信州アクセラレーションプログラム成果報告【イベントレポート】

信州スタートアップステーション(SSS)では、長野での創業を考えている方や、支援機関の方向けのオンラインセミナーを定期的に開催しています。
11期目となる令和6年度は、人々のウェルビーイング向上や地域産業の課題解決を目指すソーシャルアントレプレナー3社が採択されています。
3月10日に長野市内で行われた成果報告会では3社の代表が登壇し、事業の内容やプログラムの成果を発表し、発表後は多様な参加者同士のネットワーキングも行われました。当日の様子をレポートします。

まずは長野県経営総合支援課による開会の挨拶のあと、信州スタートアップステーション運営より「アクセラレーションプログラム」についての説明が行われました。
「アクセラレーションプログラム」では、年に2回、公募により選定した企業等を対象に、数カ月間にわたりコーディネーター、メンターが起業家の様々な経営課題に対して短期集中型の伴走支援をします。
対象となるのは、明確なプロダクトやサービスが確立していない段階の創業における「シードステージ」にいる企業や事業者です。課題の解決に向けて、運営受託者のコンサルティングやメンター・アドバイザーによる支援、ヒアリングの機会の設定などを短期間で集中的に行います。
11期目となる令和6年度は、人々のウェルビーイング向上や地域産業の課題解決を目指すソーシャルアントレプレナー3社が採択されています。
いつものコーヒーに健康習慣をプラスする

続いて、各社の成果発表が行われます。まず一人目の登壇者は、株式会社ARARAT CREWS代表取締役・上野真路さん。株式会社ARARAT CREWSは、大学発のベンチャー企業であり、代表である上野さんの食に関する原体験をもとに、食×ヘルスケアの領域で事業を展開しています。現在は、いつものコーヒーにプラスしてヘルスケアをサポートするオイル「PERFECT PERFORMANCE COFFEE OIL」の開発・販売を行っています。
アクセラレーションプログラムでは、まずはSSSコーディネーターとの壁打ちとメンタリングを通じて抽象度の高かった課題の洗い出しと整理を行いました。そこから、具体的なペルソナを設定した上で、プロモーションビデオの撮影、継続率の向上、長野県内の展開という三つの課題を設定し、解決に向けた取り組みを行ってきました。
上野さん 「自分は大学を卒業して長野に帰ってきたので、どこのコミュニティに入ればいいのか、誰とつながればいいかわからずにいました。アクセラレーションプログラムに参加したことで、長野で人とのつながりができたことがこのプログラムに参加した一番の変化です。また、安曇野や松本の経営者の人と話す中で、『若くて頑張っている』というだけで自分を応援してくれる、賭けてくれる人がいると分かったことが自分の支えになりました。どんどん攻めていっていいとわかったので、これからの事業展開に生かしていきたいと思います」
今後は、To Cのサブスクの積み上げを測るほか、珈琲商社や専門人材との強い連携を結んでいるという強みを生かし、商品開発及びコンサルティングや、実店舗の運営に向けてさらなる事業展開を目指します。
農家とデザイナーをマッチングするレベニューシェア型デザイン伴走サービスで地域課題を解決

二人目の登壇者は、農家とデザイナーをマッチングするレベニューシェア型デザイン伴走サービス「nou×nou(ノウノウ)」を提供する株式会社Newtrial.代表取締役の松本寿治さんです。松本さんは、松川村の地域おこし協力隊としても活動しており、任期終了後は本格的な事業展開を目指します。
「nou×nou」は、「これからの農家の伴走者はデザイナーなのではないか?」という仮説から生まれたサービスです。対象となるのは、生産が安定しており、農表事業の規模拡大を目指す中規模農家です。レベニューシェア型により初期リスクを抑え、農家とデザイナーがお互いにコミットしながら農業事業の価値を最大化し、農家の収益向上を支援します。伴走支援を通じて商品価値やブランディングを向上する事で、持続的成長を目指します。
アクセラレーションプログラムでは、主にSSSのネットワーク活用のサポートを通じ、県内農家や「nou×nou」のビジネスに関連がありそうな事業者を洗い出し、アプローチ分析を経て15名にヒアリングを行いました。
松本さん 「最初に長野に来た時は、人とのつながりが無い段階だったので、事業のアイディアがあっても、地域課題に対して誰かと一緒に話してみることが出来ていませんでした。プログラムを通じて県内のさまざまな人と出会って話をし、壁打ちをすることによって、どうしたら話が出来るようになるのかがクリアになっていきました。今後事業を提案する上での道しるべになったと思います。」
ヒアリングを通じ、「サービスを整理し、シンプルでわかりやすい具体的なメニューを作成する必要がある」という課題が見えてきたことから、LPサイトの作成とサービスの見える化に着手。また、サービスを整理することで、「nou×nou」は人手不足で困っている中小企業にも応用できるのではという可能性も見えてきました。
今後は、LPサイトのリビルド、県内でのサービスの展開と実績作り、長野県から全国展開を目指します。
「ネコ科」の女性が自分らしい生き方を見つけるための仕組みを開発

三人目の登壇者は、社会に馴染めない、疎外感を感じる女性のために、自分らしい生き方を見つけるための仕組みやサービスを開発する株式会社ノイエの代表取締役である谷口 絵美さんです。
対象となるのは、発達障がい(ASD)を抱えている女性たち。人に合わせるのが疲れる、ひとりが気楽、家でゴロゴロするのが大好き。谷口さんは、そんな特徴を「ネコ科」と表現し、「ネコ科のニンゲン」の人の自分らしさを応援するサービス「nekoka」を開発しています。
アクセラレーションプログラムでは、福祉サービスに関わる人や支援者、働く女性を中心に困りごとをヒアリングし、現状と課題を洗い出しました。
ヒアリング前は、情報発信のためのWEBサイトの解説や、診断ツールやセルフチェックの開発を考えていたという谷口さん。しかし、ヒアリングを通じ、「診断を受けてもどうしていいかわからない」「重度の障がいを持つ方への支援はあれど、軽度の症状やグラデーションがある場合の支援を探すことが難しい」「お金を稼ぐ手段が必要」という課題が見えてきました。そこで、課題解決のための入り口をつくるだけでなく、スキルアップや就労支援という橋渡しを行い、出口までつくるという事業の方向性が定まりました。
谷口さん「自分がIT業界にいたことから、はじめはオンライン上で完結するプラットフォームの開発を想定していました。今回、ヒアリングを通じて現場の声を聞き、就労支援という課題解決の出口までつくるという事業の道すじが出来たことは大きな変化だったと思います。」
現在は、事業内容をわかりやすく伝えるためのロゴとキャラクターを作成し、啓蒙活動や情報提供に活用していく準備を進めています。また、その次の段階となる、スキル習得の場や、就労移行支援の場づくりに向けて県内の事業者等との連携を進めていきます。
それぞれの発表後には質疑応答の時間が設けられ、事業展開に関する具体的な質問から、アクセラレーションプログラム参加前と参加後の変化についてなど、事業に対する思いに関する質問が寄せられ、熱のこもった言葉が交わされました。
これまで35社がアクセラレーションプログラムに参加しており、かつてプログラムに参加した創業者が次期の採択事業者のヒアリングに協力したり壁打ち相手になるなど、年月を重ねて卒業者が増えるにつれて長野の創業コミュニティが形成されつつあります。今後、長野県初の事業やサービスが大きく成長し全国へと展開していく未来への風向きが感じられる報告会となりました。
地域と関わる起業。ハタケホットケ社の想い【SSSセミナーレポート】

信州スタートアップステーション(SSS)では、長野での創業を考えている方や、支援機関の方向けのオンラインセミナーを定期的に開催しています。
2024度最後のセミナーでは、起業家と地域との関わりにフォーカスし、東京から長野県に移住され、地域の課題に対し地域のコミュニティとともに関わり、それをご自身の事業にされたハタケホットケの日吉有為(ひよし・ゆうい)氏にご登壇頂きました。
また、地域コミュニティからは塩尻市スナバの三枝大祐(さいぐさ・だいすけ)氏にもご登壇頂き、起業家と関わる地域の両面からお話を頂きました。セミナーの様子をレポートします。
【登壇者】
(株)ハタケホットケ 代表取締役 日吉 有為氏
シビック・イノベーション拠点スナバ 三枝 大祐氏
進行役:信州スタートアップステーション主任コーデイネーター
「草刈りが大変!」という自分のための課題解決が地域の課題解決へ

セミナー前半では、ハタケホットケ社の日吉氏より長野移住のきっかけや、創業の経緯と成長の軌跡についてお話がありました。
日吉氏は、コロナ禍中に東京から塩尻市に移住した友人がきっかけで、家族とともに塩尻に移住しました。日吉氏「移住のきっかけになった友人の友人が、家庭菜園でお米を作っている方で、『一緒に田んぼをやろうよ』と誘ってくれて。田んぼなんて見たこともないし入ったこともなかったので、『やりたい!』と何も知らないまま家族で参加したんです」
その田んぼは家庭菜園だったため、除草剤を使っておらず、日吉さんは夏場毎週田んぼに入って草刈りに通う経験をしました。その後、初めて自分が作ったお米を食べた日吉さんは、その感動により人生観が変わったと言います。
翌年も引き続き田んぼを続ける中で、草取りの大変さを感じた日吉氏は、ものづくりが好きな友人と一緒にラジコンを応用し除草をする方法を模索し始めました。試作を繰り返し、完成品を「ミズ二ゴール」と名付けます。
さらに、塩尻で交友関係を広げるため、塩尻の団体や活動について調べる中で、シビックイノベーション拠点「スナバ」を紹介された日吉氏は、塩尻市のソーシャルイノベーション拠点「スナバ」に通いはじめます。
さまざまなプログラムに参加する中で、本格的に「ミズ二ゴール」の開発と創業に向けて動き始めた日吉氏は、2021年には、長野県のソーシャルビジネス創業支援金を活用し株式会社ハタケホットケ社を共同創業。その後、ジャパンモビリティショーへの出展や、信州ベンチャーサミットへの挑戦、クラウドファンディングでの資金調達、エンジェル投資家からの出資など、着実に事業を拡大してきました。

日吉氏 「日本の農業には高齢化と後継者不足、有機栽培への移行が遅れているという大きな課題があります。そのどれにも、『草取りの大変さ』が共通しており、ソリューションがないから前に進めない。『ミズ二ゴール』には、それを解決できる可能性があるっていうことで本当にいろんなところから注目いただいて。最初のきっかけは『草取りをやりたくない』という自分たちの思いでしたが、それが農家さんの助けになり、地域課題の解決に繋がった。最終的には国全体の課題解決につながっていくかもしれません」
創業4年目となる現在は、水田除草だけでなく、ジャンボタニシ対策や獣害対策など、地域の農に関する課題を解決する事業にも取り組んでおり、日本の持続可能な農業の実現を目指しています。
地域の中で出会った課題感を、社会と繋げながら事業に落とし込む

セミナー後半では、そんな日吉氏の挑戦を伴走してきたスナバの三枝氏から、シビック・イノベーション拠点スナバの紹介や、共創による地域課題の解決についてお話がありました。
スナバには、150人近くの登録者がおり、集まる人たちは、起業家、フリーランス、地域おこし協力隊、会社経営者、会社員、アーティスト、行政職員、小中高生など、さまざまな職種、年代の人たちです。
三枝氏 「多かれ少なかれ、誰もが『こういう地域だったら生きていきたいよね』『地域に対してこういう課題や違和感を持っているとあんまり居心地良くないよね』という思いを持ってるはず。それを『誰かがやってくれるだろう』『行政がやるべき、自分は関係ない』ではなく、自分たちだからこそできることを、小さくてもいいから誰かと一緒にアクションを起こしていく」
スナバでは、そんな人が地域の中でどんどん現れ、地域全体の中でアクションや事業が生まれていくビジョンを掲げています。そういった動きを「シビック・イノベーション」と定義し、それを担う方がどんどん増えていくような環境を作りたいなというところをミッションのもと、さまざまなプログラムを行っています。
たとえば、日吉氏も実際に参加した「SBB(スナバ・ビジネスモデル・ブートキャンプ)」という短期プログラムには、「やりたいことがあるけど、どうしたらいいかわからない」という初期フェーズの方に向けたセッションから、創業計画書の作成など具体的な手法を学ぶセッションがあります。新しく事業を立ち上げる人が、なぜその事業をやるのか、誰のために、どんな課題をどう解決したいのか、という部分を整理して線で繋ぎ、事業に生かすにはどうしたらいいかを一緒に考えます。
三枝氏 「ハタケホットケ社の初動のように、何かやりたいことやできること、人の縁から事業の型を作っていきつつ、ある程度のところまで来たら、未来視点で『事業を通してどんな未来を見たいのとか』『どんなインパクトを作りたいのか」をちゃんと定義しながら、そのビジョンと現状とのギャップを定めて、必要なリソースを特定し、それを集めるような事業計画や、どんな成長スピードでどのぐらいの規模でやっていくか、自分たちが作っていく哲学を入れ込んだ財務収支計画を作ってかないと、事業の持続的な発展は望めません。そのための支援をするプログラムもスナバでは構築しています」
セミナーの最後には、参加者からの質疑応答が行われました。移住直後の生計の立て方や、「ミズ二ゴール」の具体的な機能、どんな人ならスナバに合うと思うか、などのフラットな質疑が交わされ、さらに理解を深める時間となりました。
地域の中で出会った課題を、社会と繋げながら事業に落とし込む。さらに、さまざまな人を巻き込みながら事業を進めていく。その結果、さらに人が集まり、資金が集まり、さらに事業の幅が広がっていく好循環を生み出せる。地域と関わる事業を実現するためのエッセンスが学べるセミナーとなりました。
「直して使う」を新たな常識に。長野発のスタートアップ「ナガク」が目指す世界【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「事業の発想というのは、その人のパーソナリティーや周りの環境に依存するものです。今はまだ首都圏にスタートアップが一極集中していますが、地域の多様な課題とスタートアップという経営手法が結びついたらもっと面白くなるんじゃないかという思いがあります」
そう語るのは、自身にとって3社目のスタートアップとなるナガク株式会社を長野県で立ち上げたカズワタベさん。2025年2月にリリースされた新サービス「ナガク」は、あらゆる物をリペア・リメイクするためのオンライン上のプラットフォームです。
インタビュー後編では、地方でスタートアップに挑戦する理由や、インターネットの世界に触れた原体験、今後の展望についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
代表取締役CEO カズワタベ(渡部一紀)さん
音楽大学卒業後、2010年にクリエイターの収益化プラットフォームサービスを開発するGrow株式会社を共同創業。2014年に釣り人向けコミュニティサービスなどを開発するウミーベ株式会社を創業し、2018年にクックパッド株式会社に買収され同社に参画。2020年より国内執行役員。2023年に独立し、ナガク株式会社を創業。
地域課題×スタートアップの可能性

――インタビュー前編では、長野での創業を選んだ経緯をお話いただきました。実際に長野で本格的に事業が動き始めた今、これまでとの変化を感じている部分はありますか?
自分はもともとそこまでトレンドを気にしないタイプなのですが、東京を離れてからはより関心が薄くなりましたね。
たとえば、最近はAI関連が流行っています。ただ、弊社でも積極的に事業に活用はしていますが、自分がAIスタートアップをやるイメージはありません。より生活に近いところの、普遍的なテーマに取り組むことに興味があるためです。
――自分のやりたいことに集中できる環境だと。
腰を据えてなにかに取り組むのにはいい環境ですし、移住者含め、そういった人たちが多い印象はあります。これは喩えですが、「今年来た服が来年着れない」みたいな空気はほとんどないですよね。
古い建物をリノベーションしたお店も多いですし、気に入ったものを手入れしながら大切に使ったり、使わなくなったものを誰かに譲って長く使う土壌があると感じています。ナガクのサービスの方向性が固まっていったのも、長野で暮らしていることから受けた影響が大きいかもしれません。
――流行との距離感を心地よく感じているのですね。
流行っているものでも、自分が本当に好きならいいと思うんです。でも、その中に身を置いていると、流されてしまうこともある。適度な距離で、影響を受けすぎないようにするには長野はいい環境ですね。
インターネットの力で世界が広がった原体験

――カズさんが、首都圏以外でスタートアップとしてインターネットに関する事業を立ち上げ続けているのはどうしてなのでしょうか。
山形で過ごした中学生時代の原体験が根底にある気がします。当時はまだインターネットが普及しておらず、情報源は親や先生、テレビのニュースくらいしかありませんでした。東京のことも、「渋谷にギャルがたくさんいる」くらいの認識だったんです。
でも、インターネットに繋がった瞬間、東京の大学生や社会人と掲示板やチャットでやり取りができるようになって、山形にいながらも都市部の生の情報が入ってきた。それまでは、家や学校の周辺が世界のほとんどでしたが、インターネットを通じてリアルタイムで情報を得られるようになった瞬間、その認識が一変したんです。
さらに、それまでは専門知識を得ようと思ったら、図書館に行って専門書を借りないといけなかったのに、ネットで検索をすれば国内どころか海外の情報も手に入るようになりました。インターネットがあれば、物理的な距離を超えてさまざまなものにつながることができる。その変化は自分にとってはあまりに衝撃でした。
――インターネットによって世界が広がった経験が、今の事業にもつながっているのですね
今では想像がつかないと思いますが、自分が中高生の頃は「インターネットをやっている」と学校でいいづらい空気がありました。でも、大学生の頃にmixiがリリースされたことで雰囲気が一変しました。mixiが一気に普及して、インターネットにアクセスするのが当たり前になったんです。
今でも、大学の昼休みにパソコン室に行ったらほとんど全員がmixiを開いていた光景を覚えています。ちょうどその時期に、自分はHTMLやCSSを触り始めてウェブサイトを作っていたので、「自分でもこんなサービスを作れるのかな?」と考え始めたんです。
一社目を創業した仲間もインターネットを通じて知り合った人たちでしたし、当時からずっと、インターネットの力で人と人をつなげたり、情報を整理して広く届けるというサービスを作り続けています。
東京、福岡を経て、幼少期を過ごした長野での創業へ
――改めて、今後の展望を教えてください。

ナガクのサービスは、リペアの依頼を受ける人と依頼するユーザーが増えることが事業を成長させる上で最も重要です。まずはどんどんユーザーの総数を増やして、最終的には誰かが何かを「直したい」と思ったら、それが何であれ直せる人が見つかるサービスに育てていきたいと思っています。
とはいえ、今はサービスをリリースしたばかりなので、継続的に使ってくれるよう、よりよい機能の開発を頑張っていきたいですね。
―― 最後に、長野で起業を考えている人に向けてメッセージをお願いします。

いざ創業するとなると「リスクがあるんじゃないか」「難しいんじゃないか」「失敗しちゃうんじゃないか」と考えこんでしまうと思います。でも、実際にまずはやってみないと学べないことがすごくたくさんあるんですよ。だから、いつも「創業してみたい」と相談を受けたら、全員に「明日法務局に行け」と言っています。
創業というのは、就職と違って面接があるわけでもないし審査があるわけでもない。法務局に行って書類を納めれば、創業自体は誰でもできる。自分も一社目を創業した頃は、ビジネスについては何もわからない状態で走り出して、事業を育てていく中で知識や経験を身に着けていきました。だから、「興味があるならとりあえずやっちゃえば?」という気持ちが強いですね。
それから、信頼できる大人を見つけることですね。ちゃんとした先輩に相談ができるというのはすごく大事だと思います。長野でスタートアップを立ち上げてみたいという人や、資金調達について勉強したいという人がいたら、自分でよければ相談に乗りますから声をかけてください。
――地域にカズさんのように頼れる創業者の先輩がいるというのは心強いですね。
スタートアップというのは、よく雪だるまに例えられるんです。誰かが創業してうまくいくと、周りが影響を受けて創業したり、今度は創業者が投資側にもなれたりと、人材とお金が雪だるまのように転がるごとに大きくなっていく。
自分が東京で一社目を創業した時は、身の回りに上場企業の創業者の人たちがたくさんいて、飲みながら雑談レベルでいろいろ教えてもらっていました。長野は一転がし目をどうやったらできるかな、という段階だと思います。
事業の発想というのは、その人のパーソナリティーや周りの環境に依存します。地域の多様な課題や資源と、スタートアップという経営手法が結びついたらもっと面白くなるんじゃないかと思うんです。
ナガクの事業がうまくいったら、今後は自分が長野でスタートアップの雪だるまが大きくなるようなアクションをしていきたいと思っています。
ナガクのホームページ
カズワタベさんのホームページ
「直して使う」を新たな常識に。長野発のスタートアップ「ナガク」が目指す世界【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「作りたいプロダクトやサービスを思いついた場合、一人でやれることであれば、自分の貯金を使って小さく始めればいいわけです。しかし、サービスをより早く世の中に広めるためには当然チームでやる必要が出てきますし、それだけの資金も必要になります。自分たちの目指す世界を実現するためには、スタートアップという形で先行投資※1をして、まずはサービスを急激に成長させていく必要があったんです」
そう語るのは、自身にとって三社目のスタートアップとなるナガク株式会社を長野県で立ち上げたカズワタベさん。2025年2月にリリースされた新サービス「ナガク」は、あらゆる物をリペア・リメイクするためのオンライン上のプラットフォームです。
インタビュー前編では、リペア・リメイクを軸としたビジネスの着想を得たきっかけや、三度目の創業に対する意識についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
代表取締役CEO カズワタベ(渡部一紀)さん
音楽大学卒業後、2010年にクリエイターの収益化プラットフォームサービスを開発するGrow株式会社を共同創業。2014年に釣り人向けコミュニティサービスなどを開発するウミーベ株式会社を創業し、2018年にクックパッド株式会社に買収され同社に参画。2020年より国内執行役員。2023年に独立し、ナガク株式会社を創業。
誰もが自然とリペア・リメイクを選ぶ世の中に

――まずは、ナガク株式会社の事業概要について教えてください。
ナガク株式会社は、長野市で2024年の8月に創業した、モノが長く使われる社会の実現を目指すスタートアップ企業です。創業後、メンバー集めや開発を進め、2025年2月20日にリペア・リメイクの事例やプロを探し、オンラインで相談・依頼ができるプラットフォームサービスの「ナガク」をリリースしました。
すでに家具、器(金継ぎ)、ジュエリー、スニーカー、革製品、衣類など幅広いカテゴリのプロが登録していて、依頼の受け付けを開始しています。プラットフォーム上で紹介されている事例には、リペア前後の写真に加えて、費用や制作期間も掲載されているため、詳細な情報から依頼を検討することが可能です。
また、そういった文化の啓蒙を目的に、モノを長く使うカルチャーを発信するウェブマガジン「NAGAKU Magazine」も運営しています。
――修理やリペアに着目したのはどうしてですか?
2021年頃から、友人と一緒にDIYで古民家をリノベーションするプロジェクトを始めたことが大きなきっかけです。シンプルに「何かを直すって面白いな」と感じましたし、世の中に「古いものを直す」という選択肢を増やすことは、ビジネスにも繋がりそうだという感覚がありました。


壊れて使えなくなったり、トレンドが変わったりして古臭くなってしまったものでも、リペアやリメイクをすれば新品で買うよりも安く高品質になる場合があります。それなのに、直すための手段が手軽に見つからないことから、まだまだ長く使うことができるものが捨てられてしまっているのはもったいないなと。
自分はもともと音楽をやっていて楽器に触れていたので、ヴィンテージのように古いものの価値が高いという価値観が身近だったことも大きかったかもしれません。
――古いものの価値と可能性を改めて見つめなおしたと。
これからの時代、原材料調達や製造コストの関係で、ますます新品の価格が高騰し、昔のようにいい材料を使うことは難しくなっていきます。そうすると、人々がもっと「モノを長く使う」ように変化せざるを得ないと思うんです。
その中で、ものを直すことの価値は高まっていくはずですが、「誰が」「何を」「どのように」「どのくらいの費用・期間で」直せるのかという情報が網羅されたプラットフォームサービスが存在していない。なので、それを作ろうと思ったんです。
――たしかに、何かを修理したいと思ってもどこに相談したらいいかわからず結局捨ててしまうという経験は身に覚えがあります。

これだけインターネットが普及して、いろんなジャンルのサービスが出てきた現代でも、そういったサービスがないのは不思議なくらいですよね。
ナガクはまだまだ始まったばかりのサービスですが、飲食店を探すなら「食べログ」、宿泊なら「Airbnb」、ものを売買するなら「メルカリ」のように、「ものを直すならナガク」と真っ先に想起されるようなサービスに育てていきたいです。
新しく買うより、良いものを長く使う方が得だし、体験としても優れているからリペアをする。そうやって誰もが自然とリペアを選ぶような仕組みをつくることを目指しています。
東京、福岡を経て、幼少期を過ごした長野での創業へ

――一社目を東京で創業されたカズさんが、地方に目を向けるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
当時、自分は18歳で東京に出て以来ずっと東京に住んでいました。ただ、東京という都市は、世界でも特殊な存在なんですよね。たとえば、新宿駅の乗降者数は世界一で、駅の乗降者数ランキングのトップ10はほぼ日本の駅が占めていますし、都市圏の人口は世界一です。それほど特異な環境にもかかわらず、住んでいるとそれを「普通」だと感じてしまう。
それに気づいたとき、「東京しか知らないのは嫌だなあ」と思ったんです。そこで、2013年に福岡へ移住し、新たな事業を立ち上げました。そこで福岡を選んだのは、単純に福岡のまちが気に入ったからですが、東京に住んでいては見つけづらい課題を解決したいとも考えていました。
福岡で起業したときは、半年ほどで福岡にあるだいたいのメディアに取り上げられたんです。地方発のスタートアップはまだまだ希少性がありましたね。

――今回、創業にあたって本拠地に長野を選んだのはどうしてですか?
自分はもともと転勤族の家庭で育ち、松本で生まれたあと、幼少期の3年半ほどを長野市で過ごしており、長野にはなじみがありました。福岡に住んでいた頃に東京で出会った友人が、長野で自分のお店を開いたと聞いて久しぶりに長野を訪れたんです。
お店の周りを案内される中で、どこか懐かしい雰囲気を感じて、Googleマップで調べたら「ここ、通学路だった!」と気がついて。当時の長野は、門前エリアのリノベーションが進み、おしゃれなお店が増えていて、自分の幼少期の頃とは大きく変わっていました。新幹線も開通していて東京へのアクセスも良かったですし、「ここなら住めるな」と直感的に思ったんです。
そこで知り合った友人から、親戚の古民家が空き家になっているという話を聞き、月に数回長野に通って古民家のリノベーションを始めました。
――ナガクのサービスを着想するきっかけとなったプロジェクトですね。

決定打になったのはコロナですね。出社頻度が大幅に減り、東京にいる理由がほとんどなくなったんです。もともと東京にずっと住むつもりはなかったし、過去には福岡に移住して会社を立ち上げた経験もあります。「またどこかに移るだろうな」と漠然と考えていた中で、長野という選択肢が自然と浮上しました。何度も足を運ぶうちに、長野に知り合いが増え、街の雰囲気やコミュニティにも馴染んできたのも大きかったですね。
しばらくはリモート勤務をしつつ週に一度出社をする生活を続けましたが、前職を退職するタイミングでかねてからアイデアを温めていたナガクのサービスを形にすることを選びました。
ナガクの本社は長野にありますが、長野にいるのはCEOである自分だけで、フルリモートで開発しています。その上で事業はできるだけ早く、大きくしていこうと考えています。インターネット企業だからこその事業運営をしていきたいですね。
ミュージシャンから連続起業家へ

――カズさんはこれまで三社のスタートアップを立ち上げていますが、一社目を立ち上げた頃から起業に対する抵抗はなかったのでしょうか?
自分はもともと音大出身で、大学卒業後はミュージシャンとして活動していました。ですから、ほかの人よりも起業に対するハードルは低かったと思います。
――と、いうと?
バンド活動というのは、自分で事業を運営するのと同じなんですよ。自分たちの曲を作って、ライブの日程を組んで、PRをして、お客さんを集め、CDやグッズを作って売る。すべて自分たちでやる必要がありますし、どうやったら利益を出せるかを考えながら、お金の管理をしないといけない。学生の頃からそういう経験を積んでいましたし、一般的な社会人のようにせっかく入社した会社を辞めるということもなかったので、「事業を始める」ということに対する心理的な壁はなかったですね。
――なるほど。音楽活動での経験がそのまま創業につながったと。
バンドを解散するタイミングで、このまま音楽を続けるのか、何か別のビジネスを始めてみるかを考えました。その頃、Twitterで仲良くなった人たちと構想を練っていたプロジェクトがあったので、「これで起業してみよう」と決めたのが一社目です。
当時の東京を中心としたインターネット業界は、同様に起業する同世代が多い環境だったこともあり、「とりあえずやってみよう」と思えたことも大きいと思います。当時はまだ「スタートアップ」という言葉が今ほど一般的ではなかったですね。
――実際に自分で創業してみた体感はいかがでしたか?

よく「スタートアップは崖から落ちながら飛行機を組み立てるようなもの」と言われますが、本当にその通りだと思います。当然、最初からすべてが計画通りに進むわけではなく、むしろ想定外のことが次々と起こるのが普通です。一つの会社を立ち上げたら「もうやりたくない」という創業者も多い。
ですが、自分は今でも起業に対してそんなにネガティブな気持ちはないんですよ。二回目に起業した会社がクックパッドに買収されて、後々執行役員になったときも「また起業するんだろうな」と自然に思っていました。
――それはどんな感覚なのでしょうか。
自分にとって、起業は特別なことではなく、新しいことを始める手段の一つなんです。もちろん大変なことも多いですが、それ以上に「起業してでもやりたいことがあるなら、やるしかない」という気持ちが強いんです。
作りたいプロダクトやサービスを思いついた場合、一人でやれることであれば、自分の貯金を使って小さく始めればいいわけです。しかし、今回は「世の中の物の直される総量」を最大化するという目標があり、サービスを世の中に広める必要があります。そうすると、当然チームでやる必要が出てきますし、それだけの資金も必要になります。
ナガクの場合、自分たちの目指す世界を実現するためには、スタートアップという形で先行投資※1をして、まずはサービスを急激に成長させていく必要があったんです。
※1 ナガク株式会社は約1.4億円の資金調達を行っており、投資企業の中には、長野の創業及び事業承継を支援する信州SSファンドも含まれています。
インタビュー後編では、地方でスタートアップに挑戦する理由や、インターネットの世界に触れた原体験、今後の展望についてお聞きしました。
ナガクのホームページ
カズワタベさんのホームページ
【SSWコラム】自分のビジネスにキャッチコピーを
県内全エリア

昨年の春から、私は大学のキャリアセンターで週に1回、キャリアアドバイザーをしています。そこでは、「やりたい仕事が見つからない」「就活の進め方がわからない」といった進路相談から、模擬面接やエントリーシートの書き方まで、さまざまな相談に対応しています。
面接は、自分自身のプレゼンテーションの場です。自身の強みや経験を簡潔にアピールし、それを志望理由へとつなげることが求められます。その際に必要なのは、一貫性です。借り物の言葉ではなく、自分の内面から出てくる言葉で語ることで、表現が洗練されていなくても、想いは相手に伝わります。
そんな中、ある県内企業のエントリーシートの設問に感銘を受けました。それは、
「あなたのキャッチフレーズをご記入ください。(20文字以内)」
というもの。
一般的なエントリーシートには「自己PR」という項目がありますが、多くの学生(さらには社会人も含め)にとって、自分の強みを言語化するのは難しい作業で、結果として「主体性」「協調性」「計画性」などのビッグワードが並びがちです。これでは「自己PR」といいながら逆に「自分らしさ」が伝わりにくくなってしまいます。
一方、「キャッチフレーズ」ならば、「他と違う自分の個性」を表現しようとする意識が働きます。
良いキャッチフレーズとは?
キャッチフレーズやコピーにはさまざまな定義がありますが、よく挙げられるポイントは以下の通りです。
簡潔であること
言葉とイメージに一貫性があること
感情に訴求すること
意外性があること
(ちなみに、私の本業は広告代理店の企画職です。一応…)
売りたいもの、知ってもらいたいもの(就活の場合は自分自身ですね)には、キャッチフレーズをつくる。これは当たり前のようでいて、実は強力な武器になります。
【ビジネスにおけるキャッチコピーの重要性】
自分で事業を立ち上げる場合、サービスや商品をターゲットとなる多くの人々に知ってもらうためには「伝える」工夫が必要です。チラシを作ったり、SNSを活用したりといった手法(HOW)に意識が向きがちですが、最も大切なのは、そのサービスや商品の強みや個性、想い(WHY)を簡潔に言葉で表現することです。
事業がスタートする前も、始まった後も、「私のサービス・商品はこういうものです」と何百回、何千回と語る機会があります。その言葉が洗練されていればいるほど、相手に伝わりやすくなります。
プロのコピーライターに依頼するのも一つの方法ですが、商品の生みの親である自分自身が考え抜き、言葉を磨いていく過程には多くの気付きがあります。そのプロセスの中で、メンターに相談しながら壁打ちするのもおすすめです。自分では気づかなかった魅力や特徴が見つかるかもしれません。
ぜひ、みなさんも 自分自身のキャッチコピー、そしてビジネスのキャッチコピーを考えてみてください!
【SSWコラム】女性起業家たちの創業後の次のステージへ向けて〜フリーランス女子のコミュニティ Solo Pro+++(ソロプロ)〜
県内全エリア
創業して事業の流れは作れたものの、激動の時代において世の中の流れは常に変化し、求められるものもアップデートされていきます。一人で事業をやっていく覚悟はちゃんとここにあるけれど、「このままで大丈夫か」との不安は常につきまといます。もっと良いサービスにしたい、もっと自分自身をスキルアップさせたいという成長意欲はあるものの、誰に相談すればよいのかわかりません。相談まではいかなくても、最近考えていることを気軽に話せる場がほしいと感じることもあるでしょう。
事業のことや自分自身のことを、一人で考え行動するには限界があります。だからこそ、気軽に話し合いながら、それぞれの経験を共有し、成功事例や失敗事例から学び合える場が求められています。 こうした想いから、女性起業家5人が「Solo Pro+++」(ソロプロ)という、新しい学び合い・支え合い・応援し合えるコミュニティを立ち上げました。
ただ話してスッキリすることもあれば、お互いのビジネスについて真剣にアイデアを出し合うこともあります。目の前の目標に向けて短期的なスケジュールは立てやすいですが、長期的な目標を定め、そこから細かくブレイクダウンして行動に落とし込むのは一人ではなかなか難しいものです。だからこそ、3年後、5年後、10年後のビジョンを描き、それにつながる目標やタスク、スケジュール、戦略、ライフワークそのものを、経験者同士の対話を通じて見つめ、考え、築いていくことができます。
営業的な売り込みを目的としない異業種間の交流だからこそ、新たな知恵が生まれ、思いがけないコラボレーションの可能性も広がっていきます。こうしたつながりが、未来に向けた新たなステージへ進む力となるのです。



詳細情報
長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「『現状維持はゆるやかな腐敗』だと思っているので、とにかく常に変化していきたいです。その点、長野はそれができる環境だと思うんです。日々暮らしているだけで、誰かと話したいアイディアや、やりたいことがどんどん出てくる」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザイン制作の実務経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いデザイン制作を手がけています。2024年には、デザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」をオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
長野のコミュニティでクリエイターの仲間が出来た

――インタビュー前編では、デザイナーになった経緯や長野移住を決めた理由をお聞きしました。具体的には、独立に向けてどのようなステップを踏んだのでしょうか。
ランサーズやクラウドワークスなどに登録して片っ端から案件を探しました。それから、意外と効果があったのが転職サイトの求人です。デザイナーの募集を探しては応募をして、面接の中で「実は独立を考えていて。スポット的に業務委託のお仕事があればいただけせんか?」と営業をかけたんですよ。
そうしたら、本当にそのうちの5社くらいが「チラシの作成を一件だけお願いしたいんですが」と単発の依頼をくれるようになって。仕事には困らなそうだぞ、と手ごたえが得られました。そこで、娘が一歳になるタイミングで会社を辞めて長野に移住し、フリーランスのデザイナーとして独立した形です。
――本格的に移住を検討し始める前から、独立に向けた地盤はすでに固めてあったのですね。

とはいえ、もちろん最初は不安でしたよ。長野に来てからは、独立前よりさらに必死こいて仕事をしていましたね。自分は、インドを旅した経験から「一日100円生活でも死なない」と思っていましたし、妻も妻で「大丈夫でしょ!」とポジティブに構えていましたが、まだ一歳の娘を食わせて育てていかないといけないという責任感がありました。
――移住後、長野での仕事はどのように増えていきましたか?
妻の地元とはいえ、最初はほとんど友人も知人もいないまったくのゼロからのスタートでしたが、妻の友人が長野市の「MADO」という場所でコミュニティーオーガナイザーをしていて。移住直後にそこに所属できたことが大きかったと思います。そこで出会った人たちがきっかけで県内の仕事も増えてきたし、クリエイター同士のつながりも増えました。
――関東にいたころは、クリエイター職の同業者との関わりはありましたか?

関東の会社でデザインの仕事をしていた頃は、クリエイター職どころかデザイナーの友人や知り合いが一人もいなかったんですよ。長野に来てからは、「これどうやって作ったの?」とか、「どこからインスピレーションをもらったの?」とか、いいアイディアが浮かぶお散歩ルートを教えてもらうなど、同業者と意見交換が出来るのが新鮮ですね。
やり尽くされていない余白に面白みがある

――ほかにも、長野に来てから仕事の面での変化はありましたか?
長野に来たばかりの頃、ちょっと不思議だったことが一つあって。長野の人たちって、いわゆる「ゆるふわ」なデザインが好きな気がするんです。手書き風のフォントだったり、ラフな線画のイラストだったり。もちろんそういうデザインもすごく素敵なんですが、おれはグラフィック的なデザインが好きなので、「こういうのどうですか?」という気持ちで提案をしてみると、「これもいいね」と結構受け入れてもらえて。
――自分のスタイルを提案する余白があると。

そうそう。長野はまだやり尽くされていない感じが好きですね。可能性があるというか。
都会だと、やり尽くされたうえで「もっと新しいものを」「もっとバズるものを」という方向になるんですが、長野ではまっさらなところから提案ができる。
――もともと在宅でお仕事をされており、「MADO」も仕事場として利用されていたところから、事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたのはどうしてですか?

バックパッカーをしていた頃から、自分の居場所が欲しかったんです。今でも旅人気質な部分があるので、いろいろなところに行きたくなるんですが、居場所が一つあればどこへ行ってもまたそこへ帰っていける。セーブポイントみたいな感じかな。だから、ゆくゆくは国内外問わずいろんな拠点を作りたいと思っています。その第一歩として、まずは長野で始めてみようかと。
ただの事務所ではなくポスターショップという形にしたのは、好きなものを好きに作りたくなってきたからです。クライアントワークばかりしていると段々「俺って何が好きなんだっけ?」と自分がわからなくなってくるんですよ。「こういうものを作りたい」と思っても、先方の要望と合わずに形にできないことも多い。でも、自分で発信する場が一つあれば、仕事をする中で積み重ねてきた「作りたい!」という欲を発散できるなと。
――なるほど、ここに落ち着くためではなく、いろいろな場所にいくために拠点を持つということですね。

それから、やっぱり一番は娘のためですね。俺の居場所があればあるほど、娘にもいろいろな選択肢を提供できるし、そこに集まる仲間たちとも出会える。自分の娘に限らず、子供たちのためにも居場所をたくさん作れば、「こっちが駄目でもこっちがある」と、より良い未来に向かっていくんじゃないかな。
家族や仲間を巻き込んで、常に変化し続けたい

――今後挑戦してみたいことや、展望について教えてください。
今はアートに興味があります。今はまだポスターだけですが、2次元にとどまらなくてもいいのかなと。もっと自分の作品を増やしていきたいですね。それから、居場所づくりをしたいし、宿の事業もやってみたい。自分にとって居心地の良い場所をたくさんつくっていきたいです。
「現状維持はゆるやかな腐敗」だと思っているので、とにかく常に変化していきたいです。その点、長野はそれができる環境だと思うんです。日々暮らしているだけで、誰かと話したいアイディアや、やりたいことがどんどん出てくるというか。法人化して一年が経ち、これからは売り上げを立てつつもどんどんやりたいことをやれる段階に入っていくと思います。家族や仕事仲間、友達を巻き込んで、いろいろ新しいことを企みたいですね。
――最後に、長野での起業を考えている人へのメッセージをお願いします。

やりたいことで食えるようになるって、意外ときつい。「本当にやりたいこと」と、「他の人から求められること」が一致するとは限らないし、やりたいことで食えるようになるためには、お金と時間と労力への投資が必要です。だからおれは、とりあえず食えることから始めるのもいいと思っています。
おれも、肉体労働をしていた時やレジャーホテルのデザインをしていた時は「何やってんだろ」と思ってしまう瞬間もありました。でも、「やりたいこと」と180度違う経験だって、「そういえば、あの時のあれが今ここで活きてるのか」とあとから気づく時があるはず。
だから、まずは今の自分に出来ることでお金を作るところから。お金ができてくると時間が生まれて、時間が生まれると労力を割ける。苦労しろと言いたいわけではないですが、徐々にシフトしていくというやり方もあります。たとえば、おれが今しているデザインの仕事は、自分が見たものや経験したことがそのまま仕事に落とし込めると思うんですよ。旅をしてきた自分、ピザを焼いていた自分、肉体労働をした自分と、いろんな自分がいて、点がたくさんあるからこそ、その分だけ面が広くなる。無駄なことは何一つないはずです。
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長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「長野にいると、自分の中に新しい風が吹くことを直感しました。長野に数週間滞在している間、とにかく脳みそが活性化しちゃって。インスピレーションや創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザインの経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いジャンルでのデザインを手がけています。2024年には、長野で出会ったデザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を長野駅前にオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー前編では、デザインの仕事を始めたきっかけ、独立を考え始めた経緯と長野との出会いについてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
ジャンルや作風に囚われず、自由なデザインを展開

――まずはVINash Desighの事業内容について教えてください。
VINash Desighは、長野市を拠点に置くデザイン事務所です。2022年に家族で長野に移住したことを機に前職から独立し、2024年の春に事業規模拡大のために法人化を果たしました。
現在メインで行っているのは、WEBデザインやWEBサイトのコーディング、それからグラフィックデザインです。ほかにも、店舗やブランドのロゴのデザイン、チラシやポスターの制作、自分で手を動かしてお店の看板を作るなど施工まで担当することもあります。
自治体の観光誘致のためのプロモーション施策をコンセプトの設定から制作までのトータルブランディングを任していただくこともありますし、大手スポーツブランドの新商品発売に向けて、ブランドコンセプトに則ったキービジュアルを作ることもあります。2024年から、デザイナー仲間の吉澤尚輝(よしざわ・なおき)と事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたので、店内や家に飾るポスターを作ってほしいという依頼もあります。ジャンルや媒体にこだわらず、手広く仕事をさせていただいていますね。
――ご自身の中では、「こういう仕事を受けたい」などの基準はあるのでしょうか。

デザイナーとして独立してからは、まず自分が「やりたい!」と思う依頼を受けるようにしています。基本的に、デザイナーの仕事というのは、自分というフィルターはあまり通さずに、クライアントが欲しいものを作り上げる仕事だと思うんですが、おれの場合は自分のフィルターを一枚通せるような仕事を選びがちですね。おかげで最近は「VINash Desighが作るものを見てみたい」という依頼が増えてきて、とてもありがたいです。
ただ、食っていくためには、そういう仕事だけではまだやっていけません。しっかりと硬い仕事もしつつ、自分にとって面白い仕事の比重を増やしていきたいですね。
――長野の仕事で特に印象に残ってるものはありますか?

長野の老舗七味メーカーである八幡屋磯五郎さんの100周年記念ホームページを作る仕事は面白かったですね。正直、「きっとお堅いんだろうな」と最初の打ち合わせに臨んだら、一言目に「若者の新しい風を入れたい」と言っていただいて、これは面白くなりそうだなと。
いただいたお題は、「八幡屋磯五郎が元々持っているブランドイメージを崩さずに、同時に新しい雰囲気を打ち出すこと」。それってかなり難しいじゃないですか。でもおれ、意外と無理難題を言われるのは嫌いじゃないんです。「こういうことをしてみたい」という先方の意見を聞きつつ、「じゃあこういうデザインはどうですか」とポジティブな議論を重ねてアイディアを研磨して、形にしていくのはとても楽しかったですね。
職業訓練校がきっかけでデザインの道へ

――デザイナーとして独立するまでのキャリアを教えてください。
もともとデザインの勉強をしていたわけではなくて。大学を卒業した直後は、バックパッカーとして世界を放浪していました。そのためにはまとまったお金を貯めないといけなかったので、とにかくいろんな職業を転々としていましたね。朝から引っ越し屋さんのバイトをして、日中はピザ屋さんでピザ生地をこねて、夜はバーで働いていた時期もあります。一番長くやっていたのは鉄筋屋さんの仕事で、工事現場で鉄筋を担いで運んでコンクリートを流し固めて、基礎工事をする仕事をしていました。
若い頃はそんな働き方で平気だったんですが、20代後半になってからだんだんいろんな体の部位を痛め始めたんです。「いずれ肉体労働では食えなくなるかもしれない」と思い始めた頃に、将来を考えたい彼女が出来て。「これは食いぶちをちゃんと作らなきゃいけないぞ」と、とりあえずハローワークに行ってみたんですよ。そこで、職業訓練校のデザイナーコースを紹介されたんです。「お金をもらいながら勉強が出来て、就職先まで斡旋してもらえるなんて最強じゃん!」と思い、勉強を始めたのがデザイナーとしての出発点ですね。
――職業訓練校がデザインの道に進むきっかけだったのですね。

きっかけはたまたまでしたが、勉強しながらとにかく自分でいろいろ作るうちに「これは楽しいぞ」と。でも、いざ就職しようと思ったら、デザイナーの募集はだいたい最低2年間の実務経験が必要なところが多くて応募すらできず、結局ハローワークを通さずにアルバイトから入って実務経験を積めるような会社を自分で探したんです。
そうしたら、運よくアルバイトから採用してくれる会社を見つけて、初めて会社員になりました。そこが、レジャーホテルをいくつも運営している会社だったんです。当時社内にはデザイナーが一人もおらず、おれ一人でホテルの看板やロゴ、店内のポップ、レンタル品やフードのメニュー、壁紙まで全部自分で一からデザインをしました。
写真素材がなければ自分で撮影をして各店舗の雰囲気に会わせてレタッチをしましたし、それぞれの店舗ごとに違う業者さんとやりとりをして、看板の設置を手伝ったり、理想の壁紙がなければ自分で壁を塗ったこともあります。もうなんでもやりましたね。
――デザイナーとして駆け出しのころから、あらゆる経験が積めたのですね。
今はミニマルなデザインがかっこいいとされていますが、実はああいうレジャーホテルのようなガチャガチャしたデザインは、情報量が多い分だけ実はすごく緻密に計算されているんです。そういうところから叩き上げてきたことが今の自分の仕事の幅の広さにつながっているんじゃないかな。
それから、まだまだアナログな部分も多い業界だったので、自分なりに色々調べてDXを進めたり、古いままのホームページを一から作り変えたりもしました。コーディングの腕はそこでかなり鍛えられましたね。
今思えば、デザイナーなりたての頃にブランディングからデザイン、施工にコーデイングまで一人で全部担当させてもらえたのはすごい経験だったと思います。トータルで40店舗くらい自分が担当したんじゃないかな。キャリアのファーストステップとしては、大正解の就職先だったなと思っています。
長野の自然に触れて、インスピレーションが沸いてきた

――そこから長野での独立に至るまではどんな経緯が?
デザインの仕事に慣れてきた頃にコロナが始まったんです。会社がフルリモートに切り替わったので在宅で仕事をしていたら、なんだか飽きてきちゃって。「これ以上ガチャガチャしたデザインをやりたくないな」と、転職か独立を考え始めたタイミングで娘が生まれたんです。妻の実家が長野県の飯山市だったので、里帰り出産のために俺も長野について行って。
ただ、当時はコロナの影響で、越県したら二週間隔離期間を置かないといけなかったので、知り合いが所有していた中野市の古民家に住まわせてもらったんです。そこで、「長野やばいな、いいな」と直感して。
――どんなところに良さを感じたのですか?
長野は、ちょっと外に出れば自然があって、日常の中で山が見える。それがすごく最高ですね。おれは、ただ座っていてもデザインやグラフィックのアイディアはあんまり浮かんでこなくて。どちらかというと、息抜きで気がゆるんだ瞬間に出てくるパターンが多いんです。それに、誰かが作ったものよりも、自然物からインスピレーションをもらう方が楽しくて。
それから、関東にいた頃と同じように在宅で仕事をしているはずなのに長野では時間がすごくゆっくり流れていくように感じたんです。仕事の気分転換にふらっと散歩に出られるし、気軽に温泉でリフレッシュしたり、まだ外が明るいうちからベランダに出て遠くの山を見ながら夕飯を食べたり、なんて豊かなんだろうと。ある日、仕事がある程度一段落ついたと思って外をぶらりと散歩してたら、あたりが暗くなってきて。何かが光ってるなと思ってよく見たら蛍だったんですよ!おれ、人生で初めて蛍を見て。
そんなことを繰り返していたら、とにかく脳みそが活性化しちゃって。創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです、「長野は自分にいろいろとインスピレーションをくれる、自分の中に新しい風が吹く」と直感しました。
――長野なら、環境から受けるインスピレーションが仕事に活かせそうだと。もともと、地方への移住は考えていたのでしょうか。

妻から「田舎で暮らすのはすごくいいよ」とよく聞いていたので、選択肢の一つではありました。俺は関東で生まれ育ちましたが、若い頃はインドの僻地で暮らしていたこともあるし、都会にずっといたいという気持ちも特になくて。いずれは地方で暮らすのも面白そうだなと。
ただ、デザイナーとしての自分のキャリアを考えたときに、次は制作系の会社やデザイン会社に入ってステップアップした方がいいのかなと思っていたので、そういう会社が多いところとなるとやっぱりまだしばらくは首都圏なのかなと考えていました。でも、いざ長野で数週間暮らしてみたら、「こっちのほうがいいな」と確信したんです。そこで、本格的に移住と独立に向けて動き始めました。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
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【SSWコラム】なぜ私たちは「リーダーをやります!」と手を挙げられないのか。
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「リーダーを目指しませんか」「リーダーやりませんか」そんな声をかけられたとき、あなたはどんな反応をしますか?「まだ早いかも」「他の人の方が向いているかも」と、つい後ずさりしてしまう——。実は、長野県内で多くの女性たちが同じような思いを抱えています。でも、その悩みや躊躇いには、きちんとした理由があるんです。今回は、私たちが「リーダーをやる!」と手を挙げられない理由と、その解決策について考えてみたいと思います。
【「完璧にできる自信がない」という呪縛】
私たちの多くは、リーダーになるためには「すべてを完璧にこなせる人」でなければならないと思い込みがちです。既存の管理職やリーダーを見ていると、何でも知っていて、すべてをこなしている・・・ように見えるかもしれないです。でも、実際のリーダーたちをよくよく見てみると、必ずしもすべての面で完璧な人はいません。むしろ、「分からないことは周りに聞く」「メンバーの得意分野を活かす」といったマネジメント力で組織を動かしています。
【ワークライフバランスへの不安】
リーダー候補の女性とのキャリアカウンセリングの中では、「リーダーになったら、今以上に仕事が増える」「家庭との両立が難しくなる」という不安の声が多く上がります。特に、将来の結婚や出産を考えると、リーダー職との両立をイメージしづらく感じるのではないでしょうか。「残業が増える」「休日出勤が当たり前になる」という不安が、リーダー職への挑戦を躊躇させる大きな要因になっていることは否めません。しかし、実はリーダーになることで、むしろ自分で仕事の調整がしやすくなったり、組織の働き方を変える立場になれたりもします。
【身近なロールモデルの不在】
長野県内に限らず、どの職場にも現段階ではまだまだ女性リーダーが少なく、具体的なキャリアパスが見えにくい状況の組織が多いと感じます。その場合は「どうやってリーダーになっていけばいいのか」「リーダーになった後、どんな働き方ができるのか」というイメージが湧かず、不安が先行してしまうのはしょうがないことです。身近にロールモデルがいないことで、具体的なキャリアパスが描けないという声もよく聞きます。しかし、これは裏を返せば、あなたが新しいロールモデルになれるチャンスでもあります。ロールモデルがいないがゆえ、体育会系の厳しいリーダーシップが、唯一の正解だと思い込んでいませんか?実は、共感力や細やかな気配りといった、私たち女性が得意とする特性も、現代のビジネスでは重要なリーダーシップスキルとして評価されています。
◼︎一歩を踏み出すための解決策。
【「できること」から始める】
完璧を目指さず、まずは自分の得意分野を活かせる小さなリーダーシップの機会から始めましょう。チームの強みを活かし、苦手な部分は周りに相談しながら進めていけばいいのです。プロジェクトリーダーや係のまとめ役など、身近な小規模な経験を重ねることで手触り感や、「自分にもできるかも!」という自信が育っていきます。
【新しい働き方を創り出す】
リーダーになることで、むしろ仕事の調整がしやすくなることも。会議の効率化や業務の優先順位付けなど、チーム全体の働き方を改善できる立場になれます。ICTツールの活用や柔軟な勤務体制の導入など、自分らしい働き方を提案していくなど、既存の働き方にとらわれず、新しい働き方を会社に提案、組織作りをして行くことを目指してみましょう。あなたのチャレンジが自分や後輩たちの未来の幸せな働き方につながるイメージをもってみてください。
【ネットワークを広げる】
社内外の女性リーダーとの接点を意識的に作りましょう。メンター制度があれば積極的に活用し、なければ勉強会やセミナーに参加するのもいいでしょう。同じような立場の仲間と悩みや経験を共有することで、具体的なヒントが得られます。自分の悩みは誰かの悩みであり、もしかしたら誰かはもう解決している悩みだったりします。また、誰かの悩みをあなたはもう解決できていたりするかもしれません。ネットワークを広げることで素敵なロールモデルに出会え、あなた自身も次世代のロールモデルになれるという経験もできると思います。
◼︎最後に
完璧なリーダーになる必要はありません。むしろ、自分の弱みを認識し、それを補うためにチームの力を借りられる人の方が、より良いリーダーになれます。まずは「やってみたい」という気持ちを大切に、小さな一歩を踏み出してみることが大切です。
あなたのチャレンジが、次世代の女性たちの道を開くことにもなります。自分らしいリーダーシップのスタイルを見つけ、新しいロールモデルとなることで、あなたの職場はより多様で活力のある場所になっていくはず。そしてあなたのキャリアもより幅広くワクワクしたものに変わっていくと信じています。
【SSSW コラム】起業創業・キャリア相談窓口に訪れる女性たちの本音 ”ちゃんと”したい呪縛と幸福な働き方を考えてみる
県内全エリア
【相談窓口に訪れる女性たちの悩み】
信州スタートアップステーションには、地域のキャリアを考える多くの女性が起業やキャリアについて相談窓口を訪れています。その中でも特に目立つのが、管理職や起業家など「優秀」と評価される女性たちの悩み相談です。「仕事を他人に任せられない」「やるからにはちゃんとしないと」という思いにとらわれてしんどさを抱えてる方も多く、その結果、心身ともに疲弊し、いつしか燃え尽き症候群に陥ってしまうケースも少なくありません。
【なぜ「優秀」な女性ほど人に仕事を任せられないのか】
長野は忍耐力の高い県と言われていますが、その忍耐力が高い地域の中で”優秀”と言われ育ってきた女性ほど、プレイヤーとして成果を出す一方で、「他人に迷惑をかけたくない」「自分がやった方が早い」と考え、仕事を抱え込みやすい傾向があります。これは、幼いころから言われ続けてきた”ちゃんとしないと”と植え付けられた真面目さ、責任感の強さや「失敗してはいけない」というプレッシャーが影響しているのではないかと感じています。
自身に高い基準を求めるあまり、その基準に当てはまらない後輩やチームメンバーの働きに不安を覚え、仕事を任せられなかったり、任せてもマイクロマネジメントに陥ることもあります。しかし、これは自身の業務負荷が高り、部下やチームの成長機会を損ない、頑張っているのに成果が出ない、評価されないなどの悪循環につながってしまうことも。
【完璧主義と燃え尽き症候群のリスク】
責任感高く、完璧を目指して仕事をすると、一見すると仕事への情熱や成果に繋がるように思えますが(実際にプレイヤーとしては高い成果をあげますが)、すべてを完璧にこなそうとすることで、マネジメントとして業務の幅が広がるとキャパオーバーになってしまったり、心身の余裕を失い、長時間労働や過度なストレスに繋がってしまい、達成感を得るどころか、「十分にやりきった」と感じられない虚無感に陥ることもあります。また、自身の力の及ばなさに自己肯定感や自己効力感が下がってしまい、いわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状態になり、健康を害するだけでなく、キャリアを続ける意欲そのものが損なわれる可能性もあります。
【幸福に働き、活躍できるためのヒント】
女性管理職や起業家が幸福に働き活躍するためには?幸福に軽やかに活躍している先輩たちはどうしているのか?そこからヒントを探りたいと思います。
●人に任せてみる”小さな成功体験”を
チームや後輩、他の人に仕事を任せることは、自分だけでなく実はチーム全体の成長に繋がります。また、任せる際には、期待値を明確にし、信頼を前提に、任せる側のあなたにとっても任せられる側にとっても、小さな成功体験を積み重ねることが大切です。
●完璧主義を一旦手放そう
「100点を目指さず、まずは60-70点でOK」とする考え方を取り入れましょう。完璧を追い求めずとも、結果として良いチームができ、良い成果が得られるケースが実は多いのです。
●セルフケアは大事!
自分自身の心身を大切にできていますか。自分のココロと身体がしんどい状態で任せるのは至難の業です。長野の自然環境を楽しみながら発酵食品で体内きれいにして森林浴をして沢山眠り、心身のバランスを保ちつつ、上の2つのポイントを実践しましょう。
【地域の女性の幸せなキャリアを築く】
「優秀さ」とはすべてを自分で抱え込むことではありません。他人と協力しながら柔軟に働き、自分自身を大切にすることで、持続可能なキャリアを築くことができます。
長野県では、起業創業やキャリア支援を目的とした相談窓口を設け、こうした悩みを抱える女性たちを全力でサポートしています。一人で悩まず、ぜひ専門家に相談してみてください。
【SSSW コラム】母親に新たな選択肢を!起業というキャリアの形
県内全エリア

育児期の女性にとって、仕事と家庭の両立は大きな挑戦です。子どもの成長を見守りながら、自分自身のキャリアも諦めたくないという思いを抱えている方も多いでしょう。その中で、選択肢の一つとして「起業」が注目されています。
起業と聞くと、「特別なスキルが必要なのでは?」「リスクが高そう」といったイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、起業の形は多様化しており、大規模なビジネスを立ち上げるだけでなく、自分の得意分野や趣味を活かした小規模なビジネスを始めることも可能です。特に、デジタルツールやオンラインプラットフォームの普及により、自宅からでも多くの人にアクセスできる環境が整っています。
例えば、趣味で始めたハンドメイドのアクセサリー販売や、育児経験を活かしたオンライン講座、ライティングやデザインなどのスキルを活用したフリーランス活動など、育児中でも始めやすいビジネスがたくさんあります。また、こうした取り組みは収入面だけでなく、自分らしさを発揮できる場を得るという意味でも大きな価値があります。
もちろん、起業にはメリットだけでなく、リスクや課題もあります。しかし、最近では全国的にも女性起業家を支援するプログラムや、同じ境遇の仲間とつながれるコミュニティも増えています。こうした支援を活用すれば、安心してスタートを切ることができるでしょう。
育児期は忙しい毎日が続きますが、自分のキャリアを見つめ直す良いタイミングでもあります。起業はその選択肢の一つとして、自由で柔軟な働き方を実現する可能性を秘めています。まずは小さな一歩から始めてみませんか?新しい挑戦が、あなたの人生をより豊かにしてくれるかもしれません。
SOUの個別相談、いつでもお待ちしております!
地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「最終的には、この地域で育った子どもたちが『みみずやで働きたい』と履歴書を持ってきてくれたら、それが一つの結果だと思います。そうなったら『やっていてよかった』と心から思えるでしょうね」
そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。お二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三か月で創業を果たしました。
インタビュー後半では、お二人が地域に目を向けるようになった原点や、地域の未来を見据えた挑戦についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
株式会社みみずや
■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。
■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。
地域×農業の原体験が原動力に
――インタビュー前半では、所属していた会社との方向性の違いが創業を決意する理由になったとお話いただきました。改めて、お二人が地域や農業に目を向けるようになったきっかけを教えてください。

中條さん:私にとって原点は、実家の農業とその変化です。小学生の頃は、祖父の営む畑が親戚や地域の人たちが集まるコミュニティの場でした。でも祖父が年を取り、農地も縮小していく中で、いつしか「家族だけで大丈夫だよ」という雰囲気に変わっていったんです。その寂しさがずっと心に残っていました。
滝澤さん:私は、大学生のときに菅平の農家さんと関わった経験が転機でした。初めてその場で生のとうもろこしを食べたとき、衝撃的に美味しくて。長野県で育ちながらも、こうした農産物の魅力や、それを作る人たちの姿勢を全く知らなかった自分に驚きました。「こんな素晴らしいものが地元にあるのに、どうして長野の人は『仕事がない』と言って地元を離れるんだろう?」と疑問を持つようになったんです。
それ以来、地域の事業や農家さんと関わる中で、「地域には仕事がない」という固定観念が間違いだと気づきました。地域にある魅力や価値を深く知ることで、それを仕事に結び付ける可能性を確信するようになりました。それは「みみずや」の事業にもつながっています。
――前職で農業に関わる前から、それぞれ農業に関する原体験があったのですね。同じ思いを持っているとはいえ、友人同士での起業では意見がぶつかることはありませんか?

中條さん:意見がぶつかることはありますが、そのたびに「自分たちが目指しているものは何か」を確認しています。お互いの考え方を尊重しながら話し合えるのは、信頼関係があるからこそだと思います。それに、自然と役割分担ができているので、大きな衝突にはつながりません。
滝澤さん:全てのプロジェクトに二人とも関わっていますが、それぞれが得意な部分を補完し合うような形になっています。「これをやってくれ」と押し付けることはなく、むしろ「自分が進めた方がいい部分」を自然に任せ合っています。そうすることで、関係性がシンプルになり、事業全体がスムーズに進むんです。
中條さん:私たちの事業は多岐にわたっているので、各プロジェクトの特性に応じて柔軟に動く必要があります。それをお互いが理解しているから、基本的に大きな衝突はありません。それぞれのプロジェクトで担当が分かれていますが、全体のビジョンは一致している。そこが私たちの大きな強みだと思います。
地域の困りごと・相談ごとが仕事になっていく
――飯綱を選んだ理由や、独立直後の事業展開についてもお聞きしたいです。

滝澤さん:飯綱を選んだ一番のきっかけは、飯綱町の廃校を活用したフィットネスクラブ「Sent.」の事業ですね。元々この事業は、町が主導となり設備が整備され、当時、スポーツやアスリートというキーワードで飯綱町の事業を受託していた僕たちの前職の会社が、テナントとして入居し運営していくことになったんです。そこで、僕と中條が主に運営を担当していました。
しかし、もともと廃校になるような地域なので正直運営は厳しく、町から運営の補助を貰うという案もありました。ですが、そうなるとアイデンティティが薄れてしまう。自由に運営をしていくために、赤字でも自分たちで家賃を払って運営をしていくことを決めました。
中條さん:「Sent.」という名前には、地域の銭湯のように地域の人たちが定期的に出入りする場になるようにという思いが込められています。ただ運動に来るのではなく、誰かに会いに行きたくなるような場の設計を目指しました。結果、この場所が出来たことにより、僕たち自身が地域に入り込む一番のハブになりましたし、人の顔が見える地域で事業をやっていこうと思えるきっかけになりました。そこで、独立時は「Sent.」の事業と農業に関する事業をすべて前職から引き継ぎました。
――まったくゼロからの創業というよりは、会社から引き継げた事業もあったのですね。
滝澤さん:むしろ、僕たちがメインで関わっていた事業だったので僕たちが引き継がなければ終わってしまうものばかりだったんです。とはいえ、今思えば前職から引き継いだ事業だけではどう考えても赤字になるのに、それすらわかっていませんでした。会社としてのキャッシュフローの大変さは、独立してからわかりましたね。
中條さん:最初こそ赤字ではありましたが、スポーツをする場と農地を最初から手にすることができたのはその後の事業展開と地域への参入においてすごく効果的な切り口でした。
――事業を広げていく中で、新しい仕事はどのように生まれていったのでしょうか。
中條さん:私たちの強みは、相談内容に対して「こういう形で一緒に進めてみましょう」と具体的に提案し、その解決策を相手と一緒に作り上げることです。そのプロセスが信頼を生み出し、結果的に新しいプロジェクトや事業につながっています。
滝澤さん:ですから、私たちの場合いわゆる「営業活動」というものはしていません。ほとんどの事業は、地域の人々や行政からの相談がきっかけで生まれています。例えば、「この畑をどう活用したらいいか」「こんな課題を解決したい」といった声を聞く中で、自然と事業が形になっていくんです。
――相談から事業が生まれるのですね。ただ、すべてが利益につながるわけではないのでは?

滝澤:おっしゃる通りで、最初から利益を求めることはしません。例えば、地域の農家さんや行政から「これで困っているんだけど」と相談されたとき、「お金が出ないならできません」と断ってしまったら、そこで話が終わってしまいます。僕たちは、まずはその人や地域との関係性を築くことを優先します。その積み重ねで、最初は小さな相談だったものが、次第に事業として成立することが多いんです。
中條さん:私たちは行政と地域住民をつなぐ中間的な存在として動くことが得意なんです。行政は予算を持っていますが、それを活用する人材やアイデアが不足している。一方で、住民は課題を抱えていても、行政にどう相談すればいいかわからない。そんな両者をつなぐ役割を果たすことで、地域全体に貢献できていると思います。関係性を大事にしながら進めることで、地域の課題解決と事業成長を同時に実現していく。それがみみずやのスタイルですね。
地域の子どもたちが地域で夢を描ける存在になりたい
――みみずやとして、お二人がこれからやりたいことについて教えてください。

中條さん:地元の子どもたちが「あの会社で働きたい」と思えるような存在になりたいです。事業を通して関わっている小学生の子どもたちが、将来「みみずやで働くためにこんな勉強をしてきました」と履歴書を持ってきてくれたら、それだけで一つの結果が出たと言えるのかなと。もしそんな日が来たら、その日は洒落たバーで一人ウイスキーを飲むかもしれませんね。
滝澤さん:今のところ飯綱にはそんなバーはまだ無いんですけどね(笑)。地域の子どもたちが夢を持てる場を作るには、まず私たち自身がそのモデルになることが大切です。これからも、経済的価値だけでなく、文化的価値や人々のつながりといった価値も含めて幅広いものを生み出していきたいですね。
――みみずやの事業が巡り巡って、そんな場所が地域に増えていったらいいですね。

滝澤さん:それから、僕としてはこれまでみみずやの事業が続いてきたことは経済合理性だけでは説明できない部分があると考えていて。「のらりくらり続いている」部分をもっと掘り下げて言語化し、精度を上げていきたいです。私たちがやってきたことを明確にし、再現性のあるモデルとして伝えられるようになれば、「地域に仕事がない」という固定観念を変える一歩になるはずです。
中條さん:地域で仕事をしたい人が「ここならできる」と思える社会をつくりたいですね。経済的な仕組みだけではなく、文化や人々のつながりも含めて地域全体が循環する未来を目指しています。
――最後に、長野県での創業を目指す人へのメッセージがあれば教えてください。

中條さん:まずは「やってみる」ことが一番だと思います。何も知らないくらいの方が、勢いで飛び込めることもありますからね。ただ、私たちも経験した通り、創業には困難やリスクも多いです。その覚悟は必要です。
滝澤さん:そうですね。やる気満々で「創業します!」という人には、逆に「ここはちゃんと考えた?」と冷静にリスクを指摘してしまうこともあります。それでもそのリスクを乗り越えたいと思うなら、向かうべき道なんだと思います。
中條さん:もしかしたら、僕たちと一緒にやれることがあるかもしれません。地域でやってみたいことや相談したいことがあれば、まずは話を聞きますよ! 一緒に考えてみましょう。
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