【SSWコラム】なぜ私たちは「リーダーをやります!」と手を挙げられないのか。
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「リーダーを目指しませんか」「リーダーやりませんか」そんな声をかけられたとき、あなたはどんな反応をしますか?「まだ早いかも」「他の人の方が向いているかも」と、つい後ずさりしてしまう——。実は、長野県内で多くの女性たちが同じような思いを抱えています。でも、その悩みや躊躇いには、きちんとした理由があるんです。今回は、私たちが「リーダーをやる!」と手を挙げられない理由と、その解決策について考えてみたいと思います。
【「完璧にできる自信がない」という呪縛】
私たちの多くは、リーダーになるためには「すべてを完璧にこなせる人」でなければならないと思い込みがちです。既存の管理職やリーダーを見ていると、何でも知っていて、すべてをこなしている・・・ように見えるかもしれないです。でも、実際のリーダーたちをよくよく見てみると、必ずしもすべての面で完璧な人はいません。むしろ、「分からないことは周りに聞く」「メンバーの得意分野を活かす」といったマネジメント力で組織を動かしています。
【ワークライフバランスへの不安】
リーダー候補の女性とのキャリアカウンセリングの中では、「リーダーになったら、今以上に仕事が増える」「家庭との両立が難しくなる」という不安の声が多く上がります。特に、将来の結婚や出産を考えると、リーダー職との両立をイメージしづらく感じるのではないでしょうか。「残業が増える」「休日出勤が当たり前になる」という不安が、リーダー職への挑戦を躊躇させる大きな要因になっていることは否めません。しかし、実はリーダーになることで、むしろ自分で仕事の調整がしやすくなったり、組織の働き方を変える立場になれたりもします。
【身近なロールモデルの不在】
長野県内に限らず、どの職場にも現段階ではまだまだ女性リーダーが少なく、具体的なキャリアパスが見えにくい状況の組織が多いと感じます。その場合は「どうやってリーダーになっていけばいいのか」「リーダーになった後、どんな働き方ができるのか」というイメージが湧かず、不安が先行してしまうのはしょうがないことです。身近にロールモデルがいないことで、具体的なキャリアパスが描けないという声もよく聞きます。しかし、これは裏を返せば、あなたが新しいロールモデルになれるチャンスでもあります。ロールモデルがいないがゆえ、体育会系の厳しいリーダーシップが、唯一の正解だと思い込んでいませんか?実は、共感力や細やかな気配りといった、私たち女性が得意とする特性も、現代のビジネスでは重要なリーダーシップスキルとして評価されています。
◼︎一歩を踏み出すための解決策。
【「できること」から始める】
完璧を目指さず、まずは自分の得意分野を活かせる小さなリーダーシップの機会から始めましょう。チームの強みを活かし、苦手な部分は周りに相談しながら進めていけばいいのです。プロジェクトリーダーや係のまとめ役など、身近な小規模な経験を重ねることで手触り感や、「自分にもできるかも!」という自信が育っていきます。
【新しい働き方を創り出す】
リーダーになることで、むしろ仕事の調整がしやすくなることも。会議の効率化や業務の優先順位付けなど、チーム全体の働き方を改善できる立場になれます。ICTツールの活用や柔軟な勤務体制の導入など、自分らしい働き方を提案していくなど、既存の働き方にとらわれず、新しい働き方を会社に提案、組織作りをして行くことを目指してみましょう。あなたのチャレンジが自分や後輩たちの未来の幸せな働き方につながるイメージをもってみてください。
【ネットワークを広げる】
社内外の女性リーダーとの接点を意識的に作りましょう。メンター制度があれば積極的に活用し、なければ勉強会やセミナーに参加するのもいいでしょう。同じような立場の仲間と悩みや経験を共有することで、具体的なヒントが得られます。自分の悩みは誰かの悩みであり、もしかしたら誰かはもう解決している悩みだったりします。また、誰かの悩みをあなたはもう解決できていたりするかもしれません。ネットワークを広げることで素敵なロールモデルに出会え、あなた自身も次世代のロールモデルになれるという経験もできると思います。
◼︎最後に
完璧なリーダーになる必要はありません。むしろ、自分の弱みを認識し、それを補うためにチームの力を借りられる人の方が、より良いリーダーになれます。まずは「やってみたい」という気持ちを大切に、小さな一歩を踏み出してみることが大切です。
あなたのチャレンジが、次世代の女性たちの道を開くことにもなります。自分らしいリーダーシップのスタイルを見つけ、新しいロールモデルとなることで、あなたの職場はより多様で活力のある場所になっていくはず。そしてあなたのキャリアもより幅広くワクワクしたものに変わっていくと信じています。
長野で湧き出すインスピレーション。人生を丸ごと仕事にするデザイナーの働き方【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「長野にいると、自分の中に新しい風が吹くことを直感しました。長野に数週間滞在している間、とにかく脳みそが活性化しちゃって。インスピレーションや創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです」
そう語るのは、長野県長野市を拠点にデザイナーとして活躍する森康平(もり・こうへい)さん。関東の企業でデザインの経験を積み、独立と同時に家族で長野県に移住した森さんは、自治体の観光PRや飲食店のロゴ作成から、大手スポーツメーカーの新作のキービジュアル、地域の老舗企業のリブランディングなど幅広いジャンルでのデザインを手がけています。2024年には、長野で出会ったデザイナー仲間とデザイン事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を長野駅前にオープン。デザインの枠に囚われない事業展開を目指します。
インタビュー前編では、デザインの仕事を始めたきっかけ、独立を考え始めた経緯と長野との出会いについてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
VINash Desigh 代表・森康平さん
1991年 東京都板橋区生まれ。埼玉育ち。インド沈没。2021年末から長野在住。WEB/グラフィックのデザインを中心に家族のためにゴリゴリ働くパワーデザイナー。
ジャンルや作風に囚われず、自由なデザインを展開

――まずはVINash Desighの事業内容について教えてください。
VINash Desighは、長野市を拠点に置くデザイン事務所です。2022年に家族で長野に移住したことを機に前職から独立し、2024年の春に事業規模拡大のために法人化を果たしました。
現在メインで行っているのは、WEBデザインやWEBサイトのコーディング、それからグラフィックデザインです。ほかにも、店舗やブランドのロゴのデザイン、チラシやポスターの制作、自分で手を動かしてお店の看板を作るなど施工まで担当することもあります。
自治体の観光誘致のためのプロモーション施策をコンセプトの設定から制作までのトータルブランディングを任していただくこともありますし、大手スポーツブランドの新商品発売に向けて、ブランドコンセプトに則ったキービジュアルを作ることもあります。2024年から、デザイナー仲間の吉澤尚輝(よしざわ・なおき)と事務所兼ポスターショップ「POPPHA」を構えたので、店内や家に飾るポスターを作ってほしいという依頼もあります。ジャンルや媒体にこだわらず、手広く仕事をさせていただいていますね。
――ご自身の中では、「こういう仕事を受けたい」などの基準はあるのでしょうか。

デザイナーとして独立してからは、まず自分が「やりたい!」と思う依頼を受けるようにしています。基本的に、デザイナーの仕事というのは、自分というフィルターはあまり通さずに、クライアントが欲しいものを作り上げる仕事だと思うんですが、おれの場合は自分のフィルターを一枚通せるような仕事を選びがちですね。おかげで最近は「VINash Desighが作るものを見てみたい」という依頼が増えてきて、とてもありがたいです。
ただ、食っていくためには、そういう仕事だけではまだやっていけません。しっかりと硬い仕事もしつつ、自分にとって面白い仕事の比重を増やしていきたいですね。
――長野の仕事で特に印象に残ってるものはありますか?

長野の老舗七味メーカーである八幡屋磯五郎さんの100周年記念ホームページを作る仕事は面白かったですね。正直、「きっとお堅いんだろうな」と最初の打ち合わせに臨んだら、一言目に「若者の新しい風を入れたい」と言っていただいて、これは面白くなりそうだなと。
いただいたお題は、「八幡屋磯五郎が元々持っているブランドイメージを崩さずに、同時に新しい雰囲気を打ち出すこと」。それってかなり難しいじゃないですか。でもおれ、意外と無理難題を言われるのは嫌いじゃないんです。「こういうことをしてみたい」という先方の意見を聞きつつ、「じゃあこういうデザインはどうですか」とポジティブな議論を重ねてアイディアを研磨して、形にしていくのはとても楽しかったですね。
職業訓練校がきっかけでデザインの道へ

――デザイナーとして独立するまでのキャリアを教えてください。
もともとデザインの勉強をしていたわけではなくて。大学を卒業した直後は、バックパッカーとして世界を放浪していました。そのためにはまとまったお金を貯めないといけなかったので、とにかくいろんな職業を転々としていましたね。朝から引っ越し屋さんのバイトをして、日中はピザ屋さんでピザ生地をこねて、夜はバーで働いていた時期もあります。一番長くやっていたのは鉄筋屋さんの仕事で、工事現場で鉄筋を担いで運んでコンクリートを流し固めて、基礎工事をする仕事をしていました。
若い頃はそんな働き方で平気だったんですが、20代後半になってからだんだんいろんな体の部位を痛め始めたんです。「いずれ肉体労働では食えなくなるかもしれない」と思い始めた頃に、将来を考えたい彼女が出来て。「これは食いぶちをちゃんと作らなきゃいけないぞ」と、とりあえずハローワークに行ってみたんですよ。そこで、職業訓練校のデザイナーコースを紹介されたんです。「お金をもらいながら勉強が出来て、就職先まで斡旋してもらえるなんて最強じゃん!」と思い、勉強を始めたのがデザイナーとしての出発点ですね。
――職業訓練校がデザインの道に進むきっかけだったのですね。

きっかけはたまたまでしたが、勉強しながらとにかく自分でいろいろ作るうちに「これは楽しいぞ」と。でも、いざ就職しようと思ったら、デザイナーの募集はだいたい最低2年間の実務経験が必要なところが多くて応募すらできず、結局ハローワークを通さずにアルバイトから入って実務経験を積めるような会社を自分で探したんです。
そうしたら、運よくアルバイトから採用してくれる会社を見つけて、初めて会社員になりました。そこが、レジャーホテルをいくつも運営している会社だったんです。当時社内にはデザイナーが一人もおらず、おれ一人でホテルの看板やロゴ、店内のポップ、レンタル品やフードのメニュー、壁紙まで全部自分で一からデザインをしました。
写真素材がなければ自分で撮影をして各店舗の雰囲気に会わせてレタッチをしましたし、それぞれの店舗ごとに違う業者さんとやりとりをして、看板の設置を手伝ったり、理想の壁紙がなければ自分で壁を塗ったこともあります。もうなんでもやりましたね。
――デザイナーとして駆け出しのころから、あらゆる経験が積めたのですね。
今はミニマルなデザインがかっこいいとされていますが、実はああいうレジャーホテルのようなガチャガチャしたデザインは、情報量が多い分だけ実はすごく緻密に計算されているんです。そういうところから叩き上げてきたことが今の自分の仕事の幅の広さにつながっているんじゃないかな。
それから、まだまだアナログな部分も多い業界だったので、自分なりに色々調べてDXを進めたり、古いままのホームページを一から作り変えたりもしました。コーディングの腕はそこでかなり鍛えられましたね。
今思えば、デザイナーなりたての頃にブランディングからデザイン、施工にコーデイングまで一人で全部担当させてもらえたのはすごい経験だったと思います。トータルで40店舗くらい自分が担当したんじゃないかな。キャリアのファーストステップとしては、大正解の就職先だったなと思っています。
長野の自然に触れて、インスピレーションが沸いてきた

――そこから長野での独立に至るまではどんな経緯が?
デザインの仕事に慣れてきた頃にコロナが始まったんです。会社がフルリモートに切り替わったので在宅で仕事をしていたら、なんだか飽きてきちゃって。「これ以上ガチャガチャしたデザインをやりたくないな」と、転職か独立を考え始めたタイミングで娘が生まれたんです。妻の実家が長野県の飯山市だったので、里帰り出産のために俺も長野について行って。
ただ、当時はコロナの影響で、越県したら二週間隔離期間を置かないといけなかったので、知り合いが所有していた中野市の古民家に住まわせてもらったんです。そこで、「長野やばいな、いいな」と直感して。
――どんなところに良さを感じたのですか?
長野は、ちょっと外に出れば自然があって、日常の中で山が見える。それがすごく最高ですね。おれは、ただ座っていてもデザインやグラフィックのアイディアはあんまり浮かんでこなくて。どちらかというと、息抜きで気がゆるんだ瞬間に出てくるパターンが多いんです。それに、誰かが作ったものよりも、自然物からインスピレーションをもらう方が楽しくて。
それから、関東にいた頃と同じように在宅で仕事をしているはずなのに長野では時間がすごくゆっくり流れていくように感じたんです。仕事の気分転換にふらっと散歩に出られるし、気軽に温泉でリフレッシュしたり、まだ外が明るいうちからベランダに出て遠くの山を見ながら夕飯を食べたり、なんて豊かなんだろうと。ある日、仕事がある程度一段落ついたと思って外をぶらりと散歩してたら、あたりが暗くなってきて。何かが光ってるなと思ってよく見たら蛍だったんですよ!おれ、人生で初めて蛍を見て。
そんなことを繰り返していたら、とにかく脳みそが活性化しちゃって。創作意欲みたいなものがどんどん湧いてきたんです、「長野は自分にいろいろとインスピレーションをくれる、自分の中に新しい風が吹く」と直感しました。
――長野なら、環境から受けるインスピレーションが仕事に活かせそうだと。もともと、地方への移住は考えていたのでしょうか。

妻から「田舎で暮らすのはすごくいいよ」とよく聞いていたので、選択肢の一つではありました。俺は関東で生まれ育ちましたが、若い頃はインドの僻地で暮らしていたこともあるし、都会にずっといたいという気持ちも特になくて。いずれは地方で暮らすのも面白そうだなと。
ただ、デザイナーとしての自分のキャリアを考えたときに、次は制作系の会社やデザイン会社に入ってステップアップした方がいいのかなと思っていたので、そういう会社が多いところとなるとやっぱりまだしばらくは首都圏なのかなと考えていました。でも、いざ長野で数週間暮らしてみたら、「こっちのほうがいいな」と確信したんです。そこで、本格的に移住と独立に向けて動き始めました。
インタビュー後編では、長野での独立に向けた動きや、移住後の変化、今後の展望についてお聞きしました。
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POPPHAのinstagram
【SSSW コラム】起業創業・キャリア相談窓口に訪れる女性たちの本音 ”ちゃんと”したい呪縛と幸福な働き方を考えてみる
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【相談窓口に訪れる女性たちの悩み】
信州スタートアップステーションには、地域のキャリアを考える多くの女性が起業やキャリアについて相談窓口を訪れています。その中でも特に目立つのが、管理職や起業家など「優秀」と評価される女性たちの悩み相談です。「仕事を他人に任せられない」「やるからにはちゃんとしないと」という思いにとらわれてしんどさを抱えてる方も多く、その結果、心身ともに疲弊し、いつしか燃え尽き症候群に陥ってしまうケースも少なくありません。
【なぜ「優秀」な女性ほど人に仕事を任せられないのか】
長野は忍耐力の高い県と言われていますが、その忍耐力が高い地域の中で”優秀”と言われ育ってきた女性ほど、プレイヤーとして成果を出す一方で、「他人に迷惑をかけたくない」「自分がやった方が早い」と考え、仕事を抱え込みやすい傾向があります。これは、幼いころから言われ続けてきた”ちゃんとしないと”と植え付けられた真面目さ、責任感の強さや「失敗してはいけない」というプレッシャーが影響しているのではないかと感じています。
自身に高い基準を求めるあまり、その基準に当てはまらない後輩やチームメンバーの働きに不安を覚え、仕事を任せられなかったり、任せてもマイクロマネジメントに陥ることもあります。しかし、これは自身の業務負荷が高り、部下やチームの成長機会を損ない、頑張っているのに成果が出ない、評価されないなどの悪循環につながってしまうことも。
【完璧主義と燃え尽き症候群のリスク】
責任感高く、完璧を目指して仕事をすると、一見すると仕事への情熱や成果に繋がるように思えますが(実際にプレイヤーとしては高い成果をあげますが)、すべてを完璧にこなそうとすることで、マネジメントとして業務の幅が広がるとキャパオーバーになってしまったり、心身の余裕を失い、長時間労働や過度なストレスに繋がってしまい、達成感を得るどころか、「十分にやりきった」と感じられない虚無感に陥ることもあります。また、自身の力の及ばなさに自己肯定感や自己効力感が下がってしまい、いわゆる「燃え尽き症候群」と呼ばれる状態になり、健康を害するだけでなく、キャリアを続ける意欲そのものが損なわれる可能性もあります。
【幸福に働き、活躍できるためのヒント】
女性管理職や起業家が幸福に働き活躍するためには?幸福に軽やかに活躍している先輩たちはどうしているのか?そこからヒントを探りたいと思います。
●人に任せてみる”小さな成功体験”を
チームや後輩、他の人に仕事を任せることは、自分だけでなく実はチーム全体の成長に繋がります。また、任せる際には、期待値を明確にし、信頼を前提に、任せる側のあなたにとっても任せられる側にとっても、小さな成功体験を積み重ねることが大切です。
●完璧主義を一旦手放そう
「100点を目指さず、まずは60-70点でOK」とする考え方を取り入れましょう。完璧を追い求めずとも、結果として良いチームができ、良い成果が得られるケースが実は多いのです。
●セルフケアは大事!
自分自身の心身を大切にできていますか。自分のココロと身体がしんどい状態で任せるのは至難の業です。長野の自然環境を楽しみながら発酵食品で体内きれいにして森林浴をして沢山眠り、心身のバランスを保ちつつ、上の2つのポイントを実践しましょう。
【地域の女性の幸せなキャリアを築く】
「優秀さ」とはすべてを自分で抱え込むことではありません。他人と協力しながら柔軟に働き、自分自身を大切にすることで、持続可能なキャリアを築くことができます。
長野県では、起業創業やキャリア支援を目的とした相談窓口を設け、こうした悩みを抱える女性たちを全力でサポートしています。一人で悩まず、ぜひ専門家に相談してみてください。
【SSSW コラム】母親に新たな選択肢を!起業というキャリアの形
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育児期の女性にとって、仕事と家庭の両立は大きな挑戦です。子どもの成長を見守りながら、自分自身のキャリアも諦めたくないという思いを抱えている方も多いでしょう。その中で、選択肢の一つとして「起業」が注目されています。
起業と聞くと、「特別なスキルが必要なのでは?」「リスクが高そう」といったイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、起業の形は多様化しており、大規模なビジネスを立ち上げるだけでなく、自分の得意分野や趣味を活かした小規模なビジネスを始めることも可能です。特に、デジタルツールやオンラインプラットフォームの普及により、自宅からでも多くの人にアクセスできる環境が整っています。
例えば、趣味で始めたハンドメイドのアクセサリー販売や、育児経験を活かしたオンライン講座、ライティングやデザインなどのスキルを活用したフリーランス活動など、育児中でも始めやすいビジネスがたくさんあります。また、こうした取り組みは収入面だけでなく、自分らしさを発揮できる場を得るという意味でも大きな価値があります。
もちろん、起業にはメリットだけでなく、リスクや課題もあります。しかし、最近では全国的にも女性起業家を支援するプログラムや、同じ境遇の仲間とつながれるコミュニティも増えています。こうした支援を活用すれば、安心してスタートを切ることができるでしょう。
育児期は忙しい毎日が続きますが、自分のキャリアを見つめ直す良いタイミングでもあります。起業はその選択肢の一つとして、自由で柔軟な働き方を実現する可能性を秘めています。まずは小さな一歩から始めてみませんか?新しい挑戦が、あなたの人生をより豊かにしてくれるかもしれません。
SOUの個別相談、いつでもお待ちしております!
地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【後編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「最終的には、この地域で育った子どもたちが『みみずやで働きたい』と履歴書を持ってきてくれたら、それが一つの結果だと思います。そうなったら『やっていてよかった』と心から思えるでしょうね」
そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。お二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三か月で創業を果たしました。
インタビュー後半では、お二人が地域に目を向けるようになった原点や、地域の未来を見据えた挑戦についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
株式会社みみずや
■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。
■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。
地域×農業の原体験が原動力に
――インタビュー前半では、所属していた会社との方向性の違いが創業を決意する理由になったとお話いただきました。改めて、お二人が地域や農業に目を向けるようになったきっかけを教えてください。

中條さん:私にとって原点は、実家の農業とその変化です。小学生の頃は、祖父の営む畑が親戚や地域の人たちが集まるコミュニティの場でした。でも祖父が年を取り、農地も縮小していく中で、いつしか「家族だけで大丈夫だよ」という雰囲気に変わっていったんです。その寂しさがずっと心に残っていました。
滝澤さん:私は、大学生のときに菅平の農家さんと関わった経験が転機でした。初めてその場で生のとうもろこしを食べたとき、衝撃的に美味しくて。長野県で育ちながらも、こうした農産物の魅力や、それを作る人たちの姿勢を全く知らなかった自分に驚きました。「こんな素晴らしいものが地元にあるのに、どうして長野の人は『仕事がない』と言って地元を離れるんだろう?」と疑問を持つようになったんです。
それ以来、地域の事業や農家さんと関わる中で、「地域には仕事がない」という固定観念が間違いだと気づきました。地域にある魅力や価値を深く知ることで、それを仕事に結び付ける可能性を確信するようになりました。それは「みみずや」の事業にもつながっています。
――前職で農業に関わる前から、それぞれ農業に関する原体験があったのですね。同じ思いを持っているとはいえ、友人同士での起業では意見がぶつかることはありませんか?

中條さん:意見がぶつかることはありますが、そのたびに「自分たちが目指しているものは何か」を確認しています。お互いの考え方を尊重しながら話し合えるのは、信頼関係があるからこそだと思います。それに、自然と役割分担ができているので、大きな衝突にはつながりません。
滝澤さん:全てのプロジェクトに二人とも関わっていますが、それぞれが得意な部分を補完し合うような形になっています。「これをやってくれ」と押し付けることはなく、むしろ「自分が進めた方がいい部分」を自然に任せ合っています。そうすることで、関係性がシンプルになり、事業全体がスムーズに進むんです。
中條さん:私たちの事業は多岐にわたっているので、各プロジェクトの特性に応じて柔軟に動く必要があります。それをお互いが理解しているから、基本的に大きな衝突はありません。それぞれのプロジェクトで担当が分かれていますが、全体のビジョンは一致している。そこが私たちの大きな強みだと思います。
地域の困りごと・相談ごとが仕事になっていく
――飯綱を選んだ理由や、独立直後の事業展開についてもお聞きしたいです。

滝澤さん:飯綱を選んだ一番のきっかけは、飯綱町の廃校を活用したフィットネスクラブ「Sent.」の事業ですね。元々この事業は、町が主導となり設備が整備され、当時、スポーツやアスリートというキーワードで飯綱町の事業を受託していた僕たちの前職の会社が、テナントとして入居し運営していくことになったんです。そこで、僕と中條が主に運営を担当していました。
しかし、もともと廃校になるような地域なので正直運営は厳しく、町から運営の補助を貰うという案もありました。ですが、そうなるとアイデンティティが薄れてしまう。自由に運営をしていくために、赤字でも自分たちで家賃を払って運営をしていくことを決めました。
中條さん:「Sent.」という名前には、地域の銭湯のように地域の人たちが定期的に出入りする場になるようにという思いが込められています。ただ運動に来るのではなく、誰かに会いに行きたくなるような場の設計を目指しました。結果、この場所が出来たことにより、僕たち自身が地域に入り込む一番のハブになりましたし、人の顔が見える地域で事業をやっていこうと思えるきっかけになりました。そこで、独立時は「Sent.」の事業と農業に関する事業をすべて前職から引き継ぎました。
――まったくゼロからの創業というよりは、会社から引き継げた事業もあったのですね。
滝澤さん:むしろ、僕たちがメインで関わっていた事業だったので僕たちが引き継がなければ終わってしまうものばかりだったんです。とはいえ、今思えば前職から引き継いだ事業だけではどう考えても赤字になるのに、それすらわかっていませんでした。会社としてのキャッシュフローの大変さは、独立してからわかりましたね。
中條さん:最初こそ赤字ではありましたが、スポーツをする場と農地を最初から手にすることができたのはその後の事業展開と地域への参入においてすごく効果的な切り口でした。
――事業を広げていく中で、新しい仕事はどのように生まれていったのでしょうか。
中條さん:私たちの強みは、相談内容に対して「こういう形で一緒に進めてみましょう」と具体的に提案し、その解決策を相手と一緒に作り上げることです。そのプロセスが信頼を生み出し、結果的に新しいプロジェクトや事業につながっています。
滝澤さん:ですから、私たちの場合いわゆる「営業活動」というものはしていません。ほとんどの事業は、地域の人々や行政からの相談がきっかけで生まれています。例えば、「この畑をどう活用したらいいか」「こんな課題を解決したい」といった声を聞く中で、自然と事業が形になっていくんです。
――相談から事業が生まれるのですね。ただ、すべてが利益につながるわけではないのでは?

滝澤:おっしゃる通りで、最初から利益を求めることはしません。例えば、地域の農家さんや行政から「これで困っているんだけど」と相談されたとき、「お金が出ないならできません」と断ってしまったら、そこで話が終わってしまいます。僕たちは、まずはその人や地域との関係性を築くことを優先します。その積み重ねで、最初は小さな相談だったものが、次第に事業として成立することが多いんです。
中條さん:私たちは行政と地域住民をつなぐ中間的な存在として動くことが得意なんです。行政は予算を持っていますが、それを活用する人材やアイデアが不足している。一方で、住民は課題を抱えていても、行政にどう相談すればいいかわからない。そんな両者をつなぐ役割を果たすことで、地域全体に貢献できていると思います。関係性を大事にしながら進めることで、地域の課題解決と事業成長を同時に実現していく。それがみみずやのスタイルですね。
地域の子どもたちが地域で夢を描ける存在になりたい
――みみずやとして、お二人がこれからやりたいことについて教えてください。

中條さん:地元の子どもたちが「あの会社で働きたい」と思えるような存在になりたいです。事業を通して関わっている小学生の子どもたちが、将来「みみずやで働くためにこんな勉強をしてきました」と履歴書を持ってきてくれたら、それだけで一つの結果が出たと言えるのかなと。もしそんな日が来たら、その日は洒落たバーで一人ウイスキーを飲むかもしれませんね。
滝澤さん:今のところ飯綱にはそんなバーはまだ無いんですけどね(笑)。地域の子どもたちが夢を持てる場を作るには、まず私たち自身がそのモデルになることが大切です。これからも、経済的価値だけでなく、文化的価値や人々のつながりといった価値も含めて幅広いものを生み出していきたいですね。
――みみずやの事業が巡り巡って、そんな場所が地域に増えていったらいいですね。

滝澤さん:それから、僕としてはこれまでみみずやの事業が続いてきたことは経済合理性だけでは説明できない部分があると考えていて。「のらりくらり続いている」部分をもっと掘り下げて言語化し、精度を上げていきたいです。私たちがやってきたことを明確にし、再現性のあるモデルとして伝えられるようになれば、「地域に仕事がない」という固定観念を変える一歩になるはずです。
中條さん:地域で仕事をしたい人が「ここならできる」と思える社会をつくりたいですね。経済的な仕組みだけではなく、文化や人々のつながりも含めて地域全体が循環する未来を目指しています。
――最後に、長野県での創業を目指す人へのメッセージがあれば教えてください。

中條さん:まずは「やってみる」ことが一番だと思います。何も知らないくらいの方が、勢いで飛び込めることもありますからね。ただ、私たちも経験した通り、創業には困難やリスクも多いです。その覚悟は必要です。
滝澤さん:そうですね。やる気満々で「創業します!」という人には、逆に「ここはちゃんと考えた?」と冷静にリスクを指摘してしまうこともあります。それでもそのリスクを乗り越えたいと思うなら、向かうべき道なんだと思います。
中條さん:もしかしたら、僕たちと一緒にやれることがあるかもしれません。地域でやってみたいことや相談したいことがあれば、まずは話を聞きますよ! 一緒に考えてみましょう。
株式会社みみずやのホームページ
地域の資源で事業をつくる。地元で働きたい若者たちへの新たな道標、みみずやの挑戦【前編】先輩起業家インタビュー

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「一つ大きかったのは、地域の現状を目の当たりにしたことですね。例えば、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見て、『自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない』という危機感がありました」
そう語るのは、長野県飯綱町を拠点に地域課題の解決を目指す株式会社みみずやを運営する中條翔太(なかじょう・しょうた)さんと滝澤宏樹(たきざわ・ひろき)さん。農業や教育、廃校の活用など幅広い事業を展開しながら、地域の循環型社会の実現を目指しています。二人は異なるキャリアを経て、「今動くしかない」という決断のもと、わずか三ヶ月で創業を果たしました。
インタビュー前編では、地域と人をつなぐビジョンや、それぞれのキャリア、お二人が「みみずや」を立ち上げるまでの背景についてお聞きしました。
<お話を聞いた人>
株式会社みみずや
■ 中條翔太
1994年生まれ。長野県大町市出身。長野高専卒業後、重電機器メーカーでの勤務を経て、2019年の水害をきっかけにUターン。アスリート支援や飯綱町での廃校活用に取り組んでいた株式会社I.D.D.WORKSに参画後、2022年に滝澤さんと共に「みみずや」を設立。
■ 滝澤宏樹
1995年生まれ。長野県上田市出身。長野高専卒業後、信州大学繊維学部に進学。在学中から株式会社I.D.D.WORKSで地域事業に携わる。その後、地域資源を活用した新しい事業を模索する中で「みみずや」を設立。農業や廃校活用など、多角的な事業を展開している。
「みみず」のように地域を豊かにたがやす

――まずは株式会社みみずやの事業概要について教えてください。
中條さん:株式会社みみずや(以下、みみずや)は、飯綱町に拠点を置き、分野に囚われず結果的に地域課題を解決していく事業を展開しています。ビジョンとして「素直に生き、豊かさを紡いでいく」、そしてミッションとして「『みみず』のいる場が増える」を掲げています。みみずは、土を豊かにする循環の象徴でもあり、人々の心やコミュニティも同じように豊かにする存在です。この考えを軸に、地域資源を活用した事業を幅広く展開しています。
滝澤さん:もともとは私と中條の二人でスタートした会社ですが、設立から三期目を迎えた今、関わるメンバーが増え、それぞれが自分の得意分野を活かして事業を推進しています。これからはさらに仲間を増やし、地域の人々と一緒に事業を成長させていくフェーズに移行していきます。
――具体的にはどのような事業を行っているのですか?
中條さん:事業は大きく3つ、農業に関する事業と、地域に関する事業、そしてみみずに関する事業に分けられます。
まず、農業に関する事業では、有機栽培野菜の生産販売や、環境循環型農業資材の販売を行っています。ほかにも、例えば地域の遊休農地を活用し、さまざまなバックグラウンドを持つ方との「コラボファーム」という形で、農地を活用した新たなビジネスモデルも探索中です。
そのうちの一つが、元サッカー日本代表である石川直宏さんとコラボした「NAO’s FARM」です。アスリートをはじめとする多様な人々が畑に集まり、農業を通じたフラットなコミュニケーションから、自らのキャリアについて考えるきっかけづくりをおこなっています。
次に、地域に関する事業では、廃校をリノベーションしたフィットネスクラブ「Sent.」の運営を通じて、地域住民が健康維持と交流を楽しめる空間を提供しています。ほかにも、地域の企業と連携しながら、次世代の地域人材を育成するための取り組みも進めています。
最後のみみずに関する事業では、みみずを使って生ごみを土に還す「コミュニティコンポスト」を活用した地域循環デザインの構築や、飯綱町内外各地でみみずに関するワークショップを行っています。
――事業展開の幅広さに驚きました。「みみずや」が目指す方向性をもう少し詳しく教えてください。

滝澤さん:よくわからない会社ですよね(笑)。何をやっているのか一言で相談できないのが悩みです。僕のおばあちゃんは、僕が農家さんだと思っているくらいです。二人とも意味づけをするのが得意なので、相談事や依頼があったときにいい落としどころを見つけられるんです。だから、誰とでも協創ができますし、やることや手法には一切こだわっていないんです。結果として地域が良くなればいいと考えています。
中條さん:私たちは、事業を通じて地域課題を解決することを目指しています。そのため、課題に応じて柔軟に事業内容を変化させることを大切にしています。共通しているのは、「循環」と「つながり」という考え方です。『みみず』のように、環境や人々の間でのつながりを生み出し、それを持続可能な形で広げていくことが目標です。
キャリアの変遷の中で、「地域と向き合う仕事がしたい」という思いが芽生えた
――「みみずや」を立ち上げるまでのお二人のキャリアや、二人の出会いについて教えてください。

滝澤さん:私は1995年生まれ、長野県上田市出身です。子供の頃からドラえもんみたいなロボットが作りたくて、エンジニアを目指して長野工業高等専門学校(以下、高専)に進学しました。中條は、高専時代のサッカー部の先輩で、たまたま寮の同じフロアで生活をしていました。寮のお祭りの企画を一緒にしたこともあり、先輩後輩や友人関係というよりは、当時から仕事仲間みたいな付き合い方をしていましたね。卒業後も、定期的に会って話をしていました。
――エンジニアを目指していたところから、現在のみみずやの地域に関わる事業に至るまでは大きな違いがあるように感じます。どんな心境の変化があったのでしょうか。
滝澤さん:「ドラえもんを作りたい」というのは、「人の暮らしの役に立つ何かを作りたい」という思いが根っこにあったんです。ですが、高専で勉強をしていく中で、一体のロボットを作るには果てしない時間がかかるとわかって。そこで、自分にできることを考え直して、人の生活と密接に関わる素材について学ぼうと信州大学繊維学部に進学しました。
在学中に、アスリートのセカンドキャリア支援を通じて地域とつながる事業を展開している株式会社I.D.D.WORKSでインターンシップを行うようになったことから、「地元で楽しく暮らしたい」という思いが強くなりました。それと同時に、「仕事やお金」を理由に地元を離れる仲間が多い現実にも直面し、「地域やコミュニティに向き合う生き方」を真剣に考えるようになりました。
――中條さんのキャリアについても教えてください。

中條さん:私は1994年に長野県大町市で生まれ育ちました。自然の中で過ごす時間が多く、特に川遊びが大好きでした。その延長で、水やエネルギーに興味を持つようになり、高専に進学しました。高専卒業後は、関東の重電機器メーカーに就職し、発電所や変電所向けの機器開発に携わりました。
当時の自分は、出世や業務効率ばかりを考えていたのですが、2019年に起きた長野県の台風被害が大きな転機となりました。ボランティアで長野に戻ってきたら、私が関わった設備が水没し、一瞬で壊されている光景を目の当たりにしたんです。無力さを感じると同時に、相手の顔が見えないモノづくりを続けることへの疑問が湧いてきました。「もっと地域や自然、人とのつながりがもてる仕事をしたい」と思い、2020年に長野へ戻ることを決意しました。
滝澤さん:僕は、中條のような優秀な高専の卒業生が「仕事がないから」と長野を離れては、自分の仕事にモヤモヤしている状況にずっと違和感を感じていました。中條が当時の仕事に対して無力感を抱えていると聞き、僕が在籍していた会社の飯綱町の事業に誘いました。
中條さん:滝澤と一緒に、事業を通じて地域との関わりを深めていく中で、自分の情熱は「地域全体を巻き込んだ地域の活性化」にあることを再認識しました。
農業とどう向き合うか。会社との方向性の違いが独立の転機に

――お二人にとって、前職での経験が地域への思いを強くするきっかけとなったのですね。そこから二人での独立を選んだのはどうしてですか?
中條さん:前職では、アスリートのセカンドキャリア支援の一環として、農業を通じて地域とつながる活動をしていました。事業を通じて「地域にはまだ多くの可能性が眠っている」と感じる一方で、会社の主軸が「アスリート支援」に特化していたことから、もう少し広い視野で地域と関わりたいと思うようになりました。
滝澤さん:私も同様で、前職での経験を通じて、地域を豊かにするための多くの学びを得ました。だからこそ、より地域全体にアプローチしたいという思いが強くなりました。
――会社と社員という関係性の中で、会社の方向性に違和感を持つようになったのですね。そこから実際に二人で独立を決めるまではどのような経緯があったのでしょうか。

滝澤さん:2021年の9月から11月にかけて、社内で「今後事業をどうしていくか」という議論が始まったんです。その中で、自分たちが本当にやりたいことと会社全体の目指す方向性に違いがあることが明確になってきました。
中條さん:自分たちの軸は地域のあらゆる資源を活かした産業や人、仕組みづくりにあったので、この視点の違いが独立の決め手になりました。この視点の違いが独立の決め手になったんです。
――会社の目指す方向とは違う方向に進んでいきたくなったと。
滝澤さん:事業の方向性についての話し合いが行われたのは、年度末が近づいてきて仕事が区切られるタイミングだったので、「今を逃したら、また一年別の案件や仕事に追われてしまう」という感覚がありました。そこで「やるしかない」という結論に至りました。独立を決めてから実際に会社を設立するまでは約三ヶ月という短い期間で動きました。
中條さん:農業の現場に触れる機会が増えていく中で、農地がどんどん廃れていく光景や、年配の農家さんが体力的に農業を続けられなくなっている姿を見ていたので、「自分たちが動かなければ、このまま何も変わらない」という危機感がありました。それが創業を決意するきっかけになったと思います。
インタビュー後編では、実際に事業を引き継いで独立した後の手応えや、地域や農業に対する思い、今後の展望についてお聞きしました。
株式会社みみずやのホームページ
【女性の自立を応援】「就職・創業のための伴走型デジタルスクール 2024」 in 上田市 開催レポート
県内全エリア
上田市創業支援プラットフォームでは「就職・創業のための伴走型デジタルスクール 2024」
を令和 6 年 6 月から令和 7 年 2 月まで開催しています。
本デジタルスクールは2年目の開催となり、上田地域の創業または就職を目指す女性を対
象として、必要なデジタル技術や知識を身につけていただくものとなっています。
前年度に引き続き、創業・事業に役立つデジタルスキルを習得できる【創業コース】のほか、
今年度より新たに【就職コース】「事務職に活かせる3DCAD 講座」を追加いたしました。

今回は、現在開催中の伴走型デジタルスクール各コース内容についてご紹介させていただ
きます。
【創業コース】では、上田地域でご活躍中の講師 8 名による、創業・事業に活かせる 40 講
座を展開しています。
会場は+519worklodge(上田市技術研修センター)となっており、令和 6 年 12 月までに、
23 名の方にご受講いただきました。(※講座内容によっては、開催場所が異なる場合もござ
います。)
受講希望者様はお申し込み時に講座を1つ選択し、事務局の審査終了後に伴走型デジタル
スクール講座を受講することができます。ご担当いただく講師には、受講者様の事業内容や
今後の目標についてヒアリング後、オリジナルの講座内容を作成していただきます。受講期
間中は課題も出され、疑問点はその場で講師に質問することも可能です。
受講者様からは、ご自身の創業・事業に「学んだスキルを早速活かせる」「2 名 1 グループ
の講座で互いに切磋琢磨、自身の事業を客観視できた」など、ご好評をいただいております。

「就職コース」では、「事務に活かせる3D CAD 講座」を 2025 年 2 月 7 日(金)より 5 日間
(2/7(金)、2/14(金)、2/21(金)、3/7(金)、3/14(金))で開催します。
講座では、製造業などで幅広く使われている 3DCAD の基礎について学ぶことができます。
今回ご紹介いたしました伴走型デジタルスクールのメリットは、一人一人に合ったオリジ
ナルカリキュラムを講師から分かりやすく、直接学べることです。
デジタルスキルの向上はもちろん、受講者様同士、目標に向かって互いに成長ができるのも
少人数制の講座だからこその魅力だと考えています。
受講者の皆様には、学ばれたデジタルスキルを就職・創業に活かしていただくとともに、出
会った講師や仲間とのつながりを今後も大切にしていただきたいと思います。

まだ理想は叶っていない。だから、なんでも出来る。地元に「ないもの」を作り続ける「Kitchen & Bar SABO」の挑戦【後編】先輩起業家インタビューvol.12

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「やっぱり『ないものを作っていく』って面白いですよね。僕は、自分じゃなくてもやれることはやりたくないんです。『長野市でSABO2号店を出さないの?』とよく聞かれるのですが、僕は長野市で飲食をやりたいとは思っていないんです。だって、もうあるから。十分足りていると思うんです。僕は『ここにないから作りたい』ってマインドだし、ないからこそやりたくなる。」
そう語るのは、須坂市のカジュアルレストラン「Kitchen&Bar SABO」を営む株式会社SABO代表の関谷隆彦(せきやたかひこ)さんです。関谷さんは、学生時代から料理人を志し、東京の調理製菓専門学校へ進学。卒業後は東京で修行を積み、25歳で長野県にUターンをし、独立に向けて動き始めました。
インタビュー後編では、独立後の葛藤と気持ちの変化、今後須坂で挑戦したいことについて聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社SABO 代表・関谷隆彦
長野県須坂市出身。高校卒業後に上京し、調理の専門学校に通う。卒業後、都内の五つ星ホテルや町場のイタリアンで修行を積み、結婚を機に長野にUターン。長野市のレストランで勤務後、須坂のKitchen&Bar SABOのシェフに。当時のオーナーから店舗を譲り受け、店長となり、株式会社SABOを立ち上げる。
オーナー引継ぎ後に見えてきた理想と現実のギャップ

――インタビュー前編では、前オーナーからSABOを譲り受ける形で独立するまでの経緯をお聞きしました。自分のお店を持つようになってからは、自分の作りたい料理を出せるようになりましたか?
いえ、実際に自分でお店を経営していくようになってからは、理想と現実のギャップを感じました。最初の頃は、今でいう長野市の「Hanten」のようなスタンスで、カッコよく料理を出したかったんです。ですが、いざスタッフを抱えながらお店を経営する立場になると、長野市よりも田舎の須坂市でレストランをやるには、価格帯やお客さんの舌の肥え具合を考えるとどうしてもクオリティを調整していかないといけないという壁にぶち当たりました。
僕としては「良い食材を良いまま出したい」という思いがあったのですが、どれだけ気合いを入れて自分のいいと思う料理を出しても、注文が入らなかったらお金にならない。せっかくいい食材を仕入れたのにロスになってしまったり、既成の揚げ物を使わないと利益が出なかったり。そういう葛藤を経て、「自分が本当に好きな料理を出せればいい」という気持ちは少しずつ変わってきましたね。
――SABOに入った当初は「自分ならもっといい料理が作れる」と思っていたところから、お店を経営していく目線になり、現実が見えてきたと。
そうなんです。僕がおいしいと思ったものが、そのままお客様にもおいしいと捉えてもらえるわけではなかった。「前の方が良かったよね」と言われることもあり、「僕がクオリティに納得できずに提供していた料理の方が、お客さんには好まれるんだ」とショックを受けました。
――そのショックは、どうやって乗り越えたのですか?
ショックはショックでしたが、マイナスなものではなくて。「そうか、そういう人もいるのか」と勉強になりましたね。前向きに、「自分が本当に出したい料理はまたいつかやればいいや」と思えました。
ただ、「自分とは合わないからどうでもいいや」とはなりたくなかったので、新しいメニューを作ったり、スタッフを料理人として最低限のレベルまで育てよう、とは常に考えています。
――逆に、須坂市でお店を持てて良かったなと思うことはありますか?

たくさんありますよ!まずは自分の地元で子供にかっこいい姿を見せ続けられている、親孝行ができていることですね。それから、僕は今35歳なんですが、この歳になると今まで散り散りになっていた同級生が結婚したり子供ができたりして、定期的に実家に帰ってくるようになるんです。そうすると、やっぱりみんなSABOに来てくれるんですよ。長野に帰ってきてから約10年が経って、自分は元々そんな場所を地元に作ることを目指していたことを思い出せました。
「ここにないから作りたい」が自分の原動力

――ほかにはどんないいことがありましたか?
コロナをきっかけにテイクアウトとデリバリーの事業を始めたことも自分の中では大きな手ごたえがありました。須坂にはまだUber Eatsが入ってきていないので、僕を含めたスタッフが個人の車で直接お客さんのご自宅や職場に配達に行っています。お届けしたときの反応が直接見られるのはうれしいですね。
――コロナが落ち着いた今、スタッフ自ら配達に出るというのはお店にとっては負担ではないですか? どうして続けることにしたのでしょうか。
たしかに、今はテイクアウト・デリバリーの需要は下がりつつあります。ですが須坂市内には、足腰が弱ってなかなか買い物に出られなかったり、免許を返納して車を使えなかったりする高齢者のお客さんも多いんですよ。そういうおばあちゃんが、「孫が遊びに来るから」とSABOに電話で注文してきてくれるわけです。
ほかにも、うちは3000円以上の注文からデリバリーを受け付けていて、高齢のご夫婦の場合はどうしても量が多めになってしまうんです。でも、配達しに行ったときに「今日も明日もちょっとずつ食べるのよ」と言っていただけるとやっぱりうれしくて。地元の人のそういった声を聞くと、「あぁ、やめられないな」と思いますよ。
――それはうれしい反応ですね。須坂にまだなかったサービスを自分たちで立ち上げたからこそ、得られた声でもありますね。

やっぱり「ないものを作っていく」って面白いですよね。僕は、自分じゃなくてもやれることはやりたくないんです。「長野市でSABO2号店を出さないの?」とよく聞かれるのですが、僕は長野市で飲食をやりたいとは思ってなくて。だって、もうあるから。僕は「ここにないから作りたい」ってマインドだし、ないからこそやりたくなる。
――「ここにないから作りたい」が、関谷さんの原動力になっていると。

ここ数年の新しい取り組みとして、須坂の飲食店仲間や、地域おこし協力隊の仲間と、須坂市で「肉フェス」や「餃子フェス」といったイベントを開催しています。いずれは大規模な野外音楽フェスを須坂でやれたらと考えていて。
田舎だと、ライブハウスやクラブみたいな音楽に触れられる場所がない。須坂にいる子どもたちが、小さい頃から生の音楽に触れて、「俺の町にあいみょん来たんだぜ!」とか「こんなフェスがあるんだぜ!」と誇れるようになればうれしいなと。
理想の料理が出来ていないからこそ、可能性が広がっていく

――初めの頃の「自分の好きな料理を作れさえすればいい」という気持ちから、だんだん「須坂の町で新しいことをやっていきたい」という気持ちに変化していったのですね。
というよりも、「自分が本当に作りたい料理」を須坂でまだやれていないからこそ、「どうしたらできるかな」「誰とだったらできるかな」と少し俯瞰しながら探っているうちに、いろんな人に出会えて、「一緒に何か面白いことをやってみようよ」と話が広がっていったんです。その中で「人生一回きりなんだから、料理以外のことだって、やりたいならやっていいじゃないか」と思うようになれました。
――自分のやりたい方向性を探るうちに、新たな出会いがあって仲間もできて、新しい変化が起きていった。
もし、最初から須坂で自分のやりたい料理を貫けていたら、イベントなんて出来てなかったと思います。だって、それだと僕が常に店に立っていないとダメだから。スタッフが育ってきて、自分がいなくても店が回るようになったから、料理以外のことにも取り組む余裕が出来ました。その状態になるまでは大変でしたけどね!(笑)。まだ理想を叶えられていないからこそ、今こうして色んなことが出来てると思うと感慨深いですね。
――お店を投げ出さずに、スタッフを育てることに注力したからこそできることの幅も広がってきたのですね。

SABOの若いスタッフが自分のやりたいことを言ってくれるようになってきて、それに対して自分が「いいよ、やってみなよ」と言える余裕が出来たこともうれしいですね。
最近は、パティシエの子が「マカロンケーキのお店をやりたい!」と言ってくれたので、SABOとして須坂のチャレンジショップを借りてお店をやってみたんです。それが地元の方にかなり好評で! 本人も、お店の経営は思っているよりも簡単じゃないことを知れただろうし、これだけ努力して時間も費やして作ったマカロンがたかが600円にしかならないという辛さも味わえたと思うんです。
ポンと独立していきなり店を構えるのは難しいと思うので、まずは僕がサポートした上でSABOの一部門として挑戦してもらい、そこから独立につなげていった方がいいのかな、と今は考えていて。
――そうしてSABOスタッフの挑戦が続いていったら、須坂がどんどん面白くなりそうですね。最後に、これから長野で起業したい人へのメッセージをお願いします。

一番は、諦めないことだと思います。辞めないこと、続けること、それだけ。何か一つだけでも「辞めていないこと」があれば自分の自信になると思うんです。
あとは、周りに見ていてくれる人がいることが大事だと思います。「あいつ、なんだかんだずっとやってるよな」って見守っていてくれる人。それが仕事であろうと趣味であろうと、何かを続けることが大事なんだと思います。
起業をする人って、どこかちょっとバカというか、周りと違う人が多いと思うんですが、その「自分は人と違うかも」という気持ちは大事にした方が良いと思います。時には自分の気持ちを隠して人と合わせることも大事だけど、なかったことにして完全に合わせちゃうのは違うと思うから。その気持ちを消さないでください!
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まだ理想は叶っていない。だから、なんでも出来る。地元に「ないもの」を作り続ける「Kitchen & Bar SABO」の挑戦【前編】先輩起業家インタビューvol.12

起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「いつか自分でレストランをやりたいとは思ってはいましたが、それは店を持つこと自体が目的ではなくて。僕はただ、誰にも何も言われずに自分の好きな料理が出せればよかったんです。」
そう語るのは、須坂市のカジュアルレストラン「Kitchen&Bar SABO」を営む株式会社SABO代表の関谷隆彦(せきやたかひこ)さんです。関谷さんは、学生時代から料理人を志し、東京の調理製菓専門学校へ進学。卒業後は東京で修行を積み、25歳で長野県にUターンをし、独立に向けて動き始めました。
インタビュー前編では、料理人としての修行を積んだ東京時代、地元へのUターンを決めるまでの経緯について聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社SABO 代表・関谷隆彦
長野県須坂市出身。高校卒業後に上京し、調理の専門学校に通う。卒業後、都内の五つ星ホテルや町場のイタリアンで修行を積み、結婚を機に長野にUターン。長野市のレストランで勤務後、須坂のKitchen&Bar SABOのシェフに。当時のオーナーから店舗を譲り受け、店長となり、株式会社SABOを立ち上げる。
須坂駅前のカジュアルイタリアン「Kitchen&Bar SABO」

――まずは株式会社SABOの事業について教えてください。
株式会社SABOは、須坂駅前でカジュアルレストラン「Kitchen&Bar SABO」を経営しています。「Kitchen&Bar SABO」は誰でも気軽に入れるカジュアルなお店です。高価格すぎず、かといってリーズナブル過ぎるわけでもない。デートでも飲み会でも、家族との食事でも、様々なシーンでご利用いただけます。
料理のジャンルはイタリアンがベースです。ランチはピザ・パスタがメインで、サラダが食べ放題・ドリンクも飲み放題です。オープン当初、須坂市にはサラダ食べ放題のお店がなかったのでこのシステムにしました。ディナーでは、お肉や魚、お野菜のメニューもあります。スイーツにも力も入れており、オーダーケーキも人気です。

2022年からは、須坂市の飲食店で初のテイクアウト・デリバリーも始めました。現在は須坂店の一店舗のみの営業ですが、今後は業態に関わらず、須坂を中心に長野県で様々な事業を展開していきたいと考えています。
――もともと、いずれは自分のお店を持ちたいという思いがあったのでしょうか。
はい。僕は須坂市出身で、料理の道を目指し始めたころから、「いつか、地元を離れた友達が帰ってくる場所を須坂に作りたい」という思いがありました。
僕自身も、調理師の専門学校に入るために一度上京し、東京で修行を積んでから須坂に帰って来てSABOで働き始めたんです。SABOはもともと、別のオーナーが経営していた店舗だったのですが、独立を考え始めた頃に前オーナーに「このままSABOをやらないか」と言っていただき、そのままオーナーを引き継ぐ形で創業しました。
東京での修行を経て、結婚を機に長野にUターン

――東京で修行していた頃のお話を教えてください。
専門学校卒業後は、六本木にある高級ホテルの結婚式場のレストランで働いていました。そこでは、思い描いていた料理の仕事と現実のギャップを感じましたね。
――どんなギャップがあったのですか?
とにかく人が多いので、ほとんど料理というよりも作業なんですよ。たとえば、火曜日に葉っぱを千切り、水曜日に食材を切って、木曜日はそれを炒める。金曜日に全部形にして、土日に結婚式をやる、といった流れでした。
有名なホテルだったので、名前を出せば「えっ、そこで働いてるんだ!」と周りからは良い反応をされる。でも実際は、お客さんの顔も見えないまま、何になるかも分からない葉っぱを千切る毎日で。つらかったですし、「料理の仕事をしている」と胸を張って言えませんでした。三年目になる頃に「このままでいいのか?」と焦りを感じ、ホテルに了承をいただいた上で町場のイタリアンレストランでもアルバイトを始めました。
――ホテルで働きながら、アルバイトも。
はい。ホテルの仕事が終わったあとに、レストランで料理の経験を積む、という生活を一年くらい続けました。そこで飲食業界のツテができたので、ホテルを辞めて、恵比寿の客単価が2万円を超えるような良いレストランで働かせていただくことが出来ました。当時の経験から、今でも「レストラン」というのが僕の料理の主軸になっています。約二年半そこで修行させていただいて、24歳で長野に帰ってきました。
――20代前半と、まだ若いうちにUターンすることを決めたのはどんな理由があったのでしょうか。
そんな大それたことではなくて、人間らしい理由ですよ。実は僕は、18歳で上京して以来、長野市にいる彼女とずっと遠距離恋愛をしていたんです。ずっと「いつ帰ってくるの?」「帰って来ないなら私が東京に行く」と言われていたんですが、「修行中の身で東京に来てもらっても責任が負えないしなぁ」と決めきれずにいました。
24歳になる頃に、とうとう彼女から「結婚するか別れるか決めて」と提示をされたんです。そこでようやく、「いずれ長野に帰ってお店を持つつもりなら、長野と東京じゃニーズも違うだろうし、早いうちに地域のニーズを知っておいた方がいいだろう」と覚悟を決めることにしました。そうして長野に帰って来て彼女と結婚をし、お店を持つ準備を始めることにしたんです。
自分ならもっといい料理が作れる。そう意気込んで地元に飛び込んだ

――帰ってきてから実際に自分のお店を持つまでは、どのような経緯がありましたか?
正直な話、当時は須坂にまだいいお店がなくて。最初は長野市のレストランで1年半ほど働かせてもらいながら、長野の客層や飲食業界事情を学びました。そのうちに、SABO須坂店がオープンしたので、こちらに移ってきた形です。
――「ここだったら働いてみたい」と?
初めは、「須坂に新しいイタリアンのお店ができたんだ!」と思って、とりあえず食べに行ってみたんです。昔からよく通っていた道だし、お客さんがすごく入っていてうれしい気持ちもあって。
でもいざ行ってみたら、正直自分としては「須坂ではこういうお店が受けるの?」とどこか違和感を感じたんです。今だから言える話ですが、「俺だったらもっとおいしい料理が作れる!」と思って、SABOに入ったんですよ。
――なるほど。そういった理由だったんですね。

SABOに入ってからは、まずは店の料理を覚えながら徐々に自分のスタイルを出しつつ、年々ポジションを上げていきました。4年目で店長を任せられるようになってからは、自分の好きなやり方を試してみようと思い、現在のSABOにつながる「レストランよりリーズナブルかつ同等のクオリティの料理を提供する」というスタンスのカジュアルなイタリアンにしていきました。
そこで「これなら自分でお店ができる」と手ごたえを感じて、独立しようと決めたんです。当時のオーナーに話をしたら、「どうせ須坂で独立するつもりなら、このままSABO須坂店を君にあげるよ」と言われて。
――そこで「自分で立ち上げたい」とは思わなかったのですか。
思いませんでしたね。もちろん悩みはしましたよ。でも、「自分で店をやりたい」と思ってはいましたが、それは店を持つこと自体が目的ではなくて。僕は、誰にも何も言われずに自分の好きな料理が出せさえすればよかったんですよ。だから、SABOの売り上げやお客さんを手放してまで一からやる意味はないなと。
周りからは、「せっかく自分でやるのに、前のオーナーがつけた名前のままでいいの?」とよく言われましたが、僕としてはむしろ名前を変える意味が分からなくて。今の名前で須坂市内で知名度があるんだし、それを捨ててまで自分を貫き通す必要があるかな?と。
だから、2023年に個人事業主から法人化をした時も、社名はそのまま「株式会社SABO」にしたんです。法人化自体は、税金の問題もありましたし、今後多店舗展開を目指す上で必要だったのですが、特に自分で考えた会社名にしたいとは思わなくて。性格的に、そういう部分は全然気にならないんです。とにかく僕は、自分の好きな料理を提供できさえすればそれで良いんです。
インタビュー後編では会社を引き継いでから見えてきたギャップや、仲間と一緒に須坂を盛り上げていきたいという思い、今後の展望についてお聞きしました。
SABO須坂店のInstagram
SSSコラム⑪長野県における起業家の資金調達
県内全エリア
担当:SSSコーディネーター森山
SSSコーディネーターの森山です。
2024年も残すところわずかになりましたが、今年最後のコラムとして長野県内における資金調達についてご紹介したいと思います。
起業・創業を目指す方、すでに事業を営んでいらっしゃる方々にとって、その事業に資金が必要なのは共通の事項かと思います。長野県内には様々な資金調達手段がありますので、今回はその方法と、それぞれの特徴についてご紹介させて頂きたいと思います。
SSSにご相談いただく方々が資金調達で活用される選択肢は、主に以下の5つに大別されており、これらを複数組み合わせて必要資金を確保する方もおられます。
- 自己資金(含親族・友人からの資金)
- クラウドファンディング(以下、CF)
- 金融機関からの融資(県の制度融資、各金融機関の融資)
- ファンドからの出資(信州SSファンド)
- 国・県・市町村・経済団体等からの補助金等
まず事業に必要な資金がそれほど多くない事業を予定されている場合、①の自己資金を活用するケースがあります。自己資金のメリットは、自分自身の資金でリスクをとっているため、誰にも何も言われない自由があることです。また、ご自身が想定している事業内容・事業計画資料を作成して第三者に説明する必要もありません。(事業計画の作成は慣れていないと、人によっては結構大変なこともあります)
一方で、②~⑤は全て自分以外の第三者の資金を活用するため、事業内容をそれぞれの資金調達方法や資金調達コストに見合った形で、説明する必要があります。その手間暇やコストの見返りとして、自己資金では賄えないようなリスクや事業規模に対応することができるようになります。
第三者からの資金としての②CFは、活用ケースが多い購入型を前提として簡単に触れさせて頂きます。(その他、株式投資型等の形態もあり)購入型のCFでは、自社の商品やサービス、またはその一部等を提供する(または提供を約束する)見返りに、一般に広く資金を募集する方法です。主に商品やサービスを目的として資金を提供するユーザーと、その事業自体を応援する気持ちで資金提供を行うユーザーが存在します。これらのユーザーに対する、自社商品・サービスの認知度向上や、前売り、顧客の囲い込みなどを目的としてCFを活用するケースが多いように思います。一方で、CFによる資金調達コストは、他の調達手段よりも比較的高く、主にサービス利用の手数料は調達金額の10-20%程度が相場です。この調達コストに見合うメリットが得られると判断できれば、資金調達手段の有力な選択肢になるかと思います。
次の③金融機関からの融資は、多くの個人・法人が利用する資金調達方法かと思います。今回は創業・起業を目指す方々に多く活用いただいている創業融資を簡単にご紹介させて頂きます。長野県には創業5年未満の方が利用できる、「信州創生推進資金(創業支援向け)」という融資制度があります。これは金利が基本的に1.1%に設定されており、比較的低コストで資金を確保できる手段として、多くの事業の有力な選択肢となりえるかと思います。
(ご参考:長野県中小企業融資制度(信州創生推進資金(創業支援向け))/長野県)
その他、県内の各金融機関においても、それぞれ融資を行って頂いておりますので、上記融資制度とともに比較検討頂ければと思います。
そして、④ファンドからの出資(信州SSファンド)については、資本出資が主であるため、他の資金調達方法と比較して調達コストは高くなる一方で、他の調達方法では対応できない高リスクの事業に対して資金を供給することが可能です。(※投資対象は株式会社に限ります)他の資金調達方法で十分な資金が確保できなかった場合、①~③、⑤との組み合わせも当然可能ですので、信州SSファンドからの出資も含めてご検討頂ければと思います。
(ファンドや資本出資について詳しく知りたい方はSSSへ是非ともご相談ください)
(ご参考:信州スタートアップ・承継支援ファンド(信州SSファンド)/長野県)
最後に⑤補助金等による資金ですが、こちらは自治体や経済団体が提供するケースが多く、基本的に返済不要の資金です。そのため、多くの起業家の方々がその活用を検討されることも多い資金調達方法の1つです。ただ、補助金等の支給にあたっては様々なルール、制約等がありますので、それらにご自身の事業が適合する場合は是非とも活用を検討頂ければと思います。(制約等例:審査があり必ず利用できるわけではない、審査用の提出書類が多い(=作成コストがかかる)、経費の1/2,2/3分を支給(全額ではない)、一旦自社で立替し年度末に支給、特定の費用項目・用途にのみ対応、特定の時期のみ募集、特定のビジネス・形態にのみ支給等)
なお、各自治体や経済団体が設定する補助金の対象範囲、申請方法などの詳細については、設定する自治体または経済団体へご確認いただければと思います。
以上、長野県内で主に活用できる資金調達方法をご紹介させて頂きました。今回ご紹介させて頂いた資金調達方法にご興味・ご関心ある方は、それぞれの資金供給者に直接ご連絡頂いても良いですし、もし迷われていたり、更に詳しく知りたい方はSSSにご相談いただければ、事業内容・リスク・ステージに合った資金調達方法を探すお手伝いをさせて頂きますので、お気軽にご連絡頂ければと思います。
以上
SSSコラム⑩信州での観光業・宿泊業の起業にあたり
飯山エリア
長野エリア
大町エリア
松本エリア
木曽エリア
飯田エリア
伊那エリア
諏訪エリア
上田エリア
佐久エリア
担当:SSSコーディネーター佐藤(中小企業診断士)
こんにちは、SSSコーディネーターの佐藤です。
(※本コラムの内容は執筆者個人の見解であり、長野県やSSSの公式見解ではありません。)
皆さん、最近はどこかに観光で訪れたり、旅館ホテルなどに宿泊されましたか?
旅の目的や誰と行くのかによっても、訪れる場所や泊まる施設の選び方は様々かと思います。またBtoCビジネスである観光業・宿泊業は、それを営む事業者自身も一顧客となり得るため、起業にあたっては「自分だったらどういう体験や価値提供を受けたいか」という顧客視点に立ってサービス内容等を考えることもできるのではないでしょうか。
信州は美しい自然環境や歴史的な観光名所など、豊富な地域資源がある場所として知られています。その魅力を活かした観光業・宿泊業のビジネスは、多くの創業希望者にとって魅力的な選択肢となっており、SSSにおいても観光・宿泊関連のご相談を多くお受けします。以下に、創業にあたり抑えておきたいポイントをご紹介します。
まず、ビジネス計画の作成が重要です。事業の目的やビジョン、ターゲット市場(物理的な場所を含む)の分析、競合状況の把握など、具体的な計画を立てることが成功の基盤となります。信州の観光業・宿泊業は競争が激しいため、差別化戦略や独自の価値提案を考えることも重要です。
次に、資金調達の方法を検討しましょう(詳しくは「資金調達」のコラムを参照)。新規創業の場合、銀行からの融資や地方自治体の支援制度を活用することが一般的です。また、事業承継という手法もあります。ゼロイチではなく、既存の宿泊施設等を買収するなどの方法もあります。検討にあたっては「事業承継・引継ぎ支援センター」や民間のM&Aプラットフォーム(TRANBIやBATONZなど)を利用することも有用です。
さらに、地域との協力関係を築くことも重要です。地元の観光協会や商工会議所などの組織と連携し、地域の特産品やイベントとのコラボレーションを図ることで、地域の魅力を最大限に引き出すことができます。また、地元の人々との関係を築くことも大切であり、信頼関係を構築することで地域の支持を得ることができます。
マーケティング戦略の構築も欠かせません。信州の観光業・宿泊業は季節によって需要が異なるため、需要の波に合わせた戦略を立てることが重要です。例えば、冬季はスキーリゾートや温泉旅館への需要が高まるため、その時期に合わせたプロモーションやイベントを企画することが有効です。
創業希望者は、信州の地域特性や需要動向を十分に調査し、自身のビジネスアイデアに合わせた戦略を練ることが重要です。
信州の観光業・宿泊業は、地域の魅力と資源を最大限に活かしたビジネスが求められています。自然環境や文化遺産を活用した体験型プランの提供や、地元食材を使用したグルメツアーの企画など、地域の特色を生かしたサービスを提供することが成功の鍵となります。また、最新の技術やインターネットを活用したマーケティングや予約システムの導入も重要です。
先ほども書いた通り、信州は四季折々の美しい景色や豊かな自然があり、多くの観光客・宿泊客が訪れます。しかし、競争も激しいため、ビジネスの差別化、「尖った」サービス・顧客体験価値の提供が求められます。例えば、バリアフリー対応の宿泊施設やペット同伴可の宿泊施設、サウナも楽しめる施設など、ニーズの多様化に応えるサービスを提供することで、競争力を高めることもできます。
またオペレーション面からも事業コンセプトを検討することも重要です。コストとのバランスの中で、「表は非効率」だけど「裏では徹底した効率化」を目指すのかなど、どこに人手を掛けるのか・掛けないのかのメリハリをはっきりさせることです。
長野県では、信州スタートアップステーションをはじめ、スタートアップ支援・起業創業支援のコーディネーターや相談員が活動しており、創業希望者への支援を行っています。これらの専門家の助言やアドバイスを受けることで、より確かなビジネス計画や戦略を立てることができます。また、地域の商工会議所や観光協会などの組織も、創業希望者に対して支援プログラムや情報提供を行っていますので、積極的に利用しましょう。
信州の観光業・宿泊業ビジネスは、地域の魅力を最大限に引き出し、訪れる人々に素晴らしい体験を提供することが求められます。観光地の開発や宿泊施設の運営は、地域の活性化にも大きく貢献することができます。また観光業・宿泊業ビジネスは顧客の反応がダイレクトに感じられる(打ち手の効果の有無もダイレクトに分かる)ため、非常に面白さがある業種だと思います。個人的には、マーケットインのアプローチも重要ですが、サービス業として創業者自身が「面白い・楽しいと思えること、自身の施設などを使って『遊ぶ』姿勢」を持って様々な特徴あるサービスをプロダクトアウトのアプローチで提供することも必要なのではと思います。
創業希望者の皆さんが、信州の観光業・宿泊業ビジネスの創業に成功し、地域経済の発展に貢献いただくことを願っています。
【SSSW コラム】改めまして、SOUのご紹介と2024の振り返り
県内全エリア
長野県では、「日本一創業しやすい県づくり」を目指し、相談窓口での相談・助言、ホームページやFacebook等による創業支援策などの情報提供、各種創業セミナーの開催、地域の支援機関と連携による支援を行っています。
信州スタートアップステーション(SSS)は、長野県が設置する創業支援拠点です。SSSは、金融機関や商工団体等の創業支援に携わる機関や先輩起業家との連携によるスタートアップエコシステムの中核となり、県内経済を担う次世代産業の創出を目指す拠点です。
SSSの中で、女性に特化した支援活動を、ということで立ちあがったのがSOU(ソウ)です。
「それぞれの女性の、それぞれの起業に。」をかかげ、起業・創業にハードルを感じている方や、事業アイディアのブラッシュアップしたい方など起業に関する相談をはじめ、仕事と家庭・子育てとのバランスで今後の働き方に悩んでいる方など、幅広く女性を支援をしています。
SOUの活動は、大きく分けて2つあります。
ひとつめは、メンタリング(個別相談)です。様々な働き方、生き方を実践している多様なメンターが数多くの相談を受けてきました。2024年度は県外からの相談者が多かったことが特徴です。Iターン、Uターンを見越して「あたらしく始めたい!」という方々のサポートができました。また、1度の相談だけでなく、複数回、中長期的な相談が増えてきました。「異なるメンターとのメンタリングにより、いろいろな視点に気づけた」という話もありました。
ふたつめの活動は、イベントやセミナーです。SOUとしてのイベントだけでなく、メンターのみなさんとコラボ企画としてのイベントも開催しました。イベントでは、参加者のみなさん同士の交流を大事にするなど、地域のコミュニティとなるよう取り組んできました。結果として、イベントを通じて顔見知りになり、応援しあうような関係性も生まれています。
SOUでは、「事業を起こす」ことだけを起業とはしていません。1人ひとりが、それぞれの生き方を体現するきっかけをつくり、伴走してきました。
2025年も、多くの女性が自分の生き方を体現できるよう、支えていきたいと思います。