美味しく食べられる喜びをすべての人に。ヴィーガン&グルテンフリースイーツのパイオニア、「CocoChouChou」のスイーツができるまで【前編】先輩起業家インタビューvol.2
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「会社員時代は、生活は安定していましたし、会社も仕事も大好きでした。はたから見たら、とても順調なキャリアだったかもしれません。でも、ふと『私は一生こんなふうにして働いていくのかな?』と、立ち止まったんです。」
そう語るのは、「すべての人に『美味しく食べられる』喜びを」をテーマに、長野県長野市を拠点にヴィーガン&グルテンフリーのスイーツブランド「CocoChouChou(ココシュシュ)」を営む飯田紗央里(いいださおり)さん。
会社員を退職後、お菓子作り教室・商品開発からスイーツ事業をスタートした飯田さん。通信販売から始まった「CoCoChouChou」は、現在は長野駅前の実店舗を構えるほか、全国各地のイベントや催事にも出店し、多くのファンを持つ人気ブランドです。
インタビュー前編では、「CocoChouChou」のこだわりと、会社員生活を手放し自分の事業を始めるまでのストーリーを聞きました。
<お話を聞いた人>
飯田紗央里さん
株式会社CocoChouChou代表取締役。こどもの頃の趣味はお菓子作り。 IT企業に就職も、食べることが大好きで、人生を華やかに彩る“食”に携わる仕事を生涯の仕事にしたいと退職。ヴィーガンや食物アレルギーなど、食の制限の問題に気が付き、独学でヴィーガン&グルテンフリーのスイーツを研究し、2017年に「CocoChouChou」を開業。
誰もが笑顔で美味しく食べられるスイーツブランドを目指して
――まずは、「CocoChouChou」が大切にしているお菓子づくりのあり方やブランドにかける思いを教えてください。
「CocoChouChou」のお菓子はすべて、卵・乳製品・小麦・白砂糖不使用のヴィーガン&グルテンフリーです。
「お菓子は体や美容によくない」と我慢している方や、食物アレルギーや健康の事情などで食の制限がある方、菜食主義のヴィーガン・ベジタリアンの方など、誰もが「自分だけがみんなと同じ美味しいお菓子を食べられない」という寂しい気持ちを抱くことなく、笑顔で美味しく食べられるスイーツを作っています。
――健康に配慮したお菓子や、アレルギー対応のお菓子は味気ないイメージがあったのですが、「CocoChouChou」のスイーツはとても華やかで見ているだけでもときめきますね。
まさに、心が華やぐようなおしゃれでかわいいスイーツを作ることも「CocoChouChou」のこだわりです。「これしか食べられないから仕方なく」ではなく、あらゆる食の制限をポジティブに変換して、「美味しいから」「かわいいから」と「CocoChouChou」を選んでいただけるように商品開発を行っています。
――おいしさのこだわりについて教えてください。
白砂糖は使わず、甘みはミネラルたっぷりのメープルシロップやきび砂糖、デーツなどのドライフルーツで、”くどくない”甘みを出しています。また、コクを出すために、良質な脂肪分であるカシューナッツやココナッツオイル、カカオバターなどを使用し、米粉にナッツの粉を加えるなど工夫を凝らしています。
――「CocoChouChou」は、現在どのように展開していますか?
「CocoChouChou」は、通信販売から事業をスタートしました。公式の通信販売サイトのほか、楽天市場、Cake.jpからお取り寄せいただけます。また、 新宿伊勢丹やながの東急百貨店、渋谷ヒカリエなど全国の百貨店・セレクトショップでの催事販売や、マルシェやイベント等の出展も行っています。2017年には、長野市内で実店舗を構えました。
――スイーツの中でも、「ヴィーガン・グルテンフリー」に注目した商品開発を進めてきたのはどうしてですか?
これは創業から数年が経った今でも思うことなのですが、魅力的な商品やスイーツは既に世の中にびっくりするぐらい溢れています。有名なパティスリーで修行した人や、フランスで修行した人たちが次から次へと新商品を出している中で、自分がわざわざ既存のお菓子を作ることには意味が見出せませんでした。
それよりも、まだ世の中に無いもの、それも、「無くてみんなが困っているもの」を作るべきなんじゃないか、と考えて、「ヴィーガン・グルテンフリー」のスイーツブランドを立ち上げることを決めました。
会社員としての順調なキャリアアップがふと怖くなった
――飯田さんは、もともとは会社員として働いていたとお聞きしましたが、「いつかこんなスイーツブランドを立ち上げたい」という思いがあったのでしょうか。
子どもの頃からお菓子づくりが好きで、学生の頃はパティスリーやお菓子作り研究家のもとでアルバイトをしており、「いつかは食べ物に関わる仕事に就きたいな」とは漠然と考えていました。
ですが、会社員として働いていた時も、辞めた当時も、何をするかは一切決まっていませんでした。「会社員生活を断念して、大好きなお菓子の道に戻ってきた」みたいな感覚はまるでないんです。
――会社員の頃はどんなお仕事をされていたのですか?
都内のインターネット銀行に就職し、約7年間ネットマーケティングの業務に携わっていました。会社も仕事も好きで、今でも働いていてよかったと思っています。それでも会社を辞めたのは、「このままキャリアも収入も上がっていったら、もう抜けられなくなる」と怖くなったからでした。
――「怖くなった」というのはどういうことですか?
生活は安定しているし、仕事もやりがいがあって、収入も上がっていく。はたから見たら、会社員としてはとても順調だったかもしれません。でも、忙しい毎日の中で「私は一生こんなふうにして働いていくのかな?」と、不安になったんです。収入もある程度伸びてきていたので、これ以上の金額をもらえるようになったら、きっと手放すのが怖くなってしまうだろうと。
――会社の中で順調にキャリアを積んでいたからこそ、立ち止まりたくなったと。
「手放すなら今だ!」と強く思ったのを覚えています。そこで、先のことも考えずに見切り発車で会社を辞めました。そこから何をするかはまったく決まっていませんでしたが、「まずは辞めないと始まらない」という気持ちでしたね。
――立ち止まることで、一度自分自身をリセットしたのですね。
会社員時代は本当に毎日一生懸命仕事をしていたので、プライベートの充実を優先してこなかったんです。辞めてからの約一年は、貯金を切り崩しながらのんびりと暮らし、今後自分がどのように生きたいのか考えました。
それでも、結局明確な答えは出なかったんです。ただ、「会社員に戻ろう」とは思えなかった。そこで、自由と責任が伴う「起業」という選択肢が浮かびました。
――「自由」と「責任」が伴う働き方が、飯田さんにとって大事なポイントだったのですね。
会社員時代も、より責任の重い仕事、決定権のある仕事をさせてもらえるとやり甲斐を感じていました。全ての決定権と責任を担う起業は、自分に合っているのではないかと思い至ったんです。
「好きなことを仕事にする」というより、働き方の選択肢の1つとして「起業」という働き方を選び、その中で、漠然と好きな食の仕事についた、という流れです。
まずは小さなことから。コツコツと発信してチャンスを掴む
――もともとは会社員をしていたところから、どうやってお菓子の事業を始めていったのですか?
開業資金を貯めていたわけではなかったので、先行投資が必要な店舗経営は選択肢にはありませんでした。幸い、大学時代にお菓子業界に関わっていた経験があったので、プロには全く敵わないけれど、お菓子作りの基礎知識とスキルはあった。そこで、なるべくお金をかけずに小さく始められる展開の仕方を考えて、お菓子教室と商品開発から小さく事業を始めました。
――なるほど、商品を作って売るのではなく、スキルやアイディアを提供するところからスタートしたと。
前職でマーケティングの部署にいたこともあり、メディア系に強い人たちとのつながりも多かったので、「みんなに話したらうまくきっかけを掴めるんじゃないか」と感じたのも大きかったです。
タレントさんを起用してるような事業部の方もいたので、なにか少しでもチャンスが舞い込めば、という気持ちで、お菓子を作っては会社に差し入れに行き、「お菓子の事業を始めようとしているんです」と挨拶して回りました。
――まだかたちになる前の段階から、コツコツと発信をしていったのですね。
最初はとにかく営業活動をしていましたね。まだ会社名もなにも決まっていない段階で、とにかく「お菓子教室を始めるから、習いたい人いるかな?」「商品開発、メニュー開発の仕事を探してる人いないかな?」と呼びかけながら自分の作ったお菓子を配り歩いていました。そうしたら、前職の関係者の方がカフェの商品開発の仕事を持ってきてくれたんです。
――早速チャンスが! 飯田さんが会社員時代にお仕事を一生懸命やっていたからこそ、退職後も応援してもらえたように感じます。
本当にありがたかったですね。そこでご紹介いただいたのが、東京の麻生十番で新規オープンする予定のカフェだったんです。麻生十番には大使館がいくつもあり、海外の方も多く暮らしているエリアなので、ヴィーガンやグルテンフリーに対する考え方が日本の中でも早くから根づいている地域でした。
実際にそのカフェに採用された店員さんの中にも、ヴィーガンの方がいて。そこで初めて、「そうか、卵・乳・小麦を使ってしまうと、ヴィーガンやグルテンフリーを選ぶ人たちは食べられないんだ」と気がついたんです。その頃、ちょうど食品アレルギーの問題も注目されていた頃だったので、そこからヴィーガン・グルテンフリーのお菓子を開発し始めました。
――たまたま掴んだ仕事のチャンスが、ヴィーガン・グルテンフリーの世界に踏み込むきっかけになったのですね。
そうなんです。メニュー開発を進める中で、感度を上げて周りの声を聞いていくと、「みんなと同じお菓子が食べられない」「楽しく美味しいお菓子が食べたい」という声が聞こえてきて。
ただ「美味しいお菓子」を作るのではなく、「悩んでいる人たちの課題を美味しいお菓子で解決する」方がいいんじゃないか、と自分の進むべき方向性が見えてきました。
・・・
インタビュー後編では、長野移住と、事業をかたちにしていくまでの過程や仲間の増やし方、これからの展望について聞きました。
・CoCoChouChouのホームページ
・CoCoChouChouのオンラインショップ
DXファーストステップセミナー
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中小企業等がDXの取り組みをはじめるきっかけとし、生産性向上やビジネスモデルの変革を図る機会とするためのセミナーを開催します。
https://www.pref.nagano.lg.jp/nagachi/nagachi-shokan/2024dxseminar.html
出張相談WEEK! @南信州・伊那谷
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長野市と松本市に設置されている県の創業相談窓口「信州スタートアップステーション」が、地域の金融機関や支援機関の皆様と共に南信州・伊那谷にて3日間にわたる出張相談会を開催します!創業・起業に向けたご相談(ビジネスアイディアやビジネスモデルのブラッシュアップ等)や創業後の事業拡大に関するご相談(事業戦略やマーケティング計画等)など、起業・創業に関するどんな内容でもご相談をお受けいたします。また、当日は、相談窓口のみならず現地の支援機関の皆様とのコラボイベントも予定しておりますので、お気軽にお立ちよりください。
◆日程
DAY1:7/29 10:00〜 @エス・バード(飯田市)
DAY2:7/30 10:00〜@テンリュウ堂(飯田市)
DAY3:7/31 10:00〜@inadani sees(伊那市)
◆お申込方法
個別相談は事前予約制(相談無料)となっております。
以下の申込フォームにて、相談者様情報の記載及びご希望の日時等を選択してください。
https://forms.office.com/e/zsJsU78
※各コラボイベントは事前予約不要です。直接会場へお越しください。
(7/29のコラボイベントはオンライン開催となり、事前登録が必要です)
※以下のリンクからお申込みください
https://zoom.us/webinar/register/WN_zPMPRE84SlauPpJD3ziPcA
◆対象者
創業前から概ね創業後5年以内の方
既存企業の事業承継により創業する方及び新規事業に取り組む方
◆その他
詳細については、チラシをご覧ください。
まちなかパワーアップ空き店舗等活用事業補助金
長野市
長野市中心市街地(長野・篠ノ井・松代)の空き店舗・空き家・空き倉庫等を賃借して出店する事業に対し、改修・改築費及び附帯設備の設置に要する経費を補助するもの。
補助率1/2 補助上限額30万円(ただし、市が指定する通り沿いへの出店に対しては50万円)
大町市「空き店舗活用事業」補助金
大町市
この制度は、中心市街地の空き店舗を使用して開業しようとする方を支援し、商店街の活性化を図ろうとするものです。家賃補助と改修費補助があります。補助額は、家賃2分の1以内、限度月額10万円、12月、改修費は3分の1以内、限度額100万円。
要件等詳細は、大町市ホームページをご覧ください。
詳細リンク
大町市起業支援補助金
大町市
地域の活性化及び定住促進を図るため、個人が新たに起業するために要する経費に対し、補助金を交付します。本補助金をご活用いただく場合は、事業の採択決定後から着手する必要があります。また、審査には一定期間(2~3カ月)を要することをご承知おきください。補助対象は起業に必要不可欠な設備等、補助額は100万円程度(加算条件あり)。
詳細は、大町市ホームページをご覧ください。
詳細リンク
【7/19-21】WE-Nagano Global Conference
県内全エリア
女性的な視点から創造する「良い企業」「良い地域」
WE-Nagano(Women Entrepreneurs Nagano)は、
すべての人が「わたし」を創造的に生きることを応援する長野県立大学発のプロジェクトです。
すべての人が起業家精神を持ち、一人一人がイノベーションを生み出す「わたし」として、グローバルな視座と女性的な視点から地域について考え、国籍・性別・世代・分野などを超えて、共に未来をつくっていく3日間のグローバル・カンフェレンスを開催します。
1・2日目は、仏教・アート・ビジネス・アカデミアの多彩な分野のスピーカーによるセッション。
3日目は、2日間のセッションを通じて生まれてきた気持ちをアートを通じて表現し、未来に繋げていくワークショップの実施。
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◾️開催日・場所
7月19日(金) 長野市芸術館 アクトスペース( 鶴賀緑町番地1613)
7月20-21日(土) 長野県立大学(長野市三輪8-49-7):
◾️お申し込み
https://we-nagano-01.peatix.com/
(一部、先着順/有料セッションがございますので、お申し込みをお願いします)
WE-Nagano HP:https://we-nagano.com/
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信州・創業入門ゼミin中信
県内全エリア
新規事業を成功に導くために必要な心構えや基礎知識を学び、様々な困難を乗り越えるための2日間の入門講座。専門家講師のもと、ディスカッションを重視したゼミナール形式の講義運営が特徴です。自分なりの事業計画書を書いた先はお近くの商工会・商工会議所の経営指導員が伴走して、計画の実行や各種支援施策の活用をサポートいたします。
「はたらく」を 小さく わたしらしく つくりだす 学生起業のすゝめ
県内全エリア
こんにちは〜!
SSSWのコーディネーターをしている合同会社キキの川向思季です。
長野県の女性の創業・起業支援(Shinshu Startup Station Women:SSSW)は、
2023年度から始まり、個別相談員/メンターとしても2年目となります。
合同会社キキは、「こうありたい日常を自らの手でつくり出す」を掲げ、
#暮らし #学び #はたらくをテーマに、仕組みを整える仕事をしています。
合同会社キキ自体、学生起業とこいうこともあり、
普段から若い世代の「やってみたい」の声を聞くことも多いです。
現在もメンバーの半分以上が社会人大学生や学部生、
立ち上げメンバーが20代前半女性ということもあり、
いろんな悩みを抱えながらいろんな人に助けられている日々です。
SSSWでは、同じ悩みを抱えた人に寄り添いつつ、
一緒に考えたり乗り越えたいと思い参画しています。
*
「起業」という言葉を聞くと、ビジネス色の強いエネルギッシュなイメージ
を持つ方も多いと思いますが、起業のあり方は多様化しています。
その中でも、自分の名前でお仕事をするフリーランス(個人事業を含む)は
働き方に自分らしさを求める若い世代や、様々なライフイベントを迎える女性に人気です。
私たちの会社も、創業メンバーの2人が会社を立ち上げる前は
それぞれ個人として、「はたらく」を小さくつくる練習を積み重ねていました。
学生の頃は、お金目的で始めた訳ではありませんでしたが、
続けていきたいという思いから、なんとなく月3〜5万円と考えていたと思います。
ロールモデルとなる、いいメンターと出会えたことが何よりのきっかけとなり、
企画の方法やコミュニケーションはもちろん、請求書の出し方まで、
初めは全て真似るところから始まり、今は自分のやり方を少しずつ確立しているところです。
学生起業に取り組む人もいろいろなパターンがあります。
学生時代に頑張り、その経験を活かし就職する人もいれば、
後輩に譲渡/継承するという人も。
卒業後もその事業で暮らしていく人もいます。
学生起業の大きなメリットは圧倒的に時間があることです。
そして学生という立場上、教えてくれる人が多いということです。
わからないことをわからないと言えることが、学ぶきっかけをつくります。
そして20代の学びはかけがえの無い財産となります。
もしかしたらその先に、一緒にやりたい人や、心地よい規模、
人生をかけて挑戦したい未来への希望とめぐり逢うのかもしれません。
“わたし”を創造する起業/働き方
飯山エリア
長野エリア
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諏訪エリア
上田エリア
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自分の働きやすさって、どう見つけるの?働きながら、自分の興味を広げていくってどうするの?
キャリアの転換期をどう迎えて、どう転換していったの?異なるキャリアに挑戦する際の成功事例や失敗談を通じて、キャリアの変革をしていった長野のSSSWの事務局メンバー。子育てとキャリアの両立について、実体験をもとにした具体的な方法や、個々のライフスタイルやパーソナルなニーズに合わせた最適な働き方を見つけるためのアプローチについて考察します。
【日時】
7月17日(水) 12時~13時
オンライン開催
【概要】
<登壇者>
・渡邉さやか(長野県立大学大学院講師、一般社団法人AWSEN代表)
・勝山由莉愛(長野県立大学大学院1年生)
・塩入美雪(株式会社SALT代表)
<タイムスケジュール>
12:00 参加者チェックイン
12:10 SSSWメンバーの事例紹介
12:30 フリートーク
12:45 参加者交えたトーク(質疑応答)
【お申し込み】
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeBI3B2ekGNeWqy7sCKyHzDGo_fG3MPppCENydaZWAHmlFOwg/viewform?usp=pp_url
【ターゲットオーディエンス】
・起業家やフリーランス志望者の女性
・キャリアチェンジを検討している女性
このセミナーは、参加者が自らの働き方やキャリアについて深く考え、自己実現を促進することを目的としています。特に、起業やフリーランスとして活動する方、またはキャリアの転換を考えている方々におすすめです。
ぜひご参加お待ちしております!
「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【後編】先輩起業家インタビューvol1
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
長野県上田市で、創業13年目を迎える「株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)」。代表取締役の児玉光史(こだまみつし)さんは、事業の主軸である「カタログギフト」をつくり続ける意味を見失ってしまった時もあったといいます。
インタビュー後編では、長く会社を続けるためのバランスの取り方について聞いていきます。
<お話を聞いた人>
株式会社地元カンパニー 代表取締役 児玉光史(こだまみつし)さん
長野県上田市のアスパラ農家に生まれ、大学卒業後は電通国際情報サービスにてシステムセールスに従事。退職後、東京で暮らす農家の跡継ぎコミュニティを立ち上げ、地域の産品を都内で実験的に販売。自身の結婚式で「ご当地グルメのカタログギフト」を引出物として配布し好評だったことをきっかけに、株式会社地元カンパニーを設立。
会社経営は「旅」と一緒。ゴールがなくても先を目指せる
――「創業する」というのは、始めることよりも、そこから事業を長く続けていくことが大切だと思うのですが、児玉さんが10年以上事業を続けてこられたのはどうしてだと思いますか?
そもそも、僕は「会社を10年続ける」とか「100年続く会社をつくる」という目的を掲げていたわけではなくて。こうして長く続けてこられたのは、ただ「興味が尽きなかった」からですね。
会社を経営していると、日々「なんだこれは!」と思うような事件が目の前で起こるんです。「何でこういうことが起こったんだろう?」と考えたり、それを解決したりし続けてきた延長に今があります。会社を続けることへの興味は尽きませんね。僕は、会社を続けることは旅をするのに近いと思っていて。
――旅、ですか?
はい。旅って、目的地はあれど「これを達成しよう」というゴールはないじゃないですか。でも、旅路の最中ではいろいろ起こるし、いろいろ考える。そしてそれが全て自分の経験になる。僕はほぼずっと長野県の上田市にいますが、旅をし続けている感覚なんです。
――興味と好奇心が尽きなかったから、歩き続けてくることができた。
そうですね。創業者はみんなそうだと思うけど、やっぱり自分で事業を続けていくのは面白いですよ。飽きないです。……いや、飽きたこともありましたね。
――それは何に飽きてしまったんですか?
「カタログギフト」の事業自体にです。自分自身が農家のせがれであり、地元への思いがあってはじめた事業でしたが、「僕はどうしてこの事業をやっているんだろう?」と、続ける理由が薄れてしまった時がありました。
――会社の主軸である事業に飽きてしまったと。児玉さんはそこからどうやって気持ちを持ち直したのですか?
僕は社長ですし、社員もお客さんもいる。「飽きました」なんて周りには言えませんでした。そこで、もう一度この事業に「ロマン」を見い出そうと、改めて「ギフト」や「贈与」の仕組みについて学び直してみることにしました。そうすれば、事業を続けるヒントが得られるかもしれないと思ったんです。
――「こんな引き出物があったらいいな」から始まった事業の根本を、改めて見つめ直したのですね。
哲学書や歴史書をいろいろと読んでみたら、「ギフト」にはちゃんと歴史的な成り立ちがあって、どんな意味合いをもって現代まで受け継がれてきたかを再認識できました。そうして、再び自分の事業にロマンを見出して向き合えるようになった。それ以来、「飽きたら飽きたでまたロマンを見出せばいい」と考えられるようになりましたね。
この世にはまだまだ自分の知らないロマンが溢れている
――何年間も続けてきた事業でも、根本から学び直すことでちがう見方ができると。
その時に、「飽きる」というのは、自分の浅はかな知識を棚に上げて、駄々を捏ねているだけなのかもしれないと考えたんです。自分の知ってることなんてごくわずかだから、深掘りすればまた新たな解釈をした上で事業や物事に向き合うことができる。
――児玉さんは、ロマンを感じることが原動力になるのですね。
僕の場合はそうでした。この世には、まだまだ自分の知らないロマンが溢れています。ギフトに限らず、全ての業種にはそういうロマンチックな部分があるはず。「ギフト」にロマンを見出したからこそ、今の目標である「1億コード達成」にもつながってくるんです。
お金を払って何かを買うのは「交換」だから、その人の意志がないと物が手に入らない。でも、「ギフト」はあくまで「贈与」だから、うちの「地元のギフト」を欲しいと思っていない、なにかを自分で買うことすらできないくらいつらい状況にある人にだってポンっと急に届く可能性がある。それってすごくロマンチックだなと。
――「旬の果物を食べる」という選択肢がない人にも、おいしいりんごが届く未来が訪れる。
自分の生活がいっぱいいっぱいのときに、「地方のおいしい野菜を食べよう」なんて思えないじゃないですか。スーパーで買い物をするにしても、数十円でも安いものを買ってしまうことがざらにある。でも、「ギフト」であれば、孤独な人や、生活が苦しい人にも地方の産品が届く。お金のある人しか対象にしないのが経済なのに、余裕がない人にも届く可能性がある。これはいいぞ、と。
――事業を続けることへのロマンを問い直し、また道が見えてきたと。
僕はいちいちそうやって考えては一歩ずつ進んできているので、会社として成長することはどうしても時間がかかっていますね。経営者としては下手くそというか、一足飛びに売り上げや利益を上げたくてもうまくできないんです。その分伸び代があると思って会社を続けています。
自分に合った環境で、心身を健康に保ちながら歩き続ける
――児玉さんは、東京で会社員をしていた経験も、創業当初は東京にいた経験もありますが、長野県での働きやすさはどう感じていますか?
うちの事業自体は、全国各地の地方にいる人たちとの取引が多いので、東京にいたときよりもシンパシーを感じてくれることが多く感じます。
それから、長野は情報が過密ではないので落ち着きますね。東京で起業系のイベントにいくと、「うまくいっている」ように見える経営者たちをみて、「俺ももっとがんばらなきゃ」と精神的にくらってしまうことがあるんです。
「隣の芝は青い」とよく言いますが、東京にいると、意識しなくても勝手にほかの会社や経営者の情報が入ってきてしまいます。予期せぬダメージを食らわない環境で働くというのは、僕自身に合っている気がしますね。
――周りと比べず、自分のペースでいられると。
ヘルシーでいられますね。情報の暴飲暴食をせず、ちゃんと咀嚼して、デトックスができる。気持ちが強い人は、たくさん情報を摂取して走り続ければいいと思いますが、僕にとっては、地元である長野で会社をやるのが合っているんだと思います。
会社経営はマラソンに例えられるように、長期戦だと思っています。僕は心身共に健康な社長でいたい。健康第一ですね。結果それが会社のためにもなると思うので。その点、長野は新鮮な野菜などおいしい食材が手に入りやすいですし、自然が豊かでスポーツやアウトドアクティビティにアクセスしやすいのも好きですね。
――心の健康のために意識していることはありますか?
経営者仲間の存在は大きいです。上田市はもちろん、長野市や松本市、東京を始めとした全国各地に経営者同士のつながりがあるんです。
「最近どう?」といった雑談から、「社員が辞めてしまうのはつらいよね」「社長の立場ってなんなんだろう?」など、家族や社員には話せないような話をすることもあって。みんなとああでもないこうでもないと話す時間は楽しいですし、気持ちが救われる部分がありますね。
普段から周りに相談しやすい環境を作っておくことが、自分も相手も守ることになる
――たしかに、経営者という立場は弱みを見せづらい一面がありそうですね。
ずっと強気な姿勢を見せることも大事かもしれませんが、経営者だからといってすべてを背負うのは無茶な話です。そういう自分の弱さや、悩みを打ち明けられる存在が組織の外にいることは、経営者にとってのセーフティーネットになると思います。
それに、自分が弱みを見せれば相手も弱さを見せてくれますし、日頃から弱みを見せておけば、本当に困ったときに助け合いやすい。周りに相談しやすい環境を作っておくことは、僕にとっては大切ですね。
そうやって、いつでも相談をし合える関係性を維持しておくのは、自分のためでもあるし、家族のためでもあるし、会社のためでもありますよね。
――自分が弱さを見せることが、相手にとっても頼る理由になると。児玉さんは、創業当初から悩みや弱みを相談できる相手はいましたか?
創業当時は、そんなことは考えていなかったです。でも、家族が増えて、社員も増えてきた時に、漠然と「生きていたいな」と思ったんです。悲しいことに、経営者の中には自分一人で悩みを抱え込んでしまい、心身を壊してしまう人もいます。自分は、体力的にも精神的にも潰れないようにしようと意識していますね。そのためにも、相談をしたり話をしたりできる相手がいることは大事だと思います。
それに、事業を大きく成長させていく上では多くの人の考えやアイデアが必要だと思います。社員と話し合うことももちろん大事ですが、会社組織の中だけでものごとがすべて動いていくわけではないと思っていて。
――いろいろな視点や考え方が必要だと。
事業のヒントは、経営者仲間との話の中にあるかもしれないし、小説や普段の風景の中に隠れているかもしれない。今の目標の「1億コード達成」にしても、どんどんみなさんの知恵やアイディアを拝借したいです。これからもたくさんの人と話をして、助けたり助けられたりしながら進んでいきたいですね。
<地元カンパニーへのお問い合わせ>
「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【前編】先輩起業家インタビューvol.1
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、年間1億人まで届けることだってできます。」
そう語るのは、長野県上田市で地元のカタログギフト事業を営む「株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)」代表取締役の児玉光史(こだまみつし)さんです。インタビュー前編では、「地元カンパニー」創業の経緯と、これまでの道のりや現在の目標を聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社地元カンパニー 代表取締役 児玉光史さん
長野県上田市のアスパラ農家に生まれ、大学卒業後は電通国際情報サービスにてシステムセールスに従事。退職後、東京で暮らす農家の跡継ぎコミュニティを立ち上げ、地域の産品を都内で実験的に販売。自身の結婚式で「ご当地グルメのカタログギフト」を引出物として配布し好評だったことをきっかけに、株式会社地元カンパニーを設立。
実家のアスパラガスの販売から事業をスタート
――まずは、株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)の概要について教えてください。
地元カンパニーは2012年に創業しました。現在は、長野県上田市に拠点を置き、約30名の社員と共に「地元のカタログギフト事業」「ギフトシステム事業」「お土産開発事業」を行っています。
――「地元のカタログギフト」とは?
都道府県や市町村単位のグルメを集めたカード形式のカタログギフトです。現在は約1300事業者様が参加してくださっていて、果物、野菜、生鮮品などそれぞれの「地元」の多種多様な商品がラインナップされています。
例えば「長野県のギフト」には、長野市のおやき、上田市の味噌、佐久市のプルーン、山内町のシャインマスカットや、小諸市の信州そばなどが掲載されています。個人のお客様はもちろん、結婚式の引き出物や内祝い、企業の株主優待、キャンペーンの景品、福利厚生などでご利用いただいています。
――一般的なカタログギフトと比べて、「地元のカタログギフト」にはどんな特徴がありますか?
ご注文いただいてからすぐにギフトが届くのではなく、「旬の時期」をお待ちいただくのが「地元のカタログギフト」の特徴です。例えば、6月に受け取ったカタログギフトで長野市のりんごを注文した場合、りんごが届くのは10月〜12月になります。
また、「地元のカタログギフト」作成にあたり、一件一件生産者の方々に取材を行っています。商品だけではなく、商品のつくり手、そして後継者の人々にもフォーカスし、つくり手の人となりや、ものづくりへの思いを伝えます。
――児玉さんが「地元のカタログギフト」の事業を始めたのはどんな背景があるのでしょうか。
僕の地元は長野県の上田市で、実家はアスパラ農家をしています。僕は大学進学のために上京し、そのまま東京の大手システム会社の営業マンをしていたのですが、地元に対する思いが拭いきれず、「自分はこのままでいいのかな?」と四年目で会社を辞めました。
――当時から、「地元のために創業したい」という思いがあったのですか?
何となく地元に関わっていたいとは思っていましたが、当時はまだこれといったビジョンはありませんでした。会社員を辞めてからはしばらくはWEB関係の仕事をしていましたが、東京で暮らすうちに自分と同じように地方から上京してきた農家の息子や娘たちと出会ったんです。
そこで、「自分達の実家の野菜を東京で売ってみるか」と、「セガレ」を立ち上げて、マルシェや駅前で野菜の販売を始めました。まだ「創業」といえる代物ではありませんでしたが、そこが僕のスタート地点でしたね。
「会社をやってみたい」という好奇心から「地元カンパニー」を設立
――そこから「地元のギフト」を思いついたのはどうしてですか?
たまたま僕が結婚する機会に恵まれて、結婚式で引き出物を準備する必要があったのですが、既存のカタログギフトを見てもピンとくるものがなかったんです。「せっかくなら、作り手の顔が見れる『セガレ』の仲間たちの実家の野菜やお酒、お米を贈れたらどうだろう?」と考えたのがはじまりでした。
――実体験からくるアイディアだったのですね。
早速、実際に自分たちで作ったカタログギフトを引き出物として使ってみたら参列者の方々にも好評で。「これはいけるんじゃないか?」と感じたのが「地元カンパニー」創業のきっかけの1つですね。
――会社を立ち上げることはハードルには感じませんでしたか?
むしろ、当時自分は30代に差し掛かった頃だったので、「いつまで東京で野菜を売っているんだ?このままでいいのか?」という気持ちがありました。
また、「セガレ」を通して、会社ではない組織体で動くことも経験してみましたが、やはり難しさがありました。同じ思いを抱えた仲間同士でも、全員本業ではないし関わる目的も様々で、金銭の授受が発生しない。面白くはありましたが、よくわからない状態でした。社会で生きていく上でも、「会社を経営している」という肩書きがあったほうがいろいろと動きやすそうだなと。
単純に「会社をやってみたい」という好奇心も大いにありましたね。そこで、「よし、会社を作ろう」と2012年の4月に登記し、社長になったわけです。
――とはいえ、会社ができたからといって事業がうまくいくわけではありませんよね。
そうなんです。「いけそうだ!」と感じたカタログギフトでしたが、いざ始めてみたら最初は知り合いが数件購入してくれるだけでまったく売上が立たず……。そこからは、とにかく思いついたことは全部やってきました。本当にいろんなことがありましたね。
今年で起業して13年目を迎えるのですが、ようやく会社として安定してきた気がします。財務的に「安定」というよりは、進むべき方向が見えてきた感覚ですね。
――事業の方向性が絞られるまでは、どんなことを?
東京から上田にUターンした後は、入居した建物にカフェ機能があったので、カフェ営業に取り組んでみましたが、全くうまくいきませんでした(笑)。Uターンの促進の事業も立ち上げましたが、なかなか事業としては成り立たず。
そんなふうに、もう覚えていないような失敗がいくつもあります。「地元のカタログギフト」も、いまでこそ軌道に乗っていますが、今のスタイルが確立するまでに「やらなくてよかったこと」はたくさんあったと思います。
まずは「自分でやってみる」。その繰り返しで「やるべきこと」を選び取ってきた
――「創業する」ということは、「なにをしてなにをしないか」の選択の連続ですよね。児玉さんは、まずやってみてから取捨選択をしていくのですか?
そうですね。僕は数学が好きなんですが、公式を使わずに解く癖があるんです。たとえば、他の会社のやりかたや成功事例を自社に持ち込むこともできたと思うんですが、僕はそれがどうしても気持ちが悪くて。
――「気持ちが悪い」というのは?
外から何かを持ってきてうまくいったとしても、どうしてうまくいったのかがちゃんと腑に落ちないといやなんです。だから、たとえ下手でも、うまくいかなくても、一から自分でやるのが好きなんですよね。
たとえば、事務所のタイルカーペットも自分たちで敷きました。外注すればすぐに終わるしきれいにできるかもしれませんが、自分たちでやってみることでチームビルディングになるし愛着が湧く。事業の運営においても、「時間や機会をお金で買わない」ことは意識しているかもしれません。「好奇心旺盛」といえばいい表現ですが、スピードを犠牲にしていますし、「やってみたい、やってみよう」でやることを増やして、一定数増えたら「なにか減らさなきゃ」とやるべきことを絞ってきました。
――創業から10年以上の試行錯誤があって、今があるのですね。
こういうことを話すと、「創業はやっぱり大変なんだ」と思われてしまうかもしれませんが、10年以上の時間がかかったのは僕の性格による部分が大きいんじゃないかな。
世の中でうまくいっている事業を参考にしながらサービスを始めれば、最初からある程度はうまく回っていくと思うのですが、僕の場合は、「ちょっと変わったこと」や、「今までにないことをやってみる」ことが好きなんです。
ギフトを通じて誰もが「待てる」社会をつくりたい
――地元カンパニーは企業理念に「待てる社会をつくる」を掲げていますが、この部分は10年以上会社を経営する中でもぶれないままでしたか?
いえ、一番最初の企業理念は、「地元をいい感じにする」というふんわりしたものでした。「いい感じ」にする方法はたくさんあるよな、自分達になにができるんだろう、と事業を成長させながらも考え続けて、10年以上経ってようやくしっくりくる言葉に落とし込めました。
よく、創業にあたって「まずは理念やコンセプトをしっかり練らないと」という声もあるかもしれませんが、僕はそういうスタートではなかったですね。好奇心からはじまった創業で、ああでもないこうでもないと続けているうちにしっくりくる理念ができあがったのが実態です。
――児玉さんの目指す「待てる社会」とは、どんな社会ですか?
「待てる」ことは、未来に希望があるということだと思っています。自分もそうですが、毎日毎日いいことばかりが続くわけではないですよね。辛い日もある。そんな日でも、「ちょっと前に選んだりんごが、明日届くかもしれないし、今日はもう寝るか……」と、ちょっとでも思い出してくれたら、うちのギフトをつくった甲斐があるなと。
――たしかに、現代はなんでもすぐに手に入るからこそ、「なにかを楽しみに待つ」という経験が逆に貴重になってしまっているかもしれませんね。
だから、つらい事件が起こると僕はいつも責任を感じるんです。もしもうちのギフトがその人に届いていたら、自ら死を選んでしまったりとか、事件を起こしてしまったりすることを防げたんじゃないかと。
僕らの力がもっと大きければ、根本的な問題の解決に繋がっていないとしても、その人に「地元のカタログギフト」が届き、旬のアスパラやリンゴを「待って」いる間に、決断や行動を保留させることができたかもしれない。
――「待てる社会」の実現に向けて、児玉さんの今の目標はなんですか?
「1億コード達成」です。
――「コード」とは?
僕たちは、カタログギフト1件の申し込みあたり「1コード」と呼んでいます。日本の人口は約1億人なので、日本人全員に最低でも年に1回は僕たちのギフトが届くようになったらいいなと思っています。
――ゆくゆくは日本人全員に! 現在は、年間何コード分のギフトが人々に届いているのでしょうか。
今は年間約8万コードです。1億コードを達成するには、ここから1000倍以上の成長が必要です。遠い目標に思えますが、僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、1000倍も達成できます。
「1億」というのはあくまで日本人全員の象徴なので、つらい日々を送っている人を、一人でも前向きな気持ちにすることができるよう、これからも事業を続けていきたいです。
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インタビュー後編では、長く会社を続けるためのバランスの取り方について聞いていきます。
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