から求められること」が一致するとは限らないし、やりたいことで食えるようになるためには、お金と時間と労力への投資が必要です。だからおれは、とりあえず食えることから始めるのもいいと思っています。
おれも、肉体労働をしていた時やレジャーホテルのデザインをしていた時は「何やってんだろ」と思ってしまう瞬間もありました。でも、「やりたいこと」と180度違う経験だって、「そういえば、あの時のあれが今ここで活きてるのか」とあとから気づく時があるはず。
だから、まずは今の自分に出来ることでお金を作るところから。お金ができてくると時間が生まれて、時間が生まれると労力を割ける。苦労しろと言いたいわけではないですが、徐々にシフトしていくというやり方もあります。たとえば、おれが今しているデザインの仕事は、自分が見たものや経験したことがそのまま仕事に落とし込めると思うんですよ。旅をしてきた自分、ピザを焼いていた自分、肉体労働をした自分と、いろんな自分がいて、点がたくさんあるからこそ、その分だけ面が広くなる。無駄なことは何一つないはずです。
VINash Desighのinstagram
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POPPHAのinstagram
長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「長野にいると、自分の中に新しい風が吹くことを直感しました。長野に数週間滞在している間、とにかく脳みそが活性化しちゃって。インスピレーションや創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザインの経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いジャンルでのデザインを手がけています。2024年には、長野で出会ったデザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を長野駅前にオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー前編では、デザインの仕事を始めたきっかけ、独立を考え始めた経緯と長野との出会いについてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
ジャンルや作風に囚われず、自由なデザインを展開

――まずはVINash Desighの事業内容について教えてください。
VINash Desighは、長野市を拠点に置くデザイン事務所です。2022年に家族で長野に移住したことを機に前職から独立し、2024年の春に事業規模拡大のために法人化を果たしました。
現在メインで行っているのは、WEBデザインやWEBサイトのコーディング、それからグラフィックデザインです。ほかにも、店舗やブランドのロゴのデザイン、チラシやポスターの制作、自分で手を動かしてお店の看板を作るなど施工まで担当することもあります。
自治体の観光誘致のためのプロモーション施策をコンセプトの設定から制作までのトータルブランディングを任していただくこともありますし、大手スポーツブランドの新商品発売に向けて、ブランドコンセプトに則ったキービジュアルを作ることもあります。2024年から、デザイナー仲間の吉澤尚輝(よしざわ・なおき)と事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたので、店内や家に飾るポスターを作ってほしいという依頼もあります。ジャンルや媒体にこだわらず、手広く仕事をさせていただいていますね。
――ご自身の中では、「こういう仕事を受けたい」などの基準はあるのでしょうか。

デザイナーとして独立してからは、まず自分が「やりたい!」と思う依頼を受けるようにしています。基本的に、デザイナーの仕事というのは、自分というフィルターはあまり通さずに、クライアントが欲しいものを作り上げる仕事だと思うんですが、おれの場合は自分のフィルターを一枚通せるような仕事を選びがちですね。おかげで最近は「VINash Desighが作るものを見てみたい」という依頼が増えてきて、とてもありがたいです。
ただ、食っていくためには、そういう仕事だけではまだやっていけません。しっかりと硬い仕事もしつつ、自分にとって面白い仕事の比重を増やしていきたいですね。
――長野の仕事で特に印象に残ってるものはありますか?

長野の老舗七味メーカーである八幡屋磯五郎さんの100周年記念ホームページを作る仕事は面白かったですね。正直、「きっとお堅いんだろうな」と最初の打ち合わせに臨んだら、一言目に「若者の新しい風を入れたい」と言っていただいて、これは面白くなりそうだなと。
いただいたお題は、「八幡屋磯五郎が元々持っているブランドイメージを崩さずに、同時に新しい雰囲気を打ち出すこと」。それってかなり難しいじゃないですか。でもおれ、意外と無理難題を言われるのは嫌いじゃないんです。「こういうことをしてみたい」という先方の意見を聞きつつ、「じゃあこういうデザインはどうですか」とポジティブな議論を重ねてアイディアを研磨して、形にしていくのはとても楽しかったですね。
職業訓練校がきっかけでデザインの道へ

――デザイナーとして独立するまでのキャリアを教えてください。
もともとデザインの勉強をしていたわけではなくて。大学を卒業した直後は、バックパッカーとして世界を放浪していました。そのためにはまとまったお金を貯めないといけなかったので、とにかくいろんな職業を転々としていましたね。朝から引っ越し屋さんのバイトをして、日中はピザ屋さんでピザ生地をこねて、夜はバーで働いていた時期もあります。一番長くやっていたのは鉄筋屋さんの仕事で、工事現場で鉄筋を担いで運んでコンクリートを流し固めて、基礎工事をする仕事をしていました。
若い頃はそんな働き方で平気だったんですが、20代後半になってからだんだんいろんな体の部位を痛め始めたんです。「いずれ肉体労働では食えなくなるかもしれない」と思い始めた頃に、将来を考えたい彼女が出来て。「これは食いぶちをちゃんと作らなきゃいけないぞ」と、とりあえずハローワークに行ってみたんですよ。そこで、職業訓練校のデザイナーコースを紹介されたんです。「お金をもらいながら勉強が出来て、就職先まで斡旋してもらえるなんて最強じゃん!」と思い、勉強を始めたのがデザイナーとしての出発点ですね。
――職業訓練校がデザインの道に進むきっかけだったのですね。

きっかけはたまたまでしたが、勉強しながらとにかく自分でいろいろ作るうちに「これは楽しいぞ」と。でも、いざ就職しようと思ったら、デザイナーの募集はだいたい最低2年間の実務経験が必要なところが多くて応募すらできず、結局ハローワークを通さずにアルバイトから入って実務経験を積めるような会社を自分で探したんです。
そうしたら、運よくアルバイトから採用してくれる会社を見つけて、初めて会社員になりました。そこが、レジャーホテルをいくつも運営している会社だったんです。当時社内にはデザイナーが一人もおらず、おれ一人でホテルの看板やロゴ、店内のポップ、レンタル品やフードのメニュー、壁紙まで全部自分で一からデザインをしました。
写真素材がなければ自分で撮影をして各店舗の雰囲気に会わせてレタッチをしましたし、それぞれの店舗ごとに違う業者さんとやりとりをして、看板の設置を手伝ったり、理想の壁紙がなければ自分で壁を塗ったこともあります。もうなんでもやりましたね。
――デザイナーとして駆け出しのころから、あらゆる経験が積めたのですね。
今はミニマルなデザインがかっこいいとされていますが、実はああいうレジャーホテルのようなガチャガチャしたデザインは、情報量が多い分だけ実はすごく緻密に計算されているんです。そういうところから叩き上げてきたことが今の自分の仕事の幅の広さにつながっているんじゃないかな。
それから、まだまだアナログな部分も多い業界だったので、自分なりに色々調べてDXを進めたり、古いままのホームページを一から作り変えたりもしました。コーディングの腕はそこでかなり鍛えられましたね。
今思えば、デザイナーなりたての頃にブランディングからデザイン、施工にコーデイングまで一人で全部担当させてもらえたのはすごい経験だったと思います。トータルで40店舗くらい自分が担当したんじゃないかな。キャリアのファーストステップとしては、大正解の就職先だったなと思っています。
長野の自然に触れて、インスピレーションが沸いてきた

――そこから長野での独立に至るまではどんな経緯が?
デザインの仕事に慣れてきた頃にコロナが始まったんです。会社がフルリモートに切り替わったので在宅で仕事をしていたら、なんだか飽きてきちゃって。「これ以上ガチャガチャしたデザインをやりたくないな」と、転職か独立を考え始めたタイミングで娘が生まれたんです。妻の実家が長野県の飯山市だったので、里帰り出産のために俺も長野について行って。
ただ、当時はコロナの影響で、越県したら二週間隔離期間を置かないといけなかったので、知り合いが所有していた中野市の古民家に住まわせてもらったんです。そこで、「長野やばいな、いいな」と直感して。
――どんなところに良さを感じたのですか?
長野は、ちょっと外に出れば自然があって、日常の中で山が見える。それがすごく最高ですね。おれは、ただ座っていてもデザインやグラフィックのアイディアはあんまり浮かんでこなくて。どちらかというと、息抜きで気がゆるんだ瞬間に出てくるパターンが多いんです。それに、誰かが作ったものよりも、自然物からインスピレーションをもらう方が楽しくて。
それから、関東にいた頃と同じように在宅で仕事をしているはずなのに長野では時間がすごくゆっくり流れていくように感じたんです。仕事の気分転換にふらっと散歩に出られるし、気軽に温泉でリフレッシュしたり、まだ外が明るいうちからベランダに出て遠くの山を見ながら夕飯を食べたり、なんて豊かなんだろうと。ある日、仕事がある程度一段落ついたと思って外をぶらりと散歩してたら、あたりが暗くなってきて。何かが光ってるなと思ってよく見たら蛍だったんですよ!おれ、人生で初めて蛍を見て。
そんなことを繰り返していたら、とにかく脳みそが活性化しちゃって。創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです、「長野は自分にいろいろとインスピレーションをくれる、自分の中に新しい風が吹く」と直感しました。
――長野なら、環境から受けるインスピレーションが仕事に活かせそうだと。もともと、地方への移住は考えていたのでしょうか。

妻から「田舎で暮らすのはすごくいいよ」とよく聞いていたので、選択肢の一つではありました。俺は関東で生まれ育ちましたが、若い頃はインドの僻地で暮らしていたこともあるし、都会にずっといたいという気持ちも特になくて。いずれは地方で暮らすのも面白そうだなと。
ただ、デザイナーとしての自分のキャリアを考えたときに、次は制作系の会社やデザイン会社に入ってステップアップした方がいいのかなと思っていたので、そういう会社が多いところとなるとやっぱりまだしばらくは首都圏なのかなと考えていました。でも、いざ長野で数週間暮らしてみたら、「こっちのほうがいいな」と確信したんです。そこで、本格的に移住と独立に向けて動き始めました。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
VINash Desighのinstagram
Vinash Jeweiryのinstagram
POPPHAのinstagram
【SSWコラム】なぜ私たちは「リーダーをやります!」と手を挙げられないのか。
県内全エリア

「リーダーを目指しませんか」「リーダーやりませんか」そんな声をかけられたとき、あなたはどんな反応をしますか?「まだ早いかも」「他の人の方が向いているかも」と、つい後ずさりしてしまう——。実は、長野県内で多くの女性たちが同じような思いを抱えています。でも、その悩みや躊躇いには、きちんとした理由があるんです。今回は、私たちが「リーダーをやる!」と手を挙げられない理由と、その解決策について考えてみたいと思います。
【「完璧にできる自信がない」という呪縛】
私たちの多くは、リーダーになるためには「すべてを完璧にこなせる人」でなければならないと思い込みがちです。既存の管理職やリーダーを見ていると、何でも知っていて、すべてをこなしている・・・ように見えるかもしれないです。でも、実際のリーダーたちをよくよく見てみると、必ずしもすべての面で完璧な人はいません。むしろ、「分からないことは周りに聞く」「メンバーの得意分野を活かす」といったマネジメント力で組織を動かしています。
【ワークライフバランスへの不安】
リーダー候補の女性とのキャリアカウンセリングの中では、「リーダーになったら、今以上に仕事が増える」「家庭との両立が難しくなる」という不安の声が多く上がります。特に、将来の結婚や出産を考えると、リーダー職との両立をイメージしづらく感じるのではないでしょうか。「残業が増える」「休日出勤が当たり前になる」という不安が、リーダー職への挑戦を躊躇させる大きな要因になっていることは否めません。しかし、実はリーダーになることで、むしろ自分で仕事の調整がしやすくなったり、組織の働き方を変える立場になれたりもします。
【身近なロールモデルの不在】
長野県内に限らず、どの職場にも現段階ではまだまだ女性リーダーが少なく、具体的なキャリアパスが見えにくい状況の組織が多いと感じます。その場合は「どうやってリーダーになっていけばいいのか」「リーダーになった後、どんな働き方ができるのか」というイメージが湧かず、不安が先行してしまうのはしょうがないことです。身近にロールモデルがいないことで、具体的なキャリアパスが描けないという声もよく聞きます。しかし、これは裏を返せば、あなたが新しいロールモデルになれるチャンスでもあります。ロールモデルがいないがゆえ、体育会系の厳しいリーダーシップが、唯一の正解だと思い込んでいませんか?実は、共感力や細やかな気配りといった、私たち女性が得意とする特性も、現代のビジネスでは重要なリーダーシップスキルとして評価されています。
◼︎一歩を踏み出すための解決策。
【「できること」から始める】
完璧を目指さず、まずは自分の得意分野を活かせる小さなリーダーシップの機会から始めましょう。チームの強みを活かし、苦手な部分は周りに相談しながら進めていけばいいのです。プロジェクトリーダーや係のまとめ役など、身近な小規模な経験を重ねることで手触り感や、「自分にもできるかも!」という自信が育っていきます。
【新しい働き方を創り出す】
リーダーになることで、むしろ仕事の調整がしやすくなることも。会議の効率化や業務の優先順位付けなど、チーム全体の働き方を改善できる立場になれます。ICTツールの活用や柔軟な勤務体制の導入など、自分らしい働き方を提案していくなど、既存の働き方にとらわれず、新しい働き方を会社に提案、組織作りをして行くことを目指してみましょう。あなたのチャレンジが自分や後輩たちの未来の幸せな働き方につながるイメージをもってみてください。
【ネットワークを広げる】
社内外の女性リーダーとの接点を意識的に作りましょう。メンター制度があれば積極的に活用し、なければ勉強会やセミナーに参加するのもいいでしょう。同じような立場の仲間と悩みや経験を共有することで、具体的なヒントが得られます。自分の悩みは誰かの悩みであり、もしかしたら誰かはもう解決している悩みだったりします。また、誰かの悩みをあなたはもう解決できていたりするかもしれません。ネットワークを広げることで素敵なロールモデルに出会え、あなた自身も次世代のロールモデルになれるという経験もできると思います。
◼︎最後に
完璧なリーダーになる必要はありません。むしろ、自分の弱みを認識し、それを補うためにチームの力を借りられる人の方が、より良いリーダーになれます。まずは「やってみたい」という気持ちを大切に、小さな一歩を踏み出してみることが大切です。
あなたのチャレンジが、次世代の女性たちの道を開くことにもなります。自分らしいリーダーシップのスタイルを見つけ、新しいロールモデルとなることで、あなたの職場はより多様で活力のある場所になっていくはず。そしてあなたのキャリアもより幅広くワクワクしたものに変わっていくと信じています。
フリーランスで働くって?~先輩フリーランスに聞く!自分らしい働き方を考えるヒントとは〜
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独立して、自分の名前で仕事したい女性、集合!フリーランスとして、長野県ではたらくってどんな感じ?
仕事の取り方、自分時間の確保や育児との両立方法、はたまた旧姓でいくか、新姓でいくか・・地味〜に直面する課題などなど、女性が地域でフリーランスとして働くことに際して、知りたいと思うトピックはたくさんありますが、そのリアルな体験談やプロセスを、他のフリーランスの人たちと(女性や男性、それ以外にもさまざまジェンダーの人たちも含めて)話す機会はなかなか少ないと思います。
今回のイベントでは、実際に長野に移住して、フリーランスとなった二人のゲストをお迎えします。一人はゼネラリスト型ではたらく安井奈緒子さん、もう一人はライターやデザインなどスペシャリスト型としてはたらく岩井美咲さん。それぞれ、働き方のタイプが異なるお二人が実体験をベースに、どのように地域でなりわいをつくっていったのか、参加者の皆さんと一緒に紐解いていきたいと思います。
男性の参加も大歓迎。ふるってご参加ください。
■基本情報
イベント日時: 2月26日水曜 12:00-13:30
開催場所: シビック・イノベーション拠点スナバ
参加費: 無料
※申し込みはこちらからお願いします!
https://forms.gle/HfxqPsQfLuN6fxrr5
※イベント終了後、30分程度残ってお話されるのも大丈夫です。
■ゲスト①安井奈緒子さん
Officeモモンガ 代表
「自分らしく生きる働く」実践家。
埼玉県出身、2023年秋に長野県松本市へIターン移住。約10年間、国内外のITベンチャー・スタートアップ企業で、事業開発に従事。ライドシェア事業や大手ライブ配信プラットフォームの事業推進・マネジメントなどに携わる。移住と同時に独立し、フリーランスとして、長野県内の事業ディレクション・マーケティング支援を行う。
自身も「移住×育児×キャリアの再構築」を経験中。
2025年1月、女性起業家育成プログラム「Project:F」1期生に採択。
「ビジョンを現実にする行動力」をモットーに、長野県で自分らしく働きたい女性たちとともに、新しいキャリアの形を模索中。
温泉と釣りが好き(渓流釣りにトライしたい)/明治大学経営学部卒/1990年生まれのアラサー
X(旧Twitter) @naokoyasui_
■MC&ゲスト②岩井美咲さん
Kobu Productions代表
シビック・イノベーション拠点スナバ 運営チーム/長野県特化型求人メディア「ながの人事室」編集長/Podcast『自然派ワイン収集癖』共同MC
東京生まれ・横浜育ち。幼少期から水泳・空手・陸上・バレーボールを行うスポ魂系。新卒でImpact HUB Tokyo(株式会社Hub Tokyo)に参画し、起業家コミュニティの運営と事業伴走を行う。2018年からスナバ(塩尻市)の立ち上げに尽力。2020年11月に塩尻市にIターン移住、同時期にフリーランスとして独立。「それぞれの個性を鼓舞する」をモットーに、現在はスナバの運営のほか、起業家の事業伴走プログラムのや高校生への起業家教育プログラムの運営、ブランドの立ち上げ支援やライティング、編集業などを行なっている。
学ぶことが好き(現在はフランス語&グラフィックデザイン勉強中)/読書から筋トレまで、基本はインドア派(断然猫派)/大学時代の専攻は異文化コミュニケーション研究
#30 Biotope PICKs 【マイプロ2025 – ビジネスの話をしよう】
県内全エリア

長野発!働く女性が仲間を作れる新しい場”Biotope”(ビオトープ)。
仕事以外の場所で、趣味で繋がる、想いで繋がる、今の自分にもう一つ、
好きなことを、一緒にできる、そんな仲間と出会える場所。
働く女性が誰でも参加できる交流会in長野です。
マイプロ2025 – ビジネスの話をしよう
Biotopeのまわりには、自身の事業を始めた人、始めようとしている人、副業やプロボノとして
まずは小さくビジネスを始めた人、が多くいます。そして彼女たちは口々にこういうのです。
「まじめにビジネスの話ができる仲間がほしい!」
そこで、今回のPICKsは、自身の事業やプロジェクトをはじめたひと、これからはじめたい人が
それぞれの事業のことを共有しあい、意見交換をおこなうことで、新たな刺激やヒントを得たりできる、
ゆるやかなビジネスネットワークの場になります。
◾️こんな方にオススメ
・(副業・専業を問わず)自分でやりたい事業やプロジェクトを考えている方
・ビジネスの話をする仲間が欲しい個人事業主や経営者
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【開催日時】2025年2月14日(金)19:30 (19:00受付) -21:00 終了
【会場】 シソーラス株式会社[DX center 長野市鶴賀権堂町2312−1]
【参加費】 無料
【定員】 20名(お申し込み:https://biotopesou.peatix.com/)
※お車の方は、お近くのコインパーキングをご利用ください
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◾️プログラム
・イントロダクション
・オープニングトーク
・インスピレーショントーク
└起業した経営者や個人事業主3~4人がMy businessをピッチ
・グループトーク
└グループになって自身の事業アイデアを共有し合う
・クロージング
【SSSW コラム】起業創業・キャリア相談窓口に訪れる女性たちの本音 ”ちゃんと”したい呪縛と幸福な働き方を考えてみる
県内全エリア
【相談窓口に訪れる女性たちの悩み】
信州スタートアップステーションには、地域のキャリアを考える多くの女性が起業やキャリアについて相談窓口を訪れています。その中でも特に目立つのが、管理職や起業家など「優秀」と評価される女性たちの悩み相談です。「仕事を他人に任せられない」「やるからにはちゃんとしないと」という思いにとらわれてしんどさを抱えてる方も多く、その結果、心身ともに疲弊し、いつしか燃え尽き症候群に陥ってしまうケースも少なくありません。
【なぜ「優秀」な女性ほど人に仕事を任せられないのか】
長野は忍耐力の高い県と言われていますが、その忍耐力が高い地域の中で”優秀”と言われ育ってきた女性ほど、プレイヤーとして成果を出す一方で、「他人に迷惑をかけたくない」「自分がやった方が早い」と考え、仕事を抱え込みやすい傾向があります。これは、幼いころから言われ続けてきた”ちゃんとしないと”と植え付けられた真面目さ、責任感の強さや「失敗してはいけない」というプレッシャーが影響しているのではないかと感じています。
自身に高い基準を求めるあまり、その基準に当てはまらない後輩やチームメンバーの働きに不安を覚え、仕事を任せられなかったり、任せてもマイクロマネジメントに陥ることもあります。しかし、これは自身の業務負荷が高り、部下やチームの成長機会を損ない、頑張っているのに成果が出ない、評価されないなどの悪循環につながってしまうことも。
【完璧主義と燃え尽き症候群のリスク】
責任感高く、完璧を目指して仕事をすると、一見すると仕事への情熱や成果に繋がるように思えますが(実際にプレイヤーとしては高い成果をあげますが)、すべてを完璧にこなそうとすることで、マネジメントとして業務の幅が広がるとキャパオーバーになってしまったり、心身の余裕を失い、長時間労働や過度なストレスに繋がってしまい、達成感を得るどころか、「十分にやりきった」と感じられない虚無感に陥ることもあります。また、自身の力の及ばなさに自己肯定感や自己効力感が下がってしまい、いわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状態になり、健康を害するだけでなく、キャリアを続ける意欲そのものが損なわれる可能性もあります。
【幸福に働き、活躍できるためのヒント】
女性管理職や起業家が幸福に働き活躍するためには?幸福に軽やかに活躍している先輩たちはどうしているのか?そこからヒントを探りたいと思います。
●人に任せてみる”小さな成功体験”を
チームや後輩、他の人に仕事を任せることは、自分だけでなく実はチーム全体の成長に繋がります。また、任せる際には、期待値を明確にし、信頼を前提に、任せる側のあなたにとっても任せられる側にとっても、小さな成功体験を積み重ねることが大切です。
●完璧主義を一旦手放そう
「100点を目指さず、まずは60-70点でOK」とする考え方を取り入れましょう。完璧を追い求めずとも、結果として良いチームができ、良い成果が得られるケースが実は多いのです。
●セルフケアは大事!
自分自身の心身を大切にできていますか。自分のココロと身体がしんどい状態で任せるのは至難の業です。長野の自然環境を楽しみながら発酵食品で体内きれいにして森林浴をして沢山眠り、心身のバランスを保ちつつ、上の2つのポイントを実践しましょう。
【地域の女性の幸せなキャリアを築く】
「優秀さ」とはすべてを自分で抱え込むことではありません。他人と協力しながら柔軟に働き、自分自身を大切にすることで、持続可能なキャリアを築くことができます。
長野県では、起業創業やキャリア支援を目的とした相談窓口を設け、こうした悩みを抱える女性たちを全力でサポートしています。一人で悩まず、ぜひ専門家に相談してみてください。
【SSSW コラム】母親に新たな選択肢を!起業というキャリアの形
県内全エリア

育児期の女性にとって、仕事と家庭の両立は大きな挑戦です。子どもの成長を見守りながら、自分自身のキャリアも諦めたくないという思いを抱えている方も多いでしょう。その中で、選択肢の一つとして「起業」が注目されています。
起業と聞くと、「特別なスキルが必要なのでは?」「リスクが高そう」といったイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、起業の形は多様化しており、大規模なビジネスを立ち上げるだけでなく、自分の得意分野や趣味を活かした小規模なビジネスを始めることも可能です。特に、デジタルツールやオンラインプラットフォームの普及により、自宅からでも多くの人にアクセスできる環境が整っています。
例えば、趣味で始めたハンドメイドのアクセサリー販売や、育児経験を活かしたオンライン講座、ライティングやデザインなどのスキルを活用したフリーランス活動など、育児中でも始めやすいビジネスがたくさんあります。また、こうした取り組みは収入面だけでなく、自分らしさを発揮できる場を得るという意味でも大きな価値があります。
もちろん、起業にはメリットだけでなく、リスクや課題もあります。しかし、最近では全国的にも女性起業家を支援するプログラムや、同じ境遇の仲間とつながれるコミュニティも増えています。こうした支援を活用すれば、安心してスタートを切ることができるでしょう。
育児期は忙しい毎日が続きますが、自分のキャリアを見つめ直す良いタイミングでもあります。起業はその選択肢の一つとして、自由で柔軟な働き方を実現する可能性を秘めています。まずは小さな一歩から始めてみませんか?新しい挑戦が、あなたの人生をより豊かにしてくれるかもしれません。
SOUの個別相談、いつでもお待ちしております!
地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「最終的には、この地域で育った子どもたちが『みみずやで働きたい』と履歴書を持ってきてくれたら、それが一つの結果だと思います。そうなったら『やっていてよかった』と心から思えるでしょうね」
そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。お二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三か月で創業を果たしました。
インタビュー後半では、お二人が地域に目を向けるようになった原点や、地域の未来を見据えた挑戦についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
株式会社みみずや
■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。
■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。
地域×農業の原体験が原動力に
――インタビュー前半では、所属していた会社との方向性の違いが創業を決意する理由になったとお話いただきました。改めて、お二人が地域や農業に目を向けるようになったきっかけを教えてください。

中條さん:私にとって原点は、実家の農業とその変化です。小学生の頃は、祖父の営む畑が親戚や地域の人たちが集まるコミュニティの場でした。でも祖父が年を取り、農地も縮小していく中で、いつしか「家族だけで大丈夫だよ」という雰囲気に変わっていったんです。その寂しさがずっと心に残っていました。
滝澤さん:私は、大学生のときに菅平の農家さんと関わった経験が転機でした。初めてその場で生のとうもろこしを食べたとき、衝撃的に美味しくて。長野県で育ちながらも、こうした農産物の魅力や、それを作る人たちの姿勢を全く知らなかった自分に驚きました。「こんな素晴らしいものが地元にあるのに、どうして長野の人は『仕事がない』と言って地元を離れるんだろう?」と疑問を持つようになったんです。
それ以来、地域の事業や農家さんと関わる中で、「地域には仕事がない」という固定観念が間違いだと気づきました。地域にある魅力や価値を深く知ることで、それを仕事に結び付ける可能性を確信するようになりました。それは「みみずや」の事業にもつながっています。
――前職で農業に関わる前から、それぞれ農業に関する原体験があったのですね。同じ思いを持っているとはいえ、友人同士での起業では意見がぶつかることはありませんか?

中條さん:意見がぶつかることはありますが、そのたびに「自分たちが目指しているものは何か」を確認しています。お互いの考え方を尊重しながら話し合えるのは、信頼関係があるからこそだと思います。それに、自然と役割分担ができているので、大きな衝突にはつながりません。
滝澤さん:全てのプロジェクトに二人とも関わっていますが、それぞれが得意な部分を補完し合うような形になっています。「これをやってくれ」と押し付けることはなく、むしろ「自分が進めた方がいい部分」を自然に任せ合っています。そうすることで、関係性がシンプルになり、事業全体がスムーズに進むんです。
中條さん:私たちの事業は多岐にわたっているので、各プロジェクトの特性に応じて柔軟に動く必要があります。それをお互いが理解しているから、基本的に大きな衝突はありません。それぞれのプロジェクトで担当が分かれていますが、全体のビジョンは一致している。そこが私たちの大きな強みだと思います。
地域の困りごと・相談ごとが仕事になっていく
――飯綱を選んだ理由や、独立直後の事業展開についてもお聞きしたいです。

滝澤さん:飯綱を選んだ一番のきっかけは、飯綱町の廃校を活用したフィットネスクラブ「Sent.」の事業ですね。元々この事業は、町が主導となり設備が整備され、当時、スポーツやアスリートというキーワードで飯綱町の事業を受託していた僕たちの前職の会社が、テナントとして入居し運営していくことになったんです。そこで、僕と中條が主に運営を担当していました。
しかし、もともと廃校になるような地域なので正直運営は厳しく、町から運営の補助を貰うという案もありました。ですが、そうなるとアイデンティティが薄れてしまう。自由に運営をしていくために、赤字でも自分たちで家賃を払って運営をしていくことを決めました。
中條さん:「Sent.」という名前には、地域の銭湯のように地域の人たちが定期的に出入りする場になるようにという思いが込められています。ただ運動に来るのではなく、誰かに会いに行きたくなるような場の設計を目指しました。結果、この場所が出来たことにより、僕たち自身が地域に入り込む一番のハブになりましたし、人の顔が見える地域で事業をやっていこうと思えるきっかけになりました。そこで、独立時は「Sent.」の事業と農業に関する事業をすべて前職から引き継ぎました。
――まったくゼロからの創業というよりは、会社から引き継げた事業もあったのですね。
滝澤さん:むしろ、僕たちがメインで関わっていた事業だったので僕たちが引き継がなければ終わってしまうものばかりだったんです。とはいえ、今思えば前職から引き継いだ事業だけではどう考えても赤字になるのに、それすらわかっていませんでした。会社としてのキャッシュフローの大変さは、独立してからわかりましたね。
中條さん:最初こそ赤字ではありましたが、スポーツをする場と農地を最初から手にすることができたのはその後の事業展開と地域への参入においてすごく効果的な切り口でした。
――事業を広げていく中で、新しい仕事はどのように生まれていったのでしょうか。
中條さん:私たちの強みは、相談内容に対して「こういう形で一緒に進めてみましょう」と具体的に提案し、その解決策を相手と一緒に作り上げることです。そのプロセスが信頼を生み出し、結果的に新しいプロジェクトや事業につながっています。
滝澤さん:ですから、私たちの場合いわゆる「営業活動」というものはしていません。ほとんどの事業は、地域の人々や行政からの相談がきっかけで生まれています。例えば、「この畑をどう活用したらいいか」「こんな課題を解決したい」といった声を聞く中で、自然と事業が形になっていくんです。
――相談から事業が生まれるのですね。ただ、すべてが利益につながるわけではないのでは?

滝澤:おっしゃる通りで、最初から利益を求めることはしません。例えば、地域の農家さんや行政から「これで困っているんだけど」と相談されたとき、「お金が出ないならできません」と断ってしまったら、そこで話が終わってしまいます。僕たちは、まずはその人や地域との関係性を築くことを優先します。その積み重ねで、最初は小さな相談だったものが、次第に事業として成立することが多いんです。
中條さん:私たちは行政と地域住民をつなぐ中間的な存在として動くことが得意なんです。行政は予算を持っていますが、それを活用する人材やアイデアが不足している。一方で、住民は課題を抱えていても、行政にどう相談すればいいかわからない。そんな両者をつなぐ役割を果たすことで、地域全体に貢献できていると思います。関係性を大事にしながら進めることで、地域の課題解決と事業成長を同時に実現していく。それがみみずやのスタイルですね。
地域の子どもたちが地域で夢を描ける存在になりたい
――みみずやとして、お二人がこれからやりたいことについて教えてください。

中條さん:地元の子どもたちが「あの会社で働きたい」と思えるような存在になりたいです。事業を通して関わっている小学生の子どもたちが、将来「みみずやで働くためにこんな勉強をしてきました」と履歴書を持ってきてくれたら、それだけで一つの結果が出たと言えるのかなと。もしそんな日が来たら、その日は洒落たバーで一人ウイスキーを飲むかもしれませんね。
滝澤さん:今のところ飯綱にはそんなバーはまだ無いんですけどね(笑)。地域の子どもたちが夢を持てる場を作るには、まず私たち自身がそのモデルになることが大切です。これからも、経済的価値だけでなく、文化的価値や人々のつながりといった価値も含めて幅広いものを生み出していきたいですね。
――みみずやの事業が巡り巡って、そんな場所が地域に増えていったらいいですね。

滝澤さん:それから、僕としてはこれまでみみずやの事業が続いてきたことは経済合理性だけでは説明できない部分があると考えていて。「のらりくらり続いている」部分をもっと掘り下げて言語化し、精度を上げていきたいです。私たちがやってきたことを明確にし、再現性のあるモデルとして伝えられるようになれば、「地域に仕事がない」という固定観念を変える一歩になるはずです。
中條さん:地域で仕事をしたい人が「ここならできる」と思える社会をつくりたいですね。経済的な仕組みだけではなく、文化や人々のつながりも含めて地域全体が循環する未来を目指しています。
――最後に、長野県での創業を目指す人へのメッセージがあれば教えてください。

中條さん:まずは「やってみる」ことが一番だと思います。何も知らないくらいの方が、勢いで飛び込めることもありますからね。ただ、私たちも経験した通り、創業には困難やリスクも多いです。その覚悟は必要です。
滝澤さん:そうですね。やる気満々で「創業します!」という人には、逆に「ここはちゃんと考えた?」と冷静にリスクを指摘してしまうこともあります。それでもそのリスクを乗り越えたいと思うなら、向かうべき道なんだと思います。
中條さん:もしかしたら、僕たちと一緒にやれることがあるかもしれません。地域でやってみたいことや相談したいことがあれば、まずは話を聞きますよ! 一緒に考えてみましょう。
株式会社みみずやのホームページ
地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「一つ大きかったのは、地域の現状を目の当たりにしたことですね。例えば、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見て、『自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない』という危機感がありました」
そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三ヶ月で創業を果たしました。
インタビュー前編では、地域と人をつなぐビジョンや、それぞれのキャリア、お二人が「みみずや」を立ち上げるまでの背景についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
株式会社みみずや
■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。
■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。
「みみず」のように地域を豊かにたがやす

――まずは株式会社みみずやの事業概要について教えてください。
中條さん:株式会社みみずや(以下、みみずや)は、飯綱町に拠点を置き、分野に囚われず結果的に地域課題を解決していく事業を展開しています。ビジョンとして「素直に生き、豊かさを紡いでいく」、そしてミッションとして「『みみず』のいる場が増える」を掲げています。みみずは、土を豊かにする循環の象徴でもあり、人々の心やコミュニティも同じように豊かにする存在です。この考えを軸に、地域資源を活用した事業を幅広く展開しています。
滝澤さん:もともとは私と中條の二人でスタートした会社ですが、設立から三期目を迎えた今、関わるメンバーが増え、それぞれが自分の得意分野を活かして事業を推進しています。これからはさらに仲間を増やし、地域の人々と一緒に事業を成長させていくフェーズに移行していきます。
――具体的にはどのような事業を行っているのですか?
中條さん:事業は大きく3つ、農業に関する事業と、地域に関する事業、そしてみみずに関する事業に分けられます。
まず、農業に関する事業では、有機栽培野菜の生産販売や、環境循環型農業資材の販売を行っています。ほかにも、例えば地域の遊休農地を活用し、さまざまなバックグラウンドを持つ方との「コラボファーム」という形で、農地を活用した新たなビジネスモデルも探索中です。
そのうちの一つが、元サッカー日本代表である石川直宏さんとコラボした「NAO’s FARM」です。アスリートをはじめとする多様な人々が畑に集まり、農業を通じたフラットなコミュニケーションから、自らのキャリアについて考えるきっかけづくりをおこなっています。
次に、地域に関する事業では、廃校をリノベーションしたフィットネスクラブ「Sent.」の運営を通じて、地域住民が健康維持と交流を楽しめる空間を提供しています。ほかにも、地域の企業と連携しながら、次世代の地域人材を育成するための取り組みも進めています。
最後のみみずに関する事業では、みみずを使って生ごみを土に還す「コミュニティコンポスト」を活用した地域循環デザインの構築や、飯綱町内外各地でみみずに関するワークショップを行っています。
――事業展開の幅広さに驚きました。「みみずや」が目指す方向性をもう少し詳しく教えてください。

滝澤さん:よくわからない会社ですよね(笑)。何をやっているのか一言で相談できないのが悩みです。僕のおばあちゃんは、僕が農家さんだと思っているくらいです。二人とも意味づけをするのが得意なので、相談事や依頼があったときにいい落としどころを見つけられるんです。だから、誰とでも協創ができますし、やることや手法には一切こだわっていないんです。結果として地域が良くなればいいと考えています。
中條さん:私たちは、事業を通じて地域課題を解決することを目指しています。そのため、課題に応じて柔軟に事業内容を変化させることを大切にしています。共通しているのは、「循環」と「つながり」という考え方です。『みみず』のように、環境や人々の間でのつながりを生み出し、それを持続可能な形で広げていくことが目標です。
キャリアの変遷の中で、「地域と向き合う仕事がしたい」という思いが芽生えた
――「みみずや」を立ち上げるまでのお二人のキャリアや、二人の出会いについて教えてください。

滝澤さん:私は1995年生まれ、長野県上田市出身です。子供の頃からドラえもんみたいなロボットが作りたくて、エンジニアを目指して長野工業高等専門学校(以下、高専)に進学しました。中條は、高専時代のサッカー部の先輩で、たまたま寮の同じフロアで生活をしていました。寮のお祭りの企画を一緒にしたこともあり、先輩後輩や友人関係というよりは、当時から仕事仲間みたいな付き合い方をしていましたね。卒業後も、定期的に会って話をしていました。
――エンジニアを目指していたところから、現在のみみずやの地域に関わる事業に至るまでは大きな違いがあるように感じます。どんな心境の変化があったのでしょうか。
滝澤さん:「ドラえもんを作りたい」というのは、「人の暮らしの役に立つ何かを作りたい」という思いが根っこにあったんです。ですが、高専で勉強をしていく中で、一体のロボットを作るには果てしない時間がかかるとわかって。そこで、自分にできることを考え直して、人の生活と密接に関わる素材について学ぼうと信州大学繊維学部に進学しました。
在学中に、アスリートのセカンドキャリア支援を通じて地域とつながる事業を展開している株式会社I.D.D.WORKSでインターンシップを行うようになったことから、「地元で楽しく暮らしたい」という思いが強くなりました。それと同時に、「仕事やお金」を理由に地元を離れる仲間が多い現実にも直面し、「地域やコミュニティに向き合う生き方」を真剣に考えるようになりました。
――中條さんのキャリアについても教えてください。

中條さん:私は1994年に長野県大町市で生まれ育ちました。自然の中で過ごす時間が多く、特に川遊びが大好きでした。その延長で、水やエネルギーに興味を持つようになり、高専に進学しました。高専卒業後は、関東の重電機器メーカーに就職し、発電所や変電所向けの機器開発に携わりました。
当時の自分は、出世や業務効率ばかりを考えていたのですが、2019年に起きた長野県の台風被害が大きな転機となりました。ボランティアで長野に戻ってきたら、私が関わった設備が水没し、一瞬で壊されている光景を目の当たりにしたんです。無力さを感じると同時に、相手の顔が見えないモノづくりを続けることへの疑問が湧いてきました。「もっと地域や自然、人とのつながりがもてる仕事をしたい」と思い、2020年に長野へ戻ることを決意しました。
滝澤さん:僕は、中條のような優秀な高専の卒業生が「仕事がないから」と長野を離れては、自分の仕事にモヤモヤしている状況にずっと違和感を感じていました。中條が当時の仕事に対して無力感を抱えていると聞き、僕が在籍していた会社の飯綱町の事業に誘いました。
中條さん:滝澤と一緒に、事業を通じて地域との関わりを深めていく中で、自分の情熱は「地域全体を巻き込んだ地域の活性化」にあることを再認識しました。
農業とどう向き合うか。会社との方向性の違いが独立の転機に

――お二人にとって、前職での経験が地域への思いを強くするきっかけとなったのですね。そこから二人での独立を選んだのはどうしてですか?
中條さん:前職では、アスリートのセカンドキャリア支援の一環として、農業を通じて地域とつながる活動をしていました。事業を通じて「地域にはまだ多くの可能性が眠っている」と感じる一方で、会社の主軸が「アスリート支援」に特化していたことから、もう少し広い視野で地域と関わりたいと思うようになりました。
滝澤さん:私も同様で、前職での経験を通じて、地域を豊かにするための多くの学びを得ました。だからこそ、より地域全体にアプローチしたいという思いが強くなりました。
――会社と社員という関係性の中で、会社の方向性に違和感を持つようになったのですね。そこから実際に二人で独立を決めるまではどのような経緯があったのでしょうか。

滝澤さん:2021年の9月から11月にかけて、社内で「今後事業をどうしていくか」という議論が始まったんです。その中で、自分たちが本当にやりたいことと会社全体の目指す方向性に違いがあることが明確になってきました。
中條さん:自分たちの軸は地域のあらゆる資源を活かした産業や人、仕組みづくりにあったので、この視点の違いが独立の決め手になりました。この視点の違いが独立の決め手になったんです。
――会社の目指す方向とは違う方向に進んでいきたくなったと。
滝澤さん:事業の方向性についての話し合いが行われたのは、年度末が近づいてきて仕事が区切られるタイミングだったので、「今を逃したら、また一年別の案件や仕事に追われてしまう」という感覚がありました。そこで「やるしかない」という結論に至りました。独立を決めてから実際に会社を設立するまでは約三ヶ月という短い期間で動きました。
中條さん:農業の現場に触れる機会が増えていく中で、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見ていたので、「自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない」という危機感がありました。それが創業を決意するきっかけになったと思います。
インタビュー後編では、実際に事業を引き継いで独立した後の手応えや、地域や農業に対する思い、今後の展望についてお聞きしました。
株式会社みみずやのホームページ
長野県ソーシャル・ビジネス創業支援金 オンライン事例報告会
県内全エリア
ソーシャル・ビジネス創業支援金の活用を希望される方等へ制度を広くお知らせするとともに、来年度以降の応募の参考にしていただくため、実際に支援金の採択を受けた方々に事業内容や制度活用のポイント等を発表していただきます。
また、ソーシャル・ビジネスの理解を深めていただく観点から第一人者による事例を交えての解説を行います。多くの皆様のご参加をお待ちしております。