記事一覧
82件見つかりました
ARTICLE
2025.9.30

事業の成長が子どもの未来に繋がると信じて。創業、移住、出産。挑戦を支えてくれた信濃町の余白【前編】先輩起業家インタビュー

2025.9.30

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「創業直後に思い切って東京から信濃町に移住したのは正解だったと思っています。起業をすると仕事とプライベートの境界がほぼなくなるので、夫婦関係や子育てがうまくいかないと事業もうまく回らなくなると思うんです。家族がいかに良い環境でストレスフリーでいられるかをベースに考えていけば、きっと事業もうまくいく」

そう語るのは、学校教員向けの英語学習ツール「TypeGO」を立ち上げた青波美智(あおなみ・みさと)さん。自身も元英語教員であり、米国カリフォルニアをはじめ海外で移民や現地の子どもたちに英語を教えた経験から、英語教員の負担と子どもの学びのハードルを下げることを目標に、楽しみながら英語学習に取り組めるシステムの開発・普及に取り組んでいます。

創業と同時に妊娠が発覚し、子育て環境を重視して東京から夫の地元である長野県信濃町に移住した青波さん。創業・移住・出産の3つを同時並行しながら、着実に事業を形にしていきました。現在はさらに家族が増え、事業も転換期を迎えています。

インタビュー前編では、自分自身の経験から生まれた事業の構想や、長野に移住してからのアクションをお聞きしました。

<お話を聞いた人>
 株式会社Swell代表取締役 青波美智

1992年生まれ。立教大学異文化コミュニケーション学部卒。TESOL※、中学高校教諭一種免許状(英語)保持。米国カリフォルニアでメキシコ人移民に英語を教えた後、国連女性機関(UN Women)東ティモール、UNESCO-UNEVOCドイツで広報に従事。米系リサーチ会社Guidepointのシンガポール支部でリサーチャーを務め、2022年に株式会社Swellを創業。

※TESOL Certificate 英語教授法のプログラム

英語教員の負担と、子どもの学びのハードルを下げる英語学習ツールを開発

――まずは、「TypeGO」がどんなサービスか教えて下さい。

「TypeGO」は、英語教員向けに特化した”英語×タイピング”の学習ツールです。視覚・聴覚・触覚を刺激しながら、ゲーム感覚で英単語や英文をタイピングしていく仕組みになっています。

現在は全国約160校、16,000人以上の方に使っていただいていて、ユーザーの9割以上が公立の小中学校の英語教員です。学習指導要領の理念・方向性を踏まえて語彙や文章を設計しているので、先生方にとって導入しやすい設計にしています。

特徴的なのは、導入の多くが口コミによるものだということです。2024年秋にたった12人の先生と約500人の児童生徒から始まったβ版が、その後口コミだけで全国に広がって、2025年4月には100校・12,000人に到達しました。5月20日の正式リニューアル後は、わずか1か月で導入校数が40%増、ユーザー数も約17%増となっています。

――事業のアイデアはどこから生まれたのでしょうか。

大学在学中、アメリカでTESOL Certificateを取得し、メキシコからのヒスパニック系移民に英語を教えていた青波さん

一番の理由は、私が語学が好きで、言葉が好きだからです。

これまでアメリカ、シンガポール、ドイツ、東ティモールで暮らしたことがあり、そのほかにも何十カ国以上の国を旅をしてきました。これまで暮らしてきた国では、現地で雇用され、その国の言葉を話してお給料をもらい、人脈を築いてきました。その中で、だんだん言語を習得するコツがだんだん分かってきたんです。自分自身、英語教育の現場に携わってきた経験もあり、これを日本の学校現場に落とし込めたらいいなと思い「TypeGO」の構想が生まれました。

――今まで積み重ねてきた経験が形になったのですね。

大学卒業後は、米系リサーチ企業のシンガポールHQで現地就職。世界各国から集まった同僚達と働いてきた

今はAIの時代と言われていますし、通訳・翻訳ツールも発展しています。「わざわざ言語を学ばなくてもいいんじゃないか」という声もありますが、私はやっぱり言葉の持つ力は大きいと思っています。

シンガポールで働いていた時は、ベトナム、韓国、インドネシアなどいろんな国から人が集まっており、みんな共通言語である英語でコミュニケーションを取っていました。でも、例えばインドネシア人の同僚には“Apa kabar?(調子はどう?)”とほんのちょっとでも相手の言語を使って話しかけると一気に仲良くなれたんです。そうすると、日々のコミュニケーションがうまくいって、結果として仕事もうまくいく。

AIがどれだけ発達しても、相手の文化や言葉に寄り添うということは絶対になくならないし、なくなって欲しくないと思っています。なにより自分自身が、海外に行くことや何かに挑戦すること、言語を通じて新しい価値観に触れることが大好きなので、そんな挑戦を後押しするサービスが作りたいという思いがありました。

創業と同時に妊娠が発覚するも、「明日生まれるわけじゃない!」と走り続けた

――「創業する」という選択肢は、青波さんにとって身近なものだったのでしょうか。

2022年4月、アメリカ・カリフォルニアへ

「TypeGO」の構想が生まれた頃は、東京のマーケティング会社に勤めていたので、まずは社内の新規事業として立ち上げられないか上司に相談しました。「自社事業としては難しい」という反応だったため、それならば独立して自分でやろうと会社を立ち上げた形です。

もともと私は旅が好きだったので、語学に関する事業を立ち上げれば、海外旅行がすべて経費になるし、仕事につながるなと。今までもそんな生き方をしてきましたし、これからもそんな生き方をし続けたかった。いずれ子どもが欲しいと思っていたので、自由に働ける起業家という働き方は自分に合っているなと思っていました。

――創業とほぼ同時に妊娠が発覚し、長野に移住したと伺いました。

信濃町の雄大な景色。青波さんは、現在は第二子に養子を迎え、第三子を出産し3児を育てている

はい。当時はまだ東京で暮らしていて、台東区で登記が完了して2週間後、「さあ、ここからだ」という矢先に妊娠5ヶ月が発覚しました。「初創業・プロダクトなし・チームなし・キャッシュなし」の状態で、代表取締役(妊婦)という肩書きを背負うことになったわけです。

一瞬「おっと」と思いましたが、もともと子どもを望んでいましたし、「まあ明日生まれるわけじゃないしな」と事業は止めずに走り出すことに決めました。

もともと子どもが生まれたら自然豊かなところで育てたいと思っていたので、妊娠がわかってからすぐに夫の地元である長野の信濃町に移住しました。スタートアップをやるなら絶対東京のほうがいいと思っていたので迷いはありましたが、東京で出産をして子育てをするイメージが全く湧かなかったんです。

何事に対しても「新しいことは楽しい」という感覚がありましたし、東ティモールで暮らしていた時も、最初はお湯が出なかったり、ゴキブリやネズミと共存したりしていたくらいだったので、「移住したからってそこで人生を終えるわけじゃない。合わなかったら東京に帰ればいい」と移住を決めました。

――暮らしの環境を優先したのですね。

現在の青波さんの住まいの様子

結論から言えば、思い切って信濃町に移住したのは正解だったと思っています。起業をすると仕事とプライベートの境界がほぼなくなるので、夫婦関係や子育てがうまく回っていかないと、事業もうまく回らなくなると思うんです。

仕事のことだけを考えて東京にいた場合、恐らく子育てでフラストレーションが溜まって、事業もうまくいかなかったんじゃないかなと。移住直後も思ったし、今でもそう思います。まず大前提として、子ども達にとっていかに良い環境でストレスフリーでいられるか。それをベースにしてプライベートを充実させれば、きっと事業もうまくいく。

特に女性の経営者の場合、妊娠するとなれば自分の体に約10ヶ月間子どもを宿すことになるし、出産の前後は動けません。妊娠・出産と仕事と切り離さずに、共存するしかないんですよね。だから、暮らしや子育ての負荷が低い環境の方が事業経営もしやすいと思います。

孤立を防ぎ、情報を掴むために長野の創業コミュニティに飛び込んだ

長野で出会った起業家仲間の同期たち

――移住後は、どうやって事業を形にしていったのでしょうか。

やりたいことはあれど資金がなかったため、まずはプロダクト開発の原資を捻出するためにメディアマーケティング支援の受託業を継続することにしました。

もう一つの生命線として、日本政策金融公庫の創業融資にも申し込みました。事業計画を引いてお金を借りる経験は人生で初めてで、計画書や試算表を提出できたのが出産の1ヶ月前。無事に長男が誕生し、面談を経て、最終的には公庫と地元の銀行による協調融資で1年走れるくらいの資金をお借りすることができました。

そこからは、初めての育児に奮闘しながら「TypeGO」の事業を形にするために走りました。

――まずは資金を貯めていったのですね。都市部での創業に比べて、壁を感じる場面はなかったのでしょうか。

信濃町は、子育て環境としてはとても良かったのですが、やはりふつうに暮らしていると周りの情報が全く入ってこなくて。東京にいた頃は、電車に乗るだけで広告やトレンドが入ってきますし、人との出会いもたくさんありました。スタートアップ支援や起業家のイベントも多い。一方信濃町は、むしろそういった情報に疲れた人たちが自然を移住してくるところなので、想像していた起業とはかけ離れた暮らしで。

「このままでは孤立してしまう!」と、長野県内の起業家コミュニティはないか探しました。そんな中で見つけたのが信州スタートアップステーションでした。表向きは「事業をスケールしたい」と相談に行きましたが、本音は「やばい、誰ともつながっていない」という焦りでしたね。

そこでアクセラレーションプログラム※1に採択していただき、2023年の夏〜秋はコーディネーターの森山さんと壁打ちを重ねました。特に、ターゲットセグメントをいくつも定め、それぞれの課題や事業インパクトを深掘りしていく工程は今までの受託目線とは使う脳の筋肉が異なり面白かったです。アクセラレーションプログラムの同期という形で創業者仲間も増え、刺激を受けたり学びを深めたりすることができました。

※1 「アクセラレーションプログラム」では、年に2回、公募により選定した企業等を対象に、数カ月間にわたりコーディネーター、メンターが起業家の様々な経営課題に対して短期集中型の伴走支援を行う。

インタビュー後編では、事業の成長と子育ての両立のコツ、これからの展望についてお聞きしました。

株式会社Swellのホームページhttps://swell-inc.com/
英語教員のための「TypeGO」公式notehttps://note.com/typego

ARTICLE
2025.9.30

事業の成長が子どもの未来に繋がると信じて。創業、移住、出産。挑戦を支えてくれた信濃町の余白【後編】先輩起業家インタビュー

2025.9.30

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「創業初期は、『起業家としても母親としてもダメだ』と落ち込んでしまうことがたくさんありましたが、今では『自分が事業で成功することが何よりも子どものためになる』と思えるようになりました。『TypeGO』の事業を大きく成長させて子どもの将来に還元させることが、親として最大限出来ることだと信じて日々挑戦しています」

そう語るのは、学校教員向けの英語学習ツール「TypeGO」を立ち上げた青波美智(あおなみ・みさと)さん。自身も元英語教員であり、米国カリフォルニアなどで移民や現地の子どもたちに英語を教えた経験から、英語教員の負担と子どもの学びのハードルを下げることを目標に、楽しみながら英単語のタイピングに取り組めるシステムの開発・普及に取り組んでいます。

創業と同時に妊娠が発覚し、子育て環境を重視して東京から夫の地元である長野県信濃町に移住した青波さん。創業・移住・出産の3つを同時並行しながら、着実に事業を形にしていきました。現在はさらに家族が増え、事業も転換期を迎えています。

インタビュー後編では、子育てと事業のバランスの取り方、長野で創業したから得られた体験や、これからの展望についてお聞きしました。

<お話を聞いた人>
 株式会社Swell代表取締役 青波美智

1992年生まれ。立教大学異文化コミュニケーション学部卒。TESOL※、中学高校教諭一種免許状(英語)保持。米国カリフォルニアでメキシコ人移民に英語を教えた後、国連女性機関(UN Women)東ティモール、UNESCO-UNEVOCドイツで広報に従事。米系リサーチ会社Guidepointのシンガポール支部でリサーチャーを務め、2022年に株式会社Swellを創業。

迷走を経た原点回帰。英語教員向けの事業として再起動

――インタビュー前半では、創業や移住直後のお話をお聞きしました。妊娠中や出産直後も、資金調達やアクセラレーションプログラムの参加などアクティブに動き続けてきたのですね

とはいえ、アクセラレーションプログラムに参加した時点での「TypeGO」の構想は、「言葉をもっと自由に、世界を旅するゲーム」。対象は英語中上級者の大人、つまり To Cのビジネスモデルを考えており、「この事業で誰のどんな課題をどう解決するのか」という核心はまだ曖昧でした。

にも関わらず、私は「走れば形になる」と信じてしまったんです。開発が先行し、To C向けのアルファ版を無料公開してからは、「誰に届けたいのか」は置き去りなままにデザインや機能の微調整といった延命的な改善を重ねていました。

――立ち止まるきっかけはあったのでしょうか。

いくつか転機がありました。まず、2024年初頭に業務委託で依頼していたエンジニアが本業で忙しくなるということで新たな採用が必要となったんです。

そこで、英語のみの採用で世界中からエンジニアを募集しました。多くの人が「TypeGO」に可能性を見出して手を挙げてくれた中に、現在の開発パートナーであるインドのチームがいました。技術面でも申し分ないだけでなく、単なる外注先としてではなくプロダクトの未来を一緒に描こうとしてくれる相手だと感じられました。

インドチームとの開発が本格化すると、プロダクトは一気に進化しました。ですが、「TypeGO」のユーザーは一向に増えない。その間も、会社の口座からはどんどんお金が出ていきます。

クオンタムリープベンチャーズ株式会社が主催のアクセラレーションプログラム「LEAPS」の育成枠の1期生に採択され、事業構造そのものを徹底的に問い直した

そこで、一度事業の方向性を見極めるために開発を完全にストップする決断をしたんです。英語教員、企業家仲間、先輩起業家など数えきれないくらいの人と話をしました。そこで、ひとりのユーザーとの会話で転機が訪れたんです。

彼は中学校の英語教師で、「これ、学校で使えたらすごく助かります。生徒たち、タイピングが全然できないんですよ。英語でタイピングを教えるって難しいけど、これなら楽しんでやってくれるかもしれない」と言ってくれました。

その言葉を聞いた瞬間、ハッとしたんです。私は大学時代は英語教員を目指して勉強していましたし、実際にカリフォルニアで英語を教えていた経験もあります。「私、もともと英語教育が好きだったじゃん」という原点を思い出したんです。

――現在の「TypeGO」の英語教員向けのビジネスモデルは、悩みに悩んだ先にあったのですね。

新しい方向性が見えてからは、まずは現役の英語教員の方々にヒアリングを行い、今の教育現場の解像度を高めました。また、「先生向けのプロダクトをつくるなら、先生がチームにいた方がいい」と思い、X(旧Twitter)などを通じて何人かの英語教員に声をかける中で、英語授業・働き方改革に関する情報発信を行う江澤隆輔先生と出会うことができました。

立ち止まってからおよそ3ヶ月で、「TypeGO」は、学校教育向けのプロダクトとしてピボットを完了させました。2024年の9月にベータ版を公開し、11月には英語教員向けの小さなオンラインセミナーを開催しました。参加者は12名でしたが、その12人が受け持つ生徒約500人が一気に「TypeGO」ユーザーとなり、そこからその後口コミだけで「TypeGO」が全国に広がって行きました。

休み時間を返上して「TypeGO」に取り組む生徒たち。約半年で100校に導入・ユーザー数は12,000人に到達

そして、5月20日の正式リニューアルを経て、現在は160校・16,000人を突破しています。たった1か月で導入校数は40%増、ユーザー数も約17%増に。この数字の裏には、現場の先生方が実際に使ってくれて、同僚や、次の学校に紹介してくれたという確かな手応えがあります。

すべてを包み込んでくれる信濃町の自然と余白

――プライベートの面では、新生児の養子を受け入れ、さらに第3子もご出産されていますね。事業と子育てはどのように両立されていますか?

最初の妊娠期間や長男が生まれたばかりの頃は、まだ「TypeGO」が形になっていなかったので、「起業家としてもダメだし母親としてもダメ」というマインドになって泣いてしまうこともありました。

「妊娠していなければもっとできるのに」と落ち込んだり、打ち合わせ中に子どもが泣き出して「すみません、リスケで」と謝り倒したり。でも今は、子育てと仕事の共存のさせ方がわかってきた気がします。

――共存のコツを教えて下さい。

一番ダメなのは、「子育てもやらなきゃ、仕事もやらなきゃ」と同時並行してしまうこと。「起業家としての自分」と「家族の中にいる自分」をちゃんと分けて、メリハリをつけることが大切です。

以前の私は、打ち合わせ中に子どもが泣き出すと、「ごめんね」と内心謝りながら打ち合わせをし、終わったらミルクを与えながら「うわあ、まだ仕事が残っているのにな」と考えてしまっていました。脳を切り替えられていない状態だから、どちらに対しても罪悪感が発生してしまうんですね。

最近は、「仕事よりも子ども優先」というスタンスを持ちつつ、「子どもを優先するためにはお金が必要だし、自分が事業で成功することが何よりも子どもへ還元できるものだ」と思えるようになりました。

実際に、信濃町の学校現場でも「TypeGO」が導入されました。子どもたちが通学するようになるまで、継続して活用してもらえるようによりよいプロダクトにしていきたい。自分が事業で成功した暁には、子供たちの未来にその恩恵を与えられる。それが自分が親として最大限出来ることだと信じて、今は事業に挑戦しています。

――世の中の「母親像」や「経営者像」に左右されず、自分でバランスを取っていくことが大切なんですね。

逆に、潔く自分の時間を子どもたちに譲ることもあります。子どもたちが「遊んで」と泣き出したら、どれだけ「今この資料をやっているのに……」と思っても、「分かった。これからの30分間は君たちに渡します」と自分の中で決めて、PCも閉じて携帯も置いて、一緒に絵本を読んだりお散歩したり。そうすると、大抵15分くらいで機嫌が良くなるんです。

そうして子どもたちの笑顔を見て、「私は大丈夫、母親として100点!」という状態を作ってから、もう1回仕事に戻る。そうやって、気持ちのメリハリをつけるだけで全然違います。でも、これを東京でやろうとしたら無理だったと思います。

――メリハリをつける上で、信濃町という環境はやはり大きいですか。

はい。昨年、それを強く実感した瞬間があって。長男が生まれ、新生児の養子を受け入れて、第三子を妊娠してつわりがひどい時期があったんです。もう毎日バッタバタの地獄絵図で。ある朝、長男が着替えをイヤがって走り回るのを追いかけていたら、長男が転んで床に置いてあったコップの水が全部こぼれたんです。

そこに、窓から朝日が差し込んできて水面にキラキラと反射して。次男は泣いていて、自分も吐き気でしんどいし、保育園の送迎時間がギリギリ。それなのに、「あ、きれいだな」と思った自分がいたんです。こんなカオスな状態でも、長男を叱るんじゃなくて、「きれいだな」と心が動く余裕があるんだ、と。その時に、「あぁ移住してきて良かった」と思いました。

どれだけ仕事で行き詰まっても、ここならちょっと顔を上げれば山が見える。子どもが泣き出したら、パッとお外にお散歩に行ける。走り回ったり大声を出しても何しても周りを気にしなくて良い。気持ちに余裕があるんです。そういう意味で、妊娠・出産・育児をしながら起業をするなら長野はすごくおすすめです。

言語習得のハードルをぐっと下げ、みんなが異文化を許容できる社会に

――これからの展望を教えてください。

まずはどんどん学校教育の中に「TypeGO」を浸透させていって、子どもたちにとっての言葉を学ぶことへの心理的ハードルと、先生たちの負荷をもっと下げていきたい。その先で、さらには世界中の子供たちや大人が言語を習得するハードルをぐっと下げ、みんなが異文化を許容できる社会にしていきたいです。

今後具体的に目指していきたいのは、言語を学んだ成果がちゃんと得られる仕組みを作ること。ゆくゆくは、「TypeGO」のスコアがそのまま語学の資格になるようにしたいんです。英検やTOEICのような既存の語学の試験は、わざわざ試験を受けに行かないといけませんし、受けてから数年が経ってしまえば「今」の英語力は測れない。「TypeGO」なら、日々遊んでいるだけで英語力だけでなくパソコンの実務スキルも測れるので、大学受験や就職における効果的な指標になるはずです。

ユーザーのデータを見てみると、面白いことに学校の偏差値と「TypeGO」のスコアは比例していないんです。どんなに偏差値が低い学校でも、「TypeGO」では全国的に高いレベルにいる子どもたちがたくさんいる。「TypeGO」のスコアを資格化し、全国的な評価基準にすることで、頑張っている子どもたちに奨学金を与えたり、海外研修をサポートしてあげたり、教育格差を埋めるような支援もしていけたらと思っています。

――最後に、長野県で創業を考えている方にメッセージをお願いします。

「妥協しないでやってみて!」とお伝えしたいです。仕事と育児の両立の話をすると、私は「両方ともやるしかない!」という感じでやってきました。イヤイヤやったのではなく、両方とも楽しかった。

それでも、やっぱり諦めそうになる瞬間は出てきます。そんな時は、目の前の小さいことを見るんじゃなくて、自分の人生全体を捉えて考えるようにしてきました。行き詰まったと思ったら、ちょっと引きで自分を見て、「これ、まだやってないじゃん!」「これをしたらどうなるんだろう?」と塗り絵を埋めていく感覚でチャレンジしてみる。

そもそも、「仕事と家庭のどちらかを選ばなければいけない」「どちらかの割合を減らさなければ両立できない」というわけではないと思うんです。両方とも100%やればいい。「もうやめたいな」と思うことがあっても、メリハリを付けて全部やってみて欲しいです

株式会社Swellのホームページhttps://swell-inc.com/
英語教員のための「TypeGO」公式notehttps://note.com/typego

ARTICLE
2025.9.11

創業支援事業補助金

主催:伊那市役所 商工振興課
募集期間:2025/4/1〜2026/3/31
2025.9.11
資金調達(補助金/助成金)を検討している

伊那市

◆市内で新たに事業所を設置し、3年以上継続する意思のある方を対象に、事業所の新築費・購入費・内装または設備工事費、及び地代家賃について補助します。
◆補助率は補助対象経費の3分の2以内、補助上限は30万円。ただし、加算要件に該当する場合には、補助上限が最大100万円まで引き上げられます。
◆その他詳しい内容につきましては、伊那市公式HPをご覧ください。 

詳細リンク

詳細はこちら

ARTICLE
2025.8.21

WE-Nagano Global Conference2025開催レポート

募集期間:2025/08/20〜2026/03/31
2025.8.21
イベント/セミナー/研修を探している

県内全エリア

2025年7月18日(金)・19日(土)の2日間にわたり、「WE-Nagano Global Conference 2025」を開催しました。
昨年に続き第2回となる本カンファレンスでは、「女性的な視点から創造する『良い企業』『良い地域』」という前回のテーマを土台に、「地域でつくる良い暮らしとは何か」を国内外のスピーカーや参加者と共に多角的に探求しました。ビジネス、アート、哲学といった多様な分野からの知見が交差し、世代・性別・国籍を超えた対話が生まれた2日間。その熱量と学びを、本レポートでお届けします。

WE-naganoは、地域に根ざしながら、グローバルな視点を持ち、より良い社会や未来をつくっていくために議論や交流を行っていく、長野県立大学のプロジェクトです。名称の “W” (Women) は、これまでの男性社会的なシステムとは異なる視点という意味での女性的リーダーシップの必要性や、現代社会で未だ可能性を拓ききれていない女性という存在への期待を表現しています。また、”E” (Entrepreneurs) には、起業家精神、つまり、自らの可能性を信じ、新たな世界を拓いていく姿勢を、事業を起こす人に限らずすべての人が持てるようにという願いを込めています。

Opening Sessionでは、これまでスポーツ、報道、アートといった「男性の仕事」とされてきた分野で活躍してきた3名の方々にご登壇いただきました。女性がサッカーを続けたくても部活動やプロリーグなどの進路がなかった、女性アナウンサーには政治やスポーツのニュースが回ってきづらい歴史があった、女性アーティストには展覧会の開催機会すら与えられなかったなど、それぞれの現場で直面してきた構造的・制度的な不平等について語られました。また、「女性らしさ」を求められる社会の風潮に対する疑問も共有され、こうした固定観念を超えて一人ひとりが自分らしく生きることの大切さが強調されました。セッションの最後は『「男性」「女性」といった枠にとらわれず、最も自分が生き生きできる在り方を目指すべきだ』という登壇者の力強い言葉で締めくくられました。

Keynote Speechでは、長野県立大学の佐藤理事長が、WE-Naganoの開催意図と今年のテーマについてプレゼンテーションを行いました。「良い暮らし」「良い地域」というテーマを掲げ、日本のジェンダーギャップ指数や、長野県における若年女性の転出超過といった課題を提示し、多様性と寛容性を備えた地域コミュニティこそが、人口流出の抑制やUターン促進に重要であると述べました。さらに、それらの価値観はイノベーションを促進し、新たな価値を生む力になると強調し、善光寺に象徴される宗教的寛容性や、移住したい県No.1という実績を挙げ、長野の持つ可能性にも触れました。最後に、このカンファレンスを通して地域を変える声や活動と出会い、未来への希望につなげてほしいと語りました。

Global Sessionでは、長野県立大学の安藤顧問が、ジェンダーギャップの解消は人口減少の改善とイノベーションの促進において重要であるということを強調し、特に、若年女性が地域から出ていくこと以上に「戻ってこない」ことが課題であると述べ、各パネリストに自国の状況や日本への示唆を問いかけました。これに対し、スピーカーたちは、国の政策や多様性ある組織づくりに向けて、まず現状を把握するためのデータ収集が不可欠であると述べました。また、性別役割分担の意識を変える広報の工夫や、「16時半以降は会議をしない」といった制度設計を通じた、性別にかかわらず働きやすい職場環境づくりなど、多面的で包括的な取り組みの重要性が共有されました。

Keynote Sessionでは、長野県内で事業を展開する3名の経営者と、長野県知事の阿部守一氏にご登壇いただきました。冒頭では、「なぜ女性だけが育児か仕事かを選ばなければならないのか」「なぜ取締役に女性が私1人しかいないのか」といった、性別役割分担への違和感を感じた経験が語られました。これを受けて知事は、NAGANO創造県民会議の設置や2050年に向けた長野県の展望を紹介し、「寛容性」が未来の地域づくりの鍵であると強調しました。経営者たちからは、声が届く組織づくりの実践として「声を上げられる空気感」や「情報の透明性」の重要性が語られました。また、最後には地域によそものとして関わるには100年単位で歴史を捉えること、対話を通じて希望を育むことの重要性についても語られました。

カンファレンス2日目に開催されたYouth Sessionでは、活躍する10代・20代の若者4名と長野県立大学の金田一学長が登壇し、「暮らしたい地域・社会」をテーマに、居場所づくりや自分らしさについて議論が交わされました。セッション冒頭にはそれぞれの取り組みの背景にある「学校の同調圧力」や「LGBTQ+当事者間の分断」、「気候変動に対する意識の差」といった違和感について語られました。また、地域で活動する中で「学生だから」と軽く見られた経験についても共有され、年齢や立場に関わらず一人ひとりの声に耳を傾け、それぞれが自分らしく生きられる社会を作る重要性について訴えられました。最後に金田一学長より「今日登壇した4人にはぜひ今後とも積極的に行動し、グローバルに活躍してほしいと思います。」とのメッセージが寄せられセッションが締めくくられました。

Lunch Time Sessionでは、長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科の神戸和佳子准教授が司会進行を務め、奈良県・教恩寺の住職であり、シンガーソングライターとしても活動するやなせななさんが登壇しました。「わたしを生きる」というテーマのもと、仏教の教えと自身の人生経験を重ねながら、作詞作曲された歌の演奏とともに語られました。就職氷河期、音楽活動の挫折、がん闘病といった困難を経験しながらも、「スターになりたかった夢は叶わなかったけれど、全国を回って歌を届ける中で、悲しみに打ちひしがれた心の奥にも音楽が届くということを実感できた20年間だった」と振り返りました。そして、「『私は生きている』という気持ちを手放し、『生きていない』くらいの気持ちでいることが重要。夢に破れても、まだ道はあると思えたとき、人とのつながりに救われ、道ができ、自分を生きることができる」と語りました。

Closing Session わたしたちが創造する「良い暮らし」「良い地域」〜多様性の視点から、寛容性
2日間にわたる長野県立大学でのイベントのクロージングセッションでは、「私たちが想像する良い暮らし、良い地域」をテーマに、多様な背景を持つ登壇者が集まり、2日間の議論を振り返りながら、これからの社会の在り方について深く話し合いました。議論では、ケア労働が女性に偏っている現実や、ビジネスの現場で「男性の仕事・女性の仕事」といった固定観念が根強いこと、障害が社会によるラベリングであるという問題提起がなされました。これに対し、大室教授はソーシャルイノベーションの視点から、社会を「経済と家事」「健常者と障害者」「男性と女性」というように言語化し単純化すること自体が問題であると指摘し、経済というフレームによって家事が見えなくなる構造や、健常者というフレームによって障害者が置き去りにされる構造を明らかにし、社会を分けずに捉える必要性を強調しました。さらに、あえて自己中心的に生きようとするワークを通じて、自身が他者に支えられていることに気づき、私とあなた、そして社会が不可分に繋がっていることを実感するプロセスが、全体性を取り戻す鍵であると述べました。

書いた人:内田大晴
長野県立大学グローバルマネジメント学科6期生2004年北海道生まれ。大学入学後、地域のフリーランスのライターに弟子入り。現在はインタビュー記事やイベントレポート、クラウドファンディングの伴走支援などを行っている。

ARTICLE
2025.8.13

「花が好き」という想いを、唯一無二の仕事に。理想のライフスタイルを叶える、創業という選択肢【後編】先輩起業家インタビュー

2025.8.13

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「『好きなこと』と『得意なこと』、『世の中が求めてること』、そして『お金になること』。この4つの円が重なれば重なるほど、それを仕事にしやすくなります。そうすると、仕事が自分の生きがいにつながっていく」

そう語るのは、”花のロスを減らし花のある生活を文化にする” をミッションに掲げ、廃棄されてしまうロスフラワーを用いた店舗デザインや装花装飾を行う株式会社RINを立ち上げた河島春佳(かわしま・はるか)さん。

自分の理想のライフスタイルを叶えるため、20代前半から創業を意識するようになり、自分が熱意を注げる「好きなこと」を突き詰め、着実に事業を形にしていきました。東京で創業し、事業を育ててきた河島さんが、次のフェーズを展開するためのフィールドとして検討しているのが、生まれ故郷である長野県。

インタビュー後編では、駆け出しのフリーランスから法人化を果たすまでの道のりや、今後の展望について聞きました。

<お話を聞いた人>
 株式会社RIN 代表取締役 フラワーサイクリスト®︎ 河島 春佳

長野県小諸市生まれ。大自然の中で幼少期を過ごし自然を愛するようになる。2014年頃から独学でドライフラワーづくりを学び、2017年 生花店での短期アルバイト時に、廃棄になる花の多さにショックを受けたことから、フラワーサイクリスト®︎としての活動を始める。2018年クラウドファンディングで資金を集めパリへの花留学を実現し、2019年ロスフラワー®︎を用いた店舗デザインや、装花装飾 を行う株式会社RIN を立ち上げる。2020年には花農家と消費者の架け橋として開設したオンラインショップ『フラワーサイクルマルシェ』が、農林水産省HPでも紹介。2021年フラワーサイクリスト®︎になるためのスクール『フラワーキャリアアカデミー』をリニューアルし、現在全国の200名以上の卒業生と共に、ミッションとして掲げる “花のロスを減らし花のある生活を文化にする” ために活動中。

自分を見つめ直して気づいた、花への深い想い

©KATO SHINSAKU

――インタビュー前編では、創業に向けて事業の種を育てていくまでの過程をお聞きしました。当時はフラワーアレンジメントなどクリエイティブな側面が主だったと思うのですが、そこから現在の主軸であるロスフラワーにたどり着くにはどんな経緯があったのでしょうか。

「花を仕事にしたい」という軸は決まったものの、いわゆる素敵なフローリストの方はすでに世の中にたくさんいたので、それだけでは仕事にならなかったんです。

「じゃあどうしたらいい?」と自分を見つめ直してみると、私は当時生花よりもドライフラワーをメインに扱っていることに気が付きました。「なぜドライフラワーなの?」と深掘りしていった先に、「お花を捨てるのがもったいない」という思いがあるなと気がついて。そこから、「フードロスのお花バージョンみたいな取り組みができないかな?」とぼんやり思い描き始めました。

そこで、サステナビリティを意識したマルシェを運営している友人に、「廃棄のお花を救うプロジェクトをやっていきたい」と、ざっくばらんにアイデアを話してみたんです。そうしたら、「それは是非、うちのマルシェで販売して欲しい」といい反応をいただけて。話していく中で、「それってフードロスのお花バージョンだから、ロスフラワーだね」「生産者さんの規格外のお花や、お花屋さんで行き場を失った花を救うことで、お花を長く楽しんだり、花のある生活で心の栄養をお届けしていきたい」と、事業のアイデアが固まっていきました。

――自分を見つめ直すことで生まれたアイデアを、さらに人に話すことで形になっていったんですね。

当時から内省と同じくらい意識していたのは、「直感を信じて行動する」「走りながら行動する」というマインドセットでいることでした。会社員時代の「安定を求める保守的な自分」のままでは、自分で仕事を作っていくことが出来ないなと。自分の脳を書き換えることで、自分で生きていくための道を切り開く力を身につけようとしていました。

パリ留学を経て、企業向け事業展開へ

――そのマインドセットがあったからこそ、未経験でも独学で走り出せたのですね。会社を立ち上げるまでの道のりを教えて下さい。

大学職員を退職し、フリーランスとして独立したものの、当時の自分のキャリアを考えると、「未経験」で「独学」のままだったんです。「自分で学ぶ機会を作りたい、かつ、人と違うことをしたい」という思いから、フランス・パリへの海外留学を目指すようになりました。

とはいえ、資金が潤沢にあるわけではなかったので、クラウドファンディングを実施して、ファンとの関係性づくりも同時に行ったんです。2018年に、Facebookの告知だけでクラウドファンディングを実施し、パリでの花留学とワークショップの実施を実現しました。帰国後の仕事につながるように、お花の装飾の定期契約権をリターンに用意しました。ありがたいことに、100人以上の多くの方や、企業の社長さん達にもご支援いただくことができ、帰国後の仕事につながりました。

帰国後の報告会の様子

そうしたパリへの留学経験と、クラウドファンディングでのファンの皆様からの応援をきっかけに、アーティストとして生きていく自信がついて、本格的にロスフラワーをコンセプトに活動していくようになりました。

留学前は、ワークショップやケータリングなど、個人向けのお仕事がメインだったのですが、留学後は企業向けのお仕事が出来るように動きだしました。企業向けの展示会に参加し、3日間で1000枚のチラシを配ったこともあります。

――地道に着実に、事業の種を撒いてきたのですね。

チラシの効果が出て、実際に企業さんとの案件をいくつかいただけるようになりました。そこで、ロスフラワーとフラワーサイクリストの商標を取得し、自分の中でもいわゆるハイブランドさんに起用してもらえそうな事業展開を目指したら、Urban ResearchさんやLUSHさんの店舗装飾や、乃木坂46さんの衣装提供を行うようになり、2019年に法人化を果たしました。

生まれ故郷・長野への想いとこれからの展望

――今後の事業の展望として考えていることはありますか?

副業・フリーランス時代も含めると、これまで10年近く東京で仕事をしてきました。たくさんの人との出会いや、様々な企業さんとのパイプを作り、事業を大きくしてくることができました。

次は、さらに地方に目を向けて、お花の生産者さんに寄り添うお仕事を増やしていきたいと考えています。これまでも生産者さんの元に通ってはきたのですが、実際に自分が地方に住むことによって、生産者さんとの距離が近くなり、心を開いてくれるかもしれません。自分自身、住んでいるからこそ、気づけることもあるんじゃないかなと。

そもそもロスフラワーがどういった過程で出てきてしまうのかを探り、根元から課題解決につなげたり、これまで培ったノウハウを活かした6次産業化のお手伝いだったり、やってみたいことはたくさんあります。ゆくゆくは、地域の雇用を増やしたり、農業と福祉の連携の仕組みを作ったり、地域のお花の魅力の発信もしていきたいです。今の会社とは別に、新しい会社を立ち上げてもいいんじゃないかと考えています。

――その候補地のひとつが、長野県なのですね。

はい。長野県は、お花の生産者さんが多いほか、新幹線が通っているので都市部ともアクセスがしやすいため既存のお仕事も継続しやすい。そして、やはり私の生まれた土地であり、子どもの頃に毎年遊びに来ていた思い出があります。子育て環境としても良さそうだなと。

東京にいる便利さもいいけれど、森の中で暮らすいい意味での不便さが、今の自分にしっくりきて。不便だからこそ、ゆっくり自分の時間を取れたり、内省する時間を大切にしたりできる。自分をリセットできる感覚が心地よくて。

まだどうなるかはわかりませんが、もしこの記事を読んでくれていて、RINに興味を持ってくれる長野の企業の方がいたら、今後何かご一緒できたらうれしいですね。

4つの要素が重なった時、仕事は生きがいになる

――最後に、創業を考えている方向けにメッセージをお願いします。

「好きなこと」と「得意なこと」、「世の中が求めてること」、そして「お金になること」。この4つの円が重なれば重なるほど、それを仕事にしやすくなります。そうすると、結果として仕事が自分の生きがいにつながっていく。

私の場合は「好きなこと」がお花、「得意なこと」がクリエイティブ、「世の中が求めていること」つまり、社会課題としてロスフラワーの活用がありました。そして、それがありがたいことに「お金になること」でした。

無理に「世の中が求めていること」だけにフォーカスしすぎず、「好きなこと」「得意なこと」も大切にしていった方が、事業を継続しやすいんじゃないのかなと私は思います。そうやって、その4つのバランスを見ながら、自分が無理なく続けられる何かを見つけていくといいんじゃないかな。

株式会社RINのホームページhttps://lossflower.com
河島春佳さんのinstagramhttps://www.instagram.com/haruka.kawashima

ARTICLE
2025.8.13

「花が好き」という想いを、唯一無二の仕事に。理想のライフスタイルを叶える、創業という選択肢【前編】先輩起業家インタビュー

2025.8.13

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「子育てがネックで仕事が出来ないことも、仕事が忙しくて家族との時間が取れないというのもいやだったんです。どちらも叶えたかったのですが、このまま会社員として働いていたら、それは難しそうだぞという体感がありました。独立したら、理想のライフスタイルが描けるんじゃないかというイメージが漠然とあったんです。」

そう語るのは、”花のロスを減らし花のある生活を文化にする” をミッションに掲げ、廃棄されてしまうロスフラワー®︎を用いた店舗デザインや装花装飾を行う株式会社RINの創業者である河島春佳(かわしま・はるか)さん。

自分の理想のライフスタイルを叶えるため、20代前半から創業を意識するようになり、自分が熱意を注げる「好きなこと」を突き詰め、着実に事業を形にしていきました。東京で創業し、事業を育ててきた河島さんが、次のフェーズを展開するためのフィールドとして検討しているのが、生まれ故郷である長野県。

インタビュー前編では、ロスフラワー®︎を軸としたビジネスの着想を得たきっかけや、「好き」を仕事にしていくまでのステップについてお聞きしました。

<お話を聞いた人>
 株式会社RIN 代表取締役 フラワーサイクリスト®︎ 河島 春佳

長野県小諸市生まれ。大自然の中で幼少期を過ごし自然を愛するようになる。2014年頃から独学でドライフラワーづくりを学び、2017年 生花店での短期アルバイト時に、廃棄になる花の多さにショックを受けたことから、フラワーサイクリスト®︎としての活動を始める。2018年クラウドファンディングで資金を集めパリへの花留学を実現し、2019年ロスフラワー®︎を用いた店舗デザインや、装花装飾 を行う株式会社RIN を立ち上げる。2020年には花農家と消費者の架け橋として開設したオンラインショップ『フラワーサイクルマルシェ』が、農林水産省HPでも紹介。2021年フラワーサイクリスト®︎になるためのスクール『フラワーキャリアアカデミー』をリニューアルし、現在全国の200名以上の卒業生と共に、ミッションとして掲げる “花のロスを減らし花のある生活を文化にする” ために活動中。

花のロスを減らし花のある生活を文化にする

――まずは株式会社RINの事業内容について教えて下さい。

弊社では、まだ美しいうちに廃棄されてしまう花を「ロスフラワー®︎」と名付け、この花たちに新たな命を吹き込む事業を展開しています。”花のロスを減らし花のある生活を文化にする”をミッションに、持続可能な花き市場の維持と、花の持つ美しさや価値の再定義を目指しています。

花業界では、フードロス問題と同じように、まだ美しいにも関わらず大量の花が日々廃棄されているという深刻な課題があります。主にカタチが基準に合わなかった、などの理由で、日々、たくさんの生花がまだキレイなうちに捨てられているんです。

具体的な事業は、大きく分けて4つあります。まず1つ目がロスフラワー®︎を用いたブランディング事業で、店舗やブース、ディスプレイの装飾をメインに行っています。装飾事業では、空間装飾だけにとどまらない効果的な施策のご提案を通じて、お客様の取り組みをサポートしています。これまでに、ユニクロやSABON、LUSHなど、様々な企業様とのコラボレーションを実現してきました。装飾で使用したお花をノベルティに加工し、装飾後に発生する廃棄も削減する取り組みも行っています。

2つ目がフラワーサイクリスト®︎のコミュニティ運営です。フラワーサイクリスト®︎とは、ロスフラワー®︎に新たな命を吹き込む人のことです。「サイクリスト」は環境用語である「アップサイクル」からの造語で、ものづくりの力で廃棄品にさらなる価値を与えることを意味します。

花を使って事業をしていきたい方や、アーティストとして活動している方向けに、養成講座「Flower Career Academy」を運営しています。現在全国で200名以上の卒業生が活躍しています。

3つ目が、2020年4月に花農家と消費者の架け橋として開設したオンラインショップ「Flower cycle marche(フラワーサイクルマルシェ)」の運営です。農林水産省花いっぱいプロジェクトでも紹介され、商品を購入することで花の廃棄問題を間接的に支援できる仕組みとなっています。主にバラ農家さんとユリ農家さんから直送でフレッシュな生花をお届けしたり、「花の命を最後まで大切にしたい」という思いから生まれたドライフラワーボックスなどを販売しています。

そして4つ目が教育事業です。私自身が文部科学省の「アントレプレナーシップ推進大使」に就任し、講演会やイベントを通じて「これからの未来を担う人々が、一歩を踏み出すきっかけ」となれるよう取り組んでいます。

また、植物とのふれあいの中で子ども等の豊かな成長を促す花育事業も強化しており、認定NPO法人フローレンスの「こども冒険バンク」などでフラワーアレンジメント体験も提供しています。

理想のライフスタイルを叶えるため、創業という選択肢が浮かんだ

――河島さんは長野生まれと伺っています。これまでの経歴について教えてください。

私は母の故郷である長野県の小諸で生まれました。両親が転勤族だったため、その後全国を転々としたのですが、小諸には長期休みのたびに帰っており、毎年、いつも山や野の花の中で遊んでいました。都内に住んでいる親戚の家に行くと、「なんでここは山がないの?」と疑問に思っていたくらい、幼い私にとって自然は身近な存在でした。

自然と同じくらい、手を動かして何かを作ることも好きだったので、小学生になる頃にはファッションデザイナーを目指すようになりました。当時は「ものを作る=ファッションデザイナー」だと思っていたんです。

大学でもファッションの勉強をしていましたが、就職活動の際にリーマンショックにぶち当たり、憧れていたファッション業界に行けないという挫折を味わって……。そこから「じゃあ、今後自分の軸として生きていきたいことは何だろう?」と考え直した時に、やっぱり自分のクリエイティビティを生かせる仕事がいいなと。そこで、大手おもちゃメーカーのグループ会社に就職し、企画営業や受発注、設計・デザインの仕事を経験しました。

仕事の現場は楽しかったのですが、私は20代前半の頃から「仕事と子育てを両立したい」という思いがあって。このまま会社員として働いていたら、それは難しそうだぞという体感がありました。当時から、自分が独立したら理想のライフスタイルが描けるんじゃないかというイメージが漠然とあったんです。

――創業のアイデアが先というよりは、理想のライフスタイルの実現を考えた先に創業という選択肢があったと。そこからどうやって創業に向けた準備を?

そうですね。子育てがネックで仕事が出来ないというのも、仕事で忙しくて子育てや家族との時間が取れないというのもいやだったんです。どちらも叶えたかった。

「じゃあ、起業できるスキルは何があるかな?」と振り返ってみたら、当時の私にはまだ何もありませんでした。

当時から、いわゆる自己啓発本を読み込んで、自分の好きなことをビジネスにするためのヒントを探していました。その中で、まず「自分が得意とするもの」と、「自分が好きとするもの」を掛け合わせることが大切だと学んだんです。

そこで、ちゃんと地に足がついた状態で、自分が本当にやりたいことを探そうと考え、まずは当時勤めていた会社から休みが取りやすく働きやすい職場に転職しました。フラットな状態で自分を見つめ直せるような環境を重視して大学教員を選び、そこで3年間働きながら創業に向けた準備をしていきました。

職場を変え、時間の使い方を変えることで創業に向けた意識を高めていった

――創業に向けたワンクッションとして、まずは働く環境を変えたのですね。どのように事業のアイデアや方向性を固めていったのでしょうか。

具体的には、時間の使い方を変えました。特に意識していたのは、休日に誰と時間を過ごすかです。なるべく、自分の好きなこと・得意なことを仕事にしている人、もしくはこれからしていきたいと考えている人と会って話すことで、刺激を受けて自分の意識を高めていました。

それから、大学職員は長期休みが多かったので、その時間を使って海外旅行にも行きました。それが今の事業につながるきっかけになったんです。

――詳しく教えてください。

スイスなど、山の景色があるところによく行っていたのですが、帰ってきてから旅の写真を見返すと、山に咲いている野花の写真が半分以上を占めていたんです。そこで初めて「あ、私って花が好きなんだ」と気がつきました。

そこからさらに「自分のクリエイティビティを生かして、花を使った仕事ができないかな」と考え始めました。それがちょうど20代半ばぐらいです。

――自分の中のやりたいことや好きなものが、少しずつつながっていったのですね。そこからは具体的にどんなステップを踏んでいったのでしょうか。

「花が好き」「クリエイティブ」という二軸で考えると、まず一般的にフローリストという仕事があるとわかって。そこで、まずは独学でフラワーアレンジメントのワークショップを企画し、週末に自宅に友人を呼んでワークショップをすることからスタートしました。SNSを使った集客やファン作りもその頃からコツコツと始めていました。

それが徐々に口コミで広がり、カフェなどのお店でワークショップをするようになり、友人以外のお客さんも来てくれるようになり、参加費をいただけるようになり……。それがまた噂になり、LUMINEなど都内の百貨店にも呼んでいただけるようになりました。

小さく始めた一歩が、口コミで広がり、人を呼ぶようになり、外から仕事を持ってきてくれるようになって、徐々に事業として成り立つようになっていったんです。

インタビュー後編では、ロスフラワーという社会課題の解決をコンセプトに事業展開していく過程や、今後の地方での新規事業立ち上げの展望について聞きました。

株式会社RINのホームページhttps://lossflower.com
河島春佳さんのinstagramhttps://www.instagram.com/haruka.kawashima

ARTICLE
2025.7.11

すべての「わたし」を創造的に生きよう。「WE-Nagano」が描く長野の未来【インタビュー後編】

2025.7.11

自分の暮らしをより良くしていくにはどうしたらいいんだろう?

自分に出来ることはあるのかな?

2023年に発足した「WE-Nagano」は、ジェンダー・国籍・世代・セクターを超えて、より良い社会のあり方を地域に根ざしながらグローバルな視座で考えることを目指した長野県立大学発のプロジェクトです。

2025年7月18-19日に開催される第2回Global Conferenceでは、長野で活躍する起業家やプレーヤー、海外からのゲストを含む他分野の実践者と、「わたし」が創造する良い暮らしと地域の未来について考えます。

立ち上げの中心メンバーとして活動する渡邉さやかさんは、自身も30代で起業し、当時の経験からアジアの女性起業家の支援を行ってきました。

インタビュー後編では、地域とグローバルという2つの視点を持つことがどうして大切なのか、第2回Global Conferenceの見どころや、「WE-Nagano」が描く未来についてお話を伺いました。

<お話を聞いた人>
 渡邉さやかさん

長野県出身。長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科 准教授。ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒として外資系コンサルティング会社に入社。2011年6月退職。独立後は、被災地での産業活性プロジェクトや、企業途上国・新興国進出支援として、東南アジアだけでなく、中東・中央アジア・アフリカで事業開発に関わる。また、2014年にAWSEN(アジア女性社会起業家ネットワーク)を立ち上げ、アジアを中心に女性社会起業家支援に尽力、現在は国内の女性の創業・起業や就労支援にも携わる。

地域で活動する人と、地域で暮らす人たちに橋をかける

――インタビュー前編では、「WE-Nagano」立ち上げの経緯をお話いただきましたが、昨年の第1回Global Conferenceの手応えはいかがでしたか?

来場者の方からのアンケートで、「長野の歴史が変わる瞬間を見た」「長野でこんな登壇者の方々の話が聞けるなんて思わなかった」「大学でのイベントに参加したことがなかった、大学が身近になった」こういう人の話を聞いたことがなかった」というコメントをいただけたのがとてもうれしかったです。

中には、「近所だけど大学との接点がなかった。面白そうだったから来てみた」「地域の若者の声が聞けてうれしい」という地元の方もたくさんいらっしゃって。せっかく地域で活動する経営者や若者がいるのに、地域の人たちとの接点を持てずにいるのはとてももったいないので、Global Conferenceが人と人との橋渡しのような役割が担えたらと思っています。

去年から今年にかけて、協賛企業やメディアパートナーも増えてきました。2年目にして広がりが出てきたと感じています。今後もさらに同じ思いの仲間を増やしていきたいです。

ビジネスのセクターにいなくても、暮らしや地域を変えていける

――2025年度のカンファレンスの概要と見所を教えて下さい。

今年度は、7月18日(金)と7月19日(土)の2日間、長野県立美術館と長野県立大学三輪キャンパスの2会場で開催します。

DAY1は、長野県立美術館の地下ホールを会場に、昨年の流れを引き継ぎ「女性が切り拓く新たなキャリアと社会」、「グローバル視点から考える女性の力と地域イノベーション」、「長野県から考える『誰もが幸せに暮らす地域』」の3つのセッションを行います。

DAY2は、長野県立大学三輪キャンパスで、「10-20代が考える『生きやすい地域』」、「『わたしを生きる』とは」、「わたしたちが創造する『良い暮らし』『良い地域』~多様性の視点から、寛容性のある社会について考える生かして~」の3つのセッションを行います。

昨年度は、ビジネスの視点で『良い企業』について考えるセッションが中心でしたが、今年はより身近な『良い暮らし』をどう創造できるのかという視点に変わりました。

また、今年はさらに若者の参加者を増やしたいと思い、長野市内の高校等にもお声がけしています。性別や年齢、属性など、あらゆる垣根を越えて一緒に考える機会になればいいなと思っています。

「自分にもできるかも」というアントレプレナーシップの醸成を

今年度のセッションの登壇者たち

――地域とグローバル、両方の視点を大切にされているのはどうしてですか?

アジア女性起業家ネットワークを立ち上げた後に、アジアの女性起業家を日本各地に呼んでいたんですが、東京だけでなく、岩手の陸前高田や長野の諏訪、沖縄の離島など地方でのイベントも意識的に企画していました。

すると、「英語を話せない」「グローバルを意識したことがない」という人でも、言語の壁を越えて同じ女性だからこそ共感できる悩みというのがたくさんあったんです。私はそこに可能性を感じて。

私が意識したいのは、いわゆるスーパースター的な経営者としての姿だけではなく、個人のストーリーを見せることです。女性起業家が別世界の存在ではなく、「意外と一緒じゃん」というところから、関心を持ったり、自分のやりたいことを考えるきっかけになればと思っています。

――今の長野県について、どのような課題意識をお持ちですか。また、「WE-Nagano」を通して長野がどう変わっていくことを望んでいますか?

第1回「WE-Nagano Global Conference」でも、10-20代のセッションを企画

日本財団の18歳意識調査によると、長野県は「自分には人に誇れる個性がある」と考えている人の数が最下位なんです。これはとても残念なことですし、大きな課題だと考えてます。

「WE-Nagano」が掲げるテーマは、「女性」と「グローバル」という大きな軸がありますが、今年度は「若者のアントレプレナーシップ醸成」にも力を入れていきたいと思っています。それを踏まえ、今年のカンファレンスのテーマも、「わたしたちが創造する良い暮らし、良い地域」にしました。

起業をする人の背景には、身近なロールモデルの存在が非常に大切だと言われています。地域の若者が「自分にも何か出来るかも」と思うきっかけになってほしいです。

登壇者の言葉があなたの暮らしを変えるヒントになるはず

――今年は特にどんな方に参加して欲しいですか? 来場者に向けたメッセージをお願いします。

まだ「起業したい、起業を考えている」というわけじゃなくても、「これからどうやって生きていこうかな」「地域の中で活動しているんだけれどうまくいかないな」とモヤモヤしている人にも、ぜひ来ていただきたいです。

結婚・出産といったわかりやすいライフイベントだけじゃなく、キャリアの変化や移住などの環境の変化があった人、一方でグローバルな動向に興味がある人にも響く内容になっていると思います。

「ちょっと面白そうだから行ってみよう」「その日たまたま暇だから行ってみようかな」という理由でも、登壇者の誰かの言葉から、なにかしら自分の暮らしを変えていくヒントを得られるところがあるはずですよ。


▷「WE-Nagano」の詳細、カンファレンスの申し込みはこちら

ARTICLE
2025.7.11

すべての「わたし」を創造的に生きよう。「WE-Nagano」が描く長野の未来【インタビュー前編】

2025.7.11

自分の暮らしをより良くしていくにはどうしたらいいんだろう?

自分に出来ることはあるのかな?

2023年に発足した「WE-Nagano(Women Entrepreneurs Nagano)」は、ジェンダー・国籍・世代・セクターを超えて、より良い社会のあり方を地域に根ざしながら世界史座で考えることを目指した長野県立大学発のプロジェクトです。

2025年7月18-19日に開催される第2回Global Conferenceでは、長野で活躍する起業家やプレーヤー、海外からのゲストを含む他分野の実践者と、「わたし」が創造する良い暮らしと地域の未来について考えます。

立ち上げの中心メンバーとして活動する渡邉さやかさんは、自身も30代で起業し、当時の経験からアジアの女性起業家の支援を行ってきました。インタビュー前半では、渡邉さんご自身のキャリアや、「WE-Nagano」立ち上げの経緯について伺いました。

<お話を聞いた人>
 渡邉さやかさん

長野県出身。長野県立大学大学院ソーシャル・イノベーション研究科 准教授。ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒として外資系コンサルティング会社に入社。2011年6月退職。独立後は、被災地での産業活性プロジェクトや、企業途上国・新興国進出支援として、東南アジアだけでなく、中東・中央アジア・アフリカで事業開発に関わる。また、2014年にAWSEN(アジア女性社会起業家ネットワーク)を立ち上げ、アジアを中心に女性社会起業家支援に尽力、現在は国内の女性の創業・起業や就労支援にも携わる。

地域に根ざしながら、グローバルな視点とアントレプレナーシップを醸成

――まず、WE-Naganoの概要を教えて下さい。

「WE-Nagano(Women Entrepreneurs Nagano)」は、長野県立大学が主催するプロジェクトで、すべての「わたし」が創造的に生きることを応援する取り組みです。地域に根ざしながらグローバルな視点を持ち、より良い社会や未来をつくっていくために、議論や交流を行っています。

名称の “W” (Women) は、これまでの社会システムとは異なる視点という意味での女性的リーダーシップの必要性や、現代社会で未だ可能性を拓ききれていない女性という存在への期待を表現しています。

また、”E” (Entrepreneurs) には、起業家精神、つまり、自らの可能性を信じ、新たな世界を拓いていく姿勢を、事業を起こす人に限らずすべての人が持てるようにという願いを込めています。

2023年1月頃から有志で準備を進め、2024年3月8日の「国際女性デー」にプロジェクトの発足をお知らせできることとなりました。事務局は、長野県立大学・大学院の教員や学生が務めており、年齢やジェンダーや国籍を超えて、幅広い参加者の皆さんが集い、共に考え、交流してもらえる機会になればと願い、活動しています。

第1回「WE-Nagano Global Conference」の様子

昨年は、「グローバル/ローカル(地域)/イノベーション・女性(女性的リーダーシップ)」をキーワードに、長野市で第1回「WE-Nagano Global Conference」を開催しました。

国内外のスピーカーによるセッションやワークショップを通じて、アントレプレナーシップ(起業家精神)を持つ一人ひとりが、国籍・性別・世代・分野を超えて未来を創造していく場として今後も継続していきます。

――「すべての『わたし』を創造的に生きよう」というメッセージがとても印象的ですね。

私たちは、多様な生き方を創造していくことを、広義に「起業」と呼んでいます。すべての人が、創造的に生きていくこと。生き方としての起業について考えること。そうした動きが、地域をより進化させ、持続的な社会を生み出していくと信じています。

30代で起業し、地域に入り込んだ経験から生まれた思い

――渡邉さんご自身も起業を経験しており、長年東南アジアの女性起業家支援の活動を行っていると伺っています。「WE-Nagano」立ち上げには、ご自身の経験からくる思いも込められているのでしょうか。

まず私の経歴からお話すると、私は長野県の出身ですが、進学と同時に上京して長野を離れ、大学と大学院では国際協力や国際政治、途上国支援について学んでいました。卒業後は、ビジネスを通じて社会課題を解決できる仕組みを考えたいという想いから、2007年新卒としてIBMビジネスコンサルティングサービス(現 日本IBM)に入社しました。

東日本大震災をきっかけに、2011年から陸前高田市に通うようになり、地元の気仙椿の実を活用した化粧品開発・販売の事業を立ち上げました。

しかし、2013年から大手美容メーカーが同じく気仙椿を使用した事業を開始したんです。それにより、地元の方々の間で「採った椿の実を、さやかちゃんの会社に渡せばいいのか、○○社に渡せばいいのか」と、混乱を生んでしまって。

地域のために何かをしたいと始めた事業でしたが、「よそ者」である私がどうやって地域に関わっていくのかを考え始めるきっかけとなりました。

ちょうどその頃、ミャンマーは民主化が進み、東南アジア各国への外資企業の参入が加速的に増えていました。規模は違えど、私が経験したようなことが向こうでも起きているのではないかと。どんどん外からの参入があり、変化が起きる中で、起業家達はどうやってその地域の良さや文化を守りながら経済開発を進めているのか興味を持ち、個人的にアジア諸国に通い始めたんです。

――ご自身の経験が、東南アジアの女性起業家支援につながったのですね。

最初の頃は、とにかく自費で現地の起業家を周りました。その結果、地域の良さを守りながら事業を進めている起業家たちは社会起業家と呼ばれていることが多く、更には特に女性たちが地域に根ざしてビジネスをしていることがわかりました。また、国や地域が違えど女性の社会起業家はみんな似た課題を抱えていることや、孤立しがちなことがわかってきて。

課題解決のためにはまずネットワークが必要だと、当時日本財団からご支援をいただき、2014年に「アジア女性社会起業家ネットワーク(AWSEN)」を立ち上げました。

出産と子育てをきっかけに働き方を考え直し、長野にUターン移住

――グローバルに活動を展開していたところから、長野にフィールドを移したのはどうしてですか?

第1回「WE-Nagano Global Conference」ではモデレーターも務めた渡邉さん

「アジア女性社会起業家ネットワーク(AWSEN)」を立ち上げてから、他の仕事も含めて、毎月1~2回は海外に行くような生活を送っていたんです。この生活を続けていたら、もし結婚をしたとしても子どもを産んで育てるのは難しいだろうな、もし子どもを欲しいと思うのであれば、いずれは働き方を変えないといけないなと考えていました。

30代後半で結婚して子どもを授かり、「もう頻繁に海外に行くことも難しくなるだろうし、自分が育ったような自然が近くにある土地で子育てをしながら働きたい」と考えていた頃に、長野県立大学の大学院立ち上げにあたり教員をしないかとお話をいただいたんです。

長野には実家もありますし、子育て環境も良さそうだったので家族で長野にUターンしてきました。

――そこから「WE-Nagano」立ち上げにもつながっていくのですね。

長野県立大学は、ミッションとしてグローバル発信、リーダーシップ育成、地域イノベーションを掲げています

前長野県立大学の理事長を務めていた安藤国威さん(現在は長野県立大学顧問)の「地域イノベーションの要は、女性である」という想いと、私の「アジアの女性起業家コミュニティと長野をつなげたい」という想いから、今後の地域イノベーションのあり方について、「女性的な」リーダーシップやグローバル視点を加え、長野県から発信・交流していく機会を作ろうと「WE-Nagano」が動き出しました。

インタビュー後編では、第1回Global Conferenceを終えての手ごたえや、今年の見どころを伺います。
▷「WE-Nagano」の詳細、カンファレンスの申し込みはこちら

ARTICLE
2025.7.7

総合商社から信大発ベンチャーへ|AKEBONOが描く信州発グルテンフリー事業の未来【後編】先輩起業家インタビュー

2025.7.7

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「みんながみんな全く同じことやっていたら競合してしまうと思うんですが、それぞれの強みを生かして連携できれば、お互いに成長していくことができる。そういう広がりを今後も増やしていければ」

そう語るのは、信州大学発ベンチャー「AKEBONO株式会社」を立ち上げた井上格(いのうえ いたる)さん。創業から5年、AKEBONO株式会社は50団体以上の生産者と連携し、年間10〜15トンのソルガム生産体制を構築しています。グルテンフリー専門店「縁-enishi-」のオープンなど、事業はさらに広がっています。

インタビュー後編では、創業から5年が経つ現在や、今後の展望を聞きました。

<お話を聞いた人>
 AKEBONO株式会社 代表取締役 井上 格

栃木県出身。早稲田大学大学院卒業後、東京の商社に就職。2018年に長野市地域おこし協力隊として着任し、翌年から「ながのブランド郷土食」社会人スキルアップコース※1を履修し、そこでの学びを基にAKEBONO株式会社を設立。同社は信州大学発ベンチャーとして認定されており、ソルガム研究の第一人者である信州大学の天野良彦元学部長との連携のもと事業を展開している。

※1 信州大学大学院総合理工学研究科の個性・特色を生かしつつ、長野市と連携し、企業からは実務家講師を迎え、食品製造分野での技術革新を担う人材を創出し、地域経済の活性化と発展に貢献することを目的とする社会人向けプログラム

グルテンフリーを軸に、他社との関わりを増やして市場全体の底上げを目指す

――インタビュー前編では、創業までの経緯をお聞きしました。転機になったという6次産業化と店舗経営について詳しく教えて下さい。

「縁-enishi-」の人気商品、ソルガムを使用したグルテンフリーのドーナツ

はじめはソルガムの生産・販売を事業の軸に据えていましたが、「ただソルガムを素材として売り込むだけでは事業が広がらない」と感じ、2020年から自社での商品開発と店舗経営に向けて動き始めました。

コロナの関係でオープンまでは時間がかかりましたが、2023年にグルテンフリー食材を扱うアンテナショップ「縁-enishi-」を長野市内にオープンしました。実際に売り場を持ったことで、どんな人が買いに来るのかとか、どういう商品が売れるのかなど、リアルなニーズが見えてくるようになりました。

また、「縁-enishi-」では、自社製品だけでなくあらゆるグルテンフリー食材や商品を仕入れて販売しています。そうすることで、グルテンフリー食材を扱う同業他社との横のつながりや、協力体制ができてきたんです。

――協力体制というのは?

たとえば、「縁-enishi-」はソルガムを使ったパンの開発に力を入れているのですが、同じくグルテンフリー食材を使った焼き菓子などのお菓子を展開している企業から、OEMでの商品開発をお願いされることが増えました。逆に、うちでは出来ない商品開発をしている企業から商品を仕入れて販売をすることもあります。

現在は、今年オープンするイオンモール須坂での出店準備を進めています。そこでは、ソルガムを使用した自社商品に限らず全国各地のグルテンフリーの商品を仕入れて販売しようと思っていて。セレクトショップのような形ですね。グルテンフリー食品の開発に取り組む企業を競合他社として見るのではなく、一緒に協業できるようなお店になればいいなと思っているんです。

みんながみんな全く同じことやっていたら競合してしまうと思うんですが、グルテンフリーという文脈では一緒でも、例えばパンとお菓子では市場がちょっと違いますよね。それぞれの強みを生かして連携できれば、お互いに成長していくことができる。そういう広がりを今後も増やしていければいいなと思います。

事業成長の鍵は、ブレない軸と柔軟な方向転換

――創業から5年が経ちますが、事業を継続させていくために意識してきたことはありますか?

固定観念にとらわれず、ちょっとずつ修正していったり方向転換をしたりと、常にピボットし続けることを意識してきました。

「絶対にこれをやるんだ」という信念も大切ですが、いざやってみて「手応えがないな」と思ったら、ずっとそれをやり続けるよりも、ちょっと変えてみるとか、周りから言われたことを「そういう手もあるか、やってみよう」と柔軟にチャレンジしてみる。

僕の場合は、ソルガムが一つの軸としてあったので、「うまくいかないから、もうソルガムはやめる!」とはなりませんでした。でも、どう展開するかは生産と販売だけにこだわらなくなった。自分のなかの譲れないものは何なのかを見極めるバランスが大事だと思います。

――6字産業化と「縁-enishi-」のオープンもまさに柔軟な転換でしたね。

実は、当時は本当に行き詰まっていて。あの時「縁-enishi-」の営業を始めなかったら、今頃AKEBONOの事業自体がもう終わってしまっていたかもしれません。

あのまま「ソルガムを素材として売る」というところから脱却できずにいたら、きっと。セールストークを磨く、資料を充実させる、広告を打つなど「どうやったらみんな買ってくれるだろう?」という方向に突き詰めてしまっていたと思うんです。でも、それは事業展開ではなく単なる営業の仕方の話になってしまいますよね。

それでも突き詰めればブレイクスルーできたのかもしれません。でも、その方向性ではイオンにグルテンフリー食材のセレクトショップを持つなんて未来はきっとありませんでしたし、いまある関係性も築けなかった。

――AKEBONOの今後の展望を教えて下さい。

AKEBONOは創業5年以上が経ち、転換期を迎えています。「自分たちの事業を立ち上げよう」というフェーズから、「市場全体をもっと大きくしていこう」という目標が見えてきました。

グルテンフリーという大きな文脈さえ交わっていれば、いろんな企業さんやお店、プレーヤーの方々といろんな関わり方ができる。これからAKEBONOは、グルテンフリー業界全体を引っ張って底上げしていける存在になれたらいいなと強く思っています。「自分たちだけがうまくいけばいい」と考えるのではなく、グルテンフリー市場全体を大きくして、みんなでメリットを享受できることを目指していきたいなと。

今はさらなる事業成長のために、信州スタートアップステーションで資金調達の相談をしているところです。創業を考えている人や、創業直後の企業だけでなく、自分たちのように創業から数年が経って成長段階の企業へのサポート体制があるというのも長野のいいところだなと改めて感じています。

長野での起業を目指す後輩へメッセージ

――最後に、長野での創業を考えている人に向けたメッセージをお願いします。

これは私自身が会社員時代に言われたことなんですが……、一度「起業したい」と思ってしまうと、多分その気持ちはやってみるまで一生消えないと思うんです。思いは一生消えない。それなら、あなたはいつやるの?と。成功するにしても失敗するにしても、早い方がいい。そう言われて、自分は一歩踏み出すことができました。

そもそも経営者としての働き方が自分に合うか合わないかは実際にやってみないとわからないですし、どうしても時間が経てば経つほどリスクが増えてしまうと思うんですよ。結婚しました、子供できました、家を買います……、いろんな「失敗できない理由」がどんどん積み重なっていく。

であれば、やり直しが利く身軽なうちにやってみるというのは、合理的な考え方です。成功すれば早く成果を得られるし、そこからさらなる成長のために使う時間がいっぱいあると。失敗するにしても、早いうちに失敗しておくと、やり直しがききます。

僕は、20代のうちに一歩踏み出して、「長野で起業する」という夢を叶えられてよかったと思っています。今起業を悩んでいる人にも、「まず一歩踏み出してみて」とメッセージを贈りたいです。

株式会社AKEBONOのホームページ 

グルテンフリー専門のアンテナショップ「縁-enishi-」のホームページ

ARTICLE
2025.7.7

総合商社から信大発ベンチャーへ|AKEBONOが描く信州発グルテンフリー事業の未来【前編】先輩起業家インタビュー

2025.7.7

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。

「学生の頃から『いつか起業したい』という思いがあり、ずっときっかけをずっと探していました。子どもの小麦アレルギーがわかったときに、自分の課題と社会課題をリンクさせることができるなと感じて。ちょうどその頃に長野市と信州大学がソルガムという穀物の生産に力を入れていることを知ったんです」

そう語るのは、信州大学発ベンチャー「AKEBONO株式会社」を立ち上げた井上格(いのうえ いたる)さん。井上さんは、小麦アレルギーを持つ息子のために安全な食材を探す中で信州産の「ソルガム」という雑穀と出会い、事業化の可能性を感じて長野市に移住し、創業に向けて動き始めました。

インタビュー前編では、ソルガムとの出会いや、長野への移住から創業に至るまでの道のりを聞きました。

<お話を聞いた人>
 AKEBONO株式会社 代表取締役 井上 格

栃木県出身。早稲田大学大学院卒業後、東京の商社に就職。2018年に長野市地域おこし協力隊として着任し、翌年から「ながのブランド郷土食」社会人スキルアップコース※1を履修し、そこでの学びを基にAKEBONO株式会社を設立。同社は信州大学発ベンチャーとして認定されており、ソルガム研究の第一人者である信州大学の天野良彦元学部長との連携のもと事業を展開している。

※1 信州大学大学院総合理工学研究科の個性・特色を生かしつつ、長野市と連携し、企業からは実務家講師を迎え、食品製造分野での技術革新を担う人材を創出し、地域経済の活性化と発展に貢献することを目的とする社会人向けプログラム

信州産ソルガムでグルテンフリー市場拡大を目指す

――まずは株式会社AKEBONOの事業内容を教えて下さい。

信州産ソルガムを中心とした食品の生産・加工・販売を行っています。具体的には3つの事業があって、1つ目がソルガムを中心とした信州産食材の生産・流通を行う地産商社としての事業。2つ目がグルテンフリー食品のOEM製造受託事業、そして3つ目がグルテンフリー専門のアンテナショップ「縁-enishi-」での食品販売です。

――ソルガムとはどんな素材ですか?

ソルガムは世界5大穀物の一つとされ、日本では「タカキビ」「モロコシ」とも呼ばれているイネ科の雑穀です。アフリカ原産で、紀元前約3000年前から栽培され始め、インドやアジアなど広範囲に広がっていきました。

日本には遅くとも平安時代に伝来したといわれており、信州でも古くから栽培され、米の代用でお餅として食べられていました。最大の特徴は、グルテンフリーでアレルゲンフリーということ。さらにGABAやポリフェノール、食物繊維なども豊富に含まれているスーパーフードなんです。

栽培も比較的簡単で、山間地域でも育ち、耕作放棄地の活用にも適しています。現在は、50団体以上の生産者さんと連携して、年間10〜15トンのソルガム生産体制を構築しています。

長野県でのソルガム研究についての歴史は長く、現在も信州大学、長野市と産学官連携で地域循環型社会実現の鍵として信州産ソルガムの普及に努めています。

――お子さんの小麦アレルギーが発覚したことがAKEBONOの創業につながったと伺っています。もともと「起業したい」という思いはあったのでしょうか。

大学生ぐらいの頃から漠然と「いつか起業したい」という思いがありました。しかし、具体的なアイデアはなく、ずっときっかけを探していました。大学院卒業後は東京の総合商社に就職し、国内外いろんなところを周りながら「自分の好きな場所はどこか」「やりたいことは何か」を探し続けていました。

そんな中で、妻の実家がある長野市を何度も訪れるうちに、「ここが一番自分に合っているな」という感覚があって。次第に「いつか長野で暮らしたい、起業するなら長野がいい」という思いが大きくなっていったんです。

子供の小麦アレルギーがきっかけで総合商社を退職、長野移住と創業を決意

――日本各地や世界を見た上で、「長野で起業したい」という思いが生まれたのですね。

「長野で起業したい」と思い始めてからは、約5年ほど会社員を続けながらタイミングを見計らっていました。

具体的な事業のアイデアが固まる前から、「信州ベンチャーサミット」に参加するなどアクションを取っていたことで、長野や起業に関わる人とつながりができたことは大きかったと思います。今でもお世話になっている信州スタートアップステーションのコーディネーターである森山さんとは、移住前から顔見知りだったんです。そうして長野とのつながりを少しずつ増やしながら、いざチャンスが来たときに一歩踏み出せるようにちょっとずつアクションを重ねていました。

――そこから現在の事業を思いつくまではどんな経緯が?

ソルガムという素材自体を見つけられたのは本当にたまたまでした。

長男の小麦アレルギーがわかったとき、「これなら自分自身の課題と社会課題をリンクさせることができる」と感じ、グルテンフリー食材を扱う事業のアイデアが生まれたんです。

そこから、「長野で何ができるだろう」といろいろと調べていく中で、ちょうど信州大学と長野市がソルガムを普及するプロジェクトを行っていると知って。長野市でソルガムの普及活動をする協力隊の募集があったので、そこに飛び込んだんです。

そうして2018年に長野市地域おこし協力隊として着任・家族で長野市に移住し、翌年から「ながのブランド郷土食」社会人スキルアップコースを履修し、そこでの学びを基にAKEBONO株式会社を設立しました。

――長野で起業したからできたことや、得られた支援はありましたか?

もともと「長野で暮らしたい」という思いがあったので、「来てよかったな」というのが素直な感想です。田舎過ぎず都会過ぎず、でも自然があって。生活面でも子育てする上でも、私にとってはとてもバランスがいいです。「やっぱり東京に戻りたい」と思ったことは一度もありません。

また、私が移住してきた当時はまだ移住者も起業家も珍しかったので、創業前から新聞やテレビなどさまざまメディアに取り上げていただいたことは、その後の営業活動において非常に助かりました。都会での起業ではこうはいかなかっただろうなと。

産学連携が生んだ信州大学発ベンチャーならではの強み

――移住後は、実際にどのようなステップで事業化を進めていったのですか?

まずはソルガムを育てるところからですね。ソルガムは農作物なので、年に1回しか採れないんです。なので、「ソルガムで事業をやろう!」と意気込んで長野にやってきたものの、初年度はまだ売るものがない状態でした。

まずは信州大学や生産者の方と連携してソルガムを育てつつ、「ソルガムという素材があるのですが、来年収穫できたら使ってもらえますか?」と地道にヒアリングや営業を重ねていきました。また、同時に行政や金融機関・支援機関と相談をしながら法人化に向けた準備を行いました。

――まずはソルガムを育てるところからのスタートだったのですね。現在AKEBONOでは、50団体以上の生産者と連携し、耕作放棄地の活用にも乗り出していますが、生産者側との連携はどのようにアプローチしていったのでしょうか。

生産者さんとの連携については、やはり行政や信州大学と一緒にやらせていただけたことが大きかったと思います。まずは地域の農家の方さん向けにセミナーや講習会・報告会を開いていただき、そこに来てくださった方々に種を配布することから始めていきました。

県外から来た20代の起業家が、いきなり農家さんに直接電話して「おたくの畑でソルガムを作ってくれませんか」とアプローチしていくのはさすがにハードルが高すぎたと思います。生産の面では、長野で信頼の厚い信州大学が間に入ってくれたおかげで、一気に事業が進みました。

――創業当初の2019年は、まだグルテンフリー市場自体が小さく、ソルガムという素材も認知されていなかったと思います。どのように市場を広げていきましたか?

大学・行政は特定の企業への営業はできないので、販売を進めるための営業活動は自分が担っていました。今でこそグルテンフリーという言葉は共通言語みたいになりつつありますが、当時は小麦アレルギーやグルテンフリーという概念自体がまだ全然浸透しておらず、最初の頃はなかなか大変でしたね。

特に1年目は先ほどお話ししたようにソルガム自体が収穫前で素材もなかったので、正直しんどい部分もありました。「今後グルテンフリーの流れが来ますよ」「そもそもソルガムというのは……」とゼロから説明していくことが必要でした。

最初は、ただソルガムを生産して「この素材を使って何か作ってください」と売り込みさえすれば事業が成り立つと思っていたんですが、それだけではなかなか広がらなかったんです。ソルガムは、小麦粉の代わりにそのまま使えるとはいえ少し使い方にノウハウやコツがいります。そのため、ただ説明するだけでは実際に使っていただけるまでのハードルが高く、どれだけ営業を続けてもそんなに手応えがなくて。

そこで、「まずは自分たちがやってみよう」と、創業当初は想定していなかった6次産業化や店舗経営にも踏み出すことにしたんです。これがAKEBONOにとって大きな転機になりました。

インタビュー後編では、創業から5年を経た現在の事業と、今後の展望について聞きました。株式会社AKEBONOのホームページ
グルテンフリー専門のアンテナショップ「縁-enishi-」のホームページ

ARTICLE
2025.6.25

地方起業と事業計画の重要性【SSSセミナーレポート】

2025.6.25
イベント/セミナー/研修を探している とりあえず事業の相談がしたい

信州スタートアップステーション(SSS)では、長野での創業を考えている方や、支援機関の方向けのオンラインセミナーを定期的に開催しています。

2025年夏期は、ビジネスのアイデア出しから事業計画の作成までみっちりサポートする全4回の創業セミナーをオフライン・オンライン配信併用で開催します。

6月17日に行われた第1回目のセミナーでは、「地方企業と事業計画の重要性」をテーマに、株式会社つばさ公益社 代表取締役の篠原憲文氏を迎え、地方ビジネスにおける事業計画の作り方や金融機関との付き合い方、地方ならではの課題と機会についてお話をいただきました。セミナーの様子をレポートします。

【登壇者】
株式会社つばさ公益社 代表取締役 篠原憲文氏

「家族葬のつばさ」創業7年、東信エリア10会館運営。明治大卒。メリルリンチ日本証券、eBay Japan、Macromedeia(現Adobe)勤務。日本DX大賞、信州ベンチャーサミット最優秀賞など。

進行役:信州スタートアップステーション コーディネーター 

篠原氏は、創業7年で10店舗を展開する葬儀会社を経営しています。

「丸いノコギリ」の教訓:準備の重要性

セミナーの冒頭で篠原氏から紹介されたのは「丸いノコギリ」の話でした。木こりが切れないノコギリで木を切り続けているのを見て、なぜ刃を研がないのかと聞くと「忙しいから」と答えたという話です。

「順番が違うわけです。最初にしなければいけないのは刃を研ぐこと。しっかり準備をした上で木を切るべきなのに、切れないノコギリでずっと時間を使っていると」

自身も、信州スタートアップステーション(SSS)を活用して事業計画書の作成支援や銀行融資の相談をし、金融機関との「共通言語」を学んだ経験を振り返りました。まずは知識をつけて自分自身のノコギリを研ぎ、相手と文脈を合わせたり、考えを理解したりすることで、話が伝わり事業の実現に力を貸してもらえるようになるのです。

さらに、篠原氏は「事業計画は信頼を作るためのツール」と語ります。

「事業計画書は、銀行や投資家に事業の実現可能性を示すだけでなく、チームとの共通の言葉や向かっていく方向性を示すものとなります」

そのため、客観性の担保の重要性と、主要な財務諸表(損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書)を読めるようにしておく必要性が強調されました。

地方企業のメリットと課題

続いて、地方起業には都市部にはない独自の強みがあると篠原氏は説明します。特に地域資源の活用については、特産品や文化資源を活かした差別化がしやすく、独自性を生み出しやすい環境があるといいます。

「特に、ふるさと納税みたいなチャンスを活用して極端に大きくなった会社って実はたくさんあって。例えば徳島県には創業初年度に売り上げ10億、2年目30億みたいな会社もあります。実はチャンスの種というのは今地方にすごくたくさんあるんじゃないかと」

また、コスト面では都市部と比較して人件費や家賃を抑えられ、初期投資を小さくできるメリットがあります。地域課題への取り組みについても、地域の問題解決に取り組むことで応援されやすい環境があると語りました。

「どこを掘っても地域は問題だらけだから、その地域の問題解決を頑張ろうとすると、みんなから応援されやすいみたいな環境がある。さらに、キーマンとすぐに繋がれることも強みです。ネットワーク構築のしやすさも地方の良さだなと感じます」

一方で、地方企業特有の課題についても率直に語られました。最も重要な課題として挙げられたのは顧客の獲得。次に地方特有の市場の小ささが問題となります。

「顧客獲得に関しては課題があるなというのは、自分で事業をやっていても感じます。シンプルに人が少ないとか、販路がないとか、どの属性にターゲットを定めるんだとか、さらにどう広げるんだとか。従来に地方になかったような文脈で集客するなど、工夫をする必要があると思います」

ただし、これには両面性があり、競争が少ないという利点もあると説明されました。

また、特に強調されたのがキャズム理論の重要性でした。新商品・サービスがイノベーター(2.5%)、アーリーアダプター(13.5%)から一般顧客(アーリーマジョリティー)に移行する際に現れる「深くて大きな溝」について詳しく説明されました。

特に地方では、都市部なら成立するニッチなビジネスも、興味関心を引く人の絶対数が少ないがゆえに成立しないケースが多いため、時間と資金を考慮に入れた事業計画が不可欠だと強調されました。

「nice to have(あったらいい)」と「must have(ないと困る)」の違い

さらに篠原氏は、「実は支出管理が事業計画の7割だと個人的には思っています」と続けます。予測が難しい売り上げに対し、支出はコントロールできるという観点から、家賃、人件費、在庫など管理可能な項目をしっかり計画することの重要性が説明されました。

特に注目すべきは固定費で、「固定費がゼロだったらいつまでも継続できる」という視点から、「死なない事業計画」を作ることが強調されました。

その上で篠原氏は、長年の経営経験から、事業計画でよく見られる典型的な失敗パターンについて説明しました。最初に挙げられるのが過大な売上予測です。根拠のない楽観的な見込みで初期段階での過大評価をしてしまうケースについて語りました。

「ピカピカキラキラのオフィスや、人件費を過剰に取り過ぎるなど、固定費を最初からかけすぎてしまうのは逆効果。多くの場合で、初期顧客からメインストリームに移るまでに資金ショートを多くの場合で起こしてしまいます。創業初期の経営者が陥りやすい落とし穴として、キャッシュフロー管理の失敗も挙げられます」

続いて篠原氏は、よく見落とされがちな市場調査の重要性について、自身の経験を踏まえて警鐘を鳴らしました。

「仮説を作ってコンセプトを作った段階で『絶対に行ける!』と熱が上がってしまい、気づくと、ちゃんとした市場調査もしないうちにプロダクトを作って売り始めてしまうみたいなことが起きやすい。やっぱり熱を持って作るサービスやプロダクトというのは目線が偏っていて、とてもじゃないけど客観的ではなく、自分にしかわからない理論で組み立てられてることがあります」

そこで、ニーズを見極める重要なポイントとして「nice to have(あったらいい)」と「must have(ないと困る)」の違いを理解することの重要性が実例を交えて語られました。

「『あったらいいよね』から、お友達相手にプロダクトを作りました、『いいね』と言ってくれたから始めました、それで全然売れないということがすごくよくあると。結局、そこに痛みが生じていて、『ないと困る』から、お金払ってもでも解決したいことなら、確かに入っていけるんだけども、『あったらいいよね』は基本売れないし、友達の評価は全く当てにならない」

「勝てる場所で戦う」地方企業のポジショニング戦略

地方でのビジネス展開について、篠原氏は「勝てる場所で戦う」ことの重要性を強調しました。

まず、先行者がいることのメリットについて説明しました。一見すると競合がいることは不利に思えますが、むしろ市場の存在証明になると語ります。

次に、メインストリームの横にあるニッチ市場への着目と、セグメントやコンテンツを絞った戦略の有効性について詳しく説明されました。

「僕自身が地方で起業して思うのは、地方での創業は、先行している成功者がいる上で、ニッチかつ独自性のある領域がいいなと思ってます。メインストリームの横に、セグメントやコンテンツが絞られてる世界があると。例えば、メインストリームであるゴルフの、左利き用だとか女性専用、大きいサイズのゴルフウェア。メインストリームの横に流れているニッチで独自性を発揮して圧倒的に勝つ」

セミナーの最後は、「言われた通りやるのは難しいが、言われた通りやったら成功することがたくさんある。スマホの時代は情報がコモディティになったため、行動で差をつけましょう」というメッセージで締めくくられました。

今後の創業セミナーでは、アイデア出しと市場分析、事業計画書作成、事業計画のブラッシュアップを行っていきます。

長野での創業を考えている方や、創業して間もない方、中小企業等で新規事業をご担当されている方はぜひご参加下さい。
詳細・お申し込みはこちら

ARTICLE
2025.9.11

【SSWコラム】<開催レポート第1回> SOU-me「小商い体験講座【準備編】」第1回「自分の人生を語る」

主催:SSSW
募集期間:2025/09/10〜2026/03/31
2025.9.11
とりあえず事業の相談がしたい

県内全エリア

8月24日(日)、千曲市の和かふぇよろづやにて、「小商い体験講座【準備編】」の第1回「自分の人生を語る」を開催しました!この講座は満員御礼となり、急遽増席してのスタートとなりました。

当日は、温かい雰囲気のもと、参加者の皆さんは少し緊張した面持ちでしたが、自己紹介から徐々に笑顔が見え始め、会場全体が和やかな雰囲気に包まれました。

今回の講座には、会場である「和かふぇよろづや」の店主、北村たづるさんことたづちゃん(講座ではお互いニックネームで呼び合います!)にもご参加いただきました。

「女性起業家を応援したい」という温かい思いを持つたづるさんは、ご自身のカフェを「やってみたい」や「話してみたい」が叶うまちの縁側として運営されており、今回の講座も自ら参加頂きました。

⚫︎自分の人生を語り合う
ワークショップでは、自分の人生をじっくりと振り返り、参加者同士で語り合いました。「こんなに自分の人生を語り合ったのは初めて」「みんなの話を聞いて、勇気をもらえた」といった声が聞かれ、お互いにエールを送り合う感動的な時間となりました。

⚫︎仲間との出会い
「好き」や「得意」を活かして何かを始めたい、という同じ思いを持った仲間と出会えたことも、大きな収穫となったようです。講座後も活発に交流する姿が見られました。

⚫︎参加者の声
アンケートにご協力くださった皆さま、ありがとうございました!当日の様子が伝わる、心温まるメッセージをいくつかご紹介します。

「たった3時間で人生が変わりそう!」
「不安だったけど、来たかった雰囲気で本当に来てよかったです!」
「自分の人生を語り合う時間なんて、今までなかったので新鮮でした。同じ思いを持った仲間と出会えて嬉しいです。」
「人生曲線のワークで、自分の過去のネガティブな部分も打ち明けることができました。どんな私であっても、まるっと仲間が受け入れてくれて涙が溢れました。」
「起業はノウハウや事業計画も大事ですが、自己受容や自己開示が事業を大きくする上で大事だと実感しました。今日は起業するうえでとっても大事な土台の部分を固めることができたと思います。」


次回の第2回は、「自分の好きなことを語る」がテーマです。
次回は、参加者の皆さんに自分の「好き」を持参いただき大いに語って頂きます。次回も皆さまとお会いできることを楽しみにしています!