一匹の犬との出会いが人生を変えた。犬とのよりよい暮らしを求めた移住が創業のきっかけに【後編】先輩起業家インタビューvol.11
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「僕はこれまで、自分が好きなことだけをやって生きてきたタイプなので、パートナーである朋ちゃんにも、人生をかけてわくわくできることを見つけてほしいと常日頃思っていました。彼女がやりたいことを見つけて、長野で実現するチャンスを得られたことをとてもうれしく思っています。」
そう語るのは、愛犬と家族の絆を深めるための複合施設「JAZZY DOG(ジャジードッグ)」をオープンした小林朋紀(こばやしともき)さんのパートナーである小林雅也(こばやしまさや)さん。一緒に夢を叶えるため、2023年に家族で神奈川県横須賀市から長野県長和町に移住してきました。
インタビュー後編では、長野移住を決めた経緯や創業の道のり、実際にサービスを始めてからの手ごたえと今後の展望について聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社JAZZY DOG 代表・小林朋紀さん
猟犬の保護犬を家族に迎えた事をきっかけに犬ついて学び始める。「命を放棄しない、させない社会づくり」を目指して自宅で保護犬を預かり、新しい家族に繋げる活動をする上で、新しい家族のもとで人も犬もより幸せになるためには、自分自身がより知識を深め成長する必要を感じ「スタディ・ドッグ・スクール認定ドッグトレーナー」「米国CCPDT認定ドッグトレーナー(CPDT-KA)」を取得。犬達が生き生きと走り回ってる姿に魅了され、自分も自然に身を置きたいと考え2023年より長野県小県郡長和町に移住。犬たちの自由と福祉を第一に考え、学び続けながら犬たちとの信頼関係を深めている。
犬たちのため、家族の夢のために長野への移住を決意
――インタビュー前編では、神奈川からの移住を考え始めた経緯をお聞きしました。犬たちにとってよりよい環境を求めての決断とはいえ、家族で拠点を移すことには抵抗がなかったですか?
雅也さん:僕はこれまで音楽の仕事をメインに場所を選ばない働き方をしていたので、拠点を移すことは問題ありませんでした。それに、これまでは僕のやりたいことに朋ちゃんがついてきてくれていたので、今度は朋ちゃんがやりたいことを一緒にやっていこうと。
朋紀さん:長男はちょうど全寮制の学校に入ったタイミングでした。次男は転校が必要でしたが、彼自身も小さいころから犬が好きだったので、「犬のためなんでしょう」と納得してくれました。
――中でも長野を選んだのはどうしてだったのでしょうか。
朋紀さん:場所を探す上で、自然が豊かな広い土地があること、季節問わず十分に外で遊ばせられるように夏は涼しく冬は雪が少ないことが理想でした。長野は涼しいイメージがあったので、本格的に移住を考え始めた時点で自然と候補に挙がりましたね。長野と言っても広いので、積雪が少なく涼しい東信エリアに絞り込んで探していきました。
雅也さん:その中でたまたま今の土地を見つけて。長和町は山奥だけれど、国道が通っていて岡谷インターからも近い。旅先でドッグランに困った人も気軽に立ち寄れるだろうと思い、即決しました。そこから本格的にどうやって移住をするのか考え始めました。
――まずは理想的な土地を見つけたのですね。そこから移住や創業はどのように進んでいったのでしょうか。
雅也さん:まずは、内閣府の移住創業支援のホームページを見つけました。そこから長野県の担当窓口に問い合わせをしたところ、担当の方がとても親身に話を聞いてくださって。さらに、僕たちの目指す犬との暮らしのあり方は地域課題解決につながる可能性があるため、「ソーシャル・ビジネス創業支援金」の制度が使えるかもしれないと教えていただいたんです。
朋紀さん:そこで調べてみたところ、長野県でもやはりブリーダーの崩壊や多頭飼育崩壊は問題になっていることがわかってきて。そういった問題を地域で解決していくためには、人々の犬に対する意識を変えていくための啓蒙活動が必要です。その一環として、まずは誰でも気軽に利用できて、収益化もしやすいドッグランを作ることから始めようと構想が固まってきました。
それまでは、ただ「長野で犬と暮らしたい」という思いで動いていましたが、そこで初めて「自分たちが何をやりたいのか、何を目指しているのか」を人に伝えていかないといけないんだと一気に現実味が増してきました。そこから本格的に事業計画をまとめ、県にプレゼンテーションを行って無事に採択していただき、移住と創業のチャンスを得ることが出来ました。
タイムリミットがある中、急ピッチで移住と開業を実現
――採択後は、具体的にどのように移住や事業化を進めたのでしょうか
朋紀さん:創業・移住の支援を受ける条件として、期限内に住民票を移して事業をスタートさせる必要がありました。保護犬活動を行うためのNPO法人と、ドッグランやドッグホテルの運営・チャリティーグッズの販売等で収益化を目指す株式会社をそれぞれ立ち上げ、とにかく急ピッチでドッグランの工事に取り掛かりました。
雅也さん:自分たちの住まいに関しては、大型犬の多頭飼育をしていたため賃貸は厳しいぞと。かといって、自分たちで土地を買って家を建てる時間もなかったので、まずは空き家バンクを探して、たまたま山の中にぽつんとした一軒家を見つけたんです。オンボロだったけれど、直せばなんとか住めそうだったのでそこを買い取り、ドッグランの工事と並行して約一か月間神奈川から長野に通い、DIYで改修しました。
――時間的なリミットがある中での急発進だったのですね。
朋紀さん:はい。今思えば、一気に進めることが出来たのでリミットがあってよかったです。それから、「ソーシャル・ビジネス創業支援金」事業の一環である県からの伴走支援も心強かったです。
採択前の相談支援では、担当の方がいつも「私たちが何をしようとしているのか」を言語化するための質問を的確に投げてくれたので、思いだけで先走ることなく客観的な目を持ちながら、やるべきことややりたいことを整理していくことができました。採択後も、支援の一環として五年間の伴走支援を受けられるため、つい先日も建設中の施設を見学に来てくださいました。
――実際にドッグランの運用を始めてみて、利用しに来る方の反応や手応えはいかがですか?
朋紀さん:「こういうサービスがなくて本当に困っていた」と言っていただいたり、これまでのびのび外を走ったことがなかったワンちゃんが夢中で走り回ったりしているところを見るとやっぱりうれしいですね。
今はまだ施設の建設や犬のトレーニングに手いっぱいで、プロモーションやマーケティングまで手が回っていないのですが、社会に必要とされているサービスだという手ごたえがあるので、まずは口コミで利用者の輪が広がっていけばいいなと思っています。
――今後の展望や、挑戦したいことについて教えてください。
朋紀さん:まずは、現在建設中のドッグホテルとシェルターを完成させて、事業を軌道に乗せたいですね。日本は震災や台風などの自然災害が多い国です。でも、そういった際に大型犬を預けられる環境はまだまだ整っていない。災害に限らず、急な事故や病気で一時的に犬を預かってもらわないといけなくなるかもしれません。のびのびと遊ばせられる場所に加えて、なにかあった時に安心して預けられる場所を一つ持っておくことは、大事な犬やその後の犬との暮らしを守ることにつながります。
また、長野という土地を生かして、ジビエのお肉をドッグフードに活用し、さらに無添加の餌を食べた犬の糞を肥料にして野菜を育て、またドッグフードの素材にするなど、資源が循環する仕組みも模索していきたい。
やりたいことはまだまだたくさんあります。地域のいろんな企業とタッグを組みながら発信力や影響力をつけていき、最終的には、犬の正しい知識と飼い方、そして「命を捨ててはいけない」ということをしっかり社会に伝えていけるようにしたいです。
――最後に、これから長野で新しいことに挑戦しようとしている方に向けたメッセージをお願いします。
朋紀さん:なんの後ろ盾もない中での長野での創業でしたが、長野県の方々たちが私たちのやりたいことを「面白そう、いいね」と受け入れてくださり、創業支援をしていただけたことがうれしかったです。だからこそ、自分たちの描くイメージをしっかり実現して、応援してくださった長野県の方に「JAZZY DOGに長野に来てもらってよかったな」「あの人たちの活動がきっかけで、長野県の動物福祉が前進した」と思ってもらえるところまで目指していきたいと思っています。
雅也さん:僕はこれまで、本当に自分が好きなことだけをやって生きてきたタイプなので、パートナーである朋ちゃんにも、人生をかけてわくわくできることを見つけてほしいと常日頃思っていました。彼女が自分の内側から湧いてくる「やりたいこと」を見つけて、長野で実現するチャンスを得られたことをとてもうれしく思っています。僕のように「パートナーのやりたいことを実現するために移住を決める」というパターンも幸せなんじゃないか、ということを世のご夫婦に伝えたいです。
株式会社JAZZY DOGのホームページ
特定非営利活動法人JAZZY DOG LIFEのホームページ
一匹の犬との出会いが人生を変えた。犬とのよりよい暮らしを求めた移住が創業のきっかけに【前編】先輩起業家インタビューvol.11
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「正直、まさか自分が起業するなんて思っていませんでした。すべてのきっかけは、一匹の犬に出会ったことなんです。」
そう語るのは、神奈川県横須賀市から長和町に移住し、ドッグパーク「JAZZY DOG(ジャジードッグ)」をオープンした小林朋紀(こばやし・ともき)さん。朋紀さんは、元猟犬の保護犬を引き取ったことから、ドッグトレーナーの勉強を始め、犬の保護活動に取り組むようになりました。活動を通し、安心して犬を預けられる施設の必要性を感じたことをきっかけに、愛犬との絆が深まる複合施設の立ち上げを目指すようになります。
インタビュー前編では、朋紀さんの挑戦を応援する夫の雅也さんと一緒に、事業の概要、保護犬との出会いから生まれた夢、長野移住を決めた背景について聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社JAZZY DOG 代表・小林朋紀さん
猟犬の保護犬を家族に迎えた事をきっかけに犬ついて学び始める。「命を放棄しない、させない社会づくり」を目指して自宅で保護犬を預かり、新しい家族に繋げる活動をする上で、新しい家族のもとで人も犬もより幸せになるためには、自分自身がより知識を深め成長する必要を感じ「スタディ・ドッグ・スクール認定ドッグトレーナー」「米国CCPDT認定ドッグトレーナー(CPDT-KA)」を取得。犬達が生き生きと走り回ってる姿に魅了され、自分も自然に身を置きたいと考え2023年より長野県小県郡長和町に移住。犬たちの自由と福祉を第一に考え、学び続けながら犬たちとの信頼関係を深めている。
大型犬対応!大自然の中で安心してのびのび遊べるドッグラン
――まずはじめに、株式会社JAZZY DOGの事業について教えてください。
朋紀さん:私たちは、長野県長和町を拠点に、「愛犬との絆が深まる」ことをコンセプトとした愛犬と家族のための複合施設「JAZZY DOG」を運営しています。
第一歩として、2023年に小型犬から大型犬まで受け入れ可能なドッグランをオープンしました。2025年の春には、ペットホテルや保護犬のシェルターもオープンする予定です。ゆくゆくはドッグフードや犬用玩具を扱う売店も設けていきたいと考えています。
――「JAZZY DOG」のドッグランにはどんな特徴がありますか?
雅也さん:「JAZZY DOG」のドッグランでは、約2000㎡の広大なフィールドを完全貸切でご利用いただけます。ドッグランは森の中にあるため、鳴き声を気にすることなくのびのびと犬を遊ばせることができます。また、高さ2メートルの返しをつけた特別製のフェンスで周りを囲っているので、大型犬でも脱走の危険性なく安心してご利用いただけます。
また、予約・受付から全て完全無人でご案内しており、365日24時間、1時間単位からご利用いただけます。人見知りや怖がりな犬でも、思う存分家族だけの時間を楽しんでいただけるドッグランです。
――大型犬に対応しているドッグランというのは少ないのでしょうか。
朋紀さん:まだまだ少ないと思います。私たち自身、20キロほどの大型犬を二頭飼っているのですが、一般的なドッグランや「ワンちゃんOK」と書いたコテージ等の宿泊施設でも、柵が低めのところが多く、完全に野放しするのはどうしても心配になります。また、貸し切りでないタイプのドッグランの場合、小型犬の飼い主さんに怖がられてしまうことも多く、肩身の狭い思いをすることもありました。
――せっかくのおでかけや旅行でも、何かあったらどうしようと気が休まらないですね。
朋紀さん:犬種によっては、鳥や動物を見つけると走って追いかける習性を持っている犬もいます。そうでなくとも、思い切り走り回らせてストレスを発散させてあげることが必要です。飼い主さんとワンちゃんの絆を深めるという意味でも、ドッグランは有効だと考えています。
「JAZZY DOG」ではドッグトレーニングのサービスも行っています。犬と人間が一緒に楽しく暮らす上では、人間が「犬の習性」について理解すること、そして犬が「人間の社会」について理解することが大切です。「JAZZY DOG」では、そのどちらも大切にし、トレーニングを通じて、家族と愛犬それぞれが、お互いを尊重しあえるコミュニケーションづくりをサポートしています。対面のほか、出張・オンラインまずはカウンセリングを行い、お悩みや愛犬の性格に合わせたトレーニングのプランをつくっていきます。
保護犬譲渡会での運命の出会いが人生を変えた
――朋紀さんが「JAZZY DOG」のサービスを立ち上げた経緯を教えてください。
朋紀さん:正直、まさか自分が起業するなんて思っていませんでした。「犬が大好きで、いつか犬に関わる仕事がしたかった」というわけではないんですよ。すべてのきっかけは、今の愛犬に出会ったことなんです。
私たちはもともと神奈川で暮らしていました。10年ほど前にチワワを一匹飼っていたのですが、子供たちが幼い時に亡くなってしまって。それ以来犬は飼っていなかったんです。でも、子供たちが小学3年生と6年生になったときに、また「犬と暮らしたい」と言い出して。正直、当時の私は「やっと子育てが落ち着いてきて自分の時間が持てると思ったのに、犬の世話なんてとてもできない」と思ったんですよ。ちょうどその頃に、知人から保護犬の譲渡会のお誘いをいただいて。
――当時、保護犬についての知識はあったのですか?
朋紀さん:全くなかったです。とにかくいろんなワンちゃんたちがいるだろうから、行くだけ行ってみようと家族で足を運んだんです。そこで、猟犬種のワンちゃんたちと初めて出会って。「こんなにかっこいい子たちが、どうして捨てられてしまうんだろう?」と衝撃を受けました。
雅也さん:子供たちより、朋ちゃんがそこにいた犬に一目ぼれしてしまったんですよ。それでうちで引き取ろうということになって。ですがその子は、「イングリッシュポインター」という犬種で、大型犬な上にもともと猟犬として育てられていたので家庭犬にするのがとても難しい犬でした。そこで彼女が「かわいいだけじゃ無理だ」と早めに気づいて、ドッグトレーニングの勉強を始めたんです。
――実際に自分が保護犬を引き取ったことから、保護犬や犬のトレーニングに興味を持つようになったのですね。
朋紀さん:はじめは迎えた犬と自分たち家族のために勉強をし始めたんですが、30代後半になってから改めて何かを勉強するってとても面白くて。当時、私はパートタイムのお仕事をしていたのですが、あくまで家計のためでやりたい仕事というわけではありませんでしたし、趣味も特になかったんです。気が付いたら、本格的にドッグトレーナーの資格取得を目指すようになりました。
――犬のために始めた勉強が、自分のためにもなっていったと。
朋紀さん:そのうちに、「預かりボランティア」という保護活動があることを知ったんです。「預かりボランティア」というのは、保護犬を一時的に引き取ってお世話やトレーニングをし、新しい飼い主さんにつなげる中継地点の役割です。自分たちで犬を引き取ることにはどうしても限界がありますが、その形であればたくさんのワンちゃんを幸せにできるだろうと思い、個人で活動を始めました。
犬たちにとってよりよい環境を求めて長野へ移住
――最初は個人的に保護犬活動を行っていたのですね。そこから現在の事業の形につながっていったのはどうしてですか?
朋紀さん:トレーニングの勉強をするにつれて、犬の扱いがわかるようになり、もっとたくさんの犬を迎えることができそうだという実感があったんです。特に、噛み癖や吠え癖などの問題があってなかなか保護されない犬たちを積極的に救いたいという思いが強くなってきました。問題がある子や大型犬、猟犬ほど、発散のための運動が必要になるんです。ですが、当時私たちは神奈川の住宅街に住んでいたので、思い切り走らせてあげられる場所もなかったですし、鳴き声も気にしないといけませんでした。
大型犬、元実猟犬は運動量も必要で、犬によってはほかの犬と一緒にお散歩に行けないことも多く、順番に散歩をしていると20km以上歩く事もザラで、1日が散歩で終わってしまう。これでは、住宅街に住んでる意味はあんまりないなと思うようになって。
それならば、自分たちで自然の中の土地を買い、自分たちの専用ドッグランを作って生活したいと考えるようになりました。
インタビュー後編では、長野での創業の道のり、実際にサービスを始めてからの手ごたえと、今後の展望についてお聞きしました。
株式会社JAZZY DOGのホームページ
特定非営利活動法人JAZZY DOG LIFEのホームページ
テクノロジーで社会を変える!技術系スタートアップマッチングセミナー
県内全エリア
【概要】
信州大学が主幹機関を務め、特色ある研究成果・技術シーズに基づく地方型スタートアップ創出・成長加速のためのエコシステム「IJIE」の取組を紹介します
また、IJIEに採択されている技術シーズ及び信州大学発ベンチャー企業のピッチ及び交流会を通して、技術シーズと経営人材のマッチングを図ります
IJIEについてはこちらをご参照ください
https://ijie.jp/
【スケジュール】
12:00~12:05 講師ご紹介
12:05~12:20 IJIEの取組紹介
12:20~12:50 シーズ及び信州大学発ベンチャー企業の事業紹介ピッチ
12:50~13:00 Q&A
13:00~13:30 交流会(現地参加者のみ)
【講師 (氏名 / 会社名・役職)】
角田 哲啓 氏 / 学術研究・産学官連携推進機構 特任教授
大塚 隼人 氏 / 信州大学 助教
渡部 広機 氏 / 信州大学 大学院 総合医理工学研究科4年
山邊 璃久 氏 / 株式会社Unseed 代表取締役CEO
藤森 研伍 氏 / 株式会社TRILL.代表取締役
【対象者】
技術シーズと連携したビジネスに関心のある起業家・経営人材、
金融機関や商工団体等の支援機関 (現地参加は20名限定)
【会場】
SSS長野拠点(シソーラス株式会社内) 〒380-0833長野県長野市鶴賀権堂町2312−1
【申込方法】
※現地参加・オンライン参加ともに、こちらのZOOM入力フォームからお申込みください
「成功事例から学ぶ!クラウドファンディング」~商品開発のストーリー~
県内全エリア
【概要】
県内の資金調達に関する支援施策をご紹介することで、起業家の事業アイディアに応じた適切な資金需要に対応することを目的としたイベントです!
【場所】オンライン(zoomウェビナー)
【当日のアーカイブ】
詳細リンク
【スケジュール】
12:00-12:05 講師ご紹介
12:05-12:35 CF事例のご紹介
12:35-12:50 対談:商品開発とCFの活用方法
12:50-13:00 Q&A
【講師 (氏名 / 会社名・役職)】
甘利なつみ 氏 / 長野県信用組合 ソリューションビジネス部 経営支援グループ
【対象者】
起業家、これから起業を考えている方、 人材確保に悩む経営者、創業支援機関 等
【申込方法】
こちらのページからお申し込みください。
ベンチャー企業に求められるファイナンス
県内全エリア
【概要】
信州スタートアップステーション(SSS)では、県内の資金調達に関する支援施策をご紹介することで、起業家の事業アイディアに応じた適切な資金需要に対応し、起業家・経営者の今後の成長を後押しするため、本ワークショップを企画させて頂きます。是非ともこの貴重な機会をご活用ください!!
【スケジュール】
18:00-18:05 登壇者紹介
18:05-18:35 資金調達手段のご紹介
18:35-20:00 事業ピッチ
20:00-20:30 交流会
【講師 (氏名 / 会社名・役職)】
石坂 颯都氏 / 信州SSファンドフューチャーベンチャーキャピタル(株)・東日本投資部次長
神尾 典裕氏 / 三菱UFJ信託銀行株式会社法人マーケット統括部・法人新規開発室上級調査役
上条 謙太氏 / 長野県信用組合 経営支援部・リーダー
【対象者】
今後資金調達を希望する県内の起業家、起業家予備軍、第二創業者、企業経営者等 10名限定
※参加ご希望の方は、当日までにピッチ資料をご準備ください。
【会場】
SSS長野拠点(シソーラス株式会社内) 〒380-0833長野県長野市鶴賀権堂町2312−1
【申込方法】
メール、電話、facebookメッセンジャーにて、【氏名、電話、メール】をご連絡ください。
【SSSW コラム】 ”想い”を事業にしていく力
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11月21日(木)のランチタイムに「想いを事業にする力」というテーマで、オンラインセミナーを開催しました。
ゲストは、登録者数10万人超のYouTubeチャンネルを運営し、株式会社ステアーズの代表取締役でありクリエイティブ・ディレクターの寺田真弓さん。「想い」をどのようにビジネスとして形にしていくかを寺田さん自身の経験をもとにお聞きしました。
寺田真弓さんは、長野県長野市のご出身で、2021年にUターンし、生まれつき障害のある夫と4歳の息子と暮らしています。2018年からYouTubeチャンネル「寺田家TV」を運営し、登録者数は10万人を超えたこともある寺田さん。また、YouTube運営の他に、障害や福祉を軸にSNSコンサル、動画制作、イベント運営などの事業を展開しており、最近では「みんきゅ〜プロジェクト」を立ち上げ、ユニバーサルツーリズムの普及に取り組んでいます。今回のオンラインセミナーでは、夫のユースケさんとの出会いや、47都道府県をヒッチハイクで回る企画、YouTubeチャンネルの運営、事業の立ち上げなどについて詳しくお話をお聞きすることができました。
特に、チーム作りや人を巻き込む方法について、ご自身の経験を基に具体的ですぐに実践できそうなお話しをして下さったのは、印象的でした。想いが強いほど「自分でやらなきゃ」「自分でやりたい」と思いがちですが、チームのメンバーに任せてみたり、「どうしたらいいかな?」と相談を投げかけることによって、自分ごと化してもらったりなど、実践的な内容をお聞きすることができました。寺田さんがご参加された「信州ベンチャーサミット※」についてもお話があり、そのときの様子を知る参加者からも「想いが伝わってきたピッチだった」とコメントがありました。
また、現在実施されているクラウドファンディングを通じて「みんきゅ〜プロジェクト」の資金調達を行っていることや、五カ国語で書かれた絵本「ほんとうにだいじょうぶ?」の制作秘話も伺いました。絵本もクラウドファンディングのリターンとしてご用意されていますので、ぜひウェブサイトをのぞいてみてください。
最後には、ご自身の経験を通じて、想いを事業にすることの重要性や、人生は一度きりであるからこそ大事にしたいというメッセージをいただきました。
信州スタートアップステーションウーマン(SOU)は、起業・創業にハードルを感じている方や、事業アイディアのブラッシュアップしたい方など起業に関する相談をはじめ、仕事と家庭・子育てとのバランスで今後の働き方に悩んでいる方など、幅広く女性を支援をしています。個別相談をご希望の方は、Facebook/Instagram、またはメール(info.ssswomen@gmail.com)までお問い合わせください。
次回は1月にオンラインでのトークイベントを予定しております。ぜひチェックしてみてください!
※信州ベンチャーサミット:信州スタートアップステーションが開催するベンチャー企業を対象としたピッチイベント。
詳細はこちら
職業、遊び人。どこにでも行ける旅人が、なぜ長野をベースに選んだのか【後編】先輩起業家インタビューvol.10
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「遊んで暮らそうといざ無職になってみたら、無職って思ったより暇だったんだよね。当時俺は38歳で、周りに同じペースで遊べる同年代もいなかった。じゃあ仕事した方が楽しいかもしれないなと、次は何がしたいかなと考えて、ゲストハウスを作ることに」
そう語るのは、長野市善光寺表参道沿いにあるカフェ、バー、レストランを併設したゲストハウス「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」、異世界サウナ「SAMBO SAUN」を経営する辻和之(つじかずゆき)さん、通称サンボさん。
インタビュー後編では、オープン10年でゲストハウスへ業態を変えた理由や、長野を拠点としている理由、現在の働き方・暮らし方について聞きました。
<お話を聞いた人>
合同会社GIANT KILLING 代表辻和之さん
1976年生まれ、大阪出身。18歳からフリースキーを始め、夏は大阪、冬は長野の雪山に篭る2拠点生活を約10年間行う。2005年に長野市に移住し、タイ料理とアジアン雑貨の店「Asian Night Market」をオープン。2015年にはカフェバーを併設した「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」としてリニューアルオープン。2023年には店内の一部を改装し、異世界サウナ「SAMBO SAUN」をはじめる。
オープンから10年の節目で無職になるも、「仕事をした方が楽しい」と気がついた
――インタビュー前編では、長野でタイ料理とアジアン雑貨のお店「Asian Night Market」を始めるまでのお話を聞きました。現在はゲストハウスを運営されていますが、業態を変えたのはどうしてですか?
「Asian Night Market」は、オープン当時の俺が作りたいと思って作った店だったけど、オープンから時間が経てば立つほど自分の中では「かっこいい店」じゃなくなっていて。お客さんからはよく「内装がすごい」と言ってもらっていたんだけど、自分はそうは思えなくなってきた。それがずっとひっかかっていて。
――自分にとって「かっこいい」かが大事だと。
最初の店をDIYで作った関係で、東京のゲストハウス「Nui.」の内装工事を手伝いに行ったり、いろんな建物を見たりする中で、「Aian Night Marketはもう全然俺の中のベストじゃない」と思っていたんだよね。
ちょうどその頃にスタッフが途切れて、立ち上げ当初と違って資金も十分にあったから、しばらくは遊んで暮らして、お金がなくなったらまた新しいことでもしようかなと思って10年目のタイミングで一度店を閉めました。
――潔い決断ですね。
でも、いざ無職になってみたら無職って思ったよりも暇で。当時俺は38歳で、周りに同じペースで遊べる同年代もいなかった。「じゃあ仕事した方が楽しいかもしれないな」と思って、次に何がしたいか考えて、ゲストハウスを作ることにしました。
実は、もともと長野に来た頃からゲストハウスを作りたい気持ちはあったんだけど、当時長野市にはバックパッカーもほとんどいなかったし、ゲストハウスがメジャーな商売ではなくて。でも10年の間に長野にも観光客が増えたしゲストハウスも出来てきた。
でも、自分みたいなハードな旅人が泊まるような宿はなかったから、今度は長野にいながら旅気分でいられるような場所を作ろうと「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」(以下、Pise)をオープンしました。前やっていた店と同じようなことしようと思わなかったのは、世の中の流れが変わってきたことも大きいね。
野生の勘に従って業態を大きく転換。時代の流れに乗ることが出来た
――世の中の流れというのは?
「Asian Night Market」をオープンした頃は、まだ日本が豊かで、タイは物価が安かったんだよね。だから、タイで安く買ってきたものを日本で高く売ることが出来た。でも、10年の間にタイはめちゃくちゃ発展して、逆に日本は全然発展しなかった。毎年タイに行くたびに、成長や変化を見続けてきて、このまま同じビジネスモデルを続けるには厳しくなるだろうなという予感があった。
実際に、今はもうほとんど物価の差がないし、逆に日本が「物価が安い国」になって、バックパッカーも含めた海外からの観光客が一気に増えたよね。コロナ禍は想定外だったけど、最近はもうかなり海外からのお客さんが戻ってきた。海外からくる人にお金を落としてもらった方が、事業として先に続くんじゃ無いかって。
――お金の流れを転換したと。
そういうこと。仕入れ先も、相手するお客さんの客層も完全に変えました。「Pise」をオープンした頃は、完全に野生の勘で決めたことだったから裏付けはなにもなかったけど、あれから10年が経ってやっぱりそうなったなと思ってる。
――サウナの事業を始めたのはどうしてですか?
コロナの間、「Pise」にはバックパッカーより日本人のお客さんや長野県内のお客さんが増えて。そういう若い子たちによく『サウナ作ってください!』と言われてはいたんだけど、俺は自分が好きじゃないものは作れないから断ってた。
当時の俺にとってのサウナのイメージは「健康のためにみんな黙って熱さに耐える場所」で、何がいいのかわからなかった。でも、2022年の秋にアウトドアフェスの手伝いに行ったらサウナブースがあったから、試しに入ってみたんですよ、そうしたら、みんな飲みながら楽しく話をしていて、いい汗が出てきたら外に出て、夜風を浴びながら外気浴。これがすごく良くて。
サウナに入っただけで、一緒にいた人たちとすごく仲良くなれたんだよね。これは、コミュニケーションツールとしてすごくいいなってイメージが変わった。だから自分でも作ることにした。実際にフィンランドとエストニアも旅して、本場の文化を取り入れながら形にしたよ。
どこにでも行ける旅人が、なぜ長野をベースに選び続けるのか
――そういった背景があったのですね。それだけ旅好きで、フットワークも軽いサンボさんが、長野に拠点を持ち続けているのはどうしてですか?
正直、そもそも長野に移住したつもりはないんだよね。あくまで遊ぶためのベースをここにした、という話。俺は、住むところは世界中含めてどこでもいいんだけど、だいたいすぐに飽きちゃうんだよね。
コロナの間は、タイに一ヶ月滞在してゴルフ三昧な暮らし方をしてみたこともあるんだけど、いい生活ではあったけどルーティンになってくるとつまらなかった。とにかくベースはどこでもよくて、今は自分が好きだと思える自分の店が長野にあって、長野がいい感じだからここがベースになってる。
――「いい感じ」というのは?
俺は恐らく日本一ペースが早い大阪で生まれ育ったから、それに比べると長野はのんびりしてるんだよね。仮に大阪で、当時の遊びながら働く生活スタイルのまま「Asian Night Market」を始めていたらすぐに潰されちゃったと思う。でも長野なら、遊びながら稼ぐスタイルでも、周りの人の倍動けば余裕で生き残ることができた。つまり、そういう意味で楽ができる。
――その「楽さ」は、長野にきた20年前と今でも変わっていませんか?
商売のやり方を確立しているから、慣れという意味の楽さかもあるかもしれないね。今は、ペースを落として、24時間を24時間として動いても十分暮らしていけるから楽だね。もう、20代の頃みたいに人の二倍のスピードで動く歳ではなくなってきてる。記憶がなくなるくらい働き倒すみたいなことを、48歳になった今またできるとは思っていない。体力が落ちているのか落ちていないのかわからないけど、考え方も変わってきたし。
たとえば、コロナでお客さんが減ったタイミングで、宿泊のチェックインのシステムを完全に無人でも対応できるようにアップデートしたから楽になった。カフェバーも、メニューの量も減らして、自分一人でも回せるようになった。昔はとにかく稼がないとと思っていたけど、今は繁忙期と閑散期の波も分かってきたから、赤字もないし焦らずにやっていければと思えるようになったね。
――最後に、今後長野で新しいことや好きなことを始めてみようとしている人へのメッセージをお願いします。
会社にいればお金を貰える方が楽な人はサラリーマンをやればいいと思うし、自分のチョイスで好きな方向に舵取って進みたいなら独立したらいい。どっちが偉いとかじゃなくて、どっちが好きか。ガーっと稼いでガーっと休む働き方は、サラリーマンだとなかなかできないよね。全部自分でチョイスして、お金も時間の使い方も自分で即断即決できるのは強みだよ。
俺が20代の頃は、リモートワーク的にどこでも働ける感じじゃなかったけど、どこでも働ける人なら長野はかなりいいんじゃないかな。朝起きて雪山に滑りに行って、夕方から仕事ができる。そういう風に働いていてもやっていけるよ。
WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Piseのホームページ
SAMBO SAUNのホームページ
職業、遊び人。どこにでも行ける旅人が、なぜ長野をベースに選んだのか【前編】先輩起業家インタビューvol.10
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「職業、遊び人。俺は仕事中心じゃないから、遊ぶために稼いでる。今のゲストハウスの仕事は楽しいし好きだけど、ゲストハウスをやることが夢だったわけではなくて。長野をベースとして住むにあたって、日本にいながら旅気分で楽しく過ごせるようにこの場所を作った。」
そう語るのは、長野市善光寺表参道沿いにあるカフェバー、レストランを併設したゲストハウス「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」、異世界サウナ「SAMBO SAUN」を経営する辻和之(つじかずゆき)さん、通称サンボさん。
スキーがきっかけで、地元大阪と長野の二拠点生活を始めたサンボさんは、27歳で長野に移住。「遊びながら稼いで旅をする」生活を実現するために、タイ料理とアジアン雑貨の店「Asian Night Market」をオープンしました。
インタビュー前編では、遊びを仕事にしていく働き方、長野で独立するまでのストーリーを聞きました。
<お話を聞いた人>
合同会社GIANT KILLING 代表辻和之さん
1976年生まれ、大阪出身。18歳からフリースキーを始め、夏は大阪、冬は長野の雪山に篭る2拠点生活を約10年間行う。2005年に長野市に移住し、タイ料理とアジアン雑貨の店「Asian Night Market」をオープン。2015年にはカフェバーを併設した「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」としてリニューアルオープン。2023年には店内の一部を改装し、異世界サウナ「SAMBO SAUN」をはじめる。
「儲からなくてもいいからやりたいこと」を続けるうちに、それが仕事になっていった
――まずはサンボさんが現在行っている事業について教えてください。
独立して仕事を始めたのは2005年、28歳の時でした。もともとは、「Asian Night Market」というタイ料理とアジアン雑貨の店を長野市善光寺の近くで始めて、今は同じ場所でゲストハウス「WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Pise」を運営しています。現在はスタッフを雇っていないので、自分で接客をするし、併設したカフェバーで調理とバーテンダーもしています。2023年には、店内の一部を改装して、「SAMBO SAUN」というサウナの営業も始めました。
どの店も、仲間を集めつつ自分でDIYして作りました。大工の仕事で県内外に呼ばれることもあります。ほかにも、もともとはプロのスキーヤーですし、そこから派生してカメラマンも。長野に来てからは、狩猟免許を取得したので猟師としても活動しています。夏場は花火職人。旅人として世界中を旅して、買ってきたものを日本で販売するバイヤー的な動きも20代の頃から続けています。一番最近行ってきたのはアフリカ。約一ヶ月間かけて9460キロを車で運転し、10か国を周りました。
――猟師に花火師まで!幅が広いですね。自分の好きなことを仕事にしてきたイメージでしょうか。
いや、俺は別に好きなこととかやりたいことを仕事にしているわけじゃなくて。もちろんイヤなことはしていないけどね。利益がどうとか考えずに、日々「これがやってみたいな」と思ったことをしているうちにそれが仕事になった。
仕事になったころには、次のやりたいことが生まれているから、また「儲からなくてもいいからやりたいこと」をしているうちにそれがまた仕事になって、また次、また次と回してきただけです。
だから、職業サンボ・遊び人。俺は仕事中心なタイプじゃないから、遊ぶために稼いでる。よく、「二号店を東京に作ってください」とか「店舗をプロデュースしてください」って相談を受けるんだけど、俺はビジネスに興味がないから全部断ってる。遊ぶためのお金があればいいし、自分が遊べない場所を作る意味がないからね。
フリースキーに出会い、長野をベースに遊びながら稼ぐ暮らしをスタート
――現在の遊びながら働くスタイルに至るまでの経緯を教えてください。
学生の頃から20代の半までは、夏の間は大阪でバーテンダーをやったり派遣営業の仕事をしたりしてお金を貯めて、冬は長野の雪山にこもってひたすらスキーをして無一文になる、そんな暮らしをしていたね。
高校生の頃までは、地元の関西の強豪校でアメリカンフットボールに打ち込んでいて。大学進学でアメリカンフットボールをやめてから、たまたまフリースキーを知って夢中になって、それから長野に滑りに来るようになった。当時、フリースキーはまだ競技として確立していなかったから、自分が「かっこいい」と思う滑りが出来るのが面白くて。
――先ほどスキーも仕事の一つだとお話がありましたね。
冬の雪山で滑っていたら、たまたまやってきたプロの撮影クルーの目に止まって、スポンサーがつくようになりました。スキー板やアパレルブランドの広告塔として滑ったり、海外に渡ってスキー撮影をするようになったんですよ。そこから、被写体として自分もカメラのことをわかっていた方がいいだろうとカメラを始めたら、次第に写真の仕事も増えて。
でも、スキーも写真も、クオリティとしてはプロを超えるレベルでやるけれど、お金を稼ぐという意味では別に仕事にしたくなくて。滑りたいように滑る、撮りたければどこまでも行く。そういう自分でいられるようにしたいなと思ってる。
――旅を始めたのも、カメラやスキーがきっかけですか?
初めての旅はフリースキーのフロンティアと言われていたアラスカで、そこからはずっと海外の雪山ばかりに行っていました。そしたら、知り合いから『そんなに海外に行ってるなら、買い付けを手伝って欲しい』って言われて、そこからタイをメインに雑貨の買い付けもするように。
当時はもう大学を卒業していて、夏の間は大阪で通信回線の営業の仕事をしていたので、金曜日の仕事終わりに空港へ向かってタイに飛び、週末に買い付け、日曜日の夜行便で帰ってきて月曜日の朝に買い付けた商品を渡し、そのまま営業先へ出勤、みたいな暮らしをしていました。かなりのハードスケジュールだったし、買い付けで得られる給料といった給料は無し。それでも楽しかったから全然よかった。
――本格的に長野に拠点を移したのはどうしてですか?
自然の中で遊びつつ、遊びと両立してお金も稼ぐことを考えたら、お店をやるのがいいかなと思って。18歳の時からずっとスキーのために長野に通っていたから、長野を選んだのは自分の中では自然な流れでした。
それから、ひたすら稼いで貯金を使い果たしてまた稼ぐ、みたいな生活は28歳までにしようと決めていました。カート・コバーン、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリン、有名なロッカーたちは27歳で死ぬでしょ? 生き方を変えるぞって決めて、長野に来たんだよね。
自分の行きたい場所がないなら作ろう。長野での事業のはじまり
――長野にやってきた当初の仕事として、飲食店と雑貨屋を選んだのはどうしてですか?
当時の自分の持っているアイディアとお金の量で出来て、かつ勝算のある事業の形がそれだった。
俺は、きっちりした内装で、日本人向けの味付けの料理を出す店よりも、タイのリゾート地にあるような、現地のお母ちゃんが作った料理が食べられるお店が好きでね。当時の長野にはそういうお店がなかったから、自分で作ることにしました。それが「Asian Night Market」です。
――長野に拠点をおく上で、自分が欲しい場所がなかったから自分で作ったと。
長野市内でもともと蔵だった古民家を借りてね。当時はまだセルフリノベーションとかDIYみたいな言葉も使われていない頃だったけど、店の前に「ボランティア募集」の告知を出して、仲間を集めながらほぼ自力で改装しました。
店をオープンしてから一番最初に目指したのは、日中は雪山に滑りに行くためにランチの間お店を任せられるスタッフを育てること。もともと「自分の店を持つのが夢だった」というわけではないから、とにかく自分がいなくても回る形を目指した。順調にスタッフが増えてきてからは、数週間以上買い付けや旅のためにお店を離れることも増えてきて。
――もともと個人で始めた事業を法人化したのはどうしてですか?
個人的には、「代表」の肩書きがかっこいいとは思っていなかったから、法人化しなくてもいいかなと思っていました。ただ、3年目を超えた頃、税理士さんに決算書を見てもらったら、「法人化した方がいい」と。個人で事業を始めた時点で屋号があったし、七人くらいスタッフも雇っていたので、会社にしてから何かが変わったかといったらやっていることはなにも変わらなかったです。
ただ、俺はとにかくやっていることが多かった分、個人だと「お店以外の事業の売上が上がっていないのに、旅やスキーに行っているのは遊び?」と言われてしまう。でも、旅やスキーもその時々すぐにお金にならなくてものちのち次の事業に生きてくるわけで。
会社を立ち上げる時、業務内容を書き出すから、飲食業、宿泊業、カメラマン業、不動産業、スポーツコンサルティング、と全てを事業の業務として割り振りできたのはよかったですね。「新規事業のための種まきなんです」とちゃんと説明できる。俺はとにかく楽しくいたいから、働いても働いてもお金が残らないんじゃやる意味がない。うまくお金を残しつつ、次の新しいことに投資できる方が、さらに稼いで、さらにいろんなことができる。そういう意味では、法人化してよかったなと思います。
インタビュー後半では、オープン10年でゲストハウスへ業態を変えた理由や、長野を拠点としている理由、現在の働き方・暮らし方について聞きました。
WORLDTRECK DINER & GUESTHOUSE – Piseのホームページ
SAMBO SAUNのホームページ
スタートアップの成功を支える人材確保術
県内全エリア
●概要
長野県内で活躍する先輩起業家にご登壇いただきます。県内でどのようにして優秀な人材を確保し、そして成長に繋げているのか、具体的な方法やコツ等を実体験に基づきお話しいただきます。また、県の人材ニーズに関わる相談拠点とその活用方法を紹介します。人材確保に悩む起業家や経営者の皆様のご参加をお待ちしております!
●対象
起業家、これから起業を考えている方、人材確保に悩む経営者、創業支援機関 など
●スケジュール
12:00-12:20 :先輩起業家事業紹介
12:20-12:45 :対談(テーマ:ベンチャー企業の人材確保)
12:45-12:50 :プロフェッショナル人材戦略拠点のご紹介
12:50-13:00 :Q&A
●登壇企業名 / 登壇者役職指名
ICS-net株式会社 / 代表取締役CEO 小池祥悟 氏
株式会社XAXA / 代表取締役 平田沙織 氏
■お申込みはこちらから
https://zoom.us/webinar/register/WN_xupOKzNsQwOuQ8CQL-U0bA#/registration
SSSコラム⑨チームビルディング
担当:SSSコーディネーター久保
こんにちは、SSSコーディネーターの久保です。
今回はスタートアップ企業が抱える「人」の悩みについて、お話したいと思います。
(※本コラムの内容は執筆者個人の見解であり、長野県やSSSの公式見解ではありません。)
人手不足が叫ばれる時代であり、どの企業にとっても人材獲得や採用は経営上の大きな課題となっています。特に、社員数が比較的少ないスタートアップにとっては、一人の採用によって大きく会社の雰囲気が変わる可能性があり、場合によっては大きな成長を遂げることもあれば、経営リスクに直面することもあり得ます。
後者の可能性をゼロにはできないですが、大事なポイントを抑えておくことで、そのリスクを低くすることができます。重要なポイントとして、前回は入口となる人材採用についてお話したので、今回は、個々人がパフォーマンスを最大限発揮できるチームビルディングについて書いていきます。
チームビルディング
カルチャーがフィットする人材が採用できても、その人材がしっかりと自社やチームになじんでいくことが経営上も重要になります。その際、仕事をしながら慣れる、というスタイルもありつつ、やはり既存メンバーや代表者がいかに同人材をチームとして受け入れていくか、その環境を作れるかが重要になります。チームビルディングも様々な方法をインターネットで探すことができますが、スタートアップ企業にとって重要なポイントをここでも2つ紹介します。
- 社員がリアルで集う機会の設定
フルリモートが普及し、同僚とリアルで顔を合わせたことが無いと聞いても違和感がない現代ですが、スタートアップにとってはリアルで顔を合わせる機会を設けることが重要です。大企業においても、様々な業界で職場回帰が一つのトレンドになっていますが、その目的の一つはリアルで顔を合わせて関係性を構築することにあります。スタートアップにおいても、限られたメンバーがお互いの理解を深めることで、グッドプラクティスやクライアント情報の共有、事業の相談が円滑に行われます。
また、スタートアップ企業では仕事の進め方やクライアントとの関係構築などが、マニュアルやルールブックで規定されているケースは少なく、入社した直後のメンバーは進め方の判断に悩むことが想定されます。そういった場合も、リアルで顔を合わせており気軽に相談できる同僚がいると、悩んでいる時間が少なく済み、生産性の高い仕事に取り組みやすくなり、結果としてやりがいや働きがいの向上に寄与します。
全社での定例会議をリアル開催する、定期的に合宿を行う、など集まる理由は様々に設定できるかと思いますので、ぜひ社員がリアルで集う機会を自社にあった方法で検討してみてください。
- 全社的な情報共有と意見交換
スタートアップでは新規事業の決定やビジネスパートナーの獲得といった重要な経営事項がスピーディーに行われる傾向にあります。そのような会社の取組状況や判断を、代表を含む経営層から社内全体に情報をリアルタイムで共有・相談することが、チームビルディングの観点からも重要です。個々や固定されたチームで動くことが多かったり、代表個人が考え動くケースが多い場合、メンバーが企業に所属している意識(エンゲージメント)が薄れてきてしまったり、自身の活動が会社にとって重要ではないと不安になり、モチベーションの低下や離職に繋がってしまうことがあります。それを防ぐため、会社が進めている事業の成功・失敗を共有したり、意見を求めたり、社員の声(不満を含めて)を聞く場を設けることで、社員が会社の経営自体も自分ゴトとして積極的に考えることができます。結果として、社員間や社員と経営層との関係性をより強固にすることができます。
情報共有の方法は、①のとおり全社的に集まる機会を利用することも想定されますが、リアルタイムや高頻度の情報共有においては、チャットツール等での共有も便利です。現在は、様々なチャットツールがあるため、それらをうまく使いこなし、固定されたメンバー同士の会話だけでなく、会社全体のチャンネルやスレッドが機能することを意識して運用すると社員のモチベーションを高く保つことができます。
このように、メンバー間での相談のしやすい環境や代表や経営層とのコミュニケーションも取りやすい環境は、心理的安全性を高めることにも寄与します。心理的安全性とは、組織内でメンバーが誰に対しても自分の意見や気持ちを安心して発言できる状態を指しますが、スタートアップにおいても、上記の通りメンバーが心理的安全性を確保できているか、を考えていくことが重要になります。
今回は、スタートアップがチームビルディングに取り組むうえで、押さえておくべきポイントを絞ってお話しました。もちろん、各企業の事業内容やメンバーの個性によって、チームビルディングのスタイルも様々な方法があり得るかと思います。それでも、比較的メンバー数が少ない状態で大きな成長を目指すスタートアップにとって重要なポイントは変わらないため、今後会社規模を拡大する際や新たなメンバーを獲得する際には、ぜひ参考にしていただければ幸いです。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
20代のクリエイター仲間と、地方の若者のロールモデルに。人生を楽しむ働き方を長野で実現【後編】先輩起業家インタビューvol.9
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「オンクリは、大きな目標として『若者のための社会を作る』ことを掲げています。でも、今の会社の規模では社会を変えるようなことはまだまだ何もできないので、まずは自分たちの会社の雇用を増やして、幸福度の総量を上げることをすごく意識しています。」
そう語るのは、株式会社オンクリ代表の土屋喬椰さん(つちやたかや)さん。「自由な働き方」を追求するオンクリでは、全員がフルリモート勤務で仕事に取り組みながら、時には自然に囲まれた長野のオフィスに集まり、焚き火を囲んだり、サウナで語らったり、星空を眺めたりと、オフの時間を楽しみながらのびのびと働いています。
インタビュー後編では、高校時代に抱えていた絶望感や、長野での暮らし、今後の展望やチャレンジしたいことについて聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社オンクリ 代表 土屋喬椰さん
長野県東御市に生まれ、プログラミングが学べる専門学校に進学。社会人を1年半経験し個人事業主として独立、2021年にオンクリを設立。趣味はサウナとDIY。
地方での働き方の夢が描けず絶望していた高校時代
――インタビュー前編では起業に至るまでのお話をお聞きしました。「起業したい」というモチベーションはなかったとお話がありましたが、当時は「創業者」に対してどんなイメージを抱いていましたか?
少し話が変わるのですが、高校生の時の僕は将来を考えてすごく絶望していたんです。
――絶望ですか。
はい。具体的にやりたいことや夢がなくて。進路に悩む中で、ただ漠然と「お金持ちになりたい」みたいな感覚がありました。そこで、「一番お金持ちに近い進路って何だろう?」と考えて最初に浮かんだのが、祖父がやっていた農業だったんです。
祖父は農業地帯で大きな畑を持っていたので、「儲かりそうだな」という気がしたのですが、祖父や家族に相談したら「大変な仕事だし、ましてや大学や専門学校に行かずに農業をやるのか」と反対されてしまって。
就職も検討したのですが、高卒で入れる職場がそもそも少なく、あったとしても手取りで13〜14万円ぐらいの仕事しか見つからなかったんです。それは「ちょっと夢がないな」と思って。当時、ホリエモンさんとかひろゆきさんのようないわゆる「IT長者」がよくテレビに出ていたので「ITって儲かるんだ」と思い、エンジニアの道を選びました。
――当時はとにかく「儲かること」がしたいと考えていたと。それはどうしてですか?
自分が絶望していたのは、将来の理想像が身近にいなかったからだと思うんです。でも、もし身近に年収1000万円を稼いでいる先輩がいたら、その人に「どうしたらいいんですか?」って聞けるじゃないですか。僕みたいに、地元の就職先を探して「夢がないなぁ」と思わなくて済む。
――地元の若者が憧れる存在になりたかったのですね。
はい。「お金持ち」と聞くと「とにかく稼いでいて、いい時計をつけていい車に乗っている」みたいなイメージがあると思うんですけど、自分より上の世代のそういう人を見ても、「自分もこうなれるかも」というイメージにはなかなか繋がらないですよね。でも、20代で身近にそういう人がいたら将来のイメージが湧きやすいだろうと思い、最初はお金にこだわっていました。
自由な働き方を実現した上で雇用を増やしていきたい
――「最初は」ということは、独立当初と現在では目指す姿が変わってきているということですか?
はい。最近の若い子たちの話を聞いていると「たくさんお金を稼ぐ」ということ以上に「パソコンがあれば家でもどこでも働ける」とか「休みも自由に取れる」みたいなことに魅力を感じている印象があるんです。なので、今はそこから逆算して、会社としては「大きな利益を生み出す」ことより、「自由な働き方を実現した上で雇用を増やす」ことを中期的な目標にしています。
――なるほど。現在は、自由な働き方を叶える方向に変わってきたのですね。
オンクリは、大きな目標としては「若者のための社会を作る」ことを掲げています。でも、今の会社の規模では社会を変えるようなことはまだまだ何もできないので、まずは自分たちの会社の雇用を増やして、幸福度の総量を上げることを今はすごく意識しています。実際にオンクリで働いてる人にとって、人生の中でオンクリという会社や仕事がどういう役割を果たしてるかが大事だなと。
――そうした目標を叶えていく上で、長野で創業したことは良い選択だったと思いますか?
僕は長野県の東御市出身なんですが、正直「長野が好き」とか「東御が好き」みたいな感覚は正直あんまりなくて。でも、「自然が好き」とか「プライベートも楽しみたい」みたいな人にとって、長野県はすごくいい場所だと思います。
僕らのオフィスがある佐久市の祖父の土地はすごくいい場所なんです。山の方にあって、四方を畑に囲まれていて、夜はきれいな星空が見えます。外に出る営業のない日は、佐久のオフィスで仕事をしながら、友達や仲間とみんなで集まって焚き火をしたりとか、畑仕事をしたり、庭に作ったサウナで汗をかいたりしていて。昨日も薪ストーブを使って、ダッチオーブンで無水カレーを作りました。
――とても素敵な暮らしを実現されていますね。
僕らと同じ暮らしを都市部でやろうとするのは難しいと思うので、そういう意味では長野で開業して良かったと思います。
今後は、オンクリの事業とは別軸で、「若者の居場所作り」にも取り組んでいけたらと考えています。
――詳しく教えてください。
中高生の中には、不登校の子や、「学校が合わないな」と感じている子たちがいると思うんです。そういう子たちにとって「こうなれるかも」みたいなモデルが必要だと思っていて。
そこで、僕らの「暮らし」の部分であったりとか、休める場所みたいなものを彼らに提供するために、オフィスの付近に、誰もが立ち寄れる飲食店や、宿泊もできて焚き火もできる小屋を作ろうと計画しています。
――地方でフルリモートの仕事をしながらのびのび働く大人と、地元の若者との接点を作ろうとしているのですね
おっしゃる通りです。「こんな生き方・働き方もある」というモデルかつ、モヤモヤを抱えている若者たちの受け皿になれたらいいなと思っています。
目指すは一億円規模。長野の暮らしを満喫しながら、しっかり働きしっかり遊ぶ
――これからの目標や、今後チャレンジしたいことを教えて下さい。
現在は「3期以内に売上を1億まで伸ばす」ことを目標にしています。なぜかというと、僕たちは自由な働き方を追求した上で雇用を増やしたいと考えているからです。1億円規模の仕事を受ける器があれば、地方を拠点にしている駆け出しのフリーランスの人など、いろんな人に仕事を頼めると思うんです。そういう意味で、まずは利益をしっかり作ることが今の目標です。
さらに長期的なスパンで言うと、そうして現在の事業で出た利益を次の事業に回したいと考えています。地方では、「利益が出ていてすごく魅力的な事業なのに、後継者がいないから続かない」みたいな話がよくあると思うんです。今のオンクリは、若者を集められる箱になってきているので、そういった後継者不足に悩んでいる事業を僕たちで買い取って、地方の20〜30代の若い人たちを雇い、引き継いだ事業を運営して活性化させていく、という動きに繋がるような役割を果たせるのではないかと。
――理想的な働き方をオンクリで叶え、さらに地方企業の課題を解決して新しい受け皿も増やしていく。
そうですね。最初に掲げた「すべて一貫してできる制作会社を作る」というのも大事な目標ですが、地方の制作会社の事例をみていると、売上1億円くらいが上限だなと。なので、1億円を達成した時点で、次の挑戦をしてみたいと考えています。
――最後に、長野で創業しようと悩んでいる人、もしくは法人化をするか悩んでいた当時の自分に一言メッセージをお願いします。
僕は、死ぬほど働きたい人が長野にいる意味はあんまりないと思っています。どうせめちゃくちゃ働くなら、もっと稼げるところで働いた方がいいと思うので。でも長野なら、自然に囲まれて仕事ができて、土日もしっかり休んで、友達と遊ぶ暮らしが実現できる。「自然が好き」とか「人生を楽しみたい」みたいな、プライベートも楽しみたい人であれば、起業をする上で長野県でというのはすごくいいところだと思います。
もし起業する前の自分に言うとしたら、 「めっちゃ頑張って仕事するのもいいんだけど、ちゃんと長野にある魅力を目を向ければプライベートも楽しめるよ」みたいなことかなと思います。せっかく長野を選ぶのであれば、「頑張って休まずに自己研鑽する!」みたいな感じよりかは、ちゃんと休んで暮らしを満喫した方がいいんじゃないかな?と。
これからも僕らなりに、「地方で仕事をしながら楽しく暮らしている」人のロールモデルになることを目指していきたいと思います。
株式会社オンクリのHP https://onkuri-web.com/
20代のクリエイター仲間と、地方の若者のロールモデルに。人生を楽しむ働き方を長野で実現【前編】先輩起業家インタビューvol.9
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「法人化することは、早い段階から検討していました。個人事業主として一人で独立した頃は、まだ受注できる仕事の量やできることも限られていましたが、いずれはデザイナーやエンジニア、マーケターといったクリエイターの仲間たちを集めて会社にできたらと」
そう語るのは、株式会社オンクリ代表の土屋喬椰さん(つちやたかや)さん。2022年に長野県佐久市で設立された株式会社オンクリは、ブランド設計からマーケティング施策の設計・実行、クリエイティブ制作・運用までを一貫して行う会社です。代表の土屋さんを含め、社員は全員20代のクリエイター。フルリモートで自由な働き方を追求しています。
インタビュー前編では、就職後1年半で独立を選んだ経緯や、さらにそこから数年で法人化に踏み切るまでのストーリーについて聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社オンクリ 代表 土屋喬椰さん
長野県東御市に生まれ、プログラミングが学べる専門学校に進学。社会人を1年半経験し個人事業主として独立、2021年にオンクリを設立。趣味はサウナとDIY。
20代のクリエーターによる、地道な泥臭いマーケティングを楽しむ制作会社
――まずはじめに、株式会社オンクリの事業内容について教えてください。
株式会社オンクリは、もともとは僕個人の事業として立ち上げ、2022年に法人化をしました。WEB制作・マーケティング支援の事業と、システム開発という主に2つの軸で事業を展開しています。
WEB制作・マーケティング支援の事業は、企業のWebサイトやECサイトの制作、CRMシステム(Cusomer Relationship Management、顧客関係管理システム)の導入支援や、写真や動画といったコンテンツ制作が中心です。後者のシステム開発では、企業の社内で使う業務効率化システムを、完全にスクラッチから開発することができます。
オフィスは佐久市に構えており、僕を含めた20代のクリエイター4名で運営しています。基本的にはフルリモートでの勤務ですが、月に数度オフィスに集まり、自然の中で焚き火やサウナをしながら顔を合わせてコミュニケーションを取る機会を作っています。
――会社のホームページを見ると土や畑仕事といったモチーフが多く、いわゆる制作会社とは少し異なる印象を受けたのですが、これにはどんな理由がありますか?
オンクリは「地道な、泥臭いマーケティングを楽しむ制作会社」を掲げています。
弊社のマーケティングは、いわゆる「SNSでバズる」みたいなことを推している訳ではなくて。それよりも、たとえば顧客情報を一からデータ化したり、WEBサイトをしっかり作り込んで、コンテンツを継続的に更新するといったような、地方の企業にとって必要な「泥臭いこと」を、地道に一緒にやっていきます。
――個人事業主として事業を立ち上げてから、約1年後に法人化を果たしたのはどんな経緯が?
個人事業主として事業を始めてから、よく「マーケティングだけが得意な会社だと制作物が外注だから思い通りにならない部分がある」という話や、逆に「制作会社に頼んで綺麗なサイトが完成したのに全然売り上げが立たないぞ」みたいな悩みを聞いていたので、それらを一貫してできる会社があったらいいんじゃないかと考えるようになりました。
僕ひとりの個人事業として独立した頃は、まだ受注できる仕事のキャパも含めできることが限られていました。ですが当時から、デザイナーやエンジニア、マーケターといったクリエイターたちを集めて会社にできたらすごく良い会社になるだろうなというところまで考えていたので、法人化することは割と早い段階から検討していましたね。
持病を抱えながら会社員として働くことへのもどかしさ
――土屋さんのご自身のキャリアの変遷について詳しく教えてください。
高校卒業後、ITエンジニアの勉強をする専門学校に2年間通いました。専門学校卒業後は、地元のシステム開発やWeb制作をしている会社に就職し1年半ほど勤務し、2021年1月に個人事業主として独立した形です。
――当時から地元・長野で働きたい気持ちがあったのですか?
いえ、特にそういったわけでもなくて。「どこで働くか」というより「何をするか」に重きを置いて就職先を探していました。
当時僕は、「農業」と「IT」という2つの軸を掛け合わせたことがしたかったんです。僕の祖父が農家だった影響で、農業をやりたい気持ちが昔から心の中にありました。ですが、祖父や家族から反対されたので、ひとまずエンジニアの勉強をしたんです。それでもやっぱり農業と関わることがしたくて、両方組み合わせてやっている会社を探してみたら、たまたま長野で見つけたので、そこに就職しました。
――その後1年半で独立されたのは、ご自身でやりたいことが見えてきたといったところでしょうか?
僕には「潰瘍性大腸炎」という持病があり、症状が悪化すると常に腹痛がしてトイレが近いといった状態になってしまうので、出社するのが難しくなってしまいました。それでも会社の理解を得てフルリモートで働いていたのですが、最終的には退職することを選びました。
――そこから個人で独立して仕事を探すのは大変ではなかったですか?
大変でしたね。会社員時代は主にエンジニアやマーケティングの仕事をしていて営業は未経験だったので、最初はどう仕事を取ったらいいのか全くわからなかったんです。独立して3ヶ月は売り上げも立たずただお金が減るばかりなので、とりあえずメールをたくさん送って、アポが取れた企業にひたすら行く、ということを繰り返していました。
そうしたら、独立後4ヶ月目になって初めて前職の月収をポンと超えたんです。その頃から、「これはいけるんじゃないか」と思えるようになりました。半年ぐらい経つ頃には、売り上げが立つようになってきたので、そのまま続けてこられた感じです。
――独立初期の頃から、「地方にトータルで全部できる制作会社があればいいのでは」と考えていたとお話がありましたが、本格的に法人化を進めることになった経緯を教えてください。
個人事業を立ち上げてから半年ほどで、既に自分だけでは回らないような状況だったので、初めは業務委託として同年代の仲間に仕事をお願いしていました。
一人でやるなら個人事業の方が全然良いと思うのですが、自分は最初から「マーケティングや制作を一貫してできる会社を地方に作りたい」という思いがあったので、案件が増えてきて、周りに仕事を任せられる優秀なデザイナーやエンジニアの仲間がいたことから、「仲間たちを雇用して会社にしてしまった方がいいな」と感じるようになり、会社として枠組みを作るために法人化に踏み切りました。
「人を雇用する」というリスクの壁を、高校時代の同級生に触発されて乗り越えた
――「経営者になりたい」とか「創業したい」というよりは、会社の枠組みがあった方がいいな、という思いだったんですね。
そうですね。経営者になろうとは思っていなかったです。
――起業されるタイミングや法人化されてから、県の創業支援に関するサポートは何か受けましたか?
長野県の創業支援の枠で融資を受けています。それから「長野県よろず支援相談室」という県の経営相談みたいな窓口の相談支援を受けました。相談員の方が、たまたま専門学校のときにお世話になった先生だったということもあり、創業初期に相談しに行きました。
創業後の今でもお世話になっていて、例えば顧客の方から補助金についての相談を受けたときなど、県で受けられる補助金や制度について教えていただいています。
――創業当時、身の回りに創業をしている同年代の仲間はいましたか?
以前SHINKIで紹介されていた株式会社Contactの依田は高校時代の同級生です。彼が東京の大学に進学して以降は連絡を取っていなかったのですが、僕が前職でやっていたことや、個人事業主として頑張っていこうとしていたのを、彼の方は知ってくれていたみたいで。
それまでは連絡があってもあまり返さずにいたのですが、ある日急に「俺もちゃんとビジネスを覚えて、これから頑張るんだ」と電話が来たんです。僕もちょうど同じようなことを考えていた時期だったので、そこからよく連絡を取り合うようになって、結果的に同じ時期に起業をしました。
――同級生の仲間に触発された部分もあったのですね。
人を雇用するってリスクもあることじゃないですか。僕はそれで二の足を踏んでいたのですが、依田はまだ事業を始めたばかりの段階でいきなり法人化をしていて。
もともとは、先に僕が個人事業主として独立していたので、依田から「どうやってお金を回してるのか」とか「どうやって仕事を取ってるのか」といった相談を受けていたんです。でも、法人化したのは彼の方が早かった。それを見てちょっとした対抗意識というか、「自分も何かやってやろう」という気持ちが芽生え、法人化を決断しました。
――リスクを感じていた部分もあったのですね。いざ法人化してからは、順調に事業が回っていますか?
なかなか、「ずっと順調です」とはいかなくて。どうしても、あまり仕事がない時期というのは今でもあるのですが、創業者が集まるイベントや、地方の起業展などには積極的に顔を出して、新規の営業活動を何とか少しずつ頑張っています。
インタビュー後編では、「将来に絶望していた」という高校時代のことや長野で起業することのメリット、今後の展望についてお聞きしました。
株式会社オンクリのHP https://onkuri-web.com/