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地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【前編】先輩起業家インタビュー
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地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「一つ大きかったのは、地域の現状を目の当たりにしたことですね。例えば、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見て、『自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない』という危機感がありました」

そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三ヶ月で創業を果たしました。

インタビュー前編では、地域と人をつなぐビジョンや、それぞれのキャリア、お二人が「みみずや」を立ち上げるまでの背景についてお聞きしました。

<お話を聞いた人>
株式会社みみずや

■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。

■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。

「みみず」のように地域を豊かにたがやす

――まずは株式会社みみずやの事業概要について教えてください。

中條さん:株式会社みみずや(以下、みみずや)は、飯綱町に拠点を置き、分野に囚われず結果的に地域課題を解決していく事業を展開しています。ビジョンとして「素直に生き、豊かさを紡いでいく」、そしてミッションとして「『みみず』のいる場が増える」を掲げています。みみずは、土を豊かにする循環の象徴でもあり、人々の心やコミュニティも同じように豊かにする存在です。この考えを軸に、地域資源を活用した事業を幅広く展開しています。

滝澤さん:もともとは私と中條の二人でスタートした会社ですが、設立から三期目を迎えた今、関わるメンバーが増え、それぞれが自分の得意分野を活かして事業を推進しています。これからはさらに仲間を増やし、地域の人々と一緒に事業を成長させていくフェーズに移行していきます。

――具体的にはどのような事業を行っているのですか?

中條さん:事業は大きく3つ、農業に関する事業と、地域に関する事業、そしてみみずに関する事業に分けられます。

まず、農業に関する事業では、有機栽培野菜の生産販売や、環境循環型農業資材の販売を行っています。ほかにも、例えば地域の遊休農地を活用し、さまざまなバックグラウンドを持つ方との「コラボファーム」という形で、農地を活用した新たなビジネスモデルも探索中です。

そのうちの一つが、元サッカー日本代表である石川直宏さんとコラボした「NAO’s FARM」です。アスリートをはじめとする多様な人々が畑に集まり、農業を通じたフラットなコミュニケーションから、自らのキャリアについて考えるきっかけづくりをおこなっています。

次に、地域に関する事業では、廃校をリノベーションしたフィットネスクラブ「Sent.」の運営を通じて、地域住民が健康維持と交流を楽しめる空間を提供しています。ほかにも、地域の企業と連携しながら、次世代の地域人材を育成するための取り組みも進めています。

最後のみみずに関する事業では、みみずを使って生ごみを土に還す「コミュニティコンポスト」を活用した地域循環デザインの構築や、飯綱町内外各地でみみずに関するワークショップを行っています。

――事業展開の幅広さに驚きました。「みみずや」が目指す方向性をもう少し詳しく教えてください。

滝澤さん:よくわからない会社ですよね(笑)。何をやっているのか一言で相談できないのが悩みです。僕のおばあちゃんは、僕が農家さんだと思っているくらいです。二人とも意味づけをするのが得意なので、相談事や依頼があったときにいい落としどころを見つけられるんです。だから、誰とでも協創ができますし、やることや手法には一切こだわっていないんです。結果として地域が良くなればいいと考えています。

中條さん:私たちは、事業を通じて地域課題を解決することを目指しています。そのため、課題に応じて柔軟に事業内容を変化させることを大切にしています。共通しているのは、「循環」と「つながり」という考え方です。『みみず』のように、環境や人々の間でのつながりを生み出し、それを持続可能な形で広げていくことが目標です。

キャリアの変遷の中で、「地域と向き合う仕事がしたい」という思いが芽生えた

――「みみずや」を立ち上げるまでのお二人のキャリアや、二人の出会いについて教えてください。

滝澤さん:私は1995年生まれ、長野県上田市出身です。子供の頃からドラえもんみたいなロボットが作りたくて、エンジニアを目指して長野工業高等専門学校(以下、高専)に進学しました。中條は、高専時代のサッカー部の先輩で、たまたま寮の同じフロアで生活をしていました。寮のお祭りの企画を一緒にしたこともあり、先輩後輩や友人関係というよりは、当時から仕事仲間みたいな付き合い方をしていましたね。卒業後も、定期的に会って話をしていました。

――エンジニアを目指していたところから、現在のみみずやの地域に関わる事業に至るまでは大きな違いがあるように感じます。どんな心境の変化があったのでしょうか。

滝澤さん:「ドラえもんを作りたい」というのは、「人の暮らしの役に立つ何かを作りたい」という思いが根っこにあったんです。ですが、高専で勉強をしていく中で、一体のロボットを作るには果てしない時間がかかるとわかって。そこで、自分にできることを考え直して、人の生活と密接に関わる素材について学ぼうと信州大学繊維学部に進学しました。

在学中に、アスリートのセカンドキャリア支援を通じて地域とつながる事業を展開している株式会社I.D.D.WORKSでインターンシップを行うようになったことから、「地元で楽しく暮らしたい」という思いが強くなりました。それと同時に、「仕事やお金」を理由に地元を離れる仲間が多い現実にも直面し、「地域やコミュニティに向き合う生き方」を真剣に考えるようになりました。

――中條さんのキャリアについても教えてください。

中條さん:私は1994年に長野県大町市で生まれ育ちました。自然の中で過ごす時間が多く、特に川遊びが大好きでした。その延長で、水やエネルギーに興味を持つようになり、高専に進学しました。高専卒業後は、関東の重電機器メーカーに就職し、発電所や変電所向けの機器開発に携わりました。

当時の自分は、出世や業務効率ばかりを考えていたのですが、2019年に起きた長野県の台風被害が大きな転機となりました。ボランティアで長野に戻ってきたら、私が関わった設備が水没し、一瞬で壊されている光景を目の当たりにしたんです。無力さを感じると同時に、相手の顔が見えないモノづくりを続けることへの疑問が湧いてきました。「もっと地域や自然、人とのつながりがもてる仕事をしたい」と思い、2020年に長野へ戻ることを決意しました。

滝澤さん:僕は、中條のような優秀な高専の卒業生が「仕事がないから」と長野を離れては、自分の仕事にモヤモヤしている状況にずっと違和感を感じていました。中條が当時の仕事に対して無力感を抱えていると聞き、僕が在籍していた会社の飯綱町の事業に誘いました。

中條さん:滝澤と一緒に、事業を通じて地域との関わりを深めていく中で、自分の情熱は「地域全体を巻き込んだ地域の活性化」にあることを再認識しました。

農業とどう向き合うか。会社との方向性の違いが独立の転機に

みみずやの「農地活用 × キャリア開発」の事業の一部は前職から引き継いだもの。元アスリート選手と共に地域で農業に取り組む

――お二人にとって、前職での経験が地域への思いを強くするきっかけとなったのですね。そこから二人での独立を選んだのはどうしてですか?

中條さん:前職では、アスリートのセカンドキャリア支援の一環として、農業を通じて地域とつながる活動をしていました。事業を通じて「地域にはまだ多くの可能性が眠っている」と感じる一方で、会社の主軸が「アスリート支援」に特化していたことから、もう少し広い視野で地域と関わりたいと思うようになりました。

滝澤さん:私も同様で、前職での経験を通じて、地域を豊かにするための多くの学びを得ました。だからこそ、より地域全体にアプローチしたいという思いが強くなりました。

――会社と社員という関係性の中で、会社の方向性に違和感を持つようになったのですね。そこから実際に二人で独立を決めるまではどのような経緯があったのでしょうか。

滝澤さん:2021年の9月から11月にかけて、社内で「今後事業をどうしていくか」という議論が始まったんです。その中で、自分たちが本当にやりたいことと会社全体の目指す方向性に違いがあることが明確になってきました。

中條さん:自分たちの軸は地域のあらゆる資源を活かした産業や人、仕組みづくりにあったので、この視点の違いが独立の決め手になりました。この視点の違いが独立の決め手になったんです。

――会社の目指す方向とは違う方向に進んでいきたくなったと。

滝澤さん:事業の方向性についての話し合いが行われたのは、年度末が近づいてきて仕事が区切られるタイミングだったので、「今を逃したら、また一年別の案件や仕事に追われてしまう」という感覚がありました。そこで「やるしかない」という結論に至りました。独立を決めてから実際に会社を設立するまでは約三ヶ月という短い期間で動きました。

中條さん:農業の現場に触れる機会が増えていく中で、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見ていたので、「自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない」という危機感がありました。それが創業を決意するきっかけになったと思います。

インタビュー後編では、実際に事業を引き継いで独立した後の手応えや、地域や農業に対する思い、今後の展望についてお聞きしました。

株式会社みみずやのホームページ