働く人の心身を癒して整える。「自分の経験」を突き詰めて、やるべきことを見つけた道のり【後編】先輩起業家インタビューvol.3
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
子育ての環境を考えて長野県に移住した滝沢さんは、12年間にわたり公務員として働いてきました。在職中は、さまざまな業務に携わり、大好きな信州のために貢献してきましたが、追突事故による後遺症から公務員を退職。自分のやるべきことを見つめ直す中で、働く人の健康に向き合う「出張型リラクゼーションサロン」のサービスを思いつきました。
インタビュー後編では、サービスの認知拡大の仕方、事業を経営する上で自分の中で大切にしていることや、これからの展望を聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社ネックレス 代表取締役 滝沢直美社長(たきざわなおみ)さん
地方公務員として12年間勤務。追突事故による後遺症でデスクワークが困難になり退職。その後、教育サービス業および福祉事業所立ち上げ。2022年9月 株式会社ネックレス創業。
健康経営マイスター/健康経営アドバイザー/ボディセラピスト/傾聴療法士/カウンセラー
まだ認知されていないサービスを地道に広げていく
――インタビュー前編では、ご自身の経験をサービスに転換することで、「出張型リラクゼーションサロン」のアイデアが生まれたとお話いただきました。業界未経験のところから、どのようにサービスを展開していったのでしょうか。
とにかく全てが未経験だったので、まずはリラクゼーション業界や店舗経営の仕方、健康経営のあり方について一から勉強をしました。それと並行して企業理念を固め、思いに共感してくれるセラピストの方々に仲間に加わっていただき、サービスの実現まで漕ぎ着けました。
また、実際にサービスを立ち上げるタイミングで、信州スタートアップステーションの「信州アクセラレーションプログラム」に採択されたので、サービスの認知と理解を広げていくための伴走支援をしていただきました。
※1「信州アクセラレーションプログラム」とは……信州スタートアップステーションが取り組む、創業後間もない企業に対する短期間の集中的伴走支援プログラム。
――「リラクゼーション」や「健康」というと、今の社会ではまだまだ個人に委ねられている部分が大きく感じます。それを福利厚生の一環として、企業に広げていくのは大変ではなかったですか?
今でもまだまだ大変な部分です。都市部では、こういったサービスは既にいくつかあるようですが、長野県では「なにそれ、そんなサービスがあるの?」というところから話がはじまります。立ち上げ当初は、とにかく県内の何百人を超える経営者の方々にお会いして名刺交換をし、「こういうサービスをしているんです」と地道にアプローチを重ねました。
サービスの認知自体がないため、まずはサービスを体験して貰わないとわかっていただけない、というもどかしさがあります。ですが、それよりもまずは健康経営のあり方を知ってもらい、価値を感じていただいた上で導入に至る企業さんが増えていくのが一番いいやり方なのかな、と今は考えています。
――一人ひとりが健康にいきいき働けることが、会社の生産性アップに繋がるということをまずは理解してもらう必要がある。
はい。リラクゼーション事業とは別に「健康経営伴走サポート」のサービスを始めたのは、サービスや事業の説得力をあげるためでもあります。
いくら「生産性があがります」と言ったって、数字に出なければ納得していただけない。そこで、社内の健康経営の現状調査、社員様へのヒアリングなどを行い、生産性を数字的に見える化することで、年間でどれだけ生産性に変化があるかをお伝えし、その上で会社に合った施策をご提案していこうと。
――「みんなが健康でいられること」の価値への理解度は、まだまだ足りていない部分が大きいのですね。だからこそ、コンサルティングのサービスも生まれたと。
恐らく、どの業種にも当てはまりますが個人の健康状態はかなり売上に響いてくるんです。従業員の健康状態が悪いと、離職率も上がりますし、それによって人手不足で社員に負担がかかりさらに生産性は落ちていく。逆に、会社として健康を底上げしていくことで、どれだけの利益が出るかを理論的にわかっていただけたらと思っています。それに、「健康経営」の考え方が当たり前になれば、そこから派生して健康市場全体も活性化していくはずです。
「人のため」がモチベーション。自分自身も施術を行い、直接人に「癒し」と「気づき」を提供したい
――少しでも自分の身体の状態に意識がいくことで、さらに変化が生まれると。
そうなんです。たとえば、定期的に会社を訪問する「癒しラボ」のサービスを通じて、セラピストに身体を触られることで、「肩周りが凝っていたんだな」と気づき、自分の身体にもっと意識を向けるようになるはず。そして、肩が凝らないように「運動」というアクションを起こす。そうした行動変容のきっかけを作るのが、私たちの役割だと思っています。
――直接的な施術だけでなく、「気づき」を与えることが。
リラクゼーションの施術を受ける方は、どこかに不調を抱えています。相手の方の身体を触り、体の状態を知った上で、直接それを本人にお伝えできる。実は、私は最初は完全に経営に徹するつもりだったのですが、創業準備中にリラクゼーションについて学ぶうちに、「こんなに最高の仕事があるんだ」と感じたんです。自分でもやってみたくなり、数ヶ月間に渡って研修を受けて技術も習得しました。今でも自分自身で施術を行っています。
――経営者でありながら、自らセラピストとしても働いているのですね。
経営に徹することで、事業を大きくし、より多くの方にサービスを提供していくこともできるかもしれません。でも、それだけではどうしても間接的になってしまいます。私は、直接お客様に触れて話す機会も大事にしたいんです。
――公務員時代のお話からも、滝沢さんは「人のため」に何かをすることがモチベーションになっているように感じます。
たしかに。昔からそうなんです。人が喜んでくれたら嬉しいし、つらい人を見ているのがつらい。だから、とにかく人を助けるとか、その人のその後の人生にとってプラスになることをしてあげることが好きで。「好き」というよりは、それが当たり前だという感覚ですね。目の前の人が笑顔になるように自分がなにかしたい。「人のため」というのがいつも私の原動力になっていますね。
――「人のためになにかをしたい」という部分と、経営者としてのあり方で悩むことはありませんか?
私個人の性格としては、ボランティアとしてでも今の事業をやりたいくらいですが、世の中にそれを価値として提供し続けていくためには、持続可能な事業である必要があります。ですから、経営者としては単価を下げずにどこまでサービスを成長させていけるかに挑戦しているところです。
ネックレスの企業理念に共感して集まってくれたセラピストの仲間は本当に素晴らしい方々です。揉みほぐす技術が高いベテラン揃いで、コミュニケーション力もとても高い。私はそこにとても高い価値を感じています。しっかりとその価値を世の中に認めてもらい、うちで働く人たち自身も健康に、誇りを持って働けるような環境を保ち続けたいです。
「まだやり方を知らないだけ」と自分を奮い立たせて
――滝沢さんは、会社を経営する中で、想定外のことが起きた時やなかなか結果が出ない時はどうやって気持ちを持ち直していますか?
私は一度考え出すと悶々としてしまうタイプなので、一度頭をオフにして、映画を観たり海を見に行ったりしてリフレッシュするようにしています。そうすると、ちゃんと次の日から「やるしかない、頑張るか」と切り替えられます。
それから、悩みを相談できる人が身近にいることも大事です。創業当時は一人で行き詰まって悩むことが多かったですが、今ではありがたいことに相談できる仲間がいっぱいいます。起業家仲間もそうですし、地元で創業支援をされている信州スタートアップステーションの皆さん、コワーキングスペース「サザンガク」の方や、そこからさらに出会いが広がって、多方面に気軽に相談ができるようになりました。
――今後の目標や、挑戦してみたいことはありますか?
まずは長野県全域での「癒しラボ」のサービス拡大と、「TUKANOMA」の店舗拡大です。一人でも、私たちが関わることで元気になるお客様を増やしていきたいと考えています。
また、今後は心身を整えることがテーマのゆるやかなコミュニティを地域に作れたらと思っています。たとえば、「今月は〇〇について学ぼう」という対面での機会を提供したり、みなさんの暮らしをより健康で豊かにするきっかけ作りになるような体験や、気づきの機会を提供したいです。
ITやAIの技術が進んでいる世の中とは逆の考え方ですが、リラクゼーションはやっぱり人の手でやってこそだと思いますし、人にしか癒せない領域は変わらずにあるはずです。「コミュニティづくり」もそのための一つの方法で、今後も「人と接することで、人が変わる。いい状態になっていく」という価値を提供する方法を、自分たちなりに探っていきたいです。
――最後に、今創業を考えている方に向けたエールやメッセージをお願いします。
私がいつも自分に言い聞かせているのは「できないんじゃなくて、まだ方法を知らないだけ」という言葉です。起業をしたばかりの頃は、できないことだらけに感じます。でも、「方法を知らないだけ」と考え方を変えれば、気持ちが軽く前向きになります。その方法を知るために、ネット検索だけでなく支援機関を活用したり、誰かに相談したりするのも手です。
創業したばかりの頃は、「あの社長はできているのに」と、ほかの創業者や経営者の方と自分を比べてしまうことがありました。そんな時は、「私はまだ方法を知らないだけだ」と自分を奮い立たせていました。わかれば、きっとできる。できないことに直面した時、「どうやったらできるだろう?」と考えることが好きな人なら、きっと創業者になれるはずです。
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働く人の心身を癒して整える。「自分の経験」を突き詰めて、やるべきことを見つけた道のり【前編】先輩起業家インタビューvol.3
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「『起業する』という選択肢が自分の中に浮かんできた時は、一体自分に何ができるのかわかっていませんでした。少しずつ自分の思いを整理していく中で、『自分の経験をサービスに転換していくしかない』と事業の内容がかたちになってきたんです。」
そう語るのは、長野県松本市を拠点に、リラクゼーション事業や健康経営コンサルティングを行う株式会社ネックレスの代表取締役・滝沢直美(たきざわなおみ)さん。子育て環境を考えて長野県に移住した滝沢さんは、12年間にわたり市役所職員として働いてきました。「公務員の仕事は天職だった」と振り返るも、追突事故による後遺症からやむなく退職。自分のしたいこと、できることを見つめ直す中で浮かんできたのが「起業」という選択だったといいます。
インタビュー前編では、長野移住の背景と、公務員の仕事を離れ、自身の事業を始めるまでのストーリーを聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社ネックレス 代表取締役 滝沢直美社長(たきざわなおみ)さん
地方公務員として12年間勤務。追突事故による後遺症でデスクワークが困難になり退職。その後、教育サービス業および福祉事業所立ち上げ。2022年9月 株式会社ネックレス創業。
健康経営マイスター/健康経営アドバイザー/ボディセラピスト/傾聴療法士/カウンセラー
オフィスでリラクゼーション!? 一人ひとりの心身の健康に寄り添う
――まずは、株式会社ネックレスの事業内容について教えてください。
まず、第一弾事業として2023年に開始した「オフィスリラクゼーション癒しラボ」では、福利厚生の一環として企業や団体のオフィスや工場等へスタッフが出張し、リラクゼーションの施術を行います。一対一でコミュニケーションが取れることから、身体だけでなく心の健康にも寄り添うサービスとなっています。
また、個人のお客様向けにも、店舗で施術を行うリラクゼーションサロン「TUKANOMA」を松本市内で展開しています。
「TUKANOMA」では、地域の経済活動を支える働く人や、フリーランスの方、家事や育児を頑張る人が、心身を整えることで毎日健やかにいられるよう、もみほぐしやストレッチを中心とした施術で癒しの時間を提供しています。ストレスや自律神経の状態を把握できる医療機器も導入しており、健康に対する毎日の行動変容のきっかけをつくることも目的の一つです。
――どちらのサービスも、「働く人の健康」を大事にしているのですね。
はい。「健康経営」の考え方が事業の軸になっています。「健康経営」とは、従業員等の健康管理を経営的な視点で考え、戦略的に実践することです。会社として健康投資を行うことは、働く人たちの活力・生産性アップなど、組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上につながると期待されます。
ネックレスの「健康経営伴走サポート」では、社員の健康管理を経営的な視点で考え、会社の目標達成のための健康投資を効果的に実施していただくための伴走をします。社内の健康経営の現状調査、社員様へのヒアリングなどを行い、現状をしっかり把握・分析した上で、社員様が永く健康で働き続けられる環境づくりをお手伝いするほか、社内で健康セミナー等を提供しています。
「天職」だと感じていた公務員を、事故の後遺症によりやむなく退職
――滝沢さんは、創業前は長年公務員として働いていたとお聞きしました。当時から、「健康経営」を軸にした事業展開のアイデアがあったのでしょうか。創業に至るまでの道のりを教えてください。
いえ。公務員として働いていた当時は、自分が起業することになるとは思ってもいませんでした。まず、私は岐阜県で生まれ育ったのですが、長男が生まれた頃に子育て環境を考えて長野県に移住してきたんです。イメージしていた通り、暮らしやすさと自然環境のバランスがとても良く、長野が大好きになりました。
移住直後は、しばらく専業主婦をしていたのですが、3人の子供を育てる中で、いろいろな方々に本当にお世話になって。「子供たちのふるさとになるこの信州に恩返しがしたい」という思いから、臨時職員という形で市役所に就職したんです。約4年間パートとして勤めた後、「大好きな信州の地に骨を埋めよう」と決めて公務員試験を受けました。
――「信州への恩返し」のために公務員に。
正規職員として採用されてからは、観光、芸術文化振興、広報、シティプロモーション、市民の健康づくりなど、さまざまな業務に携わりました。大好きな長野のために働くことができ、公務員の仕事は、まさに天職だと思っていました。
ですが、市職員として働き始めて10年目のある日、追突事故に遭って頚椎を損傷したんです。長年希望していた部署に配属され、「やっとやりたかったことができる!」と意気込んでいたタイミングでの事故でした。当時は「この先の人生どうしよう」ととにかく不安でいっぱいでした。
――しばらくは治療をしながら公務員のお仕事を?
約3年間は、治療・休養と復帰を繰り返しながら働くことになりました。ありとあらゆる治療を試しましたが、パソコンに向かうと1〜2時間で慢性的な両手のしびれや耳鳴りが起きて、頭痛や吐き気、脂汗に襲われました。上司のデスクに決裁を貰いに行くだけでフラフラしてしまい、立っていられないような状況でした。
仕事が大好きなのに、思うように身体が動かず、以前のように働けない。「こんなはずじゃないのに、もっとできるはずなのに」と焦りながら、それでも毎日なんとか働いてお金を稼いで、家族を養っていかないといけなくて。
――身体の不調にくわえて、精神的なつらさも。
性格的に、自分のことよりも周りを優先してしまうタイプなので、どれだけしんどくてもニコニコと平気なふりをして仕事をしていましたね。なんとか頑張り続けましたが、3年目になる頃には、体調不良やストレスで頭が回らず、これまでできていた仕事ができなくなってしまったんです。これ以上はもう限界だと退職を決めました。
自分の気持ちを整理する中で、やるべきことが見えてきた
――そこから起業を考え始めたのですか?
公務員を辞めた時点で「起業」という選択肢は漠然と自分の中にありました。思うように働けないもどかしさから、「何かをやりたい」という思いがふつふつと自分の中に湧き上がってきていたんです。でも、公務員の働き方は「お金を稼ぐ」ことの対極にあるように思えて、「本当に自分にできるのか?」と不安でした。
――たしかに、「公務員」という働き方と起業には大きな違いがあるように感じますね。
「起業したい」という思いはあったものの、退職後しばらくは知人からのご縁で福祉事業所の立ち上げに関わらせてもらいました。障がいのある子供たちのために居場所を作る仕事はとてもやりがいがありました。ですが、自分がやるべきことは、ほかにあるんじゃないかという思いがずっと心の中にあって。
そんな時、たまたま起業に関するセミナーに参加し、ようやく「自分にもできるかもしれない」と起業が現実的になってきたんです。そこで、一番初めに思いついたのは「人が元気になるような商品を作って販売すること」でした。
――今のネックレスの事業内容とは異なりますね。
もともと「ものづくり」が好きだったんです。でも、商品を作るとなると最初に大きな投資が必要になる。さらに、それが売れる保証はない。私は3人の子供がいたので、そんな博打みたいなことはできませんでした。
「じゃあどうする?」と考えていたところ、セミナーの中で「まずは自分にできる形でお金を得つつ、基盤が整ったらそこからやりたいことを事業化していく方法もある」と教わったんです。そこで「今の私にできることって何だろう?」と考え直し、ようやく「今まで自分がしてきた経験があるじゃないか」と思えたんです。
――そこでやっと「起業」と「自分自身の経験」がつながったのですね。
事故に遭ったことにより、身体だけでなく心の調子も悪くなり、自分の生産性は最低まで落ちました。一人の生産性が落ちると、全体の生産性も落ちてしまう。それならば、経済活動をしている会社や団体にアプローチをして、働く人一人ひとりの生産性を上げることができれば自然と全体の生産性も上がるのではないか。そのためのサービスを作ろうと。
起業と聞くと、「〇〇が好きだから仕事にしたい」「私には◯◯がやりたい」と、一直線に進んでいくイメージをされる方が多いと思います。でも、私はそうではなかった。経験を重ねる中で、まずは自分の中にある「思い」の部分を整理して、自分に提供できる価値は何かをじっくり考えることで、自分の経験をサービスに転換しようとしたんです。
――思いを整理する過程は、ご自身でひたすら壁打ちをされたのでしょうか。それとも誰か相談相手はいましたか?
まずは自分一人で考えを整理しました。「自分に何ができるのか」「何がしたいのか」をどんどん紙に書き出していき、さらに、「社会には何が必要とされているのか」をネットや本で調べたり、周りの人にアンケートを取ったりしてヒアリングをし、情報を整理していきました。
視野が狭くなりすぎないよう、ある程度考えがまとまってきたら、仲間や友人たちにも相談をしました。その繰り返しで、だんだんアイディアが形になっていきました。そうしていく中で、働く人にダイレクトにアプローチできる「出張型のリラクゼーションサロン」を思いついたんです。
・・・
インタビュー後編では、未経験の分野での事業展開の仕方やサービスの広め方、ブレずに大切にしていること、今後の展望について聞きました。
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女性起業家を育む創業支援スクール2024 in 上田市 開催レポート(後編)
上田エリア
上田市創業支援プラットフォーム主催「女性のための創業スクール2024~ワタシが創る、未来。~」が5月21日(火)から、+519worklodgeにて全4回開催されました。本スクールは、2016年から毎年開催し、スクール・セミナーの受講生は延べ700名以上となっています。創業の基礎を学べる講座となっており、上田地域でご活躍中の講師の皆様に地元で起業をする上でのご自身の体験談を交えながら講義を展開していただきました。
今回は、 後半の2回分の講義をご紹介させていただきます。
第3回のテーマは「人材育成」
上田市商工会議所・中小企業診断士の今井裕氏による講義が行われました。上田商工会議所発行の冊子「創業計画書作成の手引き」を基に、創業を実現するために必要な心構えや事業におけるリスク管理、個人で起業する場合の資金などについて解説いただきました。コロナ後変化の時代における創業のあり方など、長年創業支援指導をされている今井様ならではの視点から受講者様へ具体的なアドバイスをいただきました。
第4回のテーマは「販路開拓」
甘味処 雪屋Conco 店主の徳武庄太郎氏に講義を行っていただきました。創業を楽しむことを基本に、ご自身の経験をもとにSNSやアプリ、チラシを使用した集客方法についての具体的な紹介がされました。グループワークでは、業種ごとに分かれ「販売戦略のアイデア出し」「自身の仕事をお客様に知ってもらうには」など、現在抱えている悩みを解決するための実践的なディスカッションと総まとめの発表が行われました。
各週で開催された講義内容は、実践的且つ参加者様同士の貴重な交流の場となりました。参加者の皆様には、今回のつながりを大切にしていただき今後も互いに刺激し合いながら成長していただけたらと思います。
女性起業家を育む創業支援スクール2024 in 上田市 開催レポート(前編)
上田エリア
上田市創業支援プラットフォーム主催「女性のための創業スクール2024~ワタシが創る、未来。~」が5月21日(火)から、+519worklodgeにて全4回開催されました。本スクールは、2016年から毎年開催しています。創業の基礎を学べる講座となっており、上田地域でご活躍中の講師の皆様に地元で起業をする上でのご自身の体験談を交えながら講義を展開していただきました。
今回は、 前半の2回分の講義をご紹介させていただきます。
第1回のテーマは「経営」。講師は、秀プロデュース株式会社 代表取締役・ARECコーディネーターの滝沢一秀氏。経営理念と経営戦略の基本的な内容を分かりやすく解説いただきました。経営理念はビジネスの根幹を成す重要な要素であり、成功する企業には共通して明確な理念があるとの事。また、創業後事業を継続していくための日常的な心掛けやアドバイスが提示されました。さらに、生成AI ChatGPTを活用した事業計画草案の作成事例も共有されました。
第2回のテーマは「財務」。合同会社ハルナツの中澤ちあき氏による講義とランチ会・交流会が同時開催されました。講義では開業届の出し方やタイミング、税金や社会保険料の支払い方、青色申告のメリットとそのポイントなどについて学びました。小さく創業を始めたい方から大きく事業を広げたい方まで幅広いニーズに対応したお話をしていただき、法人化を考えた場合の動き方などについても解説いただきました。ランチ会・交流会では異業種の参加者様同士、リラックスした雰囲気のなかご自身の起業に対する闊達な意見交換が行われました。
次回は、後半の2回分の講義をご紹介させていただきます。
美味しく食べられる喜びをすべての人に。ヴィーガン&グルテンフリースイーツのパイオニア、「CocoChouChou」のスイーツができるまで【後編】先輩起業家インタビューvol.2
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
長野県長野市を拠点にヴィーガン&グルテンフリーのスイーツブランド「CocoChouChou」を営む飯田紗央里さんは、東京を拠点にお菓子教室や商品開発から事業をスタートさせました。長野移住により、ブランド立ち上げという選択肢が一気に現実的になったといいます。
インタビュー後編では、長野移住後の事業展開の仕方や仲間の増やし方、これからの展望を聞きました。
<お話を聞いた人>
飯田紗央里さん
株式会社CocoChouChou(ココシュシュ)代表取締役。こどもの頃の趣味はお菓子作り。 IT企業に就職も、食べることが大好きで、人生を華やかに彩る“食”に携わる仕事を生涯の仕事にしたいと退職。ヴィーガンや食物アレルギーなど、食の制限の問題に気が付き、独学でヴィーガン&グルテンフリーのスイーツを研究し、2017年に「CocoChouChou」を開業。
未開拓の市場をコツコツと切り開く
――インタビュー前編では、「まだ世の中に無いもの」かつ「無いことでみんなが困っているもの」を作るべきなんじゃないかと事業の方向性が見えてきた背景をお聞きしました。しかし、当時まだ一般的でなかったヴィーガン・グルテンフリーに特化したスイーツを開発するのは大変だったのではないでしょうか。
当時、東京でさえまだ「ヴィーガン・グルテンフリー」を謳っているお菓子屋さんはほとんどなかったですし、ネットでレシピを調べて作ってみても、「なんだこれ、おいしくない!」ということがほとんど。「ヴィーガン・グルテンフリー」の市場は、まだ「美味しさ」の競争が起きておらず、「卵・乳・小麦を使ってない」というだけで重宝がられるような状況だったんです。
とにかく、今あるものを食べ比べたり、レシピを試作してみたりしては自分なりに改良を重ねて地道にレシピの開発を重ねていきました。
――カフェのメニュー開発から事業が始まったとのことでしたが、その頃には「いつか自分のブランドを立ち上げたい」という思いはあったのですか?
当時は、フリーランスのお菓子研究家的な立ち位置で、カフェのメニュー開発やコラボの仕事をしていこうと考えていました。最初にメニュー開発に携わったカフェはなかなかお店側の体制が整わず、オープンには至らなかったのですが、東京にいれば今後もこういった仕事は増えていくだろうという手応えがあったんです。
――そこから「CocoChouChou」が生まれたのはどうしてですか?
「CocoChouChou」を立ち上げたのは、長野に移住をしたことが大きいです。事業の方向性が見えてきた頃に私は一度結婚をしたのですが、夫が「長野に実家があるから地元に帰りたい」と言い始めて。長野なら東京より土地代や家賃等の諸経費も安いだろうから、「自分のブランドを持つ」という選択肢が一気に現実的になりました。
バレンタインに向けたスピード勝負! 移住と同時に物件を契約し開業へ
――では、移住後に物件を探して本格的にお店作りを?
移住するタイミングが2016年の冬ごろだったのですが、ちょうどその時に開発していたのが、「ヴィーガン生チョコレート」だったんです。
チョコレートを作っている以上、事業を始めるタイミングとして、バレンタインを逃すわけにはいきませんでした。そこで、移住する前から長野を訪れて内見をし、移住と同時に物件を契約しました。
――とにかくスピード勝負だったのですね。土地勘もない中で物件を探すのは大変ではなかったですか?
土地勘もないですし、長野市の商圏やお菓子業界の状況もわからなかったので、まずは通販事業を主軸に展開しようと決めていました。そこで、まずはとにかく自宅から通える距離で、お菓子を作れる広さがある場所を探しました。
移住後は、菓子製造業の免許が取れる最低限の工事をし、2017年の2月に「CocoChouChou」を開業し、早速商品の開発・製造をスタートさせました。
――はじめから「長野で創業する」と準備や下調べをしていたわけではなく、ご縁とタイミングが重なってのはじまりだったのですね。
実は、長野に移住してから、すぐに離婚をしたんです。でも、既にお店は押さえてありましたし、元からそこまで東京に執着があったわけではないので、東京に帰るという選択肢はありませんでした。
「ここでやっていこう」と軽やかな気持ちで長野に残ったら、幸いにも最初のバレンタインで、通信販売がヒットし、事業も軌道に乗ってきた。そこからコツコツと商品を増やし、ブランドの認知を広げてきました。
――2021年には拠点を移し実店舗をオープンしていますが、通信販売をメインに展開していたところから、直接お客さんの反応を見られるようになった手応えはどうですか?
まちなかに製造拠点と販売場所を当時に持てるというのは、地方ならではの贅沢な強みだと思います。お客様との接点が持てるというのもやはりうれしいですね。
誰でも、短時間でも活躍できるような製造工程を工夫
――長野での人材採用についてもお聞きしたいです。
販売スタッフ・製造スタッフに関しては、店舗の窓に貼ったチラシや、Instagramのスタッフ募集の投稿を見て連絡くださった方を採用してきました。ありがたいことに、これまで有料の求人広告等を出したことはありません。
また、「CocoChouChou」では、お菓子作りが未経験の方や、事情により短時間しかシフトに入れない方でも、長く働けるようなメニュー開発に力を入れています。
――未経験でもOKとしているのはどうしてですか?
お菓子作りを「職人の仕事」にしてしまうと、1人辞めた時にまた次に採用するのがすごく大変になります。お菓子業界はただでさえ人手不足になりがちだし、長時間労働になりがちな部分があるので、従来とは違うスタイルの働き方を確立できないかと模索しています。
「CocoChouChou」のスイーツは、レシピや製造工程に工夫をしており、お菓子作り未経験の方はもちろん、それぞれに事情がある方が短時間だけシフトに入っても、ちゃんと活躍できるようにしています。
子供が急に熱を出した、親の介護で1ヶ月お休みをしないといけない、自分自身の体調不良など、どんな事情があっても、環境さえ整っていればみんなが働きやすくなる。常に安定的に生産していける環境づくりを目指しています。
――誰もが「美味しく食べられる」スイーツは、誰もが働きやすい環境で作られているのですね。
また、「未経験OK」にすることで、今までお菓子をつくったことがない人が、仕事を通じて新しい世界に触れられるきっかけになればいいなという思いもあります。
マーケティングの領域になると、ちょっと毛色が変わってくるので、副業人材に特化した求人サイトの「YOSOMON」や、「NAGA KNOCK!」で募集を出し、県外の方と業務提携をしています。
――必要に応じて様々な採用方法を組み合わせているのですね。開業後、長野での事業展開について県や市からのサポートは受けましたか?
開業時は特にサポートは受けませんでしたが、開業3年目に当たる年に、信州スタートアップステーションの「信州アクセラレーションプログラム」に第二期生として採択されました。
「信州アクセラレーションプログラム」では、自分と合いそうな経営者の方や、自分よりもう少し高いフェーズにいる経営者の方々と定期的にマッチングしていただき、1〜2時間ほどスポット的に事業の相談をさせていただきました。
会社経営の規模は違えど、経営者同士みんな持っている悩みは似ていると思います。資金繰りのノウハウから、小さな悩み事まで、ざっくばらんに話せる相手が身近にできたのはとても心強かったです。プログラムの期間は3ヶ月間でしたが、当時の同期や、経営者の方々とは今でも仲良くしています。
※1「信州アクセラレーションプログラム」とは……信州スタートアップステーションが取り組む、創業後間もない企業に対する短期間の集中的伴走支援プログラム。
想定外な出来事を、いかに好転させ続けるか
――現在は、飯田さんご自身も「先輩起業家」として信州大学での学生向けの講演や、セミナーに登壇されていますね。未来の創業者の方々には、いつもどんなアドバイスをされていますか?
「あまり計画立てすぎず、まず動き出してほしい」と伝えています。もちろん、最低限生き残るための計画を立てることは大切ですが、事業を進める上で予想通りに物事が進むということはほとんどありません。それよりも、走りながら考えて軌道修正していける人の方が創業に向いているんじゃないかなと感じます。
――飯田さんが事業を進めてきた中で、たとえばどんな想定外の出来事が起こりましたか?
たとえば、コロナが流行することは誰も予想ができなかったですよね。お菓子業界で言えば、原材料がここまで高騰することも数年前は誰も思っていなかった。もっと個人的なことだと、大規模な売上を見込んで出店した東京の催事で、想定していた売上に全く届かず大ダメージを受けたこともありました。
日々がそういうことの繰り返しだから、「100%こうなる」なんて未来はあり得ません。想定外のことが起きた時に、どうやって挽回して好転させるかを常に考える必要があります。
――何が起きてもへこたれず、次へ進める人であること。
そうそう。気持ちを入れ替えて、「じゃあ次!」と進める人なら、きっと創業に向いています。私の場合はむしろ、常に先が見えず、激しく変化する日々の繰り返しだからこそ、飽きずに事業を続けられている気がします。
――最後に、今後の展望や目標を教えてください。
今の目標は、「CocoChouChou」を「みんなが当たり前に食べている人気ブランド」に育てることです。
ヴィーガンやグルテンフリーというのは、当事者ではない人に「私には関係ない」と思われてしまうと思うんです。だからこそ、「わぁ、なにこれ?かわいい!」「このお菓子、すごく美味しい。どうやって作られているんだろう?」と、驚きやわくわくからたくさんの人の目に触れ、みんなに手に取ってもらうことで、市場の規模をどんどん大きくしていきたい。これからも、「食に制限がある人が細々と食べるもの」ではなく、ポジティブなメッセージのあるブランドであり続けたいです。
・CoCoChouChouのホームページ
・CoCoChouChouのオンラインショップ
美味しく食べられる喜びをすべての人に。ヴィーガン&グルテンフリースイーツのパイオニア、「CocoChouChou」のスイーツができるまで【前編】先輩起業家インタビューvol.2
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「会社員時代は、生活は安定していましたし、会社も仕事も大好きでした。はたから見たら、とても順調なキャリアだったかもしれません。でも、ふと『私は一生こんなふうにして働いていくのかな?』と、立ち止まったんです。」
そう語るのは、「すべての人に『美味しく食べられる』喜びを」をテーマに、長野県長野市を拠点にヴィーガン&グルテンフリーのスイーツブランド「CocoChouChou(ココシュシュ)」を営む飯田紗央里(いいださおり)さん。
会社員を退職後、お菓子作り教室・商品開発からスイーツ事業をスタートした飯田さん。通信販売から始まった「CoCoChouChou」は、現在は長野駅前の実店舗を構えるほか、全国各地のイベントや催事にも出店し、多くのファンを持つ人気ブランドです。
インタビュー前編では、「CocoChouChou」のこだわりと、会社員生活を手放し自分の事業を始めるまでのストーリーを聞きました。
<お話を聞いた人>
飯田紗央里さん
株式会社CocoChouChou代表取締役。こどもの頃の趣味はお菓子作り。 IT企業に就職も、食べることが大好きで、人生を華やかに彩る“食”に携わる仕事を生涯の仕事にしたいと退職。ヴィーガンや食物アレルギーなど、食の制限の問題に気が付き、独学でヴィーガン&グルテンフリーのスイーツを研究し、2017年に「CocoChouChou」を開業。
誰もが笑顔で美味しく食べられるスイーツブランドを目指して
――まずは、「CocoChouChou」が大切にしているお菓子づくりのあり方やブランドにかける思いを教えてください。
「CocoChouChou」のお菓子はすべて、卵・乳製品・小麦・白砂糖不使用のヴィーガン&グルテンフリーです。
「お菓子は体や美容によくない」と我慢している方や、食物アレルギーや健康の事情などで食の制限がある方、菜食主義のヴィーガン・ベジタリアンの方など、誰もが「自分だけがみんなと同じ美味しいお菓子を食べられない」という寂しい気持ちを抱くことなく、笑顔で美味しく食べられるスイーツを作っています。
――健康に配慮したお菓子や、アレルギー対応のお菓子は味気ないイメージがあったのですが、「CocoChouChou」のスイーツはとても華やかで見ているだけでもときめきますね。
まさに、心が華やぐようなおしゃれでかわいいスイーツを作ることも「CocoChouChou」のこだわりです。「これしか食べられないから仕方なく」ではなく、あらゆる食の制限をポジティブに変換して、「美味しいから」「かわいいから」と「CocoChouChou」を選んでいただけるように商品開発を行っています。
――おいしさのこだわりについて教えてください。
白砂糖は使わず、甘みはミネラルたっぷりのメープルシロップやきび砂糖、デーツなどのドライフルーツで、”くどくない”甘みを出しています。また、コクを出すために、良質な脂肪分であるカシューナッツやココナッツオイル、カカオバターなどを使用し、米粉にナッツの粉を加えるなど工夫を凝らしています。
――「CocoChouChou」は、現在どのように展開していますか?
「CocoChouChou」は、通信販売から事業をスタートしました。公式の通信販売サイトのほか、楽天市場、Cake.jpからお取り寄せいただけます。また、 新宿伊勢丹やながの東急百貨店、渋谷ヒカリエなど全国の百貨店・セレクトショップでの催事販売や、マルシェやイベント等の出展も行っています。2017年には、長野市内で実店舗を構えました。
――スイーツの中でも、「ヴィーガン・グルテンフリー」に注目した商品開発を進めてきたのはどうしてですか?
これは創業から数年が経った今でも思うことなのですが、魅力的な商品やスイーツは既に世の中にびっくりするぐらい溢れています。有名なパティスリーで修行した人や、フランスで修行した人たちが次から次へと新商品を出している中で、自分がわざわざ既存のお菓子を作ることには意味が見出せませんでした。
それよりも、まだ世の中に無いもの、それも、「無くてみんなが困っているもの」を作るべきなんじゃないか、と考えて、「ヴィーガン・グルテンフリー」のスイーツブランドを立ち上げることを決めました。
会社員としての順調なキャリアアップがふと怖くなった
――飯田さんは、もともとは会社員として働いていたとお聞きしましたが、「いつかこんなスイーツブランドを立ち上げたい」という思いがあったのでしょうか。
子どもの頃からお菓子づくりが好きで、学生の頃はパティスリーやお菓子作り研究家のもとでアルバイトをしており、「いつかは食べ物に関わる仕事に就きたいな」とは漠然と考えていました。
ですが、会社員として働いていた時も、辞めた当時も、何をするかは一切決まっていませんでした。「会社員生活を断念して、大好きなお菓子の道に戻ってきた」みたいな感覚はまるでないんです。
――会社員の頃はどんなお仕事をされていたのですか?
都内のインターネット銀行に就職し、約7年間ネットマーケティングの業務に携わっていました。会社も仕事も好きで、今でも働いていてよかったと思っています。それでも会社を辞めたのは、「このままキャリアも収入も上がっていったら、もう抜けられなくなる」と怖くなったからでした。
――「怖くなった」というのはどういうことですか?
生活は安定しているし、仕事もやりがいがあって、収入も上がっていく。はたから見たら、会社員としてはとても順調だったかもしれません。でも、忙しい毎日の中で「私は一生こんなふうにして働いていくのかな?」と、不安になったんです。収入もある程度伸びてきていたので、これ以上の金額をもらえるようになったら、きっと手放すのが怖くなってしまうだろうと。
――会社の中で順調にキャリアを積んでいたからこそ、立ち止まりたくなったと。
「手放すなら今だ!」と強く思ったのを覚えています。そこで、先のことも考えずに見切り発車で会社を辞めました。そこから何をするかはまったく決まっていませんでしたが、「まずは辞めないと始まらない」という気持ちでしたね。
――立ち止まることで、一度自分自身をリセットしたのですね。
会社員時代は本当に毎日一生懸命仕事をしていたので、プライベートの充実を優先してこなかったんです。辞めてからの約一年は、貯金を切り崩しながらのんびりと暮らし、今後自分がどのように生きたいのか考えました。
それでも、結局明確な答えは出なかったんです。ただ、「会社員に戻ろう」とは思えなかった。そこで、自由と責任が伴う「起業」という選択肢が浮かびました。
――「自由」と「責任」が伴う働き方が、飯田さんにとって大事なポイントだったのですね。
会社員時代も、より責任の重い仕事、決定権のある仕事をさせてもらえるとやり甲斐を感じていました。全ての決定権と責任を担う起業は、自分に合っているのではないかと思い至ったんです。
「好きなことを仕事にする」というより、働き方の選択肢の1つとして「起業」という働き方を選び、その中で、漠然と好きな食の仕事についた、という流れです。
まずは小さなことから。コツコツと発信してチャンスを掴む
――もともとは会社員をしていたところから、どうやってお菓子の事業を始めていったのですか?
開業資金を貯めていたわけではなかったので、先行投資が必要な店舗経営は選択肢にはありませんでした。幸い、大学時代にお菓子業界に関わっていた経験があったので、プロには全く敵わないけれど、お菓子作りの基礎知識とスキルはあった。そこで、なるべくお金をかけずに小さく始められる展開の仕方を考えて、お菓子教室と商品開発から小さく事業を始めました。
――なるほど、商品を作って売るのではなく、スキルやアイディアを提供するところからスタートしたと。
前職でマーケティングの部署にいたこともあり、メディア系に強い人たちとのつながりも多かったので、「みんなに話したらうまくきっかけを掴めるんじゃないか」と感じたのも大きかったです。
タレントさんを起用してるような事業部の方もいたので、なにか少しでもチャンスが舞い込めば、という気持ちで、お菓子を作っては会社に差し入れに行き、「お菓子の事業を始めようとしているんです」と挨拶して回りました。
――まだかたちになる前の段階から、コツコツと発信をしていったのですね。
最初はとにかく営業活動をしていましたね。まだ会社名もなにも決まっていない段階で、とにかく「お菓子教室を始めるから、習いたい人いるかな?」「商品開発、メニュー開発の仕事を探してる人いないかな?」と呼びかけながら自分の作ったお菓子を配り歩いていました。そうしたら、前職の関係者の方がカフェの商品開発の仕事を持ってきてくれたんです。
――早速チャンスが! 飯田さんが会社員時代にお仕事を一生懸命やっていたからこそ、退職後も応援してもらえたように感じます。
本当にありがたかったですね。そこでご紹介いただいたのが、東京の麻生十番で新規オープンする予定のカフェだったんです。麻生十番には大使館がいくつもあり、海外の方も多く暮らしているエリアなので、ヴィーガンやグルテンフリーに対する考え方が日本の中でも早くから根づいている地域でした。
実際にそのカフェに採用された店員さんの中にも、ヴィーガンの方がいて。そこで初めて、「そうか、卵・乳・小麦を使ってしまうと、ヴィーガンやグルテンフリーを選ぶ人たちは食べられないんだ」と気がついたんです。その頃、ちょうど食品アレルギーの問題も注目されていた頃だったので、そこからヴィーガン・グルテンフリーのお菓子を開発し始めました。
――たまたま掴んだ仕事のチャンスが、ヴィーガン・グルテンフリーの世界に踏み込むきっかけになったのですね。
そうなんです。メニュー開発を進める中で、感度を上げて周りの声を聞いていくと、「みんなと同じお菓子が食べられない」「楽しく美味しいお菓子が食べたい」という声が聞こえてきて。
ただ「美味しいお菓子」を作るのではなく、「悩んでいる人たちの課題を美味しいお菓子で解決する」方がいいんじゃないか、と自分の進むべき方向性が見えてきました。
・・・
インタビュー後編では、長野移住と、事業をかたちにしていくまでの過程や仲間の増やし方、これからの展望について聞きました。
・CoCoChouChouのホームページ
・CoCoChouChouのオンラインショップ
まちなかパワーアップ空き店舗等活用事業補助金
長野市
長野市中心市街地(長野・篠ノ井・松代)の空き店舗・空き家・空き倉庫等を賃借して出店する事業に対し、改修・改築費及び附帯設備の設置に要する経費を補助するもの。
補助率1/2 補助上限額30万円(ただし、市が指定する通り沿いへの出店に対しては50万円)
「はたらく」を 小さく わたしらしく つくりだす 学生起業のすゝめ
県内全エリア
こんにちは〜!
SSSWのコーディネーターをしている合同会社キキの川向思季です。
長野県の女性の創業・起業支援(Shinshu Startup Station Women:SSSW)は、
2023年度から始まり、個別相談員/メンターとしても2年目となります。
合同会社キキは、「こうありたい日常を自らの手でつくり出す」を掲げ、
#暮らし #学び #はたらくをテーマに、仕組みを整える仕事をしています。
合同会社キキ自体、学生起業とこいうこともあり、
普段から若い世代の「やってみたい」の声を聞くことも多いです。
現在もメンバーの半分以上が社会人大学生や学部生、
立ち上げメンバーが20代前半女性ということもあり、
いろんな悩みを抱えながらいろんな人に助けられている日々です。
SSSWでは、同じ悩みを抱えた人に寄り添いつつ、
一緒に考えたり乗り越えたいと思い参画しています。
*
「起業」という言葉を聞くと、ビジネス色の強いエネルギッシュなイメージ
を持つ方も多いと思いますが、起業のあり方は多様化しています。
その中でも、自分の名前でお仕事をするフリーランス(個人事業を含む)は
働き方に自分らしさを求める若い世代や、様々なライフイベントを迎える女性に人気です。
私たちの会社も、創業メンバーの2人が会社を立ち上げる前は
それぞれ個人として、「はたらく」を小さくつくる練習を積み重ねていました。
学生の頃は、お金目的で始めた訳ではありませんでしたが、
続けていきたいという思いから、なんとなく月3〜5万円と考えていたと思います。
ロールモデルとなる、いいメンターと出会えたことが何よりのきっかけとなり、
企画の方法やコミュニケーションはもちろん、請求書の出し方まで、
初めは全て真似るところから始まり、今は自分のやり方を少しずつ確立しているところです。
学生起業に取り組む人もいろいろなパターンがあります。
学生時代に頑張り、その経験を活かし就職する人もいれば、
後輩に譲渡/継承するという人も。
卒業後もその事業で暮らしていく人もいます。
学生起業の大きなメリットは圧倒的に時間があることです。
そして学生という立場上、教えてくれる人が多いということです。
わからないことをわからないと言えることが、学ぶきっかけをつくります。
そして20代の学びはかけがえの無い財産となります。
もしかしたらその先に、一緒にやりたい人や、心地よい規模、
人生をかけて挑戦したい未来への希望とめぐり逢うのかもしれません。
「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【後編】先輩起業家インタビューvol1
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
長野県上田市で、創業13年目を迎える「株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)」。代表取締役の児玉光史(こだまみつし)さんは、事業の主軸である「カタログギフト」をつくり続ける意味を見失ってしまった時もあったといいます。
インタビュー後編では、長く会社を続けるためのバランスの取り方について聞いていきます。
<お話を聞いた人>
株式会社地元カンパニー 代表取締役 児玉光史(こだまみつし)さん
長野県上田市のアスパラ農家に生まれ、大学卒業後は電通国際情報サービスにてシステムセールスに従事。退職後、東京で暮らす農家の跡継ぎコミュニティを立ち上げ、地域の産品を都内で実験的に販売。自身の結婚式で「ご当地グルメのカタログギフト」を引出物として配布し好評だったことをきっかけに、株式会社地元カンパニーを設立。
会社経営は「旅」と一緒。ゴールがなくても先を目指せる
――「創業する」というのは、始めることよりも、そこから事業を長く続けていくことが大切だと思うのですが、児玉さんが10年以上事業を続けてこられたのはどうしてだと思いますか?
そもそも、僕は「会社を10年続ける」とか「100年続く会社をつくる」という目的を掲げていたわけではなくて。こうして長く続けてこられたのは、ただ「興味が尽きなかった」からですね。
会社を経営していると、日々「なんだこれは!」と思うような事件が目の前で起こるんです。「何でこういうことが起こったんだろう?」と考えたり、それを解決したりし続けてきた延長に今があります。会社を続けることへの興味は尽きませんね。僕は、会社を続けることは旅をするのに近いと思っていて。
――旅、ですか?
はい。旅って、目的地はあれど「これを達成しよう」というゴールはないじゃないですか。でも、旅路の最中ではいろいろ起こるし、いろいろ考える。そしてそれが全て自分の経験になる。僕はほぼずっと長野県の上田市にいますが、旅をし続けている感覚なんです。
――興味と好奇心が尽きなかったから、歩き続けてくることができた。
そうですね。創業者はみんなそうだと思うけど、やっぱり自分で事業を続けていくのは面白いですよ。飽きないです。……いや、飽きたこともありましたね。
――それは何に飽きてしまったんですか?
「カタログギフト」の事業自体にです。自分自身が農家のせがれであり、地元への思いがあってはじめた事業でしたが、「僕はどうしてこの事業をやっているんだろう?」と、続ける理由が薄れてしまった時がありました。
――会社の主軸である事業に飽きてしまったと。児玉さんはそこからどうやって気持ちを持ち直したのですか?
僕は社長ですし、社員もお客さんもいる。「飽きました」なんて周りには言えませんでした。そこで、もう一度この事業に「ロマン」を見い出そうと、改めて「ギフト」や「贈与」の仕組みについて学び直してみることにしました。そうすれば、事業を続けるヒントが得られるかもしれないと思ったんです。
――「こんな引き出物があったらいいな」から始まった事業の根本を、改めて見つめ直したのですね。
哲学書や歴史書をいろいろと読んでみたら、「ギフト」にはちゃんと歴史的な成り立ちがあって、どんな意味合いをもって現代まで受け継がれてきたかを再認識できました。そうして、再び自分の事業にロマンを見出して向き合えるようになった。それ以来、「飽きたら飽きたでまたロマンを見出せばいい」と考えられるようになりましたね。
この世にはまだまだ自分の知らないロマンが溢れている
――何年間も続けてきた事業でも、根本から学び直すことでちがう見方ができると。
その時に、「飽きる」というのは、自分の浅はかな知識を棚に上げて、駄々を捏ねているだけなのかもしれないと考えたんです。自分の知ってることなんてごくわずかだから、深掘りすればまた新たな解釈をした上で事業や物事に向き合うことができる。
――児玉さんは、ロマンを感じることが原動力になるのですね。
僕の場合はそうでした。この世には、まだまだ自分の知らないロマンが溢れています。ギフトに限らず、全ての業種にはそういうロマンチックな部分があるはず。「ギフト」にロマンを見出したからこそ、今の目標である「1億コード達成」にもつながってくるんです。
お金を払って何かを買うのは「交換」だから、その人の意志がないと物が手に入らない。でも、「ギフト」はあくまで「贈与」だから、うちの「地元のギフト」を欲しいと思っていない、なにかを自分で買うことすらできないくらいつらい状況にある人にだってポンっと急に届く可能性がある。それってすごくロマンチックだなと。
――「旬の果物を食べる」という選択肢がない人にも、おいしいりんごが届く未来が訪れる。
自分の生活がいっぱいいっぱいのときに、「地方のおいしい野菜を食べよう」なんて思えないじゃないですか。スーパーで買い物をするにしても、数十円でも安いものを買ってしまうことがざらにある。でも、「ギフト」であれば、孤独な人や、生活が苦しい人にも地方の産品が届く。お金のある人しか対象にしないのが経済なのに、余裕がない人にも届く可能性がある。これはいいぞ、と。
――事業を続けることへのロマンを問い直し、また道が見えてきたと。
僕はいちいちそうやって考えては一歩ずつ進んできているので、会社として成長することはどうしても時間がかかっていますね。経営者としては下手くそというか、一足飛びに売り上げや利益を上げたくてもうまくできないんです。その分伸び代があると思って会社を続けています。
自分に合った環境で、心身を健康に保ちながら歩き続ける
――児玉さんは、東京で会社員をしていた経験も、創業当初は東京にいた経験もありますが、長野県での働きやすさはどう感じていますか?
うちの事業自体は、全国各地の地方にいる人たちとの取引が多いので、東京にいたときよりもシンパシーを感じてくれることが多く感じます。
それから、長野は情報が過密ではないので落ち着きますね。東京で起業系のイベントにいくと、「うまくいっている」ように見える経営者たちをみて、「俺ももっとがんばらなきゃ」と精神的にくらってしまうことがあるんです。
「隣の芝は青い」とよく言いますが、東京にいると、意識しなくても勝手にほかの会社や経営者の情報が入ってきてしまいます。予期せぬダメージを食らわない環境で働くというのは、僕自身に合っている気がしますね。
――周りと比べず、自分のペースでいられると。
ヘルシーでいられますね。情報の暴飲暴食をせず、ちゃんと咀嚼して、デトックスができる。気持ちが強い人は、たくさん情報を摂取して走り続ければいいと思いますが、僕にとっては、地元である長野で会社をやるのが合っているんだと思います。
会社経営はマラソンに例えられるように、長期戦だと思っています。僕は心身共に健康な社長でいたい。健康第一ですね。結果それが会社のためにもなると思うので。その点、長野は新鮮な野菜などおいしい食材が手に入りやすいですし、自然が豊かでスポーツやアウトドアクティビティにアクセスしやすいのも好きですね。
――心の健康のために意識していることはありますか?
経営者仲間の存在は大きいです。上田市はもちろん、長野市や松本市、東京を始めとした全国各地に経営者同士のつながりがあるんです。
「最近どう?」といった雑談から、「社員が辞めてしまうのはつらいよね」「社長の立場ってなんなんだろう?」など、家族や社員には話せないような話をすることもあって。みんなとああでもないこうでもないと話す時間は楽しいですし、気持ちが救われる部分がありますね。
普段から周りに相談しやすい環境を作っておくことが、自分も相手も守ることになる
――たしかに、経営者という立場は弱みを見せづらい一面がありそうですね。
ずっと強気な姿勢を見せることも大事かもしれませんが、経営者だからといってすべてを背負うのは無茶な話です。そういう自分の弱さや、悩みを打ち明けられる存在が組織の外にいることは、経営者にとってのセーフティーネットになると思います。
それに、自分が弱みを見せれば相手も弱さを見せてくれますし、日頃から弱みを見せておけば、本当に困ったときに助け合いやすい。周りに相談しやすい環境を作っておくことは、僕にとっては大切ですね。
そうやって、いつでも相談をし合える関係性を維持しておくのは、自分のためでもあるし、家族のためでもあるし、会社のためでもありますよね。
――自分が弱さを見せることが、相手にとっても頼る理由になると。児玉さんは、創業当初から悩みや弱みを相談できる相手はいましたか?
創業当時は、そんなことは考えていなかったです。でも、家族が増えて、社員も増えてきた時に、漠然と「生きていたいな」と思ったんです。悲しいことに、経営者の中には自分一人で悩みを抱え込んでしまい、心身を壊してしまう人もいます。自分は、体力的にも精神的にも潰れないようにしようと意識していますね。そのためにも、相談をしたり話をしたりできる相手がいることは大事だと思います。
それに、事業を大きく成長させていく上では多くの人の考えやアイデアが必要だと思います。社員と話し合うことももちろん大事ですが、会社組織の中だけでものごとがすべて動いていくわけではないと思っていて。
――いろいろな視点や考え方が必要だと。
事業のヒントは、経営者仲間との話の中にあるかもしれないし、小説や普段の風景の中に隠れているかもしれない。今の目標の「1億コード達成」にしても、どんどんみなさんの知恵やアイディアを拝借したいです。これからもたくさんの人と話をして、助けたり助けられたりしながら進んでいきたいですね。
<地元カンパニーへのお問い合わせ>
「地元のギフト」を1億人に届けたい。創業13年目、地元カンパニー・児玉社長の目指す未来【前編】先輩起業家インタビューvol.1
起業する。会社を立ち上げる。「創業」と一口にいっても、そのあり方は人それぞれ。同じ選択や道筋は一つとしてありません。魅力的な先輩起業家が数多く活躍している長野県。SHINKIの先輩起業家インタビューでは、創業者の思いやビジョン、創業の体験談や、本音を掘り下げます。
「僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、年間1億人まで届けることだってできます。」
そう語るのは、長野県上田市で地元のカタログギフト事業を営む「株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)」代表取締役の児玉光史(こだまみつし)さんです。インタビュー前編では、「地元カンパニー」創業の経緯と、これまでの道のりや現在の目標を聞きました。
<お話を聞いた人>
株式会社地元カンパニー 代表取締役 児玉光史さん
長野県上田市のアスパラ農家に生まれ、大学卒業後は電通国際情報サービスにてシステムセールスに従事。退職後、東京で暮らす農家の跡継ぎコミュニティを立ち上げ、地域の産品を都内で実験的に販売。自身の結婚式で「ご当地グルメのカタログギフト」を引出物として配布し好評だったことをきっかけに、株式会社地元カンパニーを設立。
実家のアスパラガスの販売から事業をスタート
――まずは、株式会社地元カンパニー(以下、地元カンパニー)の概要について教えてください。
地元カンパニーは2012年に創業しました。現在は、長野県上田市に拠点を置き、約30名の社員と共に「地元のカタログギフト事業」「ギフトシステム事業」「お土産開発事業」を行っています。
――「地元のカタログギフト」とは?
都道府県や市町村単位のグルメを集めたカード形式のカタログギフトです。現在は約1300事業者様が参加してくださっていて、果物、野菜、生鮮品などそれぞれの「地元」の多種多様な商品がラインナップされています。
例えば「長野県のギフト」には、長野市のおやき、上田市の味噌、佐久市のプルーン、山内町のシャインマスカットや、小諸市の信州そばなどが掲載されています。個人のお客様はもちろん、結婚式の引き出物や内祝い、企業の株主優待、キャンペーンの景品、福利厚生などでご利用いただいています。
――一般的なカタログギフトと比べて、「地元のカタログギフト」にはどんな特徴がありますか?
ご注文いただいてからすぐにギフトが届くのではなく、「旬の時期」をお待ちいただくのが「地元のカタログギフト」の特徴です。例えば、6月に受け取ったカタログギフトで長野市のりんごを注文した場合、りんごが届くのは10月〜12月になります。
また、「地元のカタログギフト」作成にあたり、一件一件生産者の方々に取材を行っています。商品だけではなく、商品のつくり手、そして後継者の人々にもフォーカスし、つくり手の人となりや、ものづくりへの思いを伝えます。
――児玉さんが「地元のカタログギフト」の事業を始めたのはどんな背景があるのでしょうか。
僕の地元は長野県の上田市で、実家はアスパラ農家をしています。僕は大学進学のために上京し、そのまま東京の大手システム会社の営業マンをしていたのですが、地元に対する思いが拭いきれず、「自分はこのままでいいのかな?」と四年目で会社を辞めました。
――当時から、「地元のために創業したい」という思いがあったのですか?
何となく地元に関わっていたいとは思っていましたが、当時はまだこれといったビジョンはありませんでした。会社員を辞めてからはしばらくはWEB関係の仕事をしていましたが、東京で暮らすうちに自分と同じように地方から上京してきた農家の息子や娘たちと出会ったんです。
そこで、「自分達の実家の野菜を東京で売ってみるか」と、「セガレ」を立ち上げて、マルシェや駅前で野菜の販売を始めました。まだ「創業」といえる代物ではありませんでしたが、そこが僕のスタート地点でしたね。
「会社をやってみたい」という好奇心から「地元カンパニー」を設立
――そこから「地元のギフト」を思いついたのはどうしてですか?
たまたま僕が結婚する機会に恵まれて、結婚式で引き出物を準備する必要があったのですが、既存のカタログギフトを見てもピンとくるものがなかったんです。「せっかくなら、作り手の顔が見れる『セガレ』の仲間たちの実家の野菜やお酒、お米を贈れたらどうだろう?」と考えたのがはじまりでした。
――実体験からくるアイディアだったのですね。
早速、実際に自分たちで作ったカタログギフトを引き出物として使ってみたら参列者の方々にも好評で。「これはいけるんじゃないか?」と感じたのが「地元カンパニー」創業のきっかけの1つですね。
――会社を立ち上げることはハードルには感じませんでしたか?
むしろ、当時自分は30代に差し掛かった頃だったので、「いつまで東京で野菜を売っているんだ?このままでいいのか?」という気持ちがありました。
また、「セガレ」を通して、会社ではない組織体で動くことも経験してみましたが、やはり難しさがありました。同じ思いを抱えた仲間同士でも、全員本業ではないし関わる目的も様々で、金銭の授受が発生しない。面白くはありましたが、よくわからない状態でした。社会で生きていく上でも、「会社を経営している」という肩書きがあったほうがいろいろと動きやすそうだなと。
単純に「会社をやってみたい」という好奇心も大いにありましたね。そこで、「よし、会社を作ろう」と2012年の4月に登記し、社長になったわけです。
――とはいえ、会社ができたからといって事業がうまくいくわけではありませんよね。
そうなんです。「いけそうだ!」と感じたカタログギフトでしたが、いざ始めてみたら最初は知り合いが数件購入してくれるだけでまったく売上が立たず……。そこからは、とにかく思いついたことは全部やってきました。本当にいろんなことがありましたね。
今年で起業して13年目を迎えるのですが、ようやく会社として安定してきた気がします。財務的に「安定」というよりは、進むべき方向が見えてきた感覚ですね。
――事業の方向性が絞られるまでは、どんなことを?
東京から上田にUターンした後は、入居した建物にカフェ機能があったので、カフェ営業に取り組んでみましたが、全くうまくいきませんでした(笑)。Uターンの促進の事業も立ち上げましたが、なかなか事業としては成り立たず。
そんなふうに、もう覚えていないような失敗がいくつもあります。「地元のカタログギフト」も、いまでこそ軌道に乗っていますが、今のスタイルが確立するまでに「やらなくてよかったこと」はたくさんあったと思います。
まずは「自分でやってみる」。その繰り返しで「やるべきこと」を選び取ってきた
――「創業する」ということは、「なにをしてなにをしないか」の選択の連続ですよね。児玉さんは、まずやってみてから取捨選択をしていくのですか?
そうですね。僕は数学が好きなんですが、公式を使わずに解く癖があるんです。たとえば、他の会社のやりかたや成功事例を自社に持ち込むこともできたと思うんですが、僕はそれがどうしても気持ちが悪くて。
――「気持ちが悪い」というのは?
外から何かを持ってきてうまくいったとしても、どうしてうまくいったのかがちゃんと腑に落ちないといやなんです。だから、たとえ下手でも、うまくいかなくても、一から自分でやるのが好きなんですよね。
たとえば、事務所のタイルカーペットも自分たちで敷きました。外注すればすぐに終わるしきれいにできるかもしれませんが、自分たちでやってみることでチームビルディングになるし愛着が湧く。事業の運営においても、「時間や機会をお金で買わない」ことは意識しているかもしれません。「好奇心旺盛」といえばいい表現ですが、スピードを犠牲にしていますし、「やってみたい、やってみよう」でやることを増やして、一定数増えたら「なにか減らさなきゃ」とやるべきことを絞ってきました。
――創業から10年以上の試行錯誤があって、今があるのですね。
こういうことを話すと、「創業はやっぱり大変なんだ」と思われてしまうかもしれませんが、10年以上の時間がかかったのは僕の性格による部分が大きいんじゃないかな。
世の中でうまくいっている事業を参考にしながらサービスを始めれば、最初からある程度はうまく回っていくと思うのですが、僕の場合は、「ちょっと変わったこと」や、「今までにないことをやってみる」ことが好きなんです。
ギフトを通じて誰もが「待てる」社会をつくりたい
――地元カンパニーは企業理念に「待てる社会をつくる」を掲げていますが、この部分は10年以上会社を経営する中でもぶれないままでしたか?
いえ、一番最初の企業理念は、「地元をいい感じにする」というふんわりしたものでした。「いい感じ」にする方法はたくさんあるよな、自分達になにができるんだろう、と事業を成長させながらも考え続けて、10年以上経ってようやくしっくりくる言葉に落とし込めました。
よく、創業にあたって「まずは理念やコンセプトをしっかり練らないと」という声もあるかもしれませんが、僕はそういうスタートではなかったですね。好奇心からはじまった創業で、ああでもないこうでもないと続けているうちにしっくりくる理念ができあがったのが実態です。
――児玉さんの目指す「待てる社会」とは、どんな社会ですか?
「待てる」ことは、未来に希望があるということだと思っています。自分もそうですが、毎日毎日いいことばかりが続くわけではないですよね。辛い日もある。そんな日でも、「ちょっと前に選んだりんごが、明日届くかもしれないし、今日はもう寝るか……」と、ちょっとでも思い出してくれたら、うちのギフトをつくった甲斐があるなと。
――たしかに、現代はなんでもすぐに手に入るからこそ、「なにかを楽しみに待つ」という経験が逆に貴重になってしまっているかもしれませんね。
だから、つらい事件が起こると僕はいつも責任を感じるんです。もしもうちのギフトがその人に届いていたら、自ら死を選んでしまったりとか、事件を起こしてしまったりすることを防げたんじゃないかと。
僕らの力がもっと大きければ、根本的な問題の解決に繋がっていないとしても、その人に「地元のカタログギフト」が届き、旬のアスパラやリンゴを「待って」いる間に、決断や行動を保留させることができたかもしれない。
――「待てる社会」の実現に向けて、児玉さんの今の目標はなんですか?
「1億コード達成」です。
――「コード」とは?
僕たちは、カタログギフト1件の申し込みあたり「1コード」と呼んでいます。日本の人口は約1億人なので、日本人全員に最低でも年に1回は僕たちのギフトが届くようになったらいいなと思っています。
――ゆくゆくは日本人全員に! 現在は、年間何コード分のギフトが人々に届いているのでしょうか。
今は年間約8万コードです。1億コードを達成するには、ここから1000倍以上の成長が必要です。遠い目標に思えますが、僕が「地元カンパニー」を立ち上げて一番最初に売れたギフトはたった1個でした。そこからじっくり時間をかけて、8万倍まで成長してきた。そう考えると、1000倍も達成できます。
「1億」というのはあくまで日本人全員の象徴なので、つらい日々を送っている人を、一人でも前向きな気持ちにすることができるよう、これからも事業を続けていきたいです。
・・・
インタビュー後編では、長く会社を続けるためのバランスの取り方について聞いていきます。
<地元カンパニーへのお問い合わせ>
SSSWコラム
飯山エリア
長野エリア
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木曽エリア
飯田エリア
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上田エリア
佐久エリア
こんにちは。
SSSWの全体統括を務めている渡邉さやかです。
長野県の女性の創業・起業支援(Shinshu Startup Station Women:SSSW)は、2023年度から始まり、今年は2年目になります。
SSSWは、長野市を中心として活動するBiotopeや合同会社キキ、塩尻市を中心として活動するスナバ、飯田市を中心として活動する株式会社norms、そして今年度は上田市を拠点とするARECとの連携により様々な活動を実施しています。
2024年度の今年は、昨年度から実施している女性のメンターによる個別相談の実施や、長野県の各地(北信・中信・東信・南信)それぞれの地域で3回ずつ以上のコミュニティ形成に資するような対面イベントの実施、オンラインセミナーなどを実施していく予定です。
また、今年度はより地域を超えてのネットワークも少しずつ作れたらいいなぁと考えているところです。
これから順次情報公開していきますので、楽しみにしていただけたらと思います!
*
これは必ずしも女性だけでの課題ではないですが、創業・起業をしようとするときに、最初の一歩を踏み出してくれる仲間の存在は重要です。また仲間だけでなく、事業の相談ができるメンターの存在も重要であるというのは学術研究的にも多く語られています。
またメンターには、自分が起業や事業をしようとする分野に豊富な知見がある存在・起業プロセスを経験したことのある先輩的な存在・自分と属性が似ていている同志的な存在・財務/法務/広報などの専門的な知識を必要とする専門家の存在という4つの種類がいると良いと言われたりします。
SSSWで提供できることは限られますが、このプログラムをきっかけとして、起業だけでなく新たな一歩を踏み出そうとする方の応援ができるようにしていけたらと願って、チーム全員活動をしています。
ぜひ気軽に声がけをしていただけたらと思いますし、メッセージなどもしていただけたらと思っています。
SSSコラム④:地域課題解決ビジネス(ソーシャルビジネス創業支援金)について
担当:SSSコーディネーター 佐藤(中小企業診断士)
こんにちは、SSSコーディネーターの佐藤です。
(※本コラムの内容は執筆者個人の見解であり、長野県やSSSの公式見解ではありません。)
長野県で創業をお考えの方、ビジネスを展開されようとしている方にお聞きすることがあります。
「なぜ、長野県なのですか?なぜ、その地域で創業や事業展開をするのですか?」
お答えになる理由は人によって様々ですが、その中の1つとして「自身がその地域に住んでみて、その地域が抱える課題を解決したい」という想いを持つ方が多いと感じます。
地域課題解決のためのビジネスを始めることは、社会への貢献と共に、自身の夢を実現する一歩となります。しかし、アイディアを事業化する過程で、さまざまな壁にぶち当たることもあるでしょう。本コラムでは、地域課題解決のアイディアを事業化するためのポイントや乗り越えるべき壁などについて、長野県の「ソーシャルビジネス創業支援金(以下、ソーシャル補助金)」も交えながらお話したいと思います。
1.地域の課題、ニーズを捉える
地域課題解決ビジネスを始める際にまず重要なのは、地域のニーズを正確に把握することです。地域の人々や団体などと積極的にコミュニケーションを取り、彼らの課題や要望を理解することが大切です。アンケート調査やワークショップなどを通じて、地域の声を集めることで、より具体的なビジネスアイデアを形成することができます。
「ソーシャル補助金」の事業計画書の様式にも、「社会性」という項目で、解決しようとする地域課題の内容を記載する箇所があります。記載する際に意識したいこととして、「地域課題の内容が的確に捉えられているか、納得感の高いものか」という点です。このチェックポイントを踏まえると、例えば行政や地域が公開している資料などにあるエビデンスとなるデータや記事を提示すること、アンケートやヒアリングなどでを行い地域の「生」の声やニーズを収集した調査結果を示すことなどにより、「確かにこれって地域の課題だよね」と見る側・聞く側に思ってもらえるか、ということです。
2.現在の取組状況や競合(かもしれない、なり得る)などをおさえる
次に重要なのが、地域課題解決のために現在はどのような取り組み・活動がおこなわれているか、類似のサービスやソリューションはないか、あるとしたらどのような内容かを把握することです。持続可能な「ビジネス」として成立させるためには、選んでもらえるサービスやソリューションを提供することが重要です。そのために、他との差別化要因を確立することや今はまだないビジネスやサービスを見つけていくことなどがポイントになります。
「ソーシャル補助金」の様式にも、「必要性」という項目があり、ご自身が考えている事業が地域にとって、地域課題解決のためにどういう理由で必要と考えるかを記載します。
3.地域との協力・連携を図ること
地域課題解決ビジネスを成功させるためには、地域の関係者との協力が不可欠です。地域の団体や住民、行政機関などとの連携を図り、共同プロジェクトを進めることで、より効果的な解決策を提供することができます。また、地域の人々の声を取り入れたり、地域資源を活用したりすることで、地域との絆を深めることも大切です。
「ソーシャル補助金」の応募にあたっても、いかに「地域の方々を巻き込むことに繋がるか(活動や事業の輪が広がる可能性があるか)、波及効果がある事業であるか」という点で、ご自身の事業を見つめ直してみることもいいかもしれません。
4.持続可能な「収益モデル」を構築すること
地域課題解決ビジネスを始める際によくぶち当たる壁の一つには、持続可能な収益モデルの構築があります。社会的な課題解決を目指すビジネスでは、収益を上げながら地域の課題に取り組むことが求められます。ここで重要なのは、ビジネスモデルの柔軟性と創造性です。他の収益源やビジネスパートナーを見つけることで、収益の多角化を図り、持続可能なビジネスを築くことができます。
また、地域課題解決ビジネスでは、長期的な視点と忍耐力も必要です。課題解決には時間と努力がかかることがありますので、短期的な成功に固執せず、地道に取り組み続けることが重要です。また、途中で困難にぶつかったとしても、諦めずにチャレンジし続ける心構えが必要です。成功は簡単には訪れませんが、地域の課題を解決するビジネスが実現すれば、地域の人々の生活を豊かにすることができます。
最後に、地域課題解決ビジネスを始める際に大切なのは、情熱と信念です。地域の課題に真剣に向き合い、解決策を提供することに情熱を持ち、自身のビジョンを信じることが必要です。困難にぶつかったり、周囲の反対に遭ったりすることもあるかもしれませんが、自分の信じる道を進む勇気を持ってください。地域の課題解決は、あなたのビジネスが実現することで現実のものとなります。
地域課題解決ビジネスは、あなたの夢を叶えるだけでなく、地域社会に貢献する素晴らしいチャンスです。ソーシャルビジネス創業支援金などの補助金を活用しながら(このコラムが掲載される頃は、令和6年度創業支援金の2次募集中かもしれません)、地域の課題に取り組むビジネスを考えてはいかがでしょうか。進むべき道は険しいかもしれませんが、SSSはそんな皆さんを応援し、サポートいたします。